2 少年犯されやすく学成りがたし
今さらながら、ジャニーズ問題・・・というのは、本当に本当に「今さら」だよね。
ジャニー喜多川氏が事務所所属の未成年者に性行為を強制していた、なんてことは、何十年も前から、なかば「常識」だったものね。
にもかかわらず、新聞・テレビがジャニー氏の公然の秘密ー「秘密」ですらないがーを本格的に追及することは一度たりともなく(※12)、今回も海外メディアが「報じてしまった」から、「しかたなく」、「渋々」、「嫌々」、「申し訳程度に」、「アリバイ作りとして」、ニュース番組の終わり頃にチョロッと流して、その直後からもうスタジオではコメントせずに話題を変える・・・的な予想通りの「終わってるわ、こりゃw」対応(※13)。
死んだ前社長の行為の責任を、今の経営陣が、どの程度まで負うべきなのかはわからないが(※14)、他の業界の会社だったら、ここまで報道に手心を加えはしなかったはずだから、ジャニーズ事務所そのもの以上に、マスゴミが腐ってる!という感想を持つのは、まあ当たり前といえよう。
なぜ、そこまでテレビ局とそれに付随する大手新聞社がジャニーズ事務所に迎合するかと言えば、ご案内の通り、要は人気があって金になるからだろう(※15)。
ジャニーズ事務所にはカルト的信者という確実な固定客がいるから、テレビ局はジャニタレを重用する(※16)。スポンサー企業もそうだから、テレビ局にとっては、直接の視聴者と、スポンサー企業の両方を背後に持つジャニーズとは対立してもメリットはゼロで、逆にズブズブになっておけば、とりあえず安泰。
だから、そんな優良取り引き先の不祥事をあえて報道して、せっかくの優良取り引き先を失うような愚を犯すはずはない。・・・といった図式が何十年も続いてきたという次第。
しかし、もちろん、BBCにはそんな忖度はない。・・・
が、それはさておき。
私見だがーというより、ほうぼうで指摘されていることだがージャニー氏がひどい性犯罪者かどうかとか、メリー氏が人非人かどうか(※17)とかいうこととは別に、ジャニーズ事務所の専横が日本のエンタメのクオリティを下げ続けてきたという事実も見逃してはならないと思う(※18)。
たしかに稲垣吾郎氏や二宮和也氏や風間俊介氏や目黒蓮氏など、中には比較的いい俳優もいることは否定しないが、歌でも踊りでも司会でも映画・ドラマ・アニメでも、ハッキリ言って、ジャニタレの排他的独占は、エンタメの「質」への寄与という観点からすれば、功罪の罪のほうがずっと大きい(※19)。
それから、なかなか面白いなと興味を惹かれるのは、ジャニーズ信者たちの反応である。
まっとうに考えれば、自分の推し(ジャニヲタ用語でいう「自担」)が、性的虐待に遭ってきたかもしれない、となれば、許せない!徹底的に追及して膿みを出し切ってほしい!できれば、そんな悪徳事務所をつぶしちゃって、自分の好きなアイドルには、もっと別のいい事務所で活躍してほしい!ぐらいに思ってもよさそうなものであるが。
ところが、実際はそんなことを言うファンは皆無で、むしろ、あまりジャニーズ問題を追及しないでほしいというスタンスのファンが大部分のようだ。
ということは、アイドル一人一人の人権より、ジャニーズ事務所というブランドのほうが大事なの?アイドルその人のファンなのか、事務所のファンなのか、どっちや?ぐらいに思うところ(※20)。
事務所と一体になって、とっとと風化して話題が変わり、そして今まで通りのジャニーズワールドの継続をひたすら望む。「ジャニー喜多川、許すまじ!私の好きな〇〇君のことも凌辱してやがったのか!?この鬼畜め!」なんてことは誰も言い出さない。信者につける薬はないのか??(※21)
・・・と、これはあまり指摘されないが、端的に言うと、ジャニーズ信者は男対男の同性愛には甘いんだと思う。たとえ合意のもとではなく、ジャニー前社長の、力を背景にした強制的関係であったとしても。
仮に、もしジャニタレが女性マネージャーや女性タレントに「たぶらかされた」(ジャニ信者側の見方)のだったら、信者は決して許さないはず。たとえそれが合意のもとの行為であっても。だが、男性であるジャニー氏にやられた、なら比較的許せる・・・らしい。ジャニヲタはBLには甘いのだ(※22)。
おおやけの電波でそんなことを言う人はいないが、間違いなくそう言えると思う(※23)。
(※12)
当のジャニー氏が死んだ時も「マンセー」一色だったことからわかるように。
(※13)
2023年5月18日の市川猿之助事件というのは、もちろんジャニーズ問題とは何の関係もないが、ジャニーズ擁護共同体のマスゴミにとっては、話題をそらす格好の素材で、「神風」みたいな出来事だったんじゃなかろうか。
・・・というような、陰謀論じみたうがった見方をしたくなるぐらいに、ワイドショーでは、ここぞとばかりに嬉しそうに(?)猿之助一色でことさらに大はしゃぎ(?)していた・・・というのが、事件後数日の地上波テレビの、わかりやすすぎる素直な動きだったようだ。
私は見てないけど、聞いた話によれば。
(※14)
半世紀以上の間に、何百人、下手したら何千人もの少年が性被害に遭っているのに、百も承知の上でそれを完全に黙認してきたテレビ局や大新聞やスポンサー企業の責任こそ、大いに追及されていいと思うが。
(※15)
ただ、ご承知の通り、ジャニーズ軍団も、ずーっと全盛期だけが続いていたわけではなく、相対的低迷期というのはあった。
いわゆる団塊ジュニア世代たる私の記憶でも、私が中学生だった1987~88年頃は光GENJIブームと少年隊ブームと第二次トシちゃんブーム(びんびんブーム)で、ジャニーズ無双状態だったが、89年頃にはいずれも衰退して(というより、歌謡アイドルや歌番組といった「昭和文化」自体が衰退して)、バンドブームとビーイングブームに取って代わられる。その後、スマップが深夜バラエティー番組というそれまでのジャニタレとは違ったステージを足がかりにブレークするまで、年でいうと90年頃から92年頃の、私が高校時代から高校卒業直後の頃は、相対的な「ジャニーズ冬の時代」であったように思う。
(じゃ、その頃はどんな男性芸能人が人気だったんだ?と言うと、あまりよく思い出せないのだが、前出のバンド勢、ビーイング勢以外だと、織田裕二、吉田栄作、加勢大周の「トレンディ御三家」あたりだったろうか。その中では、織田裕二が一番あとまで「残った」印象だが。江口洋介だったり、武田真治だったり、福山雅治だったり、いしだ壱成だったり・・・は、どうだったかな?もう少し後か?いずれにせよ、その「ジャニーズなき時代」のほうが、日本のエンタメ界にとっては、正直「いい時代」だったんじゃないかと思われてならない)
(※16)
自民党が公明党と組むのも、映画館が「幸福の科学」の映画をかけるのも同じ理由であろう。
(※17)
もし私が、メリー喜多川氏の訃報の時にコメントを発するような立場にいたら、きっとこうコメントしたことだろう。
「惜しくない人を亡くしました。心からご冥福をお祈りいたしません」
そして、以下は余談。
メリー喜多川氏の夫は、かつて「ポール・ボネ」という偽名で、外国人に仮託したスタイルで社会時評的な著書を出していた人物である。私は、中学生ぐらいの頃、それを本当に「外国人から見た日本論」の本だと騙されて、そしてその本の主張内容が、客観的で正しいのだと信じ込んで鵜呑みにしてしまったことがある。実に恥ずかしい記憶である(泣)。ちゃんと勉強して、大人になってから読めば、朝日岩波文化人へのルサンチマンに満ちた、いかにも産経系右翼の書きそうな噴飯ものの駄文だと簡単に見抜けるのに、無知というものは恐ろしい!
私の場合は、その後、高等教育を受けて、その本の主張がいかに偏ったデタラメか、理解できたからまだ良かったが、まともな勉強をせずに、そんな本ばかり読んでいては誰でも騙される可能性があるぞ、危ないな、と、今でも冷や汗の出る思いである。
(※18)
好き嫌いは別として、ジャニタレとBTSあたりとを比べたら、背の高さや脚の長さ、ダンスの上手さなどでは、まったく勝負にならないものね。
もちろん、ガールズグループもまたしかりで、やはり好き嫌いとは別に、AKB系統や坂道系統のいわゆる秋元グループとBLACK PINKやTwiceやLE SSERAFIMとを比べたら、同じことが言えるだろう。こちらについては、異性のオタクが愛でる用のアイドルと同性が憧れる用のアイドルと、ちゃんとニーズに合わせ、仕様が作り分けられているところがおもしろい。
(※19)
なお、ネット記事でチラ見したところでは、藤島ジュリー社長も、本心では今までのジャニーズ商法を決していいとは思っておらず、「普通の芸能プロにしたい」と漏らしたことがあるそうな。
おそらく、こういうことではないだろうか。カルト信者を相手に、キラキラした「夢の王子様」みたいなボーイズグループの歌と踊りの「夢の(虚飾の?)ステージ」をプロデュースしつつ、一方で自分たち以外のボーイズアイドルの存在を許さず、大手マスコミへの接待&圧力攻撃によってライバルの芽はつぶす・・・・・・みたいな、叔父と母の異常なビジネス手法は、もう先代までで終わりでいい、これからはグループとか美少年とか歌と踊りとかにこだわらず、俳優のみ、司会のみ、お笑いのみの芸能人を育ててもいいし、何なら女性芸能人をマネージメントしたっていい・・・というような「脱ジャニーズカルト商法」を思い描いているのではなかろうか。
あくまで私の想像であるが、もし本当にそうだとするならば、ジュリー社長という人は、母親や叔父とは違って意外とまっとうで常識的な人物なのかもしれない。
ちなみに余談の余談ながら、この藤島ジュリー社長が、かつての『金八先生』第1シリーズ(1979~80)の生徒だった(縁故採用?)というのは、迂闊にも今回の騒動が起こるまで、まったく知らなかった。この藤島ジュリー社長が演ずる生徒が主役の回(第8話)なんて、夕方の再放送で、小中学生の頃、何度も見てよく覚えている回だったのにも関わらず。
で、改めて見直してみた(たぶん日本中でシーズン1の8話だけ配信の再生回数が急激に伸びたことだろうw)。うん、藤島ジュリー社長の演じる「越智さん」にもたしかに問題はあるが、最初にテストの点数のことを茶化した同級生のほうもデリカシーがないわなあ。ひっぱたいていいとは言わんが、カッとなる気持ちはわかる(笑)。中三なんてまだまだ子どもだからしょうがないよね。
まあ、いずれにしても、今ではあり得ないドラマだわな。体罰を肯定するような描写も、男親と女親の「役割」についてのステレオタイプなセリフも、今では許されまい。それに、当時は気づかなかったが、あんなふうに親の子育てのありように対して平気で意見する教師たちなんて、当時も今でも現実にはあり得ないだろう。
(※20)
だからまあ、そこが「ジャニーズ=カルト宗教」と比定されるゆえんなのよね。
さっきの注で、公明党を引き合いに出したが、創価信者にとっては、山口那津男とか神崎武法といった議員に票を入れているんではなく、公明党という教団に票を入れているわけだからね。山口那津男に投票している信者は、山口という議員個人を応援しているわけではないから、仮に万一、山口那津男が離党して無所属で選挙に出たら、もう見向きもしないのだろう(それどころか、きっと裏切り者として攻撃の対象になるだろう。かつての竹入義勝のように)。
そのあたりは、たとえば岩手県の選挙民が、自民党だろうが自由党だろうが民主党だろうが「小沢一郎」個人にどこまでも着いて行く、というのとは対照的である。
そして、ジャニヲタというのは、小沢支持の岩手県民より公明党支持の創価学会員のほうに近い人が多いのだろう。
(そういえば、あまり関係ないが、私の旧友に、マルチまがい商法のAW社の「ディストリビューター」にハマった人がいて、15年以上前に、私も勧誘され、つきあい&話のタネで、洗脳集会に行ってみたことがあるが・・・いやあ、凄かった(笑)!噂にたがわず、まさに宗教だね、あれは。洗脳セミナーのチケット代は、授業料というか見物料としては、決して安くはなかったが、それでも一見の価値はあったね)
(※21)
「信者」と書いて「儲ける」と読む・・・「儲」という漢字を作った昔の中国人が何を考えて作ったのかは知らないが、実に天才的な文字である(注・本当は「儲」は会意文字ではないw)。
池田大作も文鮮明も大川隆法もあの世で大絶賛だろう(←池田はまだ死んでないってw)。
(※22)
なお、これは男性のアイドルオタクにも言えそうなことだろう。
たとえば(あくまでたとえばの話!)、女性アイドルが男性プロデューサーやスタッフー仮に秋元氏なら秋元氏でもいいーに凌辱されたなんてことが明るみに出たら烈火のごとく怒っても、仮に先輩女性アイドルから強制百合行為につき合わされたなんて話があっても、そこまでは怒らないんじゃないかな、なんてふうに想像もできる。
ついでに言うと、もしジャニタレが女性マネージャーや女性芸能人に「たぶらかされた」としたら、たとえ双方合意の上であっても、おそらくジャニ信者はそのジャニタレ当人のことを「裏切り者」として憎むのではなく、「たぶらかした」女のほうを憎悪することだろう。もしアイドルオタクの男性だったら、むしろ「裏切り者」たるアイドル本人に怒りが向きそうな気がするんだが。
いや、正確なエビデンスもなしに勝手な性別決めつけをするのは厳に慎むべきこととはわかっているが、それでも個人的にはそうだろうなと想像する。
(※23)
この種の話題で思い出すのが、1992年のバルセロナ五輪で金メダルを獲った水泳選手の岩崎恭子さんが、どこかのネット記事で披露していたエピソードである。
オリンピック前は一般世間では全く無名だった当時中学生の彼女が、金メダルによってアッというまにスーパースター扱いになり、大会直後はテレビのバラエティー番組のオファーが続々と来たんだそうな。
で、そんな出演番組群の一つに、「ゲスト出演者の夢を叶えてあげる」みたいな企画があったのだという(いつの時代にもあるんだね、そういうの。30年経ってもバラエティーって大して進化してないのか?と思うが、それはさておき)。
それで、当時中学生だった岩崎さんは、(若気の至りで?)その頃ファンだったさるジャニーズアイドルに会いたいとリクエストして会わせてもらったんだそうな。そしたら、SNSのない時代なので「炎上」はしなかったが、その代わり、個人情報規制がまだ緩かった当時、自宅に怒涛のごとき勢いでカミソリ入りの呪詛の手紙が殺到したんだとか。それこそ100や200の量ではない単位で。文面にいわく、ブスのくせに生意気なんだよ、たかが金メダルぐらいで調子に乗るな、死ね、と(金メダルなんて一生無縁な人たちから「たかが」金メダルと言われてしまう岩崎さん、かわいそう・・・)。
大人になって冷静になって聞くと、中学生の子どもを相手に、よくまあそんなことできるなと、差し出し人のアタマを疑うような話ではあるが、まさにこれがジャニヲタクオリティなんだね、と、妙に納得できてしまう話でもある。たぶん、こんなような話はゴマンと転がっていることだろう。前注の仮説を証明するがごとき逸話ともいえようか。
改めて考えれば、あくまで岩崎さんはテレビでジャニタレに会わせてもらって、握手してもらって、一緒に写真撮ってもらって、お話ししてもらったという、そんな程度に過ぎない。翻って、ジャニー氏は、何百人、何千人という少年たちを何度も何度も繰り返し陵辱してきた。それこそ、終生トラウマが残るぐらいに。
普通に考えて、ファンの立場として怒るべき対象はどっちか。憎むべき対象はどっちか。比較にすらならないだろう。
にもかかわらず、昔から「ジャニーさん」は「おもしろい名物社長」としてファンから好感を持って語られ、たった一度、ジャニタレに「会わせてもらった」だけの岩崎さんは物凄い憎悪のターゲットになった。・・・・・・
これなどは、まさしく男性対男性ならたとえ本人が嫌でもおとがめなし、相手が女ならたとえ本人がOKでも絶対に許さない(本人でなく女を!)という、ジャニ信者のダブルスタンダードの典型例だろう。
今さらながら、ジャニーズ問題・・・というのは、本当に本当に「今さら」だよね。
ジャニー喜多川氏が事務所所属の未成年者に性行為を強制していた、なんてことは、何十年も前から、なかば「常識」だったものね。
にもかかわらず、新聞・テレビがジャニー氏の公然の秘密ー「秘密」ですらないがーを本格的に追及することは一度たりともなく(※12)、今回も海外メディアが「報じてしまった」から、「しかたなく」、「渋々」、「嫌々」、「申し訳程度に」、「アリバイ作りとして」、ニュース番組の終わり頃にチョロッと流して、その直後からもうスタジオではコメントせずに話題を変える・・・的な予想通りの「終わってるわ、こりゃw」対応(※13)。
死んだ前社長の行為の責任を、今の経営陣が、どの程度まで負うべきなのかはわからないが(※14)、他の業界の会社だったら、ここまで報道に手心を加えはしなかったはずだから、ジャニーズ事務所そのもの以上に、マスゴミが腐ってる!という感想を持つのは、まあ当たり前といえよう。
なぜ、そこまでテレビ局とそれに付随する大手新聞社がジャニーズ事務所に迎合するかと言えば、ご案内の通り、要は人気があって金になるからだろう(※15)。
ジャニーズ事務所にはカルト的信者という確実な固定客がいるから、テレビ局はジャニタレを重用する(※16)。スポンサー企業もそうだから、テレビ局にとっては、直接の視聴者と、スポンサー企業の両方を背後に持つジャニーズとは対立してもメリットはゼロで、逆にズブズブになっておけば、とりあえず安泰。
だから、そんな優良取り引き先の不祥事をあえて報道して、せっかくの優良取り引き先を失うような愚を犯すはずはない。・・・といった図式が何十年も続いてきたという次第。
しかし、もちろん、BBCにはそんな忖度はない。・・・
が、それはさておき。
私見だがーというより、ほうぼうで指摘されていることだがージャニー氏がひどい性犯罪者かどうかとか、メリー氏が人非人かどうか(※17)とかいうこととは別に、ジャニーズ事務所の専横が日本のエンタメのクオリティを下げ続けてきたという事実も見逃してはならないと思う(※18)。
たしかに稲垣吾郎氏や二宮和也氏や風間俊介氏や目黒蓮氏など、中には比較的いい俳優もいることは否定しないが、歌でも踊りでも司会でも映画・ドラマ・アニメでも、ハッキリ言って、ジャニタレの排他的独占は、エンタメの「質」への寄与という観点からすれば、功罪の罪のほうがずっと大きい(※19)。
それから、なかなか面白いなと興味を惹かれるのは、ジャニーズ信者たちの反応である。
まっとうに考えれば、自分の推し(ジャニヲタ用語でいう「自担」)が、性的虐待に遭ってきたかもしれない、となれば、許せない!徹底的に追及して膿みを出し切ってほしい!できれば、そんな悪徳事務所をつぶしちゃって、自分の好きなアイドルには、もっと別のいい事務所で活躍してほしい!ぐらいに思ってもよさそうなものであるが。
ところが、実際はそんなことを言うファンは皆無で、むしろ、あまりジャニーズ問題を追及しないでほしいというスタンスのファンが大部分のようだ。
ということは、アイドル一人一人の人権より、ジャニーズ事務所というブランドのほうが大事なの?アイドルその人のファンなのか、事務所のファンなのか、どっちや?ぐらいに思うところ(※20)。
事務所と一体になって、とっとと風化して話題が変わり、そして今まで通りのジャニーズワールドの継続をひたすら望む。「ジャニー喜多川、許すまじ!私の好きな〇〇君のことも凌辱してやがったのか!?この鬼畜め!」なんてことは誰も言い出さない。信者につける薬はないのか??(※21)
・・・と、これはあまり指摘されないが、端的に言うと、ジャニーズ信者は男対男の同性愛には甘いんだと思う。たとえ合意のもとではなく、ジャニー前社長の、力を背景にした強制的関係であったとしても。
仮に、もしジャニタレが女性マネージャーや女性タレントに「たぶらかされた」(ジャニ信者側の見方)のだったら、信者は決して許さないはず。たとえそれが合意のもとの行為であっても。だが、男性であるジャニー氏にやられた、なら比較的許せる・・・らしい。ジャニヲタはBLには甘いのだ(※22)。
おおやけの電波でそんなことを言う人はいないが、間違いなくそう言えると思う(※23)。
(※12)
当のジャニー氏が死んだ時も「マンセー」一色だったことからわかるように。
(※13)
2023年5月18日の市川猿之助事件というのは、もちろんジャニーズ問題とは何の関係もないが、ジャニーズ擁護共同体のマスゴミにとっては、話題をそらす格好の素材で、「神風」みたいな出来事だったんじゃなかろうか。
・・・というような、陰謀論じみたうがった見方をしたくなるぐらいに、ワイドショーでは、ここぞとばかりに嬉しそうに(?)猿之助一色でことさらに大はしゃぎ(?)していた・・・というのが、事件後数日の地上波テレビの、わかりやすすぎる素直な動きだったようだ。
私は見てないけど、聞いた話によれば。
(※14)
半世紀以上の間に、何百人、下手したら何千人もの少年が性被害に遭っているのに、百も承知の上でそれを完全に黙認してきたテレビ局や大新聞やスポンサー企業の責任こそ、大いに追及されていいと思うが。
(※15)
ただ、ご承知の通り、ジャニーズ軍団も、ずーっと全盛期だけが続いていたわけではなく、相対的低迷期というのはあった。
いわゆる団塊ジュニア世代たる私の記憶でも、私が中学生だった1987~88年頃は光GENJIブームと少年隊ブームと第二次トシちゃんブーム(びんびんブーム)で、ジャニーズ無双状態だったが、89年頃にはいずれも衰退して(というより、歌謡アイドルや歌番組といった「昭和文化」自体が衰退して)、バンドブームとビーイングブームに取って代わられる。その後、スマップが深夜バラエティー番組というそれまでのジャニタレとは違ったステージを足がかりにブレークするまで、年でいうと90年頃から92年頃の、私が高校時代から高校卒業直後の頃は、相対的な「ジャニーズ冬の時代」であったように思う。
(じゃ、その頃はどんな男性芸能人が人気だったんだ?と言うと、あまりよく思い出せないのだが、前出のバンド勢、ビーイング勢以外だと、織田裕二、吉田栄作、加勢大周の「トレンディ御三家」あたりだったろうか。その中では、織田裕二が一番あとまで「残った」印象だが。江口洋介だったり、武田真治だったり、福山雅治だったり、いしだ壱成だったり・・・は、どうだったかな?もう少し後か?いずれにせよ、その「ジャニーズなき時代」のほうが、日本のエンタメ界にとっては、正直「いい時代」だったんじゃないかと思われてならない)
(※16)
自民党が公明党と組むのも、映画館が「幸福の科学」の映画をかけるのも同じ理由であろう。
(※17)
もし私が、メリー喜多川氏の訃報の時にコメントを発するような立場にいたら、きっとこうコメントしたことだろう。
「惜しくない人を亡くしました。心からご冥福をお祈りいたしません」
そして、以下は余談。
メリー喜多川氏の夫は、かつて「ポール・ボネ」という偽名で、外国人に仮託したスタイルで社会時評的な著書を出していた人物である。私は、中学生ぐらいの頃、それを本当に「外国人から見た日本論」の本だと騙されて、そしてその本の主張内容が、客観的で正しいのだと信じ込んで鵜呑みにしてしまったことがある。実に恥ずかしい記憶である(泣)。ちゃんと勉強して、大人になってから読めば、朝日岩波文化人へのルサンチマンに満ちた、いかにも産経系右翼の書きそうな噴飯ものの駄文だと簡単に見抜けるのに、無知というものは恐ろしい!
私の場合は、その後、高等教育を受けて、その本の主張がいかに偏ったデタラメか、理解できたからまだ良かったが、まともな勉強をせずに、そんな本ばかり読んでいては誰でも騙される可能性があるぞ、危ないな、と、今でも冷や汗の出る思いである。
(※18)
好き嫌いは別として、ジャニタレとBTSあたりとを比べたら、背の高さや脚の長さ、ダンスの上手さなどでは、まったく勝負にならないものね。
もちろん、ガールズグループもまたしかりで、やはり好き嫌いとは別に、AKB系統や坂道系統のいわゆる秋元グループとBLACK PINKやTwiceやLE SSERAFIMとを比べたら、同じことが言えるだろう。こちらについては、異性のオタクが愛でる用のアイドルと同性が憧れる用のアイドルと、ちゃんとニーズに合わせ、仕様が作り分けられているところがおもしろい。
(※19)
なお、ネット記事でチラ見したところでは、藤島ジュリー社長も、本心では今までのジャニーズ商法を決していいとは思っておらず、「普通の芸能プロにしたい」と漏らしたことがあるそうな。
おそらく、こういうことではないだろうか。カルト信者を相手に、キラキラした「夢の王子様」みたいなボーイズグループの歌と踊りの「夢の(虚飾の?)ステージ」をプロデュースしつつ、一方で自分たち以外のボーイズアイドルの存在を許さず、大手マスコミへの接待&圧力攻撃によってライバルの芽はつぶす・・・・・・みたいな、叔父と母の異常なビジネス手法は、もう先代までで終わりでいい、これからはグループとか美少年とか歌と踊りとかにこだわらず、俳優のみ、司会のみ、お笑いのみの芸能人を育ててもいいし、何なら女性芸能人をマネージメントしたっていい・・・というような「脱ジャニーズカルト商法」を思い描いているのではなかろうか。
あくまで私の想像であるが、もし本当にそうだとするならば、ジュリー社長という人は、母親や叔父とは違って意外とまっとうで常識的な人物なのかもしれない。
ちなみに余談の余談ながら、この藤島ジュリー社長が、かつての『金八先生』第1シリーズ(1979~80)の生徒だった(縁故採用?)というのは、迂闊にも今回の騒動が起こるまで、まったく知らなかった。この藤島ジュリー社長が演ずる生徒が主役の回(第8話)なんて、夕方の再放送で、小中学生の頃、何度も見てよく覚えている回だったのにも関わらず。
で、改めて見直してみた(たぶん日本中でシーズン1の8話だけ配信の再生回数が急激に伸びたことだろうw)。うん、藤島ジュリー社長の演じる「越智さん」にもたしかに問題はあるが、最初にテストの点数のことを茶化した同級生のほうもデリカシーがないわなあ。ひっぱたいていいとは言わんが、カッとなる気持ちはわかる(笑)。中三なんてまだまだ子どもだからしょうがないよね。
まあ、いずれにしても、今ではあり得ないドラマだわな。体罰を肯定するような描写も、男親と女親の「役割」についてのステレオタイプなセリフも、今では許されまい。それに、当時は気づかなかったが、あんなふうに親の子育てのありように対して平気で意見する教師たちなんて、当時も今でも現実にはあり得ないだろう。
(※20)
だからまあ、そこが「ジャニーズ=カルト宗教」と比定されるゆえんなのよね。
さっきの注で、公明党を引き合いに出したが、創価信者にとっては、山口那津男とか神崎武法といった議員に票を入れているんではなく、公明党という教団に票を入れているわけだからね。山口那津男に投票している信者は、山口という議員個人を応援しているわけではないから、仮に万一、山口那津男が離党して無所属で選挙に出たら、もう見向きもしないのだろう(それどころか、きっと裏切り者として攻撃の対象になるだろう。かつての竹入義勝のように)。
そのあたりは、たとえば岩手県の選挙民が、自民党だろうが自由党だろうが民主党だろうが「小沢一郎」個人にどこまでも着いて行く、というのとは対照的である。
そして、ジャニヲタというのは、小沢支持の岩手県民より公明党支持の創価学会員のほうに近い人が多いのだろう。
(そういえば、あまり関係ないが、私の旧友に、マルチまがい商法のAW社の「ディストリビューター」にハマった人がいて、15年以上前に、私も勧誘され、つきあい&話のタネで、洗脳集会に行ってみたことがあるが・・・いやあ、凄かった(笑)!噂にたがわず、まさに宗教だね、あれは。洗脳セミナーのチケット代は、授業料というか見物料としては、決して安くはなかったが、それでも一見の価値はあったね)
(※21)
「信者」と書いて「儲ける」と読む・・・「儲」という漢字を作った昔の中国人が何を考えて作ったのかは知らないが、実に天才的な文字である(注・本当は「儲」は会意文字ではないw)。
池田大作も文鮮明も大川隆法もあの世で大絶賛だろう(←池田はまだ死んでないってw)。
(※22)
なお、これは男性のアイドルオタクにも言えそうなことだろう。
たとえば(あくまでたとえばの話!)、女性アイドルが男性プロデューサーやスタッフー仮に秋元氏なら秋元氏でもいいーに凌辱されたなんてことが明るみに出たら烈火のごとく怒っても、仮に先輩女性アイドルから強制百合行為につき合わされたなんて話があっても、そこまでは怒らないんじゃないかな、なんてふうに想像もできる。
ついでに言うと、もしジャニタレが女性マネージャーや女性芸能人に「たぶらかされた」としたら、たとえ双方合意の上であっても、おそらくジャニ信者はそのジャニタレ当人のことを「裏切り者」として憎むのではなく、「たぶらかした」女のほうを憎悪することだろう。もしアイドルオタクの男性だったら、むしろ「裏切り者」たるアイドル本人に怒りが向きそうな気がするんだが。
いや、正確なエビデンスもなしに勝手な性別決めつけをするのは厳に慎むべきこととはわかっているが、それでも個人的にはそうだろうなと想像する。
(※23)
この種の話題で思い出すのが、1992年のバルセロナ五輪で金メダルを獲った水泳選手の岩崎恭子さんが、どこかのネット記事で披露していたエピソードである。
オリンピック前は一般世間では全く無名だった当時中学生の彼女が、金メダルによってアッというまにスーパースター扱いになり、大会直後はテレビのバラエティー番組のオファーが続々と来たんだそうな。
で、そんな出演番組群の一つに、「ゲスト出演者の夢を叶えてあげる」みたいな企画があったのだという(いつの時代にもあるんだね、そういうの。30年経ってもバラエティーって大して進化してないのか?と思うが、それはさておき)。
それで、当時中学生だった岩崎さんは、(若気の至りで?)その頃ファンだったさるジャニーズアイドルに会いたいとリクエストして会わせてもらったんだそうな。そしたら、SNSのない時代なので「炎上」はしなかったが、その代わり、個人情報規制がまだ緩かった当時、自宅に怒涛のごとき勢いでカミソリ入りの呪詛の手紙が殺到したんだとか。それこそ100や200の量ではない単位で。文面にいわく、ブスのくせに生意気なんだよ、たかが金メダルぐらいで調子に乗るな、死ね、と(金メダルなんて一生無縁な人たちから「たかが」金メダルと言われてしまう岩崎さん、かわいそう・・・)。
大人になって冷静になって聞くと、中学生の子どもを相手に、よくまあそんなことできるなと、差し出し人のアタマを疑うような話ではあるが、まさにこれがジャニヲタクオリティなんだね、と、妙に納得できてしまう話でもある。たぶん、こんなような話はゴマンと転がっていることだろう。前注の仮説を証明するがごとき逸話ともいえようか。
改めて考えれば、あくまで岩崎さんはテレビでジャニタレに会わせてもらって、握手してもらって、一緒に写真撮ってもらって、お話ししてもらったという、そんな程度に過ぎない。翻って、ジャニー氏は、何百人、何千人という少年たちを何度も何度も繰り返し陵辱してきた。それこそ、終生トラウマが残るぐらいに。
普通に考えて、ファンの立場として怒るべき対象はどっちか。憎むべき対象はどっちか。比較にすらならないだろう。
にもかかわらず、昔から「ジャニーさん」は「おもしろい名物社長」としてファンから好感を持って語られ、たった一度、ジャニタレに「会わせてもらった」だけの岩崎さんは物凄い憎悪のターゲットになった。・・・・・・
これなどは、まさしく男性対男性ならたとえ本人が嫌でもおとがめなし、相手が女ならたとえ本人がOKでも絶対に許さない(本人でなく女を!)という、ジャニ信者のダブルスタンダードの典型例だろう。