習作の貯蔵庫としての

自分の楽しみのために書き散らかした愚作を保管しておくための自己満足的格納庫ですが、もし感想をいただけたら嬉しく存じます。

星空に愛をこめて

2023-10-04 17:35:49 | 歴史
 今から66年前の1957年の10月4日、スプートニク1号が打ち上げられた。
 この日は、地球人類500万年の歴史の中において、そして地球46億年の歴史の中で、地球上の生物が宇宙進出の第一歩を記した日として、後のガガーリンやアポロ11号と並んで、地球の歴史上、画期的な日である。
 とともに、20世紀の100年において、最も歴史的に記念すべき日の一つかもしれない(※1)。

 それにしても、だいぶ以前に何かの稿で書いたことの繰り返しとなるが、20世紀の始まった時点で、宇宙旅行が本当に実現するとはどれだけの人が思っていただろう。そして、ここが眼目だが、宇宙進出の歴史的第一歩をしるす国が、英国でもドイツでもなく、はたまたフランスでもなく、それどころかアメリカですらなく、まさかロシアになるなんて、誰も予想しなかったに違いない(※2)。


 では、19世紀には英国やフランスやドイツからは辺境の田舎国と見なされていた米国とロシアが、どうして宇宙開発をリードすることになったのか。
 それはもちろん、二度の世界大戦の結果、欧州が衰退し、代わって米国とソ連が超大国になったからだが、とくに直接的には第二次大戦におけるドイツでの研究成果を米ソ両国が持ち帰ったからである。

 1939年の9月に始まった欧州の第二次大戦は、1941年6月以降、東部戦線で独ソの泥沼の死闘が繰り広げられ、1944年以降は、西部戦線で西側連合軍が進撃し(※3)、最終的にはドイツ本国を東西から挟み撃ちする形で終戦に向かった。
 その時に、戦後世界をにらんだソ連側と米国側双方によって、ドイツの優秀な軍事技術と、そしてソ連にとっての将来の敵アメリカに対する実戦経験、アメリカにとっての将来の敵ソ連に対する実戦経験を持つ優秀なドイツ軍人の争奪戦が始まる。
 そこで争奪戦の対象となった技術の一つに、「報復兵器」V1号とV2号があった。

 戦争後半に実際にロンドンに向けて発射された、後の大陸間弾道ミサイルの元祖とも呼ぶべきV1号とV2号、とくにV2号の技術が戦後のロケット開発のベースとなったのはあまりにも有名な史実である。

 米軍に投降したフォン・ブラウンをはじめ、ドイツの技術者と彼らの持つ資料は、根こそぎ東のソ連と西のアメリカに持ち帰られた。戦利品としてせしめられた。
 その技術が米ソの人工衛星開発に、そしてさらに後のアポロ計画に活かされた。・・・言い換えれば、米ソの宇宙開発競争とは、アメリカに渡った旧ドイツ軍技術者と、ソ連に拉致られた旧ドイツ軍技術者との競争であったと言えなくもない(※4)。


 そして、実は興味深いのはここから。
 なぜそもそも第二次大戦中の時点で、英国でも米国でもなく(※5)、ドイツだけが大陸間弾道弾を実用化できたのかというところ(※6)。
 これは、因果関係をずっとさかのぼっていくと、第一次大戦でドイツが敗れ、苛烈なヴェルサイユ条約を結ばされたから、ということになろう。

 ヴェルサイユ条約(※7)と言えば、ドイツの海外植民地を全て没収し、多額の賠償金を課したことが有名だが、それとともに、ドイツ国の軍備にも厳しい制限がつけられた。たとえば、軍艦は何トンまでとか、戦車は持ってはいかんとか、空軍というものを組織してはダメだといった具合に。
 結局、ヴェルサイユ条約の目的とは、一言でいえば、英国やフランスにとって脅威である強国ドイツを、二度と「悪さ」しないように徹底的に弱体化させてしまおうということに尽きる。
 それゆえの賠償金や軍備規制であった。

 かくして、ワイマール体制の新生ドイツ(※8)は、戦間期―ハイパーインフレやミュンヘン一揆、グロピウスやミース・ファン・デル・ローエやフリッツ・ラングの活躍、そしてヒトラーの政権掌握という激動の時代の間、やがてヒトラーがヴェルサイユ条約を公然と無視して大軍拡を宣言するまでの間―軍備的には乏しい国防軍を細々と維持しているだけの状態が続いていたのだ。
 戦艦は造れない、飛行機も飛ばせない、じゃあどうしよう、という状況下で、一部の技術者たちがロケット開発というヴェルサイユ条約に抵触しないーそもそもヴェルサイユ条約の時点では想定すらされていないー軍事技術に注目した。そして、それがナチス時代の第二次大戦中に実用化され、連合国を驚愕させることとなった。・・・

 ということは。

 もし、ヴェルサイユ条約で、ドイツに対して報復的措置として、植民地没収や巨額の賠償金とともに、軍備の徹底的制限ということが行われなかったら。・・・そしたら、ドイツの軍産複合体も、ごく普通に当時の常識通りに戦車や軍艦や飛行機の開発だけに注力して、ロケットなんて誰も見向きもしなかったのではないか。
 だとしたら、結果的に戦後の米ソの宇宙開発も当然なかったことになるのではないか。
 つまり、ヴェルサイユ条約なかりせば、アポロの月面着陸もスペースシャトルも、まったく存在しなかった可能性が高いのではないか。
 人工衛星なんていまだに存在していなかった、か、あるいは数十年遅れていた可能性があるのではないか。・・・


 と、星空を見上げながら、そんな歴史の不思議、歴史的行為の予期せぬ副作用の不思議なんてことを思ってしまう私であった(※9)。



(※1)

以下は、かつてネット上で読んだ記事の記憶をたどりながらの話となる。
正の歴史、負の歴史含めて、「20世紀で最も歴史的な日」とは何年何月何日だろう?
たとえば、ライト兄弟の初飛行(1903年12月17日)、サライェヴォ事件(1914年6月28日)、ロシア十月革命(1917年11月7日)、国際連盟の発足(1920年1月10日)、ウォール街大暴落(1929年10月24日)、ヒトラー政権成立(1933年1月30日)、第二次大戦開始(1939年9月3日)、広島への原爆投下(1945年8月6日)、中華人民共和国成立(1949年10月1日)、スプートニク1号の打ち上げ成功(1957年10月4日)、ビートルズデビュー(1962年10月5日)、ワシントン大行進の「私には夢がある」(1963年8月28日)、アポロ11号の月面着陸(1969年7月20日)、ベルリンの壁崩壊(1989年11月10日)、ソヴィエト連邦解体(1991年12月25日)・・・なんて候補に挙がり得ると思う。
とくに、人工衛星や月面着陸、それに忘れられがちだが1980年5月8日にWHOが「根絶宣言」をした天然痘撲滅は、地球46億年の歴史の中で、そんなことのできた生物が他にいたかと思うと、ものすごく偉大なことである。
また、リアルタイムの日本人にはただちに影響はなかったかもしれないが、T型フォードの発売された1908年10月1日というのも、大量生産・大量消費の世紀の象徴として重要視してよさそうな気がする。あとは、ラジオ放送が始まった日、テレビ放送が始まった日も重要だと思うが、それは何年何月何日が正確なんだろう?
日本限定の「20世紀で最も重要な日」なら、今年ちょうど100年目の関東大震災(1923年9月1日)が有力候補の一つになるが。それから、日本海海戦の1905年5月27日というのも、非常に大きな日付けである(ただし、別に日露戦争が「世界史上はじめて非白人国が白人国を破った日」というわけではないよ。オスマン帝国の歴史を勉強しなおしなさい)。日本にとっての第二次大戦の終わった日は・・・それは何年何月何日をそう呼ぶかで議論が分かれるな。少なくともラジオ放送があった日=戦争が終わった日、ではないからね!ということは何度強調してもしたりない話である。


(※2)

スプートニクの打ち上げ、ボストークの有人飛行と、宇宙開発競争の初期で米国に先行したことは、ソ連史の数少ない栄光だろうが、無論、実際はその前もその後も含め、ソ連の国力が米国を凌駕したことなど一度もない。
ソ連はたしかに米国と違って(そして英国やフランスとも違って)第二次大戦で領土的に、勢力圏的に拡大したが、そのぶん戦争のダメージも米国の比ではなかった。
なるほど、国土面積と人口ではソ連が米国を上回っていたかもしれないが、逆にそれ以外の部分で勝てる要素など皆無だった。経済も技術も。文化だって、ソ連が米国に勝っていたのはクラシック音楽やクラシックバレエなど、ごく一部だろう。
アイクもフルシチョフもそんなことは百も承知だったはずである。


(※3)

岩波新書の大木毅氏の名著が何年か前にベストセラーになったおかげで、ようやく一般の日本人にも、欧州の第二次大戦とはイコール独ソ戦であると言ってもいいぐらいに「東部戦線」がメインで、他はオマケだったという理解が広がったが、かつては『コンバット!』(1962~67)や『史上最大の作戦』(1962)、『砂漠の鬼将軍』(1951)、『バルジ大作戦』(1965)、『遠すぎた橋』(1977)、『パリは燃えているか』(1966)といったアメリカ製の映画やドラマの影響で、欧州の第二次大戦はアメリカ(あるいは米英軍)対ドイツの戦争がもっぱらなのだと勘違いしている向きが多かった。
が、この駄ブログで幾度か触れた通り、第二次大戦におけるドイツの主敵はソ連であった。ドイツの戦力の大半が東部戦線に注ぎこまれ、ドイツの人的・物的犠牲の大半が東部戦線で生じた。そして最後に首都ベルリンはソ連軍によって攻め落とされた。
これはソ連及び現ロシア連邦への好悪とは別に、歴史的事実を正しく認識するという意味で、誤解されてはならないことである。
しかし、上記の大木毅氏の新書がベストセラーになり、NHKの『映像の世紀』などでもたびたび独ソ戦を扱うようになった今でも、一般日本人の中には、昔の『コンバット!』的世界観で、欧州の第二次大戦とはイコール米国VSドイツの戦いだと漫然と誤解し続けている人が多いかもしれない。まして、米国や英国の人たちはいまだに大部分の人たちが、自分たちがドイツを倒したのだと勘違いして信じているに違いない。
ちなみに、そもそもわれわれ日本人は、第二次大戦イコール日米戦と思い込んでいるが、対手のアメリカ自体、(残念ながら?)対日戦より対独戦のほうを遥かに重視していたことも、参考としてふまえておいていいだろう。
実際、アメリカの一般人に、「第二次大戦って、どことの戦争だったの?」と問うてみれば、異口同音に、日本よりイタリアより、ドイツと即答するはずである。
不満?でも、われわれ日本人も、第二次大戦はどことの戦争だったかと言われたら、ほとんどの人が中国でも英国でもなく、アメリカと即答するよね。そしたら、上記のケースのわれわれと同じように中国人は不満を持つんだろうな。
とまれ、太平洋戦争は、日本人が体験した日本人史上最大の戦禍だったことはたしかでも、犠牲者の数で言ったら、ドイツやソ連の比ではない。言い方は悪いが、独ソ戦と比較すれば、日米戦は「辺境の小競り合い」と見なせるぐらいかもしれない。
そんなわけで、第二次大戦とは、ヒトラーとスターリンの戦争だった・・・とも、ウンと単純化すれば言えなくもないわけである(『ヒトラー対スターリン/悪の最終決戦』(中川右介/ベスト新書/2015))。無論、そう言い切ってしまっては、ローズヴェルトもチャーチルもムッソリーニも蒋も近衛公も東条も憮然とするだろうが。


(※4)

ただし、ソ連に移送された旧ドイツ軍関係者は、ブラウンと違って、そのまま永住したわけではないが。


(※5)

なお、H・G・ウェルズの『月世界最初の人間』が上梓されたのは、ちょうど20世紀の始まった頃で、その作中では人類初の宇宙飛行は英国が成し遂げたことになるが、それは国家プロジェクトではなく、個人的研究の成果としてなされる。
二度の大戦を経てからの現代社会では、宇宙開発のような莫大な金のかかる大事業は政官財学軍協働の国家プロジェクトとなるから、現代の我々から見ると変に思えるが、実は世界大戦以前の素朴な世の中では、モンゴルフィエ兄弟の気球もライト兄弟の飛行機も、個人の発明だったものね。だから、決しておかしくはないんだな、うん。


(※6)

もちろん軍事ロケット弾の研究をしていたのはドイツだけじゃないと思うけど、高いレベルでいち早く実用化できたのはドイツであったという意味で。


(※7)

俗に、第一次大戦の講和条約=ヴェルサイユ条約と理解されているが、より正確にはヴェルサイユ条約はドイツと連合国との講和条約であって、第一次大戦の講和条約はヴェルサイユ条約だけではない。
すなわち、ドイツと連合国の講和条約であるヴェルサイユ条約の他に、オーストリアと連合国との講和条約であるサンジェルマン条約やオスマン帝国と連合国の講和条約であるセーヴル条約などもまた、第一次大戦の講和条約である。


(※8)

なお、これもまた誤解の多いところだが、第一次大戦で敗れてからヒトラー政権ができるまでのワイマール共和制のドイツの正式な国名はワイマール共和国でもドイツ共和国でもない、ただのドイツ国(Deutsches Reich)である。
実は、この国名は帝政時代も、そしてヒトラー時代も一貫して変わらない。すなわち、1871年のドイツ統一(日本の一般人には誤解が多いが、歴史用語としての「ドイツ統一」は、普通は1990年の出来事ではなく、1871年の出来事を差す)以来、ビスマルクの治世の頃も、カイザー・ヴィルヘルム2世の頃も、第一次大戦とヴェルサイユ条約を経てからのワイマール時代も、さらにその後のヒトラー時代もずーっと国名自体は変わらず「ドイツ国」なのである。
決して、「ドイツ帝国」という名の国が「ドイツ共和国」という国になったり、「ナチスドイツ」という国になったりしたわけでない。


(※9)

参考文献:『「ミサイル戦争」の原点/秘密兵器V1、V2』(野木恵一/『第2次大戦欧州戦史シリーズ・アルデンヌ攻勢』(学研/1999)所収、p128~134)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする