それにしても、テレビ版第2シリーズの流れをくんで、やはりこの映画版も「ゆいあず」のための作品であった。
ロンドン旅行のホテルの部屋割りに象徴的なように、今回も唯と梓が2枚看板の主役という扱いで、その他のメンバーは添え物として扱われているようだった。昔のドラマでいうと、唯と梓がユミとジュン、澪や律たちがキャプテンやチー子、サチ子、きみえさんたちのような(古いね、たとえが)。
それは、もう、もともとそういう作品なんだからってことで、それが不満なら最初っから見るなってなもんであるが、だからといって、個人的に納得いかないことは事実なのだから、それもまたしょうがない。澪ファンの私だけでなく、世に棲む律ちゃんファンも、ムギちゃんファンも、不満に違いない。とくに律ちゃんなんて、本当に見せ場が皆無で、かわいそうなぐらいである。
私の個人的な見苦しい恨みつらみになってしまうが、いかに、澪が作り手から大事にされていないか思い知らされて、映画を見ながら憮然となってしまったのが、バンドでの演奏シーンである。
テレビ版第2期で演奏シーンが少なかった分を取り返すかのような演奏シーンの数々。
ロンドンで2回、日本に戻って1回。
映画版の上映時間はテレビ版換算で正味5回分ぐらいだろうが、テレビ版では5回に3回もまともな演奏シーンはなかったのだから、サービスといえばサービス。がんばった、と思う。たしかに。
最初の飲食店のステージでは、1期から存在していた挿入歌なのに前奏と後奏しか本編で流れたことのなかった「カレーのちライス」が初の完全披露で流れ、次にロンドンの公園の屋外ステージで、コミカルな「ごはんはおかず」が流れ、さらに軽音部のテーマとも言うべき「ふわふわ時間(タイム)」が流れ・・・と、ここまで全て唯のボーカル曲ばかりである。
唯が主人公なんだから当然、と言われてしまえばしかたないが、アニメ1期では少なくとも2トップということで、澪も同じぐらいの比率でリードボーカルをとっていたのだし、実際、ひいき目なしで見ても、澪(の中の人)のほうが美声だと思えるだけに、出てくる曲、出てくる曲、ことごとく唯のボーカル曲ばかりだったのには、私は見ながら悔しいやら悲しいやら情けないやら、テンションが落ちる一方である。
帰国後の、物語後半のとってつけたような教室ライブのシーンでどうにかかろうじて澪のボーカルシーンも流れて、少しホッとしたのも束の間、澪のボーカルシーンはアッというまに終わって、すぐにまた唯ボーカル曲に替わってしまい、そして、そっちばかりやたら長いのである。
なぜ、こんなにおとしめられてしまったのだろう、いつのまに。いったい澪がどんな悪いことをしたというのだろう。と、もう涙も出ないぐらいに悲しくなってしまった。
そうして、虚しい気持ちのまま、映画本編が終わり、ここが最後の砦、最終絶対防衛ラインとわれわれ澪ファンが考えるエンディングになって、ここでようやっと澪がまともにフィーチュアされて、いい曲にいい映像で、これならどうにか気分よく鑑賞を終えられそうだと思ったら・・・せっかくの映像が途中で暗転して、またしても「ふわふわ時間(タイム)」のイントロ。
ボーカルは、どうせというか、やはりというか、またもや唯。
澪の歌声の余韻をかき消すように。
喧嘩売ってんのか!!
と、思わず叫びそうになる幼稚な私であったが、澪ファンだからといって、唯や梓をやっかんで敵視するようなみっともない真似はもとよりしたくないので、まあそこは我慢。
しかし実際、テレビシリーズ2期の最終回でも、映画版でも、いくら「ふわふわ時間(タイム)」という曲が軽音部の原点だからといって、使い方としては間違っているだろうと思うしかない。
せっかく余韻をもって綺麗に終わるべきところで、なぜ2回ともそれをぶちこわすような無粋な使い方をするのか。
これでは、本来罪のない「ふわふわ時間(タイム)」の印象まで悪くなりそうではないか。
澪びいきとか何とかいう個人的事情はさしひいて、演出上のミスだと思われてならない。
「けいおん」アニメシリーズが今後もカレッジ編とハイスクール編に分岐して続くのかと言うと、たぶん商売になるうちは続くんだろうと思うが、それでもオリジナルメンバーがオリジナルの舞台である高校軽音部で活動する話はさすがにこれで打ち止めだろうから、シリーズ全体としては、どっちにしてもこの映画が、一つの時代をしめくくる作品には違いあるまい。
だから、私としても、もっと後味よく見終えたかったのだが・・・残念な限りである。
いっそ、最初っから唯のファンになっていれば、もっと楽しくうれしく気持ちよく見られただろうに、と思うと、残念というか、そんなことまで考えるのかよと、自分があわれにすらなってくるではないか。・・・
と、今回はロクに考察らしい考察もなく、ただ感想を綴っただけになってしまっているが、まあ、そういうことで。
ロンドン旅行のホテルの部屋割りに象徴的なように、今回も唯と梓が2枚看板の主役という扱いで、その他のメンバーは添え物として扱われているようだった。昔のドラマでいうと、唯と梓がユミとジュン、澪や律たちがキャプテンやチー子、サチ子、きみえさんたちのような(古いね、たとえが)。
それは、もう、もともとそういう作品なんだからってことで、それが不満なら最初っから見るなってなもんであるが、だからといって、個人的に納得いかないことは事実なのだから、それもまたしょうがない。澪ファンの私だけでなく、世に棲む律ちゃんファンも、ムギちゃんファンも、不満に違いない。とくに律ちゃんなんて、本当に見せ場が皆無で、かわいそうなぐらいである。
私の個人的な見苦しい恨みつらみになってしまうが、いかに、澪が作り手から大事にされていないか思い知らされて、映画を見ながら憮然となってしまったのが、バンドでの演奏シーンである。
テレビ版第2期で演奏シーンが少なかった分を取り返すかのような演奏シーンの数々。
ロンドンで2回、日本に戻って1回。
映画版の上映時間はテレビ版換算で正味5回分ぐらいだろうが、テレビ版では5回に3回もまともな演奏シーンはなかったのだから、サービスといえばサービス。がんばった、と思う。たしかに。
最初の飲食店のステージでは、1期から存在していた挿入歌なのに前奏と後奏しか本編で流れたことのなかった「カレーのちライス」が初の完全披露で流れ、次にロンドンの公園の屋外ステージで、コミカルな「ごはんはおかず」が流れ、さらに軽音部のテーマとも言うべき「ふわふわ時間(タイム)」が流れ・・・と、ここまで全て唯のボーカル曲ばかりである。
唯が主人公なんだから当然、と言われてしまえばしかたないが、アニメ1期では少なくとも2トップということで、澪も同じぐらいの比率でリードボーカルをとっていたのだし、実際、ひいき目なしで見ても、澪(の中の人)のほうが美声だと思えるだけに、出てくる曲、出てくる曲、ことごとく唯のボーカル曲ばかりだったのには、私は見ながら悔しいやら悲しいやら情けないやら、テンションが落ちる一方である。
帰国後の、物語後半のとってつけたような教室ライブのシーンでどうにかかろうじて澪のボーカルシーンも流れて、少しホッとしたのも束の間、澪のボーカルシーンはアッというまに終わって、すぐにまた唯ボーカル曲に替わってしまい、そして、そっちばかりやたら長いのである。
なぜ、こんなにおとしめられてしまったのだろう、いつのまに。いったい澪がどんな悪いことをしたというのだろう。と、もう涙も出ないぐらいに悲しくなってしまった。
そうして、虚しい気持ちのまま、映画本編が終わり、ここが最後の砦、最終絶対防衛ラインとわれわれ澪ファンが考えるエンディングになって、ここでようやっと澪がまともにフィーチュアされて、いい曲にいい映像で、これならどうにか気分よく鑑賞を終えられそうだと思ったら・・・せっかくの映像が途中で暗転して、またしても「ふわふわ時間(タイム)」のイントロ。
ボーカルは、どうせというか、やはりというか、またもや唯。
澪の歌声の余韻をかき消すように。
喧嘩売ってんのか!!
と、思わず叫びそうになる幼稚な私であったが、澪ファンだからといって、唯や梓をやっかんで敵視するようなみっともない真似はもとよりしたくないので、まあそこは我慢。
しかし実際、テレビシリーズ2期の最終回でも、映画版でも、いくら「ふわふわ時間(タイム)」という曲が軽音部の原点だからといって、使い方としては間違っているだろうと思うしかない。
せっかく余韻をもって綺麗に終わるべきところで、なぜ2回ともそれをぶちこわすような無粋な使い方をするのか。
これでは、本来罪のない「ふわふわ時間(タイム)」の印象まで悪くなりそうではないか。
澪びいきとか何とかいう個人的事情はさしひいて、演出上のミスだと思われてならない。
「けいおん」アニメシリーズが今後もカレッジ編とハイスクール編に分岐して続くのかと言うと、たぶん商売になるうちは続くんだろうと思うが、それでもオリジナルメンバーがオリジナルの舞台である高校軽音部で活動する話はさすがにこれで打ち止めだろうから、シリーズ全体としては、どっちにしてもこの映画が、一つの時代をしめくくる作品には違いあるまい。
だから、私としても、もっと後味よく見終えたかったのだが・・・残念な限りである。
いっそ、最初っから唯のファンになっていれば、もっと楽しくうれしく気持ちよく見られただろうに、と思うと、残念というか、そんなことまで考えるのかよと、自分があわれにすらなってくるではないか。・・・
と、今回はロクに考察らしい考察もなく、ただ感想を綴っただけになってしまっているが、まあ、そういうことで。