goo blog サービス終了のお知らせ 

習作の貯蔵庫としての

自分の楽しみのために書き散らかした愚作を保管しておくための自己満足的格納庫ですが、もし感想をいただけたら嬉しく存じます。

成田の純真〜2018年の開運に向けて〜

2018-01-21 12:02:01 | その他の趣味
うすい 押上 海神 高砂 お花だって茶屋になって
実籾 鬼越 停まって国府台

酒々井 江戸川 幕張本郷 八広だって谷津になって
四ツ木 日暮里 柴又降りようか

開けドアー 今はもう 公津出たら 成田

白の電車を どれでも全部並べて
ピュアなハートが 青砥で弾け飛びそうに
輝いている 成田のほうに

町屋 西船 京成津田沼 八千代台で熱が出て
関屋 新千葉 船橋競馬場

開けドアー 涙流れても 宗吾出ても 成田

志津の印旛に 星座を全部浮かべて
ピュアなハートが 佐倉でめぐり会えそうに
流されてゆく 成田のほうへ

白の電車を どれでも全部並べて
ピュアなハートが上野を飾りつけそうに
輝いている 愛する限り またたいている
今 京成LOVE
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なぜか私の好きな町

2012-03-16 21:45:38 | その他の趣味
 下北沢が好きだ。

 一度も下北沢そのものにも、その沿線にも住んだことはなく、実は行った回数さえそんなに多くないのに、なぜかいつも行くたびに落ち着く。行くたびに好きになる。実に奇妙な引力を持った町だと思う。

 私自身は、十代の頃から大学卒業後まで、当時の実家が目黒区の自由が丘(※1)にあったので、「なじみ」の度合いでいえば自由が丘のほうが当然ながら圧倒的に上である。そして、おそらく「路地裏まで詳しい」ような「町の通」と名乗れるのも自由が丘のほうだろう。
 だが、それとは別に下北が大好きなのである。


 下北沢と自由が丘は、たしかに共通点が多い。
 どちらも「車で行く町」ではなく、「電車で行く町」である。いずれも(とくに下北沢は)道路が非常に狭く、人通りが多いから車の通行にはきわめて不向きである。そのかわり電車の利便性が非常に良い(※2)ので、遠くから遊びに行く場合も、たとえば、吉祥寺や二子玉川と比べて、電車で行く人の割合が高い町であろう。
 車で行かない町、というのは、とくに下北沢においてけっこう重要な特徴かもしれない。
 車が要らないから、車のない学生もフリーターもニートも行けるし、車が要らないから、運転を気にせずみんな飲酒歓談もできる、というような。

 だが、ご案内の通り、自由が丘と下北沢を比べると、やはり、下北沢のほうが「庶民的」、「下町的」であるというのが、衆目の一致するところだろう。実際には北沢とか代沢というのは高級住宅街なのだが、代官山や自由が丘、二子玉、あるいは白金台(※3)より、駅界隈のタウンイメージとしては間違いなく「庶民的」と見なされている。何となく自由が丘や二子玉のほうがドライでクールな印象があって、下北のほうが人間的な、人なつっこい印象があるというのは事実だから、大筋では外れてはいない。
 この稿での眼目は、「私の好きな町」を挙げ、その好きな理由を述べたいということであって、「庶民的」とか「下町的」の定義などは追究する気はないが、ひょっとすると、結局は、その「好きな理由」として、「庶民的」とか「下町的」とかいう表現に頼らざるを得ないのかもしれない。だが、下北の魅力がそんな簡単な言葉で定義されて片づけられていいものとも思わない。


 私にとって、下北沢とは自由が丘や渋谷、二子玉川と比べて昔から行く回数が少なく、それゆえに常に新鮮な「未知」の町であり、未知であるがゆえに、行くたびに新たな発見がある、そんな町だったように思う。
 そして、その数少ない行った回数は、いずれも私の記憶に強く残っている。
 仮面浪人時代に行った下北での新歓コンパは、1年間しか在籍しなかったその大学の数少ない思い出であるし(※4)、同じ頃に友人と一緒に予備校の恩師に連れて行ってもらったブルースの流れる地下のお酒スポットには「これが大人の世界かあ」と、ワクワクしたものである(※5)。
 高校時代の友人の結婚二次会で行ったのも下北沢で、南口を降りてしばらく行ったビルの2階の沖縄料理店だった。その友人と結婚した相手の人は、三十になる前に早世してしまった。はかない記憶である。
 私自身はと言えば、今の配偶者と結婚して間もなくの頃に二人で下北に行って、当時まだもの珍しかったスープカレーを食べて、そのすぐ近くのシネマートンに興味を惹かれ、そして「古書ビビビ」というねずみ男みたいな名前の古本屋に長居したのが懐かしい。
 演劇青年ではなかった私でもスズナリや本多劇場の前を通ると、Tシャツとジャージで肩にタオルをかけた演劇青年の「これぞ青春」な姿を思って甘酸っぱい気持ちになり、バンド青年といえるほどに熱心にバンドをしたこともないくせに、屋根裏の下を通ると妙に高揚してしまう。
 手垢のついた言い回しではあるが、やはり下北は、端的に「青春の町」だと思う。現に若い人間だけではなく、かつて若かったという人間にとっても、下北に行けば、いつでも「青春の現場」に復帰できる。そんな町である。


 下北の魅力というのは、常に「発見」があることだと書いたが、もう少し分析的に述べると、いわゆるチェーン店に対して非チェーン店の比率が高い、存在感が強い町だからということだろう。最近は郊外の町に行けば行くほど、「どこの町にでもある」チェーン店ばかりしか見えないが、こと下北に関する限り、いわゆる「地元特有のお店」がジャンルを問わず圧倒的な存在感を誇っている。飲食店も服飾の店も小物・雑貨の店も。そして古書店も。
 こういう町は、他の町にはない個性を備えているから、なるほど歩いていて退屈はしない、歩いていると「ほー。こんな店があるのか。どれどれ。どんな店だろう」と好奇心をそそられる、と、こういうからくりである(※6)


 本稿は、首都圏以外の人にはまったくわからない、その意味でつまらない駄文であったが、それはさておき、その私の愛する下北沢の将来を私は憂えている。
 言うまでもなく、小田急の地下化(※7)を軸とした駅周辺の「再開発」の件である。この20年ぐらいで世の中、というかハッキリ言ってしまえば町歩きをつまらなくしているものが、まさに「再開発」だと思うが、理念的な懐古主義ではなく、実際、地元の実利的な視点から見ても、正直、愚行だと思う。下北を愛する人々は(住民も来訪者も)下北のどんな面を愛しているのか、下北のどんな個性が人を惹きつけているのかということを考えれば、仮に道路が広くわかりやすくなって駐車場が増えて巨大イオンモールやヨーカドーアリオができて便利になったとしても、そんな下北には誰も来たがらないのではないか。
 人の波をかきわけて狭い路地をさまよっているうちに、思いがけない気になるスポットを発見して当初の目的を思わず忘れてしまうような、そんなカオティックな下北だからこそ、私のような沿線住民になったことのない者でも、心の栄養補給のため、たまに行ってみたくなる町なのではないか。

 さりとて、「再開発」がひとたび企画されれば、どこの誰が反対しようとそうなってしまうのが世の常。もしかしたら、この私の愛した町・みんなの愛した町も、いずれは小綺麗なだけの没個性的なつまらない街になってしまうのかもしれない。
 ならば、そうなる前にまた行っておかねば。
 最近は、住まいが東京都区内でなくなったこともあって、下北沢どころか自由が丘でさえ行く機会がめっきりなくなってしまったが、せめて「みんなの下北」の、あの町が消滅してしまう前に行っておかねば。
 そのときは、あのおばちゃんが一人で切り盛りしている喫茶店で、最愛の配偶者と一緒にかき氷を食べよう。冬なら今川焼きだ。店名はすっかり忘れてしまった。場所も明確には覚えていない。なのに気さくなおばちゃんと、小さなカウンターの佇まいだけは記憶に鮮明な、地元のバレーボール少女たちが実際にそうしていたように、自分たちも学生だったら部活帰りに立ち寄ってみたいと思わしめるような魅力的な、あのお店を探しあてて。




※1
自由が丘駅を中心とするタウン範囲は、目黒区と世田谷区にまたがっており、一般にはなぜか自由が丘を世田谷区の町だと思っている向きも少なくないが、「自由が丘」という町名はれっきとした目黒区の町である。いわゆる自由が丘タウンのうち、正面口側(ロータリー側)が目黒区自由が丘で、南口(裏口)を出て、遊歩道を越えた向こうは世田谷区奥沢である。
まあ、別に行政区分なんてどうでもいいんだろうけど(笑)。


※2
自由が丘駅も下北沢駅も、立体クロス型の乗り換え駅である。どちらも片方が地平ホーム、片方が高架ホームである。自由が丘駅でいえば、東横線が上の高架、大井町線が地べた。下北沢駅でいえば、井の頭線が上の高架、小田急線が地べた(ただし井の頭線も吉祥寺よりのはじっこでは地平になる)。
余談として、首都圏の立体クロス乗り換え駅といえば、秋葉原が何といっても有名で、ここも私の好きな街であるが、秋葉原の場合は南北方向と東西方向の両方ともが高架構造なので、何というか、実に迫力ある怪物的・巨艦的な巨大空中建造物という感じである。


※3
白金はシロガネではなく、シロカネである。
南北線の駅がきちんとそう名乗ってくれたおかげで、一昔前に『VERY』のせいで広まった誤読も減ったようだ。
よかった、よかった(いや、どうでもいいか)。


※4
その大学は、京王線沿線にあり、私は東横線を渋谷で乗り換えて、井の頭線に乗って通って行った。下北に近いから、下北がコンパの場所になるのも必然であったろう。


※5
T先生という恩師は、世間一般の認識では「一流大学」とは呼ばれないところを卒業し、某予備校(今はもうない)の事務職員として働きながら独学で古文・漢文の研鑽を積んで講師に抜擢されたという珍しいキャリアの人だったが、さすが苦労人ゆえか、あるいは生来のキャラゆえか、実に迫力あるテンポのよい、そして明るく楽しくわかりやすい授業で大人気だった(とくに女子に)。
が、東大や早慶のオーバードクターが主流を占める予備校講師コミュニティーの中では浮いていて、敵が多かったらしく、叩き上げ特有のやや傲岸な性格も災いしてか、追われるような形でその予備校を辞めてしまった。
私が友人とこのT先生を訪ねて、一緒に下北に行ったのはその直後(1993年頃)のことである。
T先生はその後、市進予備校、河合塾、代ゼミなどで、なぜか変名を用いて教壇に立っていたらしいが、今はどうなのだろう。
ちなみに、T先生に連れて行ってもらったお店の名前は「STOMP」である。
「レディージェーン」もまだ行ったことないが、そのうち行ってみたい。


※6
坪内祐三氏は、町歩きの途中にふらっと覗いてみたくなる店のことを「散歩途中の給水場」と表現している(『東京人』2004年3月号p84/19巻3号/通巻200号/都市出版)。
その伝でいくと、下北はどの道にもそんな「給水場」が溢れている典型のような町であり、だから誰からも愛される根強い人気のある町なのだと思う。東京の東側でいえば、谷根千(谷中・根津・千駄木)もまさにそうであるように。
きっと、タモリあたりも喜んで散歩するに違いない。


※7
個人的には、今の地上の小田急下北沢駅が非常にすきである。俗にいう「渋谷型」の単式ホーム2本の特殊な構造(首都圏では山手線の渋谷と小田急線の下北沢の他には銀座線の浅草駅、日本橋駅、新橋駅、丸ノ内線の霞ヶ関駅、京急の横浜駅などがそうで、ホームを後から継ぎ足した場合にしばしば発生する)の今の駅がすきである。
かつて小田急と京王が同じ会社(東急傘下)だった名残りで、会社が違うはずなのに乗り換えに改札を通らなくていいという他ではあまり類のない便利さがすきである。
立体クロス構造ゆえに、それぞれの出口からそれぞれの個性ある町が広がっていく(しかし新宿の東西のように分離していない)混沌とした下北がすきである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンダーグラウンド(2)

2011-02-27 13:08:49 | その他の趣味
 さて、何だか悪口ばかり書いているような具合になってしまったのは、困ったことである。
 そうではない。私は東京の地下鉄の中で、銀座線が一番すきだと書きたかったのに。

 とくに銀座線のあの昔の車輛を思い出すと、まだ戦争の足音は遠く、大正ロマンの香りが残っていた、案外明るく朗らかであったろう1930年前後のモダン東京の匂いが嗅げる気がする(※2)。


 私が子どもの頃に乗っていたあの昔の銀座線車輛。オレンジの鉄の外壁の車輛に足を踏み入れると、中は抹茶のようなグリーンの壁だった。
 そして・・・あの例の話題になる。おそらく、誰もが聞き飽きたあの話題に。
 そう、たとえば年配の人が
「昔の給食には脱脂粉乳というマズい牛乳があって」
とか
「昔の給食は、よくクジラの立田揚げが出て」
なんて語るのと同じような、「またかいな」的話柄に。

 そう。消灯のことである。
 東京の人なら、
「昔の地下鉄は駅に着くときに、一瞬、車内の電気が消えてたよね」
という話題をしたり聞いたりしたことがあるという人が多いのではないか。
 この場合の地下鉄というのは、実は銀座線だけなのだが(※3)、技術的には線路脇の送電線(第三軌条)は各駅への動線上に切り替えポイントがあって、電車がその切り替えポイントを通過する瞬間、車内の電灯が切れて、かわりに非常灯がつくという仕組みだった。
 だから、厳密に言うと、一編成全体が一度に消灯していたわけではなく、前の車輛から順番に消えていたのだ。

 昔はよく、「銀座線の電気が消える瞬間のリアクションで、東京暮らしの長さがわかる」などと言ったものだった。すなわち、電気が切れたときに、「あっ」と小パニックになるやつは田舎者だ、という意地悪な物言いである。
 これが、消えなくなって久しい今なら、「三十代以上の首都圏在住者で、『昔の地下鉄は電気が消えたよね』という話題を出したときのリアクションで、東京育ちか地方から出てきたかがわかる」、あるいは、「東京育ちの人なら、それで年がバレる」といったあたりになるだろうか。

 そんなもん、峻別して何になるのか。単なる差別的優越感を得たいだけなのか。
 と、そんなつっこみはしていいところだが。・・・


 まあ、電気のことはもういい。
 今さらしつこい話である。

 要はデッドセクションで室内灯が消えて非常灯がつくという、野戦兵器のような無骨な構造であっても、クーラーがなくて夏は死ぬほど暑くても、チープな天井扇風機がまるで役立たなくても、それでも私は銀座線旧車輛が好きだったのだという、個人的嗜好を開陳したかっただけなのだ。


 鉄道ファンというのは、概して必ずしも最新技術だけを良しとする種族ではなく、かえってロートルな車輛を喜んだりもするものなのだ。
 私は東急沿線で成育したが、子どもの頃にはまだ残っていた目蒲線(現・目黒線及び多摩川線)のアマガエルみたいな丸っこい緑色の車輛や、池上線の丸っこくはないがやはり同じく緑色の戦前仕様の車輛が、たとえ一編成ずつでもいい、この21世紀の同線に残っていればおもしろかったのにな、と夢想する。
 あるいは、世田谷線でも、おそらく旧式車輛は一掃されてしまったことと思うが、やはり一編成ぐらいは残しとけば良かったのに、と、軽い憤りをこめて思ったりもする(※4)

 なるほど、鉄道は趣味娯楽のための存在にあらず、都市のインフラである。実用ツールである。だから、おもしろいかおもしろくないかではなく、使い勝手が良いかどうかが一番大切である。
 そして、その公共サービスは、最大多数の最大幸福を追求するもの。オタクではない大多数の普通の利用者は、新しくて奇麗な電車のほうがうれしいに決まっている。その意味で、旧営団が、古くて暑苦しくて電気の消える銀座線旧車輛を快適なステンレスの新車に置き換えていった経営判断は、至極まっとうなものであった。

 と、百も承知の上で、しかし・・・あくまでないものねだりの望蜀の言。


 この私の心の叫びは、何かとまったく相似形。何だ。そうだ。フランク・ロイド・ライトの設計した旧館を取り壊して、新館に建て替えたホテル経営者ー故・犬丸徹三氏ーの経営判断をどう評価するかという(私にとっては重要な)命題と相似形なのだ。
 これも私にとって、今なお理性で納得しつつ、おそらく感情では死ぬまで納得しないアフェアーなのだった。
 でも、さすがに銀座線旧車輛の話から、フランク・ロイド・ライトの話に強引に持っていくのはやめておこう。今は。
 今ここで語るには、テーマが大きすぎる。
 うん。



※2
世界恐慌を経験し、国際的孤立化の道を歩み、「大学は出たけれど」の不況であっても、なお、そんなに世の中全体が必ずしも真っ暗ではなかったんじゃないか・・・というのが、当時の劇映画や記録映像を見た私の印象である。

※3
同じ第三軌条方式でも、丸ノ内線は昔から消えていなかった。
ちなみに大阪の地下鉄も第三軌条方式だが、昔のことは知らない。少なくとも、今は消えていない。

※4
もっとも私とて、何でも古ければいいという懐古主義一辺倒でもないつもりだ。
私が一番好きな鉄道は(東急沿線育ちのくせに)京成であるが、その京成が21世紀にデビューさせた成田スカイアクセス用スカイライナーの新型車輛の美しさには、本当に魅了される(その前の二代目スカイライナーももちろん大好きだったが)。
C62も大好きだが、新型スカイライナーも大好き、なのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アンダーグラウンド(1)

2011-02-26 15:44:27 | その他の趣味
 なぜかということは、よくわからない。
 わからないのだが、地下鉄・銀座線の夢をみた。
 今の銀座線ではない。清潔なステンレスボディーにオレンジの帯の入ったオールシーズン快適なそれでは。
 そう。オレンジ一色の鉄の車輛。あの昔の銀座線だ。

 東京の人間にしかわからない話題であるが、子どもの頃から「地下鉄」といえば、私にとってはまず第一にこの電車だったという、あの往年の銀座線車輛である。


 線区としての銀座線の特徴はいかなるものか。
 ここで基本事項の確認をしておく。

 日本最古の都市地下鉄道。
 東日本で唯一戦前からあった地下鉄。
 古いから浅くて便利。
 古いからスキマを後から埋めるような駅めぐりではなく、都心のメジャーな街ばかりをめぐるので便利。

 と、そんなポジティブなイメージがまずある。
 実際、首都圏の人間で、有楽町線に乗ったことがほとんどないとか、大江戸線に一回も乗ったことがないという人間はいても、銀座線と丸ノ内線に乗ったことがないという人間はまずいないのではないかという気すらする。

 周知の事実として、銀座線と丸ノ内線は日比谷線以降の東京の地下鉄と比べて、かなり異質である。
 たとえば、鉄道好きならよく知っている通り、架線から屋根のパンタグラフを経て電気をとるのではなく、屋根の上は客車のごとくつるつるで、電気は線路の横の送電線から、つまり下からとっているところ。それから、東京の地下鉄では珍しく、広軌であるところ。すなわち、日本の大多数の鉄道(JRも私鉄も)の平均ゲージである約1mの線路幅ではなく、世界規準の約1m40cmの新幹線規格幅であるところ。

 そして、ここが眼目なのだが、他の鉄道があえて日本スタンダードの狭軌でなく、グローバルスタンダードの広軌を採用するときには、当然、そのメリットを考慮して意味のある採用をしているのに対し、銀座線においては、何の意味もないというところがおもしろい。
 例として、京急線の快速特急などはJRや主要私鉄より広い線路幅を活かして、これでもかというぐらいジェットコースターのごとくふっとばして、JRの向こうを張っている。
 なのに、銀座線と丸ノ内線、とくに銀座線ときたら、一般の電車より線路幅は広いくせに、トンネル口径が小さいものだから、車輛は他の電車よりよっぽど狭い。編成も短い。だから、いつもギューづめ。
 たしかに銀座線も丸ノ内線も、本数は終日とても多いし、メジャーな街ばかりを通っているだけに人の入れ替わりも頻繁だから、少し長く乗っていればけっこうすぐ座れるのだが、とりあえず広軌のメリットはまるでないと言うしかないだろう。車体の大きさの点でも、スピードの点でも。
 というより、このトンネル口径節約のための第三軌条方式(先述の線路横の送電線から電気を取り込む方式)と、そのくせ無意味な広軌採用のせいで、後発の地下鉄のような相互直通乗り入れができないでいるのだから、デメリットだらけ(※1)。
 先見の明がなさすぎと、言いたくもなる。



※1
ただ、相互乗り入れがないからわかりやすいのだという指摘はできると思う。
銀座線の場合、ほぼ全てどの電車も「渋谷発・浅草行き」と「浅草発・渋谷行き」である。それ以外のはごくごく僅かしかない(丸ノ内線は終点の荻窪発着の他に途中駅の新宿折り返しがかなりあるので、あてはまらない)。
「高砂行き」、「青砥行き」、「押上行き」、「印旛日本医大行き」、「成田空港行き」、「泉岳寺行き」、「西馬込行き」、「羽田空港行き」、「京急久里浜行き」、「浦賀行き」、「三崎口行き」などが一本の線路上に入り乱れていて、はて自分の目的地の駅にはこの電車で行けるんじゃろうかと悩むなんてことはない。
例外がないゆえに、両端の駅名さえ覚えておけば大丈夫というエトランジェにもやさしい簡明さは、パリのメトロと同じである。
本文に書いた浅くて楽チンなところや都心のメジャーな街ばかりを通るという有用さに加え、視点を変えれば、相互直通乗り入れがないということも、「便利」な点であると言えなくもないのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする