という具合に、六代目円生のことを語ろうとするときりがないわけだが、たかが名前、されど名前で、先代がそれだけ偉大であれば、ついそれを継ぐ者という行方を気にしてしまう。
では、なぜ、私は先ほど「鳳楽がいいと積極的に支持するわけではないが、それでも円丈にだけは継がせたくない。円丈だけはイヤだ」的なことを書いたのか。
それは、察しのいい読み手ならわかる通り、円丈がかつて自著で師・円生のことをボロクソに書いた恩知らずだという過去を忘れられないからである。そのとき、若き円丈が著書で主たる攻撃対象にしたのは、兄弟子の五代目円楽、あの「笑点」司会の「ガハハの円楽」だったわけだが、師匠である円生のことも、「俺は円生を許さない」などと、憎悪をむき出しにして呼び捨てでののしっていたことを、やはり私はどうしても忘れられないのである。
「何もそんな昔のことを」と言われてもしかたないが、師のことをあのようにあしざまに罵倒しておいて、今さら「私が円生を継ぎたい」などと言われても、「ほな、やってみなはれ。鳳楽はんと競争して勝ったら、おまはんが次の円生や」と、鳥居信治郎のように寛大な台詞を吐くことはどうしてもできない。
おそらく、先代円生の数少ない存命弟子の一人である円窓あたりも、「円生の名を襲名の対象にすること自体賛成しないし、鳳楽を積極的に支持もしないが、円丈だけは人間として許せない」と、私と同じ思いを抱いているのではないかと、勝手に想像する(※5)。
なお、念のために述べておくと、私は上述のように、昔の著書の件から、円丈を人間的に全く信頼できないとは思っているが、落語家としては決して全否定するものではない。
お茶の間的知名度はあまり高い落語家ではなくとも(※6)、創作落語中興の祖として、西の桂三枝と並び称せられるべき落語史的な功績のある人物だということは私も認める。
ただ、そうは言っても、日進月歩の落語界のことであるから、自作自演の創作落語家としての円丈の能力は、既に第一人者ではない。すなわち、創作者としても演者としても、実力的には既に柳家喬太郎あたりにとうに抜かれているというのが、現実的な評価だろう(※7)。オリンピックの記録が次々と塗り替えられていくように、噺家の能力も、こうして追い越されていくのだという、典型例かもしれない。
もしかしたら円丈もそれを自覚していて、たとえ望み薄でも、円生の名を強奪して歴史に名を残したいと思ったのだろうか、と、邪推はそこまで及んでしまったりもする。
が、もともと円丈の側には、そこまでする必要はないのだろう。たしかに、見苦しいまでの自己顕示欲のこもった「待った!円生を名乗りたいなら俺を倒してから・・・」アピールではあるが、そんなことをせずとも、上記の創作落語家としての歴史的評価自体は、たとえ現時点の実際の実力で後進に抜かれていても、揺るぎはしないのだろうから。
考えてみれば、皮肉である。
六代目円生の直弟子たちの中で、「落語史の教科書的に」一番重要なキーパーソンとして記されることになるのが、師匠と同じ古典派の巧者である円窓でなく、それどころか、一番弟子の円楽ですらなく、円生の教えていない自作自演新作をウリとする円丈だったとは。
私はただただ、そのことの意外さ、あるいは異常さに目をみはりながら、この三日間の落書きの筆を措く(※8)。
(※5)
同じ兄弟弟子の中では、先代円生の存命中に破門された川柳あたりは円丈を支持しそうだが。
(※6)
お茶の間的「知名度」が低くても、実はみんな知らないようで知っている、ってことはあるんだけどね。前回触れた九代目文楽がペヤングの「四角い顔」として関東地区では実はみんな無自覚に知っているように、円丈はかつて大日本除虫菊金鳥のCMで「カッカッカッカッ掛布さん」とやっていたので、それを言われれば、「ああ。あの人のことか」と膝を叩く人が多いだろう。
(※7)
この、喬太郎という、私の最も傾倒する現役落語家のことは、以前から一筆書きたいと思ってはいたのだが、ここで書き始めると本題から大きくそれるので、今回は深入りしないでおく。
(※8)
私の傾倒するもう一人の現役名人、「金髪豚野郎」こと小朝の噺家としてのパーフェクトさ、海老名一族の襲名に見る茶番性、小さん一族の襲名に見る茶番性などについても言及したかったところではあるが、それはまたの機会に譲ることにする。
では、なぜ、私は先ほど「鳳楽がいいと積極的に支持するわけではないが、それでも円丈にだけは継がせたくない。円丈だけはイヤだ」的なことを書いたのか。
それは、察しのいい読み手ならわかる通り、円丈がかつて自著で師・円生のことをボロクソに書いた恩知らずだという過去を忘れられないからである。そのとき、若き円丈が著書で主たる攻撃対象にしたのは、兄弟子の五代目円楽、あの「笑点」司会の「ガハハの円楽」だったわけだが、師匠である円生のことも、「俺は円生を許さない」などと、憎悪をむき出しにして呼び捨てでののしっていたことを、やはり私はどうしても忘れられないのである。
「何もそんな昔のことを」と言われてもしかたないが、師のことをあのようにあしざまに罵倒しておいて、今さら「私が円生を継ぎたい」などと言われても、「ほな、やってみなはれ。鳳楽はんと競争して勝ったら、おまはんが次の円生や」と、鳥居信治郎のように寛大な台詞を吐くことはどうしてもできない。
おそらく、先代円生の数少ない存命弟子の一人である円窓あたりも、「円生の名を襲名の対象にすること自体賛成しないし、鳳楽を積極的に支持もしないが、円丈だけは人間として許せない」と、私と同じ思いを抱いているのではないかと、勝手に想像する(※5)。
なお、念のために述べておくと、私は上述のように、昔の著書の件から、円丈を人間的に全く信頼できないとは思っているが、落語家としては決して全否定するものではない。
お茶の間的知名度はあまり高い落語家ではなくとも(※6)、創作落語中興の祖として、西の桂三枝と並び称せられるべき落語史的な功績のある人物だということは私も認める。
ただ、そうは言っても、日進月歩の落語界のことであるから、自作自演の創作落語家としての円丈の能力は、既に第一人者ではない。すなわち、創作者としても演者としても、実力的には既に柳家喬太郎あたりにとうに抜かれているというのが、現実的な評価だろう(※7)。オリンピックの記録が次々と塗り替えられていくように、噺家の能力も、こうして追い越されていくのだという、典型例かもしれない。
もしかしたら円丈もそれを自覚していて、たとえ望み薄でも、円生の名を強奪して歴史に名を残したいと思ったのだろうか、と、邪推はそこまで及んでしまったりもする。
が、もともと円丈の側には、そこまでする必要はないのだろう。たしかに、見苦しいまでの自己顕示欲のこもった「待った!円生を名乗りたいなら俺を倒してから・・・」アピールではあるが、そんなことをせずとも、上記の創作落語家としての歴史的評価自体は、たとえ現時点の実際の実力で後進に抜かれていても、揺るぎはしないのだろうから。
考えてみれば、皮肉である。
六代目円生の直弟子たちの中で、「落語史の教科書的に」一番重要なキーパーソンとして記されることになるのが、師匠と同じ古典派の巧者である円窓でなく、それどころか、一番弟子の円楽ですらなく、円生の教えていない自作自演新作をウリとする円丈だったとは。
私はただただ、そのことの意外さ、あるいは異常さに目をみはりながら、この三日間の落書きの筆を措く(※8)。
(※5)
同じ兄弟弟子の中では、先代円生の存命中に破門された川柳あたりは円丈を支持しそうだが。
(※6)
お茶の間的「知名度」が低くても、実はみんな知らないようで知っている、ってことはあるんだけどね。前回触れた九代目文楽がペヤングの「四角い顔」として関東地区では実はみんな無自覚に知っているように、円丈はかつて大日本除虫菊金鳥のCMで「カッカッカッカッ掛布さん」とやっていたので、それを言われれば、「ああ。あの人のことか」と膝を叩く人が多いだろう。
(※7)
この、喬太郎という、私の最も傾倒する現役落語家のことは、以前から一筆書きたいと思ってはいたのだが、ここで書き始めると本題から大きくそれるので、今回は深入りしないでおく。
(※8)
私の傾倒するもう一人の現役名人、「金髪豚野郎」こと小朝の噺家としてのパーフェクトさ、海老名一族の襲名に見る茶番性、小さん一族の襲名に見る茶番性などについても言及したかったところではあるが、それはまたの機会に譲ることにする。