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で、私見としては、何だかんだで「3泊4日で路線バスと徒歩だけでゴールを目指す」という、「対決」スタイルでない、絶対評価勝負の元祖『バス旅』がやっぱり一番おもしろかったね、というありふれた結論になるわけだ。
最近の「対決」シリーズのゲスト芸人によくいるような「故意に作られた足引っ張りキャラ」ではない、蛭子能収の先の読めない言動(とくに『旅バラ』になる前の元祖『バス旅』シリーズの頃に顕著だった、涼しい顔して平然と無礼すぎる発言をするあたりw)が何度見ても飽きないということもあり、私などは過去の『太川・蛭子の元祖バス旅』シリーズのDVDをいまだに繰り返し見ている。
そして、繰り返し見れば見るほど、そのシンプルなルールの完成度と日本の路線バス事情の奥深さに舌を巻く思いがする。
素人料簡だと本数が多そうで簡単そうな王道の東海道五十三次の旅が思いのほか難敵だったり、逆に難しそうな北海道が実は毎回楽勝だったりと、初めて見たときはその意外性に驚いたものである。
やがて、何本も見て慣れてくると、
「路線バスはあくまで鉄道を補完する存在だから、東海道ルートや山陽ルートのような幹線鉄道に並行するルートでは、バス路線がなかなかなくて当然」、
「バス路線の許認可者の縄張りという観点に立てば、県境を越えるバスが少ないのはたしかに当たり前。であれば、逆に『県境』の存在しない北海道は、その弱点がないのだから、難しそうでやさしいのも実は道理だ。かくして、本数は少ないものの一回乗ってしまえば一気に距離が稼げて、案外徒歩が少なく済んで、それで毎回楽勝なのだな。北海道回に当たったマドンナは得したね」
という具合に、事情がわかってきて、行ったことがなくても「ローカル路線バス事情通」になれた気がして、何となく楽しくなったりする。
また、北関東がなぜか妙にバス路線が少なくて難しいと知ったり、四国が一見難しそうで本当に難しいと知ったり、
「九州は難しすぎず簡単すぎず、おもしろい回になりやすいのに、絶対的回数が少ないのは、やっぱり予算の都合?」
なんて、どうでもいいことを考えてみたり、
「それにしても、遠藤久美子回での四国の宿は、『バス旅』史上最悪の宿泊施設だったわなあ。いまだにアレを凌駕する悲惨な宿はないよね」(←粉河(こかわ)は?)
と、しみじみ思ってみたり。
思えば、この元祖『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』を改めて見直すと、『対決旅』シリーズに決定的に欠けているものが何かに、否が応でも気づかされる。
それは、誰でも気づくだろうが、旧シリーズのタイトルにあった「人情」、「ふれあい」、「珍道中」である。
青森の田舎の大衆食堂のおばちゃんの機転に助けられたり、東北の農家の人にスイカを貰って屋外で食べたり、同じく東北で一般人家庭に上がらせてもらったり、新潟の田舎の商店の変な親父になぜか威張られてカップ麺のお湯をこぼしながら歩いたり、北海道の田舎の喫茶店で大昔に太川が訪ねたことがあったという事実に驚愕したり、山陰で無銭旅行の若者にサイン色紙をプレゼントしたり、東北でバスの中で乗客に民謡の踊り方を教わったり、伊勢の喫茶店のケバいおばあちゃんに漫才師と誤認されたり。・・・
蛭子がパチンコ店に寄り道したことが後で響いてくるなんていう、文字通りの「筋書きのない珍道中」ハプニングに出くわしたことも記憶に鮮明である。お世話になったバス案内所の人に蛭子が「ご恩は一生忘れません!」と言った直後にその人の名前を忘れていたというのも個人的にツボだった(笑)。
ゲストマドンナもフレキシブルな活躍ぶりで、厳寒の僻地の闇夜に、田中律子が知人にSOSを求めた結果、無事にその日のネグラが得られたなんていうお手柄も忘れがたい。とともに、あれがなかったら一体どうなっていたか、空恐ろしい(そして、この時こんなに奮闘した田中律子が、ただ無為に飲み食いするだけのテレ朝『ニセバス旅』で、おそらく貧乏テレ東の『元祖バス旅』でがんばった時より高いギャラを毎回もらっているんだろうなと思うと、世の理不尽に首をかしげたくなるw)。
個人的には、順不同で、中山エミリ回(第7回)、田中律子回(第14回)、藤田朋子回(第5回)、さとう珠緒回(第15回)、加藤紀子回(第12回)、芳本美代子回(第9回)、野村真美回(第18回)、ちはる回(第16回)、はいだしょうこ回(第23回)あたりがおもしろかった「当たり」の回と記憶している。世評と一致するかどうかは知らんが。
田中律子回や野村真美回のスリリングな綱渡りファインプレーの連続、中山エミリ回の前述のパチンコ事件、加藤紀子回の太川・蛭子マジバトルとマドンナの見事な機転、さとう珠緒回での蛭子とマドンナの奇妙な意気投合と「魔の三日目」の早すぎる打ち止め、どれも忘れがたい。とくに、中山エミリ回、さとう珠緒回、ちはる回あたりはゴール自体は失敗した回なのに、「名作」であるところが掛け値なしに素晴らしい。
このように改めて「人情」、「ふれあい」、「珍道中」満載の旧シリーズを見直せば見直すほど、今の「対決」シリーズで失われた要素が惜しまれてならない。
すなわち、「人情」、「ふれあい」、「珍道中」の喪失が。
何しろ、バス車内や食事中のゲストマドンナとの交流さえ、今はまともに存在しなくなったのだから、「対決」シリーズは、太川陽介が路線バスに乗るという以外、もはや完全の別の番組である。
今では、沿道上やバス車中の一般人との交流はもとより、立ち寄りスポットで働く人との交流も、案内センターで働く人との交流も、宿の予約のドラマやその宿の人との交流さえも、もうロクに存在しない。
コロナ渦のせい・・・というのは、もちろんあるだろう。実際、いつかあった一般人の家に上がらせてもらうなんて、このご時世では絶対に不可能だし。
が、コロナウイルスは実は枝葉末節で、感染対策があろうとなかろうと、太川陽介が、あるいは番組スタッフが、もう「人情」にも「ふれあい」にも「珍道中」にも興味をなくし、ひたすら「勝負」しか眼中にない、いかに口三味線を弾いて相手をだまし出し抜くかしか念頭にない、というふうになってしまったから、番組自体そんなギスギスした世知辛いコンセプトのだしものに成り下がってしまったからということのほうが真相だろう。
かつて、ゲストマドンナのために靴の買い替えを提案したり、マッサージ利用を提案したりした「気配りと気働きの太川」は、もうどこかにいなくなってしまったのか??
立ち寄りは、ジップラインやジェットコースターの自撮りがひたすらワンパターンで繰り返されるだけ。とにかくもう、毎回毎回、ただただ「勝負」「勝負」「勝負」の一点張り。・・・
「嫌ならば見るなよw」という常套句のツッコミは、まったくもっておっしゃる通り。
たしかに、今はまだ惰性で見ているものの、「人情」なし・「ふれあい」なし・「珍道中」なしの現在の『太川対決旅』シリーズが、いずれわが家の飯どきバックグラウンドから外される日も遠くはないのかもしれない。
基本ルールは旧シリーズと同じだけど、やはり旧シリーズよりもともと少なかった「人情」「ふれあい」「珍道中」成分がさらに減少傾向で、徒歩の過酷さばかりがやたら際立ってきてしまっている『羽田圭介と田中要次のバス旅Z』シリーズともどもに。
で、私見としては、何だかんだで「3泊4日で路線バスと徒歩だけでゴールを目指す」という、「対決」スタイルでない、絶対評価勝負の元祖『バス旅』がやっぱり一番おもしろかったね、というありふれた結論になるわけだ。
最近の「対決」シリーズのゲスト芸人によくいるような「故意に作られた足引っ張りキャラ」ではない、蛭子能収の先の読めない言動(とくに『旅バラ』になる前の元祖『バス旅』シリーズの頃に顕著だった、涼しい顔して平然と無礼すぎる発言をするあたりw)が何度見ても飽きないということもあり、私などは過去の『太川・蛭子の元祖バス旅』シリーズのDVDをいまだに繰り返し見ている。
そして、繰り返し見れば見るほど、そのシンプルなルールの完成度と日本の路線バス事情の奥深さに舌を巻く思いがする。
素人料簡だと本数が多そうで簡単そうな王道の東海道五十三次の旅が思いのほか難敵だったり、逆に難しそうな北海道が実は毎回楽勝だったりと、初めて見たときはその意外性に驚いたものである。
やがて、何本も見て慣れてくると、
「路線バスはあくまで鉄道を補完する存在だから、東海道ルートや山陽ルートのような幹線鉄道に並行するルートでは、バス路線がなかなかなくて当然」、
「バス路線の許認可者の縄張りという観点に立てば、県境を越えるバスが少ないのはたしかに当たり前。であれば、逆に『県境』の存在しない北海道は、その弱点がないのだから、難しそうでやさしいのも実は道理だ。かくして、本数は少ないものの一回乗ってしまえば一気に距離が稼げて、案外徒歩が少なく済んで、それで毎回楽勝なのだな。北海道回に当たったマドンナは得したね」
という具合に、事情がわかってきて、行ったことがなくても「ローカル路線バス事情通」になれた気がして、何となく楽しくなったりする。
また、北関東がなぜか妙にバス路線が少なくて難しいと知ったり、四国が一見難しそうで本当に難しいと知ったり、
「九州は難しすぎず簡単すぎず、おもしろい回になりやすいのに、絶対的回数が少ないのは、やっぱり予算の都合?」
なんて、どうでもいいことを考えてみたり、
「それにしても、遠藤久美子回での四国の宿は、『バス旅』史上最悪の宿泊施設だったわなあ。いまだにアレを凌駕する悲惨な宿はないよね」(←粉河(こかわ)は?)
と、しみじみ思ってみたり。
思えば、この元祖『ローカル路線バス乗り継ぎの旅』を改めて見直すと、『対決旅』シリーズに決定的に欠けているものが何かに、否が応でも気づかされる。
それは、誰でも気づくだろうが、旧シリーズのタイトルにあった「人情」、「ふれあい」、「珍道中」である。
青森の田舎の大衆食堂のおばちゃんの機転に助けられたり、東北の農家の人にスイカを貰って屋外で食べたり、同じく東北で一般人家庭に上がらせてもらったり、新潟の田舎の商店の変な親父になぜか威張られてカップ麺のお湯をこぼしながら歩いたり、北海道の田舎の喫茶店で大昔に太川が訪ねたことがあったという事実に驚愕したり、山陰で無銭旅行の若者にサイン色紙をプレゼントしたり、東北でバスの中で乗客に民謡の踊り方を教わったり、伊勢の喫茶店のケバいおばあちゃんに漫才師と誤認されたり。・・・
蛭子がパチンコ店に寄り道したことが後で響いてくるなんていう、文字通りの「筋書きのない珍道中」ハプニングに出くわしたことも記憶に鮮明である。お世話になったバス案内所の人に蛭子が「ご恩は一生忘れません!」と言った直後にその人の名前を忘れていたというのも個人的にツボだった(笑)。
ゲストマドンナもフレキシブルな活躍ぶりで、厳寒の僻地の闇夜に、田中律子が知人にSOSを求めた結果、無事にその日のネグラが得られたなんていうお手柄も忘れがたい。とともに、あれがなかったら一体どうなっていたか、空恐ろしい(そして、この時こんなに奮闘した田中律子が、ただ無為に飲み食いするだけのテレ朝『ニセバス旅』で、おそらく貧乏テレ東の『元祖バス旅』でがんばった時より高いギャラを毎回もらっているんだろうなと思うと、世の理不尽に首をかしげたくなるw)。
個人的には、順不同で、中山エミリ回(第7回)、田中律子回(第14回)、藤田朋子回(第5回)、さとう珠緒回(第15回)、加藤紀子回(第12回)、芳本美代子回(第9回)、野村真美回(第18回)、ちはる回(第16回)、はいだしょうこ回(第23回)あたりがおもしろかった「当たり」の回と記憶している。世評と一致するかどうかは知らんが。
田中律子回や野村真美回のスリリングな綱渡りファインプレーの連続、中山エミリ回の前述のパチンコ事件、加藤紀子回の太川・蛭子マジバトルとマドンナの見事な機転、さとう珠緒回での蛭子とマドンナの奇妙な意気投合と「魔の三日目」の早すぎる打ち止め、どれも忘れがたい。とくに、中山エミリ回、さとう珠緒回、ちはる回あたりはゴール自体は失敗した回なのに、「名作」であるところが掛け値なしに素晴らしい。
このように改めて「人情」、「ふれあい」、「珍道中」満載の旧シリーズを見直せば見直すほど、今の「対決」シリーズで失われた要素が惜しまれてならない。
すなわち、「人情」、「ふれあい」、「珍道中」の喪失が。
何しろ、バス車内や食事中のゲストマドンナとの交流さえ、今はまともに存在しなくなったのだから、「対決」シリーズは、太川陽介が路線バスに乗るという以外、もはや完全の別の番組である。
今では、沿道上やバス車中の一般人との交流はもとより、立ち寄りスポットで働く人との交流も、案内センターで働く人との交流も、宿の予約のドラマやその宿の人との交流さえも、もうロクに存在しない。
コロナ渦のせい・・・というのは、もちろんあるだろう。実際、いつかあった一般人の家に上がらせてもらうなんて、このご時世では絶対に不可能だし。
が、コロナウイルスは実は枝葉末節で、感染対策があろうとなかろうと、太川陽介が、あるいは番組スタッフが、もう「人情」にも「ふれあい」にも「珍道中」にも興味をなくし、ひたすら「勝負」しか眼中にない、いかに口三味線を弾いて相手をだまし出し抜くかしか念頭にない、というふうになってしまったから、番組自体そんなギスギスした世知辛いコンセプトのだしものに成り下がってしまったからということのほうが真相だろう。
かつて、ゲストマドンナのために靴の買い替えを提案したり、マッサージ利用を提案したりした「気配りと気働きの太川」は、もうどこかにいなくなってしまったのか??
立ち寄りは、ジップラインやジェットコースターの自撮りがひたすらワンパターンで繰り返されるだけ。とにかくもう、毎回毎回、ただただ「勝負」「勝負」「勝負」の一点張り。・・・
「嫌ならば見るなよw」という常套句のツッコミは、まったくもっておっしゃる通り。
たしかに、今はまだ惰性で見ているものの、「人情」なし・「ふれあい」なし・「珍道中」なしの現在の『太川対決旅』シリーズが、いずれわが家の飯どきバックグラウンドから外される日も遠くはないのかもしれない。
基本ルールは旧シリーズと同じだけど、やはり旧シリーズよりもともと少なかった「人情」「ふれあい」「珍道中」成分がさらに減少傾向で、徒歩の過酷さばかりがやたら際立ってきてしまっている『羽田圭介と田中要次のバス旅Z』シリーズともどもに。