習作の貯蔵庫としての

自分の楽しみのために書き散らかした愚作を保管しておくための自己満足的格納庫ですが、もし感想をいただけたら嬉しく存じます。

円生、円楽、その名を継ぐもの(3)

2010-03-22 10:40:21 | 落語とその他伝統芸能
 という具合に、六代目円生のことを語ろうとするときりがないわけだが、たかが名前、されど名前で、先代がそれだけ偉大であれば、ついそれを継ぐ者という行方を気にしてしまう。

 では、なぜ、私は先ほど「鳳楽がいいと積極的に支持するわけではないが、それでも円丈にだけは継がせたくない。円丈だけはイヤだ」的なことを書いたのか。
 それは、察しのいい読み手ならわかる通り、円丈がかつて自著で師・円生のことをボロクソに書いた恩知らずだという過去を忘れられないからである。そのとき、若き円丈が著書で主たる攻撃対象にしたのは、兄弟子の五代目円楽、あの「笑点」司会の「ガハハの円楽」だったわけだが、師匠である円生のことも、「俺は円生を許さない」などと、憎悪をむき出しにして呼び捨てでののしっていたことを、やはり私はどうしても忘れられないのである。

 「何もそんな昔のことを」と言われてもしかたないが、師のことをあのようにあしざまに罵倒しておいて、今さら「私が円生を継ぎたい」などと言われても、「ほな、やってみなはれ。鳳楽はんと競争して勝ったら、おまはんが次の円生や」と、鳥居信治郎のように寛大な台詞を吐くことはどうしてもできない。
 おそらく、先代円生の数少ない存命弟子の一人である円窓あたりも、「円生の名を襲名の対象にすること自体賛成しないし、鳳楽を積極的に支持もしないが、円丈だけは人間として許せない」と、私と同じ思いを抱いているのではないかと、勝手に想像する(※5)。


 なお、念のために述べておくと、私は上述のように、昔の著書の件から、円丈を人間的に全く信頼できないとは思っているが、落語家としては決して全否定するものではない。
 お茶の間的知名度はあまり高い落語家ではなくとも(※6)、創作落語中興の祖として、西の桂三枝と並び称せられるべき落語史的な功績のある人物だということは私も認める。

 ただ、そうは言っても、日進月歩の落語界のことであるから、自作自演の創作落語家としての円丈の能力は、既に第一人者ではない。すなわち、創作者としても演者としても、実力的には既に柳家喬太郎あたりにとうに抜かれているというのが、現実的な評価だろう(※7)。オリンピックの記録が次々と塗り替えられていくように、噺家の能力も、こうして追い越されていくのだという、典型例かもしれない。
 もしかしたら円丈もそれを自覚していて、たとえ望み薄でも、円生の名を強奪して歴史に名を残したいと思ったのだろうか、と、邪推はそこまで及んでしまったりもする。
 が、もともと円丈の側には、そこまでする必要はないのだろう。たしかに、見苦しいまでの自己顕示欲のこもった「待った!円生を名乗りたいなら俺を倒してから・・・」アピールではあるが、そんなことをせずとも、上記の創作落語家としての歴史的評価自体は、たとえ現時点の実際の実力で後進に抜かれていても、揺るぎはしないのだろうから。

 考えてみれば、皮肉である。
 六代目円生の直弟子たちの中で、「落語史の教科書的に」一番重要なキーパーソンとして記されることになるのが、師匠と同じ古典派の巧者である円窓でなく、それどころか、一番弟子の円楽ですらなく、円生の教えていない自作自演新作をウリとする円丈だったとは。

 私はただただ、そのことの意外さ、あるいは異常さに目をみはりながら、この三日間の落書きの筆を措く(※8)。



(※5)
同じ兄弟弟子の中では、先代円生の存命中に破門された川柳あたりは円丈を支持しそうだが。


(※6)
お茶の間的「知名度」が低くても、実はみんな知らないようで知っている、ってことはあるんだけどね。前回触れた九代目文楽がペヤングの「四角い顔」として関東地区では実はみんな無自覚に知っているように、円丈はかつて大日本除虫菊金鳥のCMで「カッカッカッカッ掛布さん」とやっていたので、それを言われれば、「ああ。あの人のことか」と膝を叩く人が多いだろう。


(※7)
この、喬太郎という、私の最も傾倒する現役落語家のことは、以前から一筆書きたいと思ってはいたのだが、ここで書き始めると本題から大きくそれるので、今回は深入りしないでおく。


(※8)
私の傾倒するもう一人の現役名人、「金髪豚野郎」こと小朝の噺家としてのパーフェクトさ、海老名一族の襲名に見る茶番性、小さん一族の襲名に見る茶番性などについても言及したかったところではあるが、それはまたの機会に譲ることにする。
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円生、円楽、その名を継ぐもの(2)

2010-03-21 13:29:52 | 落語とその他伝統芸能
2 円生を継ぐもの


 なかなか、世の中にはプロモーター的才覚の旺盛な人がいるものである。
 楽太郎が円楽を襲名で、そっちに話題が集中するのかと思いきや、今度は円生の大名跡の行方に世間が注目である。たしかに、円楽襲名となれば、本来ならそれよりもっと大きな名である円生の名はどうなる?と、人々が思うのは当然で。
 その円生の名は、いろいろと人によって立場によって意見の相違はあっても、五代目円楽の一番弟子である鳳楽が継ぐ、ということで、おおかたの納得は得られていたはずだった(※3)。

 ところが、そこに、六代目円生の直弟子=五代目円楽の弟弟子である三代目円丈が、待ったをかけたという構図。
「円生を名乗るなら、俺を倒してからにしろ!」
ってわけね。
 それで、「円生名跡・争奪戦!七代目になおるのはどっちだ!?杯」が始まってしまったという、今回の経緯。


 実に劇画的というか、WWE的というか、話題作りのための話題作りみたいに見えてしかたないが、こと争奪対象が円生という大きな名だけに、たしかに楽太郎の円楽襲名なんて吹き飛んでしまうほどの話題にはなった。
 この企画を立案したプロモーターも、さぞホクホクだろう。
 そして、鳳楽も、
「別にこんな茶番企画は蹴ることもできたのに、わざわざ叔父弟子の円丈の馬鹿踊りにつきあって、律儀な人だ」
と、「いい人」ポジションを守りつつ、自らの知名度を上げられるのだから、悪くはない。


 私はといえば。

 円生という名は、先代があれほどの名人だった以上、プロ野球の「永久欠番」みたいに、今のままの「止め名」でいいじゃないか。何もわざわざ引っ張り出さなくてもいいじゃないか。と、そんな感想が一つ。

 それから、私は別に鳳楽のファンじゃないから、彼に肩入れする義理はない。が。しかし、円丈に円生の名を継がせるのだけは絶対にイヤだ。となれば、鳳楽を応援するしかないじゃないか。と、感情的な感想も同時に抱いてしまう。
 もちろん、そんな感想を持ってしまうこと自体、このショウの仕掛け人の思うツボってやつなのだけど。


 まあ、私のような門外漢でも、つい熱くなって語ってしまうということは、やはり円生の名を前に名乗っていた者、すなわち、1979年に物故した六代目・三遊亭円生の存在がそれだけ大きいということだろう。
 何しろ30年以上も前に鬼籍に入っている人物なわけだから、もとより私のような若輩者はリアルタイムで生の高座を知っているわけではない。
 だが、少なくとも映像や録音で知る「往年の名人」の中で、誰がいちばん巧いと思うか、誰がナンバーワンの名人だと思うかと問われたら、私は躊躇なく円生と答える。八代目文楽でもなく、五代目志ん生でもなく、八代目正蔵(彦六)でもなく(※4)。

 円生のCDはいろいろ出ており、やはりライブ録音盤の臨場感は捨てがたいものの、「極めつけの芸」を堪能するには、スタジオ盤の『円生百席』シリーズに尽きるだろう。これは、『サージェント・ペパーズ』や『ペットサウンズ』や『ロングバケイション』と並び称せられるべき、20世紀の偉大な録音遺産だとさえ思う。とりわけ、『鼠穴』、『子別れ』、『文七元結』、『双蝶々』、『唐茄子屋』といった長尺の人情噺においては、その巧すぎるほどに巧い完璧な芸に、ただただ圧倒される以外はない・・・と、大袈裟かもしれないが、そう言わざるを得ない。



(※3)
念のため、確認しておくが、五代目円楽の一番弟子は鳳楽であって、楽太郎(六代目円楽)ではない。ましてや、ピンクの怪人・好楽でもない。どうしても、楽太郎(六代目円楽)が「笑点」でおなじみなのに比べ、鳳楽は落語ファン以外には知られていないから、五代目円楽の追悼報道では、まるで楽太郎(六代目円楽)が一番弟子であるかのようにインタビューされていたようだが。

(※4)
本稿は、六代目円生の話をしたかっただけで、他の同時代の落語家をけなすのは主題ではない。が、どうしても言っておきたい。
五代目志ん生のことである。
いったい、志ん生のどこがいいのだ?どこが名人なのだ??と。
志ん生は、昭和の名人、往年の巨匠というと、円生以上に真っ先に名のあがる人で、今でもものすごい人気があるということは、CDショップに並ぶ膨大な音盤からもわかる。
が、こう言っては、「おまえがセンスないだけだ」と怒られるかもしれないが、私は志ん生の音源を聴いて、あるいは映像を見て、「巧い」と思ったことは一度もない。志ん生ファンは多いから怒られるだろうし、失礼だと思うが、「いったい、こんな下手な落語家のどこがいいのだ!!??」と、私にとっては実に不思議で、どうしても過大評価としか思えないのだ。
いくつかの音源は、円生と聴き比べたりしたが、一度として円生より志ん生のほうが巧いと思ったことなどない。
はっきり言って、五代目志ん生であれば、息子の三代目志ん朝のほうがよっぽど巧いし、味があるし、お金を出してCDを買う価値のある噺家だと思う。
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円生、円楽、その名を継ぐもの(1)

2010-03-20 15:52:41 | 落語とその他伝統芸能
1 円楽を継ぐもの


 ここ最近、円生・円楽一門の話題がにわかに世間で多くなっている。

 一つは、もちろん、「笑点」でおなじみの三遊亭楽太郎が六代目・三遊亭円楽になったということなわけだが。

 正直、私は楽太郎改め六代目円楽の高座を観ていない。だから、師匠である五代目円楽、あの「笑点」の司会を長らく務めた「ガハハの円楽」、「星の王子様の円楽」と比べて、巧いの下手のということは、よくわからない。

 ただ、本来、それほど大きな名ではない「円楽」の襲名が、こんな一般社会的なニュースになってしまうところに、五代目円楽の、いろいろな意味での「偉大さ」のようなものを感じずにいられない。


 まず、基本事項の確認として、「円楽」という名は本来「円生」になる前に名乗る名という位置づけであった。
 だから、海老蔵が団十郎になるように、円楽を名乗る者は、いずれ円生の名跡を襲う・・・と、そういう意味合いのある名だ。逆に言えば、団十郎にならない海老蔵に意味がないように、蝶にならないサナギに意味がないように、円生にならない円楽には意味がない・・・はずだった。本来なら。

 であるから、「ガハハの円楽」も、円楽の名は一時的な名で、いずれは師匠である六代目円生-あの「昭和の大名人」としてあまりにも有名な不世出の巨匠-の後釜として七代目円生になおる・・・はずだったのではないか。本来なら。

 ところが、約30年前の、いわゆる分裂騒動として知られる当時の六代目円生一門の落語協会離脱、その後の六代目円生の急死などのゴタゴタの中で、おそらく師匠・円生の遺族と、総領弟子・円楽との間に何らかの心理的齟齬が生じたのだろうか、五代目円楽は、七代目円生にはなれずに終わった。その結果、すなわち五代目円楽がずっと「円楽」のままで大御所年齢まで至った結果、「円楽」の名があたかも大きい名であるように勘違いされ、今回の「六代目円楽襲名」が大きなニュースとなったのだろう。
 本来は円生を継ぎたかったのだろうに、継げなかったことで、「円楽」の名を大きな名跡のごとくに終生育ててしまった「ガハハの円楽」の心境を思うと、何となく皮肉である(※1)。


 さて、そんな「名跡論」のようなオタクチックな話は、ここでの本題ではないので、今はその五代目円楽の芸を真摯に静かにしのびたい。
 落語家としての五代目円楽は、「笑点」の司会者としての「円楽さん」しか知らない人にも、おそらくあまり違和感ない、「テレビのイメージのまま」の芸風だったと言ってよいのではないかと思う。
 あの大きな体と顔、朗々と響くバリトンの声が醸し出すある種の「迫力」が、まずは円楽の高座の第一の魅力だったわけだから。

 ただ、私は、ときに思う。
 はたして、五代目円楽は、六代目円生にとって、申し分ない一番弟子だったのか、あるいは不肖の一番弟子だったのか。
 まあ、円生ほどの名人からしたら、たとえ誰が弟子でも「不肖の弟子」だったかもしれないが、とりあえず、円楽の芸風、そして得意ネタの傾向は師匠の円生に必ずしも似ていないということは指摘してよいだろう。

 五代目円楽の噺のうち、何が一番見事なネタかというと、一般的にはまずあの『浜野矩随(のりゆき)』が挙がることになろう。
 なるほど。六代目円生に『鼠穴』があったように、五代目円楽には『浜野』あり。このような大きな人情噺を自家薬籠中のものとして、はじめて噺家は代替不能な価値を持つ「名人」たり得る。・・・
 と、それはその通りで、たしかに円楽の『浜野』は、CDでもビデオでも私が愛惜措くあたわざる名演である(※2)。

 が、しかし個人的には五代目円楽の良さは、いわゆる滑稽噺のほうにこそあったと私は考えている。というのは、師匠である六代目円生の数あるCDの中でも、『円生百席』などに入ってこない小ネタを収めた(どちらかといえばジャンクな音源を商品化した)CDを購入し、そこで、『目黒のさんま』や『たらちね』のような前座噺的な小ネタを珍しく円生が演っているのを聴いた結果、ことこれらのネタに関する限り、円生より円楽のほうが絶対に面白い、と、そう確信したからである。

 その意味では、五代目円楽は、『浜野』という人情噺の代表作こそあるものの、本質的には円生のような長編人情噺を得意とするタイプではなく、五代目小さんのように滑稽噺に本領を発揮する噺家なのかもしれない。

 師匠と同じ土俵で、すなわち劇的な長編人情噺のドラマトゥルギーで比較されてしまうと、何しろ師匠があまりにも偉大な存在だけに、どうしてもそんな師匠と比べられる弟子は損だ、と、そんな感想を抱いてしまうのだが、視点を変えれば。そうすれば、円生とは別の意味で、やはり落語の歴史に大きく刻まれる「名人」の系譜の一人であったと、私は、今回の襲名報道の大きさからも、そんな思いをいっそうひとしおにするものである。



(※1)
もっと極端な例を連想すると、落語界初の文化勲章であまりにも有名な桂米朝の名など、歴史的にはもともとそんな大きな名ではなかったのに、今や落語史上最大級の名前になってしまった。逆に大名跡を矮小化させてしまったのが文楽か。昭和の名人の一人、八代目桂文楽が落語史の教科書に燦然と輝くのに対し、九代目はペヤングの「四角い顔」しか印象にない(←関東の人にしかわからない話だ)。あとは、やはり六代目小さんということになるか。

(※2)
なお、五代目円楽の人情噺大ネタは、『浜野』以外にもすぐれたものがあって、CDとしても出ている『芝浜』は、個人的には三代目桂三木助より円楽のほうがすきだ。『芝浜』の名演としては、小朝(未CD化)に次ぐと思う。
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竜馬は踊る(2)

2010-03-04 19:17:26 | テレビ
 で、坂本龍馬であるが。

 日本史専攻でない私などに言われたくはないだろうが、正直、坂本龍馬という人は、「過大評価されている歴史人物」の筆頭代表格だと思う。歴史学の世界で、ではなく、大衆人気の世界でという意味で。

 おそらく、一般的に「人気ある歴史的ヒーロー」といえば、時代順に源義経、織田信長、そして坂本龍馬が御三家だと思うが、龍馬はこの三人の中で、いちばん同時代的に知られていなかったというか、表舞台に出なかった人である。教科書でも信長が何ページにもわたって登場するのと違って、ほんの1~2行しか出てこないことが多い。
 もちろん、だからといって龍馬の事跡すべてを否定するわけではないが、表に出てきていないからこそ、たとえば信長が日本の歴史においてどんな役割を果たしたかということが明白なのと比べて、主観によっていくらでもロマンをふくらませられる余地があり、それが今日ここまで「龍馬像」を巨大にしたのだろうとは指摘し得る。


 何のことかといえば、やはり司馬遼太郎の話である。実際、いわゆる龍馬ファンというのは、歴史人物としての龍馬のファンではなく、『竜馬がゆく』のファンなんだろうと思う。
 なるほど、
「時代は旋回している。若者はその歴史の扉をその手で押し、そして未来へと押し開けた」
なんていう結びとともにあの長い小説を読み終えれば、普通の感覚の持ち主であれば、
「カッコイイ!」
と、しびれてしまうのは無理からぬところである。それぐらい、「かっこいい」龍馬像がここに確立したわけで、それは作者の筆力と偉大な想像力のたまものであろう。

 それで、『竜馬がゆく』のファンが、実在の歴史的人物としての龍馬と小説の主人公としてのそれとを混同して、声高に
「いかに龍馬が進取の精神に満ちた型破りなヒーローであったか」
と喧伝することで、日本国中がその混同に巻き込まれてしまって今に至っているという印象は、なきにしもあらず(※3)。

 おそらく、実在の人物も魅力的で型破りだったんだろうとは思うが、さすがに織田信長と並び称せられるか、あるいはそれをしのぐほどの重大な歴史人物であるかどうかは「?」である。


 まあ、『プレジデント』おじさんとか、武田鉄矢とかが宣伝した結果として、人気があること自体は別に悪いと否定する気はない。人気と歴史学は別物、ということは良識ある人ならわかっていることだから。

 そういえば、他にも学術的な文脈とは別に大衆的人気としての評価が、時代のブームととともに上がったり下がったりする例は多い。
 戦前であれば、講談やら修身教科書やらで、漠然と(?)国民的尊敬を受けていた楠木正成や山中鹿之助なんて、最近じゃさっぱりである。
 逆に、白洲次郎なんて、21世紀になってからの突然のもてはやされようは、ちょっとびっくりするぐらいである。白洲次郎という人の場合、むしろブーム以前の知名度が、同時代の他の有力実業家に比して低すぎたぐらいだが、その反動というよりは、やはり、「アメリカにペコペコ」に辟易していた21世紀初頭の時代の「空気」が、新たに発見された白洲という人の像に、どんどん尾ひれをつけて、過剰にもてはやしていったのだろうと思う(※4)。だから、過小評価から転じた異常過大評価というか、身勝手なロマンの投影はブームが去れば沈静化し、そして、適切なレベルの評価に落ち着くのだろうと思う。

 では、龍馬は?
 それはわからない。
 学術的な評価はともかく、大衆人気の評価は予測すること自体がもともと困難である。が、とりあえず、NHKの歴史観が変わらなければ、虚像-と、あえて言い切ってしまうが-の龍馬像は、まだまだ新たなファンを増やし、伝説を捏造しながら増殖・再生産されていくのだろうというのが、無難な予想には違いないだろうか。



※3
実在の「歴史的龍馬」と、尾ひれがいっぱいついた「ヒーローとしての竜馬」とは、たとえは悪いが、実在した人間としてのナザレのイエスと、処女から生まれ奇跡を起こし復活した「神の子」イエスとの違いに比定できる気がする。

※4
そもそも白洲という人は、終戦直後こそ政治に関与したが、政治家としてよりは企業経営者としてのほうがはるかに長い時間を過ごした人であるのに、そちらでどういうことをなし、どういうことを発言したかには興味を持たず、ただ「若い頃からスポーツカーを乗り回してかっこよかった人」ということと、「マッカーサーにたてついた痛快な人」ということだけで心酔されたんじゃ、本人だって迷惑だろう。
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竜馬は踊る(1)

2010-03-03 19:52:37 | テレビ
 日本の歴史には、戦国織豊時代と幕末維新時代しか存在しない。

 などと書いたら、「何を言ってるんだ、こいつは」と不審がられること請け合いであるが、NHKにとっては、そうなのではないかと極論したくなるときもある。

 何の話題かといえば、大河ドラマの話題である。
 私は「英雄史観」的な歴史ドラマは、一部の例外を除けばさほどすきではないので、たまに暇なときに眺めることがあるぐらいだが、今年は『龍馬伝』が人気らしい。
 まあ、福山雅治が主演だから、ある程度の人気は織り込み済みなのだろう。


 それにしても、毎年毎年、よくもまあ特定の時代ばっかりを繰り返して飽きられないものだと、あきれるというより感心するしかないというのが率直な感想である。

 これは大河ドラマに限らず、「その時、歴史が動いた」などでもそうだったのだが、前述の戦国・織豊時代(元和偃武までの徳川時代も含む)と幕末・維新期(おおむね西南の役まで)ばかりがひたすら繰り返されている気がする(※1)。
 いや、気がするではなく、実際、大河ドラマの場合は、その二時代で、ほぼ8割ぐらいがカバーされているのではないか。
 あとは、源平合戦の時期と元禄赤穂事件が何度も取り上げられているが、源平合戦と赤穂事件を別とすれば、くだんの二時代以外のものは、本当にごくたまに数えるほどしかない。

 その数少ない例外が、承平・天慶の役の『風と雲と虹と』、鎌倉時代後期の『北条時宗』、南北朝期の『太平記』、室町時代の『華の乱』、それから『山河燃ゆ』をはじめとする80年代の近代三部作などであるが、とくに古代が極端に少ないことに気づく。
 そして、これらの作品も俯瞰してみると、とりあえず、「戦争」がテーマとしては欠かせないらしいということにも、また気づく。
 将門の乱であれ、モンゴル襲来であれ、応仁の乱であれ、第二次大戦であれ、中心テーマには戦争がないといけないらしい。ずいぶん好戦的なドラマ枠である。
 だから、元和偃武から黒船来航までの平和な時代は、赤穂事件ぐらいしか「いくさ」に近いものがないから取り上げられないわけだろう。その意味で、『八代将軍吉宗』のような作品などは、「よくぞ企画が通ったものだ」と、むしろ感心してしまう(※2)。


 と、まあ、このあたりは、誰でも気づくことであるわけだが、やはり私としては、ときにはその「定番テーマ」以外のものも取り上げてほしいと思う。
 原作となり得る小説も、これら「定番時代」以外を描いたものですばらしいものはいくらでもあるのだから。

 たとえば、赤穂事件以外で、「太平の江戸時代」を描いた過去の大河ドラマとしては、お家騒動ものの山本周五郎『樅ノ木は残った』があるが、同じ作者の歴史ものなら、田沼時代を描いた『栄花物語』も短い作品とは言え、原作となるに値すると思う。さらに同じ作者の『ながい坂』は、よほどキャスティングでごまかさない限り、低視聴率になることを保証していいぐらいの地味さだが、NHK以外では難しいだけに、予算をたっぷり使える大河枠でやってほしい気がする。
 また、娯楽時代小説のイメージが強い藤沢周平の遺作『漆(うるし)の実のみのる国』も、未完ながら、ぜひ大河ドラマにしてほしい作品である。この主人公のような人物こそ、真に尊敬するに値する「偉人」ではあるまいか。

 もっと扱われにくい王朝時代ものであれば、私は永井路子の『この世をば』を推す。たしかにイクサのイの字もないような作品だから、いわゆる「歴史ファン」には歯牙にもかけられないこと間違いなしだが、誰でも知る人物を意外な解釈で描いた作品として、同じく大河枠で見てみたい作品のひとつである。同じ永井路子の『望みしは何ぞ』に至っては主人公自体が無名といって差し支えない人物ながら、政治ドラマとしてのスリリングなおもしろさは『この世をば』をもしのぐ。

 近代でいうと、渡辺淳一の『遠き落日』もいい。作者名を聞くと、「え?あの人がこんな素晴しい歴史小説も書けるの?」と仰天するが、誰もが知る「偉い人」の意外な一面を教えてくれる、こんな作品もテレビなら大河ドラマでしかやれないだろう。そう、それに名作『花埋み』も。


 さらに悪乗りして連想すれば、ごく個人的な私案として、68~69年頃の大学紛争をテーマにした重厚な青春群像劇を一年間、ゴールデンでじっくりとやってみたらなどとも思う。あるいは、もうちょっと一般受けする戦争史劇でいうと、日本ものという枠にとらわれないのであれば楚漢戦争やいわゆる三国志ならば人気のあるジャンルだからいい企画となり得るじゃないかと提唱したくなる。とりあえず、信長やら新撰組やらというゲップも出なくなるほど見飽きたものよりは、まだ見てやろうかなという気になるのだが。私は。


 ただ、まあ、日本史が戦国・織豊と幕末・維新以外にいくらもあり、日本人が演じ得る中国史にも人気の題材があることをおそらくは承知の上でNHKがくだんの時代だけを繰り返すのは、NHKに与えられたある種の桎梏ってやつに縛られているのかなあとも邪推する。

 商業放送(「民放」よりも実態に即した呼び名として推奨)が対スポンサーという意味で視聴率にしばられるのとは別の意味で、NHK大河ドラマというのは、低視聴率だと「高い受信料を徴収してその受信料を原資とした高い制作費を投じて作って、そんな視聴率か」と週刊誌などで叩かれるもの。
 なれば、プロデューサーにとっては、冒険をして失敗して責任をとらされるよりは、結果はともあれ前例通りの無難な企画をしておけば、失敗しても社内的にさほど悲惨なことにならない・・・というような保身精神が、前出の時代をひたすらリピートせしめているのではないだろうか。

 これは、あくまで想像である。
 が、私の中ではけっこう確信に近い想像であったりする。



※1
たとえば、ここ5年間ぐらいでいえば、『功名が辻』(戦国・織豊)→『風林火山』(戦国・織豊)→『篤姫』(幕末・維新)→『天地人』(戦国・織豊)→『龍馬伝』(幕末・維新)→『江~姫たちの戦国』(戦国・織豊)といった具合

※2
その他だと、『琉球の風』、『炎立つ』なんかも、よくぞ企画が通ったものだと感心してしまう。しかし、視聴率は悪かったのだろうな。だから、今のように特定の時代だけが繰り返される無冒険主義企画になったんだろうな。
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