習作の貯蔵庫としての

自分の楽しみのために書き散らかした愚作を保管しておくための自己満足的格納庫ですが、もし感想をいただけたら嬉しく存じます。

そうか、そういうことか。単純な理屈だ

2019-05-26 18:33:59 | スポーツ
 だいぶ以前に本ブログで、元プロ野球のピッチャーである故・藤本英雄さんについて書いたときの宿題の答えを紹介しよう(「いいのか?こんな認知度で」/2011年10月29日)(※1)。


> 野球の神様、教えてください。
> 打者の記録ってのは軒並み昔よりアップしていて、投手の記録はその逆に昔のほうがダイナミックだったわけだけど。
> どうして、大リーグでは昔は4割打者が存在していて、なのに今では日米とも4割は出ないのでしょう?
> タイ・カッブがそれだけ飛び抜けて偉大だった(しかし人格は最悪だった)ということ?
>
> そう思って、メジャーの記録もちょっと調べてみたんだけど・・・
> う~ん、「戦前の投高打低・戦後の打高投低」という傾向がはっきりしているのは、あくまで日本のケースであって、
> 向こうは特段そういうわけでもないみたいだから、そんなもんなのかなあ。
>
> わからん。なぜだろう。



 つまり、この宿題とは、

   大リーグに戦前・戦中にいた4割打者が久しく出ていないのはなぜか。

ということだが、それとともに、

   また、NPBで戦前・戦中にしばしば記録されていた防御率0点台が戦後はほとんどないのはなぜか。

という命題についても考察したい。

 後者は、無論、戦前・戦中はボールの品質が悪くて、飛ばなかったという理由が非常に大きい(※2)が、それは実は枝葉末節で、もっと本質的なことがある。
 また、防御率のような「質」の記録でなく「量」の記録に目を転じて、もはや更新不可能な稲尾和久さん(現西武)の年間40勝以上とか金田正一(現ヤクルト他)の通算400勝とか江夏豊(阪神他)の年間400奪三振以上といったかつての驚異的投手記録と現在の投手記録とについては、どうか。
 ここでも、無論、投手の分業化が進んで登板イニング数がまったくケタ違いだという前提条件の違いはきわめて重要なポイントではあるが、それだけのことではない。


 結局、一言で言うと、野球のレベルが違うということだ。トップよりボトムの。

 タイ・カッブの今から見ると異常な記録の秘密も、サイ・ヤングの今から見ると異常な記録の秘密も、端的に言うと、当時としては突出した才能が当時の凡選手の中に混じっていたということだ。言い方を変えると、今からみて当たり前のプロの才能が今からみてド素人の群れの中に混じっていたということだ。サイ・ヤングやスタルヒンのようなすぐれた投手、タイ・カッブや川上哲治のようなすぐれた打者にとっては、カモがいっぱいいて、この上なくチョロい環境だったに違いない(※3)。

 だからこそ、日米とも、驚異的な「不滅の記録」というのは、昔の記録がほとんどである(※4)。
 今は競技全体のレベルが向上し、規程打席で1割台の打者や規程投球回で防御率7点台、8点台のピッチャーなどいない(※5)。つまり、初期のプロ野球の環境というのは、日本でも米国でも、上記のタイ・カッブ級の選手にとっては、「赤子の手をひねる」ような環境だったのが、今は周りに「赤子」がいなくなったーだから打率4割や防御率0点台をアシストしてくれる「赤子」、すなわちカモの不在により、打率4割や防御率0点台は消滅した。・・・(※6)


 であるならば、かつての文章で書いた藤本英雄(巨人他)の驚異的な防御率、勝率の記録についても(※7)、投打の両方でタイトルをとった伝説の二刀流・景浦将(阪神)のアンビリーバブルな活躍についても、史上初の2000本安打達成者にして、今なお2000本安打の最速到達記録を保持する打撃の神様・川上哲治(巨人)の偉大な記録の数々についても(※8)、スタルヒン(巨人、現横浜他)、若林忠志(阪神、現ロッテ)の驚異の登板率についても(※9)、当時と現在との競技レベルの差を考慮した上で評価しなおさないといけないかもしれない。
 戦後ももちろんそうで、稲尾さんがあんなにとてつもない記録を打ち立てられたのも(※10)、王さん(巨人)があんなにコンスタントに大量のホームランを打ち続けられたのも、そして巨人が空前絶後のV9(1965〜73)を達成できたのも、みんな「当時としては突出した才能ー現在から見たら当たり前の才能ーが、当時の凡人ー現在から見たらド素人ーたちを“カモ”にしていたから」、という一言で説明できることなのだろう(※11)。

 「投げる」、「打つ」だけではない。福本豊(現オリックス)のシーズン盗塁記録も通算盗塁記録も破られていない。おそらくこれからも破られまい。また同じ福本の通算三塁打記録も破られそうにない(※12)。盗塁で言うなら、福本の通算記録、年間記録ともに抜かれる気配がないどころか、通算盗塁数歴代2位の広瀬叔功(現ソフトバンク)、3位の柴田勲(巨人)の記録も抜かれそうにない(※13)。現にもう30年以上も歴代通算上位陣はアンタッチャブル記録のままである。年間盗塁数セ・リーグ歴代1位の松本匡史(巨人)の記録も30年以上破られていない。登板イニング数が激減した投手の場合と違って、盗塁の物理的チャンスは減ってはいないはずなのに。
 そう。やはり、盗塁についても、かつてはレベルの低いカモな投手・捕手から簡単に奪えたのが、投手のクイックモーションテクニックや牽制テクニックの進化、捕手の刺殺能力の進化によって激減したということだろう(※14)。はるか大昔、タイ・カッブが単打で出塁したらそのまま二盗、三盗、本盗を次々と決めてアッというまにダイヤモンドを一周してしまったなどというおとぎ話のごとき逸話は、今やプロでは再現不可能な話だろう(※15)。


 「〈驚異的な不滅の記録〉は創成期に集中する」という法則が、競技レベル全体の成熟度合いによって説明できるということを、類例を挙げて援用証明するなら、NPBやMLBだけでなく、韓国プロ野球の事例を挙げてもいいだろう。
 韓国プロ野球では、立ち上げの年(1982年)に韓国プロ野球史上唯一の4割打者が出ているが、その白仁天選手は日本プロ野球での首位打者経験はたしかにあるものの、NPB通算では2割台の選手だ。そして、その1982年の韓国プロ野球初年度を最初で最後にして、それからは韓国プロ野球で4割打者が出ていないということもまた、韓国プロ野球のレベルが落ちたのではなく、正反対に、とりもなおさず、全体のレベルが向上したということの証左と言えよう(※16)。

 または、相撲で言うなら、たとえば今なおアンタッチャブルの驚異的な勝率・優勝率の記録を残し、史上最強とも言われる伝説のスーパー無敵力士、雷電のケースなどはそうだろう。雷電のいた江戸時代の相撲界のレベルと白鵬のいる今の相撲界のレベル-とくに「その他大勢」の皆さんの平均水準-が同じだと言う人はさすがにいないはず。
 あるいはF1で言うなら、F1創成期の1950年代に4年連続を含む5度の年間王者に輝き、通算優勝率が5割に迫る超人的レーサー、J.M.ファンジオ。
 F1の場合、50年代と現在では年間開催回数がまるで違うので、優勝回数やポールポジション(予選1位)獲得回数といった「量」の記録では最近のドライバーがとっくに凌駕している。が、ファンジオの優勝率という「質」の記録は今なお抜かれてはいない。しかしながら、彼の時代のF1と今のそれとでは、マシンの進化による隔たりがあまりにはなはだしく、実質的にまったく別ものの競技である。
 結局、野球も相撲もF1も、とくに打率、防御率、勝率、優勝率のような「質」の記録は競技全体が未成熟な創成期の頃の記録が多い。それらは、すべて「現在と隔絶した“ボトムの”レベル差」で説明がつくことなのだ(※17)。


 そう考えると、金田正一氏のように「今の選手は甘い。わしらの頃は・・・」なんていう説教節も説得力が弱まる。
 また、田中将大が稲尾さんのシーズン連勝記録を抜いたときに(※18)、かつての稲尾さんのチームメイトの豊田泰光が
「来る日も来る日もチームのために、実に年間80試合、400イニングも投げてくれていた我らが稲尾の偉大なる自己犠牲の大記録を、週一回、5~6イニングずつ投げているだけのピッチャーの記録と比べないでほしい」
と憮然としていた気持ちも、通算320勝の小山正明(阪神、ロッテ他)が、昨今の投手を自分たちと比べて
「一週間に一度、100球ぐらい投げて、年に10勝そこそこで何億円も貰うとかって、世の中、間違ってるよねえ」
と苦笑していた気持ちも、非常~によくわかるし、私も心情的には同意したいものの、「まあ競技全体のレベルが違うからね」と言うしかなくなってしまう(※19)。




(※1)
私のところなんかよりずっとよく閲覧されている場所で既に書かれている内容を、こんな過疎ブログで紹介する必要なんてないんだろうけど(苦笑)。
https://news.livedoor.com/article/detail/14106902/


(※2)
NPB初期にはボールの質が劣悪だったからこそ、NPB初期はメジャーと違って4割がいないどころか、3割すら少ない。


(※3)
周囲のレベルが低ければ、かっぱぎ放題になるというのは、考えてみれば当然のことである。
だから逆に、「十で神童、十五で秀才、二十歳過ぎればただの人」というのは、子どもの頃は凡庸な近所の子どもたちを相手に、エースで四番の少年野球の別格天才児でいられても、セミプロ集団の大阪桐蔭に進んだらワンノブゼムになるというような話である。また、野球以外でも、小中学校の勉強の別格天才児が県で一番の高校に進学したらワンノブゼムになったりするものである。
例外も多くあるが、総じて「子役は大成しない」なんて言われるのも、要は優秀なライバルが後から後から新規参入してくるからという理由で簡単に説明できよう。歌舞伎界のように最初から新規参入をシャットアウトしていれば安泰だろうが。


(※4)
あちらでは、約100年前、日本でいう明治・大正の、かのタイ・カッブの通算打率が今でも不滅のMLB記録として残っており、国内では戦時中、1943年の藤本英雄の最優秀防御率の記録が今なお不動のNPB記録である。
メジャーで最後の4割から、もう70年、日本で最後の防御率0点台から、もう50年である。
比較的最近のNPBで規程打席で4割の可能性があったのは89年のクロマティ、規程投球回で防御率0点台の可能性があったのは93年の伊藤智仁だが、もう四半世紀以上が経っている。
ウィキペディアなどで調べるとすぐわかるが、メジャーにおける通算打率及び単年打率のランキング、通算防御率及び単年防御率のランキング、そして日本プロ野球の通算防御率及び単年防御率のランキング。みんな大昔の選手の名前ばかりである。


(※5)
余談だが、『ドラえもん』の野比のび太は、少年野球で、打率1分という驚異のアベレージを弾き出したらしい(笑)。
ちなみに、藤子F不二雄も藤子不二雄Aも、スポーツが苦手と公言しているが、そのわりに、作中に野球シーンを入れることが意外と多い。『まんが道』でも、1回分まるごと草野球という回があったと記憶している。


(※6)
たとえば、戦後も1950年代に、稲尾さんが対近鉄戦で20連勝以上している。ドラフト制度以前の人気球団とカモ球団の差は、今のわれわれが想像する以上だったのではないか。
完全試合というものが80年代以降はほとんどないのも、そんな極端なカモチームがなくなったからに相違ない。実際、歴代の完全試合も、食らったのは当然ながらその時点でのカモチームばかりで、たとえば巨人が食らったことは一度もない。
あと、関係ないけど、かつてまれにあった放棄試合がなくなったことも競技全体の成熟ということと関係なくもないだろう(乱闘や観客乱入がなくなったことはそれと関係あるのかどうかわからんが、個人的にはたまに乱闘があったほうがショウとしてはおもしろいと思っている。高校野球だって入場料をとっている以上は興行なんだから、ファンサービスで昔のプロ野球みたいに「両軍入り乱れての乱闘」を見せてくれたっていいのに)。


(※7)
シーズン防御率、通算防御率ともに、おそらくは今後も抜かれないであろう日本プロ野球史上歴代1位で、かつ通算勝率も歴代1位。
藤本英雄のスゴさは、単に「ボールが飛ばない時代だったから、今のピッチャーと比べて防御率がいいのは当たり前だろ」で済むことではなく、防御率の傑出度、すなわち同時代のリーグ平均と比較してどのぐらい抜きん出ているかというデータ補正を行っても、堂々の歴代一位になるというところである。
http://ranzankeikoku.blog.fc2.com/blog-entry-525.html


(※8)
本文にある通り、川上哲治がいかに同時代の凡百の打者から突出した存在であったかは、今なお2000本安打到達の所要試合数では史上最速であるということ、名球会が「昭和以降の生まれ」の200勝投手、2000本安打打者他を入会資格としているために除外される「昭和以前生まれ」の選手では、200勝投手が別所毅彦(現ソフトバンク、巨人)、スタルヒン、野口二郎(現オリックス他)、若林忠志、杉下茂(中日他)、中尾碩志(ひろし)(巨人)、藤本英雄と7人もいるのに、2000本打者は川上哲治ただ一人だけということ、そして川上が史上初の2000本安打を達成してから、2人目が出るまで10年以上かかっていることなどから、よくわかる(既出)。
実際に、上記の注釈と同様に、数値の上で同時代傑出度の補正データを確認しても、やっぱりプロ野球史上最高の打率傑出度であった。
http://ranzankeikoku.blog.fc2.com/blog-entry-6.html


(※9)
スタルヒンは、表面的な数字で言ったら、同じ42勝でも戦後の稲尾さんよりパーセンテージ計算上、はるかに凄いことになる。
1961年の稲尾さんは年間140試合のうち78試合に登板して42勝(登板試合比率56%)。39年のスタルヒンは年間96試合のうち68試合に登板して42勝(登板試合比率71%)。さらにとんでもないのが44年の若林忠志で、年間35試合のうち31試合に登板して22勝(登板試合比率89%!)。
こういうわけのわからない数字を見ると、凄いというより、昔のプロ野球と今のプロ野球はまったく違うものなんだなと思うしかない。稲尾さんの頃も含めて。


(※10)
ライオンズ史上最も偉大な選手を一人だけ選ぶとしたら誰か、という問いを立てた場合、埼玉限定か九州時代を含むか(しかし、もう埼玉移転後の歴史のほうが九州時代の歴史よりだいぶ長くなっているんだね、そりゃこっちも年とるわけだ、やれやれ)でまったく変わってくるが、埼玉移転後に限定すれば、やはり清原、秋山、石毛、渡辺久、工藤といった黄金時代のメンバーが思い浮かぶ。
が、改めて見渡すと、あの常勝西武のメンバーで西武一筋でまっとうした選手というのは意外なほどにいないのね(ここはV9巨人との大きな違いである)。辻しかり田辺しかり平野しかり。ということになれば、埼玉ライオンズ史を代表するのは常勝ライオンズ唯一の西武一筋選手、伊東勤しかいないわな。打者としての成績ではとくに見るべきものはない(野村、古田、城島には遠く及ばない)伊東だが、バッティングを含めず、マスクだけで考えたら、NPB史上、最も偉大な捕手と呼んでも良さそうな気がする。
その一方で、もし九州時代も含めるなら、それはもう、火を見るより明らかで、稲尾さん以外には絶対にあり得ないだろう。記録にも記憶にも残るその偉大な実績は無論のこと、(金田正一や張本勲のようには威張らず驕らず)人格者として誰からも慕われ尊敬されていた人でもある(このへんは王さんとも通じる)。実は、かの落合博満が最も尊敬する監督が稲尾さんらしい。


(※11)
実は、競技レベル全体の成熟度の比較ということで言ったら、V9時代をはじめとする巨人のかつての黄金時代(戦前、50年代、そしてV9時代)よりも、1982〜94年の13年間に11回の優勝(うち日本一が8回)を達成した全盛期の西武のほうがむしろずっと驚異的なのではないかと思っている。


(※12)
三塁打もまた盗塁と同様に、球界全体で激減しているが、これもやはり平均的な守備力の向上によるものか。ホールインワンよりアルバトロスのほうが希少価値があるように、ある意味、フェンス越えホームランより感動するのが三塁打なのだが(ちなみに、草野球でなら日常茶飯事のランニングホームランもプロだと滅多にないよね)。


(※13)
なお、柴田勲の回想によると、基本的に柴田の盗塁はサインに従っており、独断で自由に走ったことはほとんどなかったという。
もし柴田が組織プレーの巨人でなく別のチームにいたら、自由に盗塁して、福本を超えるまではいかずとも、広瀬の記録を抜いていた可能性は十分にあろう。
ただ、巨人でなければ、前例のほとんどないスイッチヒッターに挑戦するという道筋は拓けなかったろうし、打順の多くまわるトップバッターになることが多かったために通算2000本安打に到達できたという事実も含め、やはり非常にラッキーな選手だったのだと思う。


(※14)
実際、パ・リーグで走りたい放題だった福本が、日本シリーズで巨人と対戦したら、途端に刺されまくってしまったという話もある。
もっとも、福本の名誉のために付記しておくと、たしかに巨人のバッテリーとパ・リーグのバッテリー(野村克也など)のレベル差というのがあったとしても、それ以上に、盗塁は投手の「癖」を盗んで研究することが秘訣だから、日本シリーズという「初物」相手の舞台では、ハードルが上がるのは当然である。
あとは、余談になるが、昔と比べて最近は盗塁数が減った一因として、かつてはどういう試合展開であろうが、盗塁すること自体はそのチームの自由だったのに対して、今はメジャーの影響で、点差が開いた試合では終盤は盗塁を自粛するというマナーが定着し、実際、大差のついた試合の終盤で敢行された盗塁は記録として認められなくなったというのも大いに関係あるかもしれない(たとえば、1984年に福本が通算1000盗塁を達成したときというのは、10点リードの9回だったが、今だったら、こういうときは盗塁できない)。


(※15)
日本だと、約40年前の1979年に日ハムの島田誠という選手が「1度の1塁出塁でそのまま2盗、3盗、ホームスチールの3盗塁」を達成している。
柴田も福本も一度も達成していない快記録である。


(※16)
時が流れて、90年代なかば、韓国プロ野球で抜群の勝率記録と防御率記録をマークした韓国の国民的エース・宣銅烈(ソンドンヨル)が日本の中日に助っ人外国人としてやって来たとき、来日1年目はまったく活躍できずに、韓国人と中日ファンの双方をガッカリさせたのだが、2年目以降は中日の守護神として文句なしの活躍をした。
やはり、韓国プロ野球もリーグ結成から10数年が経ち、その間にそれなりに成熟をし、それなりにレベルアップしていたということだったのだろう(宣銅烈は中日でのキャリアピークの97年に、63イニングを投げ、対戦打者延べ232人に対して被本塁打0。これは同時代の大魔神・佐々木と比べても遜色ない、十二分に賞賛に値する記録である)。


(※17)
スポーツ以外でも、昔の『紅白歌合戦』の視聴率80%や昔の『8時だヨ!全員集合』の視聴率50%などは、まさにわかりやすい類例だろう。NHK朝ドラ史上の歴代視聴率トップグループなんてほとんど昔の作品ばかりで、逆にワーストは21世紀以降の作品ばかりである。今と昔とを比べると、ライバル番組の有無と、それ以上にテレビ以外の娯楽の有無の差がはなはだしいがゆえに。
70年代なかばの『およげ!たいやきくん』が、シングル売り上げ枚数でいまだに歴代一位というのも同じ理屈で説明できよう。
以下は余談の余談として。
映画の興行収入の歴代ランキングを考える時には、インフレ調整という考え方がある。映画館の入場料が100円、200円の時代の興行収入1億と、入場料1500円、1800円の時代の興行収入1億では重みが全く違うという、ごく当たり前の事情を鑑みて、インフレ率を調整して番付けしなおすという考え方である。
これでいくと、アメリカの興収1位は絶対金額そのままでは『アバター』(2009)だが、インフレ率を調整すると、本当の歴代ランキングは『風と共に去りぬ』(1939)がさすがの貫禄でトップになる。
日本の場合は、『千と千尋の神隠し』(2002)が絶対金額そのままだと1位らしいが(しかし日本映画の歴代興収ベスト10というのを見るとほとんどアニメばかりで、ちょっとどうかと思うね)、これもインフレ調整をすれば当然変わってくるはず。日本の場合、アメリカと違ってインフレ調整後のランキングというのを見かけたことはないのだが、たとえばー映画としてのクオリティはともかくとしてー『明治天皇と日露大戦争』(1957)なんて、インフレ調整したら史上トップの有力候補の一つだろう。ただし、もし正確なデータさえ残っていれば、『明治天皇~』以上に戦前の『愛染かつら』(1938)が間違いなくダントツのはずだが。
で、『たいやきくん』なのだが。シングルレコード売り上げ枚数の不滅の歴代1位という事実は事実として、こういうのも、映画の興収インフレ調整と同様、「世の中の人がどれだけ音盤再生装置を所有しているか」のオーディオ普及率尺度で考え直したい気がする。オーディオが高嶺の花で、音楽ソフト自体も相対的に高額商品だった時代のミリオンセラーと、B‘zや宇多田ヒカルの頃のような、CDをかける機械を誰でも持っていて、子どもでも気軽にCDを買えるようになった時代のミリオンセラーでは、やはり重みがまったく違うだろう。
そんなことを考慮すると、日本音楽史上の、真の歴代ナンバーワンヒット曲は・・・・・・たぶんブッチギリ(死語)で『東京音頭』(1932)になるんじゃなかろうか。戦前の時点で100万枚以上ってことは、もし90年代になおしたら、いったい何千万枚に相当するのだろう?


(※18)
1961年の稲尾さんの42勝14敗ももちろん凄いが、その2年前、59年の杉浦忠さん(現ソフトバンク)の38勝4敗という記録もものすごい。これだけ勝って僅か4敗というのは、同時代比較で見ても突出している。


(※19)
たしかに、金田の通算400勝や稲尾さんの年間42勝、江夏の年間401奪三振などの記録が今後も絶対に抜かれないだろうというのは、当時と今との環境の違いによる。すなわち、本文にしつこく書いた登板機会の物理的な差と、そして何より今とは隔絶した「その他大勢」の平均レベルの差によると(それからもう一つ、マシンやビデオの登場前と後では、打者にとっての、ピッチャーの攻略のしやすさが段違いということもある。ピッチャー側からみれば、かつては「手の内」を見せずに牛耳ることができたのが、今は科学的に簡単に丸裸にされる環境ということになる。これも、飛ぶボールか飛ばないボールかの違いとともに、無視できない時代差である)。
しかし、勘違いしないでほしい。昔のスポーツ界の平均水準が今より低いからと言って(そして、更新不可能な往年の「驚異の記録」がそのボトムのレベル差のたまものだからと言って)、稲尾さんや王さんがダルビッシュや大谷より凡庸だという意味では断じてない。トップクラスが抜きん出てスゴいという本質は、球界の環境が変わっても、今も昔も決して変わらない(だから、仮に若き日の稲尾さんがタイムスリップして今の時代に来て、今の合理的・科学的なトレーニングと身体管理のもとでプレイしたとした場合、無論、30勝だの40勝だのはあり得ないが、それでもきっとチームのエースとして、ローテーションの軸で活躍するに違いない)。
このことについては、柴田勲の説明がわかりやすいと思うので、引用しておく(『レジェンドOBが選んだ!プロ野球史上最高の選手総選挙』宝島社/2018)。
「今で言うならば、ダルビッシュ有や田中将大など現役の素晴らしい投手がいる。彼らと比べて昔の選手がどうなのかと言えば、野球の技術、水準で言えば明らかに今のほうが高い。僕なんて、高校時代、投手として甲子園で2回優勝しているけど、今なら神奈川県予選を勝ち抜けないよ、下手すぎて(笑)。実際、今の子は体も大きく技術もある。指導がいいんだろう。
(中略)その意味で、全体の水準は昔より今のほうがはるかに高いんだけど、トップ選手の『凄み』というのかな、それは変わらない気がするんだよ。今なら故障者が続出するような酷使に耐え結果を残すというのは、それだけ『モノ』が違うからできる。たしかに、変化球なんか日々進化している分、技術面では劣るかもしれない。それでも野球選手としての能力、センスは決して負けてはいなかった」
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