習作の貯蔵庫としての

自分の楽しみのために書き散らかした愚作を保管しておくための自己満足的格納庫ですが、もし感想をいただけたら嬉しく存じます。

美しい花を作るその手に刃を握ったら

2023-12-08 17:35:40 | 政治・経済・社会・時事
 日本国内の人種差別について、若干の落書きをものしたい。

 なぜいきなりそんな話をするかというと、しばらく前に、こんなネット記事(2023年11月24日付け)に触れ、ちょっとだけ違和感を抱いたからである。


来日アーティストはなぜ「ニッポン最高!」と口にするのか(デイリー新潮)―Yahoo!ニュース

> コロナ禍へのうっ憤を晴らすかのように11月以降、海外大物アーティストの来日が続く。
> (中略)
> こうしたライブでアーティストは必ずといっていいほど、「ニッポン」への愛情や思いを口にするのだが、果たしてどこまでそれを信じていいものか。
> (中略)
> 彼らの「日本愛」を単なる社交辞令だと片付ける必要はない。
>  ある種の人は「日本だけ特別なんて思わないほうがいい」と冷笑するかもしれないが、実際に強い日本愛を持つアーティストは決して珍しくないのだ。
> (中略)
>
> 『不道徳ロック講座』の著者、神舘和典さんはこう語る。
>  「黒人ジャズ・ミュージシャンに話を聞くと、アメリカのとくに南部ではレストランに入れてもらえなかったり、トイレを使わせてもらえなかったり、長い間差別されてきたそうです。
> サックス奏者、ソニー・ロリンズによると、世界的にレジェンドの扱いを受けるようになっても、飛行機のファースト・クラスに搭乗すると、CAさんからあからさまに奇異の目で見られると話していました。
> しかし、日本やフランスでは音楽そのものやキャリアに対してきちんとリスペクトされると話していました。
> こういう話を聞くと、親日家になる気持ちが理解できました」
> (以下略)
>
> (読者コメント)
> アートブレイキーは、ジャズメッセンジャーズを従えて1960年、元旦に来日した。
> 羽田空港でタラップを降りると、自分たちを歓迎する群衆に驚いた、そして感激で泣いた。
> 日本では黒人は差別されない。
> アフリカ大陸以外で唯一日本だけはアーティストとしてリスペクトされた。
> ライブアルバムも素晴らしい。
> 若きリーモーガン、ウェインショーターの名演も聴ける。
> アートブレイキーは、日本贔屓になり、日本人女性と結婚もした。
> 以来、数多くの黒人ジャズミュージシャンが来日している、

(引用ここまで)
(※1)


 黒人差別は人種差別である。
 日本では黒人差別がない。
 だから日本には人種差別がない?

 なんて詭弁は可能か。

 もちろん答えはノー。

 まず、黒人差別は一見なさそうに見えるが、言うまでもなくアジア人への差別はある。

 と言えば、
「中国人への差別や韓国人への差別なんて昔のことでしょ。今の若い人にとっては、韓国なんて、アイドルグループやコスメなど、むしろ憧れの対象の国だよ。右翼のレイシストにとっては許せないことなんだろうけど(笑)」
と反論されるかもしれない。
 また、中国についても、
「右翼が中国を憎悪するのは、中共政府(※2)を憎んでいるだけで、チャイナ全般を蔑視しているわけでは全くない。むしろ、保守系の知識人ほど儒教や三国志など、いにしえの中華文化をリスペクトしている。その点はコリア憎悪との大きな違いだ。コリアについては、右翼はコリア民族の歴史文化すべてを憎悪しているが、中国については、あくまで憎しみの対象は中共政権だけだ。中国の一般人ひとりひとりを嫌っているわけではない」
と言う向きもあろう(※3)。

 だが、それらはいずれも表層的なことに過ぎない。たとえば、アパートの契約の時、あるいは息子・娘が「この人と結婚したい」と言って相手を家に連れてきた時(※4)、日本人と中国人・韓国人は平等ですか?平等じゃないでしょ?とか、日本人と東南アジア人は平等ですか?平等じゃないでしょ?とか、いくらでも反駁できる。


 そして、ここからが本題だが、アジア人への蔑視は昔から普通にあるとして、では黒人差別というのはどうなのか?「黒人差別をなくす会」なんて名乗って、当事者適格なき日本人が調子こんでステレオタイプ摘発をしなければいけないほど、日本では黒人は蔑視されてきたのかどうか。・・・

 その場合、日本には中国人やコリアン(※5)の差別はあっても、あるいは東南アジア人への差別はあっても、または琉球人や北海道先住民(いわゆるアイヌ)への差別はあっても、アフリカ系の黒人への差別はあまりない・・・と言われることが多い(※6)。

 なぜか。
 こんな仮説はどうだろう。
 移民や出稼ぎ労働者はアジア人が多いが、黒人は米兵などが主だからだ、と。
 アジア人は「社会の底辺」として蔑視の対象だが、宗主国アメリカの軍人様は畏敬の対象だ、と。
 あるいは、駐留米軍の人でなくとも、日本人が日常的にテレビなどで見知る黒人といえば昔から助っ人野球選手やミュージシャンなど、憧れの職業の人という場合が多い、と。
 そんな好印象のせいか、よくバブル期には、六本木で黒人が日本人ギャルにモテモテ、なんていう現象が散見され、それを老人男性がよく嘆いていたぞ、と。

 だとしたら、「黒人〇、アジア人×」というのは、人種差別問題ではなく、職業、あるいは国籍の差別なのではなかろうか(※7)。


 だが、この話はこの先が眼目である。
 なるほど、米国籍の、いわゆる純粋な黒人への差別は基本的にないかもしれない。アジア人に対してと違って。
 しかし、黒人とのハーフである日本人への差別は間違いなくあるところが興味深い。

 古い日本映画で『キクとイサム』(1959)という、「米兵の落とし子」である黒人とのハーフの子どもが受ける差別を直視した名作を見れば、簡単にわかる。
 またはフィクション作品に依らずとも、元女子プロレスラーのアジャ・コング氏の子ども時代の話に耳を傾ければ、日本国内において黒人の血が入ったーそれゆえ見た目が一般日本人と全く違う―子どもが日常的にどれだけ迫害を受けてきたかがよくわかる(※8)。

「日本人にとって、アメリカ人であれば、白人でも黒人でも大差はなく、どちらも国籍優劣意識の立脚点でアジア人よりずっと上。だから、日本では黒人差別はない」
 それは一見その通りだが、しかし日本国籍のハーフだと、白人ハーフと黒人ハーフとでは、ものすごい大差がある。そこが興味深いところ。違うとは言わせない。

 想像してみよ。
 もし就職の面接で、日本人名前の履歴書の学生が、来てみたらハーフだったとしたなら、と。
 そしたら、その学生が滝川クリステルだった場合と大坂なおみだった場合とで、どっちが採用されやすいか。あるいはウェンツ瑛士と副島淳ではどっちが採用されるか。トラウデン直美と青山テルマの場合では(※9)。・・・・・・

 だから、私は冒頭で紹介した「日本には黒人差別がない!」という物言いに、余計なお世話ながら引っ掛かりを感じた・・・と、まあ、そんな話である。


 スゲーどうでもいい雑談だな、所詮お前の「感想」だろ、と言われればそれまでだけど。



(※1)

 ちなみに、個人的にはリー・モーガンはマイルスやブラウニーより好きだしー最も好きなトランぺッターと言ってもいいぐらいだー、ショーターも好きなサックス奏者の一人である(ショーターは比較的最近亡くなったが、学会員である職場の先輩に追悼メールを送った)。
 ブレイキーのジャズメッセンジャーズでは、モーガンとショーターの時期が実際、ベストメンバーだろう(あの『モーニン』(1958)の時のメンバーももちろんいいが)。同時期の『ヒアズ・リー・モーガン』(1960)というモーガン名義のアルバムでも、親分たるブレイキー御大がサイドに回って好サポートをしており、親しみやすいアルバムである。
 それから、ブレイキーバンドとは関係ないが、モーガンの『サイドワインダー』(1963)のタイトル曲なんてのも、昔、ものすごくハマったものである。これは何ておもしろい音楽なんだ!と。バリー・ハリスをはじめとするサイドメンバーもとてもいいが、やっぱりセッションリーダーたるモーガンのソロプレイが最高である。「サイドはいいんだ、おとなしくしてりゃ」と言わんばかりの白熱のアドリブが(ちなみに同曲は、ジャズでは非常~に珍しいフェイドアウトで終わる曲である)。
 その他でも、『ソニックブーム』(1967)あたりも地味にいいアルバムだし、サイドマンとしての参加作でも、有名なコルトレーンの『ブルートレイン』(1957)があったり、私の大好きなジョニー・グリフィンの『ブローイング・セッション』(1957)があったりもするが、まあ、それでもやっぱりモーガンで一枚だけ選ぶとしたら、『キャンディ』(1957~58)かな。
 トランペットの単管カルテットアルバム全ての中でナンバーワン、かもしれない(そもそもトランペットのワンホーンものというのは、サックスのワンホーンものに比べて絶対数が少ないけど。ちなみに、『キャンディ』以外のトランペットの単管カルテットものだと、私はブルー・ミッチェルの『ブルース・ムーズ』(1960)なんて大好き)。


(※2)

 「中共」は差別用語だ!とか言ってくる人がいたら面倒くさいので、念のため説明しておくと、「中共」は「中国共産党」の略称で、本来は別に差別用語ではない。
 「中共政府」、「中共政権」とは、「中国共産党政府」、「中国共産党政権」という意味である。
 昔の(日中国交正常化前の)新聞がよく、「中華人民共和国」の略称として「中共」を使っていた(ちなみに台湾当局の当時の呼称は「国府」)ことから、高齢者の中には、「中共」=中華人民共和国の略称にして蔑称、と思っている向きが多いが、上述の通り、本来「中共」は中国共産党のことであり、中華人民共和国のことではない。


(※3)

 もともと政治的な賛否と文化・民族・歴史などの好悪は全く別である。
 孔子や荘子が好きだからと言って、現代中国なり現代台湾なりの政権を支持する必要は別にない。項羽と劉邦や三国志演義に興味があるからと言って、毛沢東や蒋介石の賛美者になる必要ももちろんない。景徳鎮の陶磁器や王羲之の書のコレクターの人も、杜甫や李白の詩のファンの人も、中華料理が好きな人も、麻雀が趣味の人も、習近平を支持する必要は全くないし、同様に台湾の蔡総統を支持する必要も別にない。どれも当たり前すぎるぐらい当たり前のことである。
 同じく、ジャズが好きな人やメジャーリーグが好きな人、ハリウッド映画が好きな人だって、ブッシュ・ジュニアのイラク侵攻を批判したり、トランプの移民排斥政策を批判する自由は当然ある。
 だから逆に、もしあなたの近くのアメリカ人が、寿司やウォシュレットを絶賛する一方で、真珠湾攻撃や原爆投下については伝統的な「アメリカの立場」を表明したからって、失望する必要も別にない。というより、寿司やウォシュレットを絶賛したからと言って、ケント・ギルバートみたいに日本の右翼に都合のいい(荒唐無稽な)ことを言ってくれるだろうなんて期待するほうがおかしい(笑)。
 トルストイが好きな人、チャイコフスキーが好きな人、ロシア民謡が好きな人を、それだけでアカだと見なしてマークしたがった昔の公安警察と同じぐらいぐらい愚かだ(笑)。


(※4)

 ハリウッドの古典映画『招かれざる客』(1967)は、自分の娘が結婚相手として連れてきたのが黒人だったということに戸惑う白人夫妻の話である。
 この映画のポイントは、主役の夫婦が二人とも、決してレイシストではなくむしろリベラル派であるというところ。一般論としては人種差別反対、だけど、わが子の結婚相手は・・・という、福澤諭吉みたいな「本音と建て前」論が、普遍的「あるある」となる。
 翻って、われわれも、マイノリティの差別はいけない、LGBTQの差別はいけない、と他人事のレベルでは言えるが、じゃあ息子がオネエになったら嬉しいか、娘がオナベになったら嬉しいかと言われると、「それはそれ、これはこれ」だろう。結婚相手の話ももちろんそう。あなたの息子や娘が、異性婚をするのと同性婚をするのとで、どっちが嬉しいか、と。
 ちなみに、上記に触れた福澤諭吉の話というのは、以下のような小噺である。まあ、一種の都市伝説のようなものかもしれないので、真偽のほどは保証しかねるが。
「福澤諭吉先生といえば、『門閥制度は親のカタキでござる』、『天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず』と、身分制度を否定し、人間の生まれながらの平等を説いた偉大なる思想家です。で、そんな福澤先生が功成り名を遂げた後のお話。ある日、娘さんが福澤のところに来て、こう言いました。『お父さん、私、結婚したい人がいるんです』。もとより進歩的な福澤先生。『お前の結婚相手はわしがもう決めてある』などとは言いません。『おお、そうか。そいつはめでたい。で、どんなやつだ?』と、笑顔で娘に聞きました。『はい。ご自分で手広くご商売をなさっている方で、若いけどとっても立派な人なんです』。それを聞いた福澤は眉をひそめ、こう言いましたとさ。『何?商人だと?いやあ~、そいつはいかんなあ~。やっぱり、わが家の婿には、武士の家系じゃなきゃ』と」


(※5)

 『帰ってきたウルトラマン』の33話「怪獣使いと少年」は、小谷野敦氏もかつて書いていた通り、『ウルトラQ』から現在に至る全てのウルトラ作品の頂点に立つ一編であるが、これは在日コリアンへの差別を描いた作品と、しばしば見なされる。
 宇宙人の人間体の名前が「金山さん」というのが、その象徴か、とよく言われる。鈴木さんでも佐藤さんでもなく、田中さんでも中村さんでもなく、わざわざ「金山」さんと名付けているのは何か意味があるだろうと。まあ普通そう思うよね。
 そして、ヒステリックに暴徒化した自警団が「金山」を追い詰める姿は、今からちょうど100年前、1923年9月に起こったあの災害の時の事件を否が応でも連想させるわけで。


(※6)

 日本人は、「外国人が日本スゴいと絶賛!」みたいな話が大好物で、日本の観光地を訪れる外国人にインタビューするような番組も大好きだが、そんな時、インタビューを受けるのは大抵白人である。
 中国人などは見た目が日本人と区別つきにくいからということもあろうが、欧米人様に日本スゴいとおっしゃっていただくのとアジア人どもにそう言われるのとでは価値がまるで違うから、というのも否定しがたい。
 とともに、意外とそんな時、黒人もインタビューを受けていない。それは日本人の中で白人に言ってもらう「日本スゴい」と黒人に言ってもらう「日本スゴい」ではありがたみが違うから・・・と仮説を立てたくなってしまうところだが、そう決めつけるのは早計であろう。
 というのは、現に箱根あたりに行けばわかるが、観光客として訪日しているのはたしかに白人がほとんどで、黒人も東南アジア人も実際問題とても少ないのである。なぜかというその答えは意外と簡単。たっぷりバカンスを使って海外旅行を楽しめるような「いいご身分」の人たちは、イコール白人ということだ。


(※7)

 実際には黒人がみんなアメリカ国籍だとは全然限らないのだけれど、われわれは黒人を見ると、無意識に「アメリカ人」だと思うだろう。


(※8)

 子ども、とくに小学生は人と違うことを恐れるとともに異質な者を排除しがちなものである。人と違うことをよしとする自我の目覚めは中二病以降、高校生ぐらいの頃になる。
 そして、実を言うと、子ども社会において、排除される異形の者としてのハーフというのは、黒人とのハーフに限らない。
 大人の場合であれば、白人とのハーフというのはむしろ憧憬ポイントだが、子どもの場合は白人ハーフでもいじめられることがある。歌手の故・川村カオリなんてそうだったらしい。あるいは、草刈正雄も子どもの頃はいじめに遭っていた・・・かもしれない。もしかしたら。
 一方で、両親ともコリア国籍の在日コリアンなんかは、日本名を名乗っていれば、周囲は気づかないからいじめられない、なんてこともあるはず。金田とか金子とかいう名字は・・・なんて詮索するのは大人だけで、子どもはあまり知らないだろう。


(※9)

 これが人種観の問題なのか、それ以前の広義のルッキズムの問題なのかは意見が分かれるところか。
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時事ネタを二つ(2)

2023-05-21 10:16:10 | 政治・経済・社会・時事
2 少年犯されやすく学成りがたし

 今さらながら、ジャニーズ問題・・・というのは、本当に本当に「今さら」だよね。
 ジャニー喜多川氏が事務所所属の未成年者に性行為を強制していた、なんてことは、何十年も前から、なかば「常識」だったものね。
 にもかかわらず、新聞・テレビがジャニー氏の公然の秘密を本格的に追及することは一度たりともなく(※12)、今回も海外メディアが「報じてしまった」から、「しかたなく」、「渋々」、「嫌々」、「申し訳程度に」、「アリバイ作りとして」、ニュース番組の終わり頃にチョロッと流して、その直後からもうスタジオではコメントせずに話題を変える・・・的な予想通りの「終わってるわ、こりゃw」対応(※13)。

 死んだ前社長の行為の責任を、今の経営陣が、どの程度まで負うべきなのかはわからないが(※14)、他の業界の会社だったら、ここまで報道に手心を加えはしなかったはずだから、ジャニーズ事務所そのもの以上に、マスゴミが腐ってる!という感想を持つのは、まあ当たり前といえよう。

 なぜ、そこまでテレビ局とそれに付随する大手新聞社がジャニーズ事務所に迎合するかと言えば、ご案内の通り、要は人気があって金になるからだろう(※15)。
 ジャニーズ事務所にはカルト的信者という確実な固定客がいるから、テレビ局はジャニタレを重用する(※16)。スポンサー企業もそうだから、テレビ局にとっては、直接の視聴者と、スポンサー企業の両方を背後に持つジャニーズとは対立してもメリットはゼロで、逆にズブズブになっておれば、とりあえず安泰。
 だから、そんな優良取り引き先の不祥事をあえて報道して、せっかくの優良取り引き先を失うような愚を犯すはずはない。・・・といった図式が何十年も続いてきたという次第。
 しかし、もちろん、BBCにはそんな忖度はない。・・・


 が、それはさておき。
 私見だがーというより、ほうぼうで指摘されていることだがージャニー氏がひどい性犯罪者かどうかとか、メリー氏が人非人かどうか(※17)とかいうこととは別に、ジャニーズ事務所の専横が日本のエンタメのクオリティを下げ続けてきたという事実も見逃してはならないと思う(※18)。
 たしかに稲垣吾郎氏や二宮和也氏や風間俊介氏や目黒蓮氏など、中には比較的いい俳優もいることは否定しないが、歌でも踊りでも司会でも映画・ドラマ・アニメでも、ハッキリ言って、ジャニタレの排他的独占は、エンタメの「質」への寄与という観点からすれば、功罪の罪のほうがずっと大きい(※19)。

 それから、なかなか面白いなと興味を惹かれるのは、ジャニーズ信者たちの反応である。
 まっとうに考えれば、自分の推し(ジャニヲタ用語でいう「自担」)が、性的虐待に遭ってきたかもしれない、となれば、許せない!徹底的に追及して膿みを出し切ってほしい!できれば、そんな悪徳事務所をつぶしちゃって、自分の好きなアイドルには、もっと別のいい事務所で活躍してほしい!ぐらいに思ってもよさそうなものであるが。
 ところが、実際はそんなことを言うファンは皆無で、むしろ、あまりジャニーズ問題を追及しないでほしいというスタンスのファンが大部分のようだ。
 ということは、アイドル一人一人の人権より、ジャニーズ事務所というブランドのほうが大事なの?アイドルその人のファンなのか、事務所のファンなのか、どっちや?ぐらいに思うところ(※20)。
 事務所と一体になって、とっとと風化して話題が変わり、そして今まで通りのジャニーズワールドの継続をひたすら望む。「ジャニー喜多川、許すまじ!私の好きな〇〇君のことも凌辱してやがったのか!?この鬼畜め!」なんてことは誰も言い出さない。信者につける薬はないのか??(※21)

 ・・・と、これはあまり指摘されないが、端的に言うと、ジャニーズ信者は男対男の同性愛には甘いんだと思う。たとえ合意のもとではなく、ジャニー前社長の、力を背景にした強制的関係であったとしても。
 仮に、もしジャニタレが女性マネージャーや女性タレントに「たぶらかされた」(ジャニ信者側の見方)のだったら、信者は決して許さないはず。たとえそれが合意のもとの行為であっても。だが、男性であるジャニー氏にやられた、なら比較的許せる・・・らしい。ジャニヲタはBLには甘いのだ(※22)。
 おおやけの電波でそんなことを言う人はいないが、間違いなくそう言えると思う(※23)。


(※12)

当のジャニー氏が死んだ時も「マンセー」一色だったことからわかるように。


(※13)

2023年5月18日の市川猿之助事件というのは、もちろんジャニーズ問題とは何の関係もないが、ジャニーズ擁護共同体のマスゴミにとっては、話題をそらす格好の素材で、「神風」みたいな出来事だったんじゃなかろうか。
・・・というような、陰謀論じみたうがった見方をしたくなるぐらいに、ワイドショーでは、ここぞとばかりに嬉しそうに(?)猿之助一色でことさらに大はしゃぎ(?)していた・・・というのが、事件後数日の地上波テレビの、わかりやすすぎる素直な動きだったようだ。
私は見てないけど、聞いた話によれば。


(※14)

半世紀以上の間に、何百人、下手したら何千人もの少年が性被害に遭っているのに、百も承知の上でそれを完全に黙認してきたテレビ局や大新聞やスポンサー企業の責任こそ、大いに追及されていいと思うが。


(※15)

ただ、ご承知の通り、ジャニーズ軍団も、ずーっと全盛期だけが続いていたわけではなく、相対的低迷期というのはあった。
いわゆる団塊ジュニア世代たる私の記憶でも、私が中学生だった1987~88年頃は光GENJIブームと少年隊ブームと第二次トシちゃんブーム(びんびんブーム)で、ジャニーズ無双状態だったが、89年頃にはいずれも衰退して(というより、歌謡アイドルや歌番組といった「昭和文化」自体が衰退して)、バンドブームとビーイングブームに取って代わられる。その後、スマップが深夜バラエティー番組というそれまでのジャニタレとは違ったステージを足がかりにブレークするまで、年でいうと90年頃から92年頃の、私が高校時代から高校卒業直後の頃は、相対的な「ジャニーズ冬の時代」であったように思う。
(じゃ、その頃はどんな男性芸能人が人気だったんだ?と言うと、あまりよく思い出せないのだが、前出のバンド勢、ビーイング勢以外だと、織田裕二、吉田栄作、加勢大周の「トレンディ御三家」あたりだったろうか。その中では、織田裕二が一番あとまで「残った」印象だが。江口洋介だったり、武田真治だったり、福山雅治だったり、いしだ壱成だったり・・・は、どうだったかな?もう少し後か?いずれにせよ、その「ジャニーズなき時代」のほうが、日本のエンタメ界にとっては、正直「いい時代」だったんじゃないかと思われてならない)


(※16)

自民党が公明党と組むのも、映画館が「幸福の科学」の映画をかけるのも同じ理由であろう。


(※17)

もし私が、メリー喜多川氏の訃報の時にコメントを発するような立場にいたら、きっとこうコメントしたことだろう。
「惜しくない人を亡くしました。心からご冥福をお祈りいたしません」
そして、以下は余談。
メリー喜多川氏の夫は、かつて「ポール・ボネ」という偽名で、外国人に仮託したスタイルで社会時評的な著書を出していた人物である。私は、中学生ぐらいの頃、それを本当に「外国人から見た日本論」の本だと騙されて、そしてその本の主張内容が、客観的で正しいのだと信じ込んで鵜呑みにしてしまったことがある。実に恥ずかしい記憶である(泣)。ちゃんと勉強して、大人になってから読めば、朝日岩波文化人へのルサンチマンに満ちた、いかにも産経系右翼の書きそうな噴飯ものの駄文だと簡単に見抜けるのに、無知というものは恐ろしい!
私の場合は、その後、高等教育を受けて、その本の主張がいかに偏ったデタラメか、理解できたからまだ良かったが、まともな勉強をせずに、そんな本ばかり読んでいては誰でも騙される可能性があるぞ、危ないな、と、今でも冷や汗の出る思いである。


(※18)

好き嫌いは別として、ジャニタレとBTSあたりとを比べたら、背の高さや脚の長さ、ダンスの上手さなどでは、まったく勝負にならないものね。
もちろん、ガールズグループもまたしかりで、やはり好き嫌いとは別に、AKB系統や坂道系統のいわゆる秋元グループとBLACK PINKやTwiceやLE SSERAFIMとを比べたら、同じことが言えるだろう。こちらについては、異性のオタクが愛でる用のアイドルと同性が憧れる用のアイドルと、ちゃんとニーズに合わせ、仕様が作り分けられているところがおもしろい。


(※19)

なお、ネット記事でチラ見したところでは、藤島ジュリー社長も、本心では今までのジャニーズ商法を決していいとは思っておらず、「普通の芸能プロにしたい」と漏らしたことがあるそうな。
おそらく、こういうことではないだろうか。カルト信者を相手に、キラキラした「夢の王子様」みたいなボーイズグループの歌と踊りの「夢の(虚飾の?)ステージ」をプロデュースしつつ、一方で自分たち以外のボーイズアイドルの存在を許さず、大手マスコミへの接待&圧力攻撃によってライバルの芽はつぶす・・・・・・みたいな、叔父と母の異常なビジネス手法は、もう先代までで終わりでいい、これからはグループとか美少年とか歌と踊りとかにこだわらず、俳優のみ、司会のみ、お笑いのみの芸能人を育ててもいいし、何なら女性芸能人をマネージメントしたっていい・・・というような「脱ジャニーズカルト商法」を思い描いているのではなかろうか。
あくまで私の想像であるが、もし本当にそうだとするならば、ジュリー社長という人は、母親や叔父とは違って意外とまっとうで常識的な人物なのかもしれない。
ちなみに余談の余談ながら、この藤島ジュリー社長が、かつての『金八先生』第1シリーズ(1979~80)の生徒だった(縁故採用?)というのは、迂闊にも今回の騒動が起こるまで、まったく知らなかった。この藤島ジュリー社長が演ずる生徒が主役の回(第8話)なんて、夕方の再放送で、小中学生の頃、何度も見てよく覚えている回だったのにも関わらず。
で、改めて見直してみた(たぶん日本中でシーズン1の8話だけ配信の再生回数が急激に伸びたことだろうw)。うん、藤島ジュリー社長の演じる「越智さん」にもたしかに問題はあるが、最初にテストの点数のことを茶化した同級生のほうもデリカシーがないわなあ。ひっぱたいていいとは言わんが、カッとなる気持ちはわかる(笑)。中三なんてまだまだ子どもだからしょうがないよね。
まあ、いずれにしても、今ではあり得ないドラマだわな。体罰を肯定するような描写も、男親と女親の「役割」についてのステレオタイプなセリフも、今では許されまい。それに、当時は気づかなかったが、あんなふうに親の子育てのありように対して平気で意見する教師たちなんて、当時も今でも現実にはあり得ないだろう。


(※20)

だからまあ、そこが「ジャニーズ=カルト宗教」と比定されるゆえんなのよね。
さっきの注で、公明党を引き合いに出したが、創価信者にとっては、山口那津男とか神崎武法といった議員に票を入れているんではなく、公明党という教団に票を入れているわけだからね。山口那津男に投票している信者は、山口という議員個人を応援しているわけではないから、仮に万一、山口那津男が離党して無所属で選挙に出たら、もう見向きもしないのだろう(それどころか、きっと裏切り者として攻撃の対象になるだろう。かつての竹入義勝のように)。
そのあたりは、たとえば岩手県の選挙民が、自民党だろうが自由党だろうが民主党だろうが「小沢一郎」個人にどこまでも着いて行く、というのとは対照的である。
そして、ジャニヲタというのは、小沢支持の岩手県民より公明党支持の創価学会員のほうに近い人が多いのだろう。
(そういえば、あまり関係ないが、私の旧友に、マルチまがい商法のAW社の「ディストリビューター」にハマった人がいて、15年以上前に、私も勧誘され、つきあい&話のタネで、洗脳集会に行ってみたことがあるが・・・いやあ、凄かった(笑)!噂にたがわず、まさに宗教だね、あれは。授業料というか見物料としては、決して安くはなかったが、それでも一見の価値はあったね)


(※21)

「信者」と書いて「儲ける」と読む・・・「儲」という漢字を作った昔の中国人が何を考えて作ったのかは知らないが、実に天才的な文字である(注・本当は「儲」は会意文字ではないw)。
池田大作も文鮮明も大川隆法もあの世で大絶賛だろう(←池田はまだ死んでないってw)。


(※22)

なお、これは男性のアイドルオタクにも言えそうなことだろう。
たとえば(あくまでたとえばの話!)、女性アイドルが男性プロデューサーやスタッフー仮に秋元氏なら秋元氏でもいいーに凌辱されたなんてことが明るみに出たら烈火のごとく怒っても、仮に先輩女性アイドルから強制百合行為につき合わされたなんて話があっても、そこまでは怒らないんじゃないかな、なんてふうに想像もできる。
ついでに言うと、もしジャニタレが女性マネージャーや女性芸能人に「たぶらかされた」としたら、たとえ双方合意の上であっても、おそらくジャニ信者はそのジャニタレ当人のことを「裏切り者」として憎むのではなく、「たぶらかした」女のほうを憎悪することだろう。もしアイドルオタクの男性だったら、むしろ「裏切り者」たるアイドル本人に怒りが向きそうな気がするんだが。
いや、正確なエビデンスもなしに勝手な性別決めつけをするのは厳に慎むべきこととはわかっているが、それでも個人的にはそうだろうなと想像する。


(※23)

この種の話題で思い出すのが、1992年のバルセロナ五輪で金メダルを獲った水泳選手の岩崎恭子さんが、どこかのネット記事で披露していたエピソードである。
オリンピック前は一般世間では全く無名だった当時中学生の彼女が、金メダルによってアッというまにスーパースター扱いになり、大会直後はテレビのバラエティー番組のオファーが続々と来たんだそうな。
で、そんな出演番組群の一つに、「ゲスト出演者の夢を叶えてあげる」みたいな企画があったのだという(いつの時代にもあるんだね、そういうの。30年経ってもバラエティーって大して進化してないのか?と思うが、それはさておき)。
それで、当時中学生だった岩崎さんは、(若気の至りで?)その頃ファンだったさるジャニーズアイドルに会いたいとリクエストして会わせてもらったんだそうな。そしたら、SNSのない時代なので「炎上」はしなかったが、その代わり、個人情報規制がまだ緩かった当時、自宅に怒涛のごとき勢いでカミソリ入りの呪詛の手紙が殺到したんだとか。それこそ100や200の量ではない単位で。文面にいわく、ブスのくせに生意気なんだよ、たかが金メダルぐらいで調子に乗るな、死ね、と(金メダルなんて一生無縁な人たちから「たかが」金メダルと言われてしまう岩崎さん、かわいそう・・・)。
大人になって冷静になって聞くと、中学生の子どもを相手に、よくまあそんなことできるなと、差し出し人のアタマを疑うような話ではあるが、まさにこれがジャニヲタクオリティなんだね、と、妙に納得できてしまう話でもある。たぶん、こんなような話はゴマンと転がっていることだろう。前注の仮説を証明するがごとき逸話ともいえようか。
改めて考えれば、あくまで岩崎さんはテレビでジャニタレに会わせてもらって、握手してもらって、一緒に写真撮ってもらって、お話ししてもらったという、そんな程度に過ぎない。翻って、ジャニー氏は、何百人、何千人という少年たちを何度も何度も繰り返し陵辱してきた。それこそ、終生トラウマが残るぐらいに。
普通に考えて、ファンの立場として怒るべき対象はどっちか。憎むべき対象はどっちか。比較にすらならないだろう。
にもかかわらず、昔から「ジャニーさん」は「おもしろい名物社長」としてファンから好感を持って語られ、たった一度、ジャニタレに「会わせてもらった」だけの岩崎さんは物凄い憎悪のターゲットになった。・・・・・・
これなどは、まさしく男性対男性ならたとえ本人が嫌でもおとがめなし、相手が女ならたとえ本人がOKでも絶対に許さない(本人でなく女を!)という、ジャニ信者のダブルスタンダードの典型例だろう。
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時事ネタを二つ(1)

2023-05-20 22:31:15 | 政治・経済・社会・時事
1 「がんばれウクライナ」的発想の転換、あるいは或る『箱根日記』伝


 今さらながらのウクライナネタを一席。

 いわく、「ロシアは『世界』を敵にまわし孤立!ザマア!」と。
 いわく、「『国際社会』はロシアを許さない(キリッ)」と。

 はあ~。そうですか。そりゃご立派なことで。
 てゆーか、あんたらのいう「世界」とか「国際社会」ってのは欧米のことだろ(笑)。地球上に200ぐらい国がある中の30ぐらいだろ。地球上に70億ぐらいの人間がいるうちの10億人程度だろ(※1)。

 ま、「一方的なロシアの侵略」と、別にそれは自体は全く否定しないけど。
 ウクライナがロシアの強圧下から離れたがって西側の庇護を求め、それを嫌がるロシアが身勝手な抵抗。と、その図式も否定しないけど(※2)。
 そもそも、ロシアを積極的に擁護しようという気もない。義理もない。誤解なきよう。

 でも、NATO側の勢力拡大意図が幾度も幾度も繰り返され、いい加減にしろ!というロシア側の立場も、賛同するかどうかは全く別として、ともかく存在していることはたしかである。
 ロシアというのは、帝政時代もボリシェヴィキ時代も割と平気で条約を反故にする国だったが、西側もまたNATO不拡大というロシアへの口約束を何度も何度も平気で反故にしてきたことは事実なのだから(※3)。


 ウクライナ「侵攻」と呼称して(※4)、ロシアが100%悪だと、ごく単純化されて報道されているこの戦争は、見方を変えれば、ウクライナを舞台にしたロシアと西側資本との利権争いでもあろう。
 だからこそ、欧米とそれに追随する国以外はーすなわち冒頭の「世界」「国際社会」w以外の国々は―案外、冷めているのではないか。

 アフリカ諸国も中南米諸国もロシアが正しいとは決して思っていなくても、欧米資本に踏みつけにされ、犠牲になってきた歴史があるだけに、ナイーブに西側の「正義」を信用するほどおめでたくはない。
 無論、インドも東南アジア諸国も同様に。

 独りよがり偽善の総本山アメリカ。そのアメリカと対等以上のパートナーだと本人らは思っているが、ハタから見るとアメリカの子分でしかない英国。そして、どこからどう見てもアメリカの腰巾着以外の何物でもない日本(※5)。
 第三世界から見れば、その見苦しさ、醜さ、うすらみっともなさはロシアと五十歩百歩かもしれない(※6)。

 わが国では、庶民向けのプロパガンダとしては、西側の利権云々とかいうことは一切言わずに、かわいそうな被害者のウクライナを救えとしか言わないが(※7)、アフリカの人々も中南米の人々もインドの人々もアングロサクソン資本の欺瞞はイヤってほど知っているから、そう簡単にはだまされない。
 ロシアとのエネルギー面での関係というのもあるが、それ以前にそもそも欧米の「正義」を無邪気に信じないというところがポイントである(※8)。

 私も同意見である。
 ロシアを信ぜず!されど、欧米も妄信せず!!と。


 ちなみに、東京裁判でインドの判事らが日本に同情的だったのも、根底には対英不信がある(敵の敵は味方!)。でも、そんなインド判事を英雄視する日本の「保守」が、なぜウクライナ問題では、アングロサクソン同盟の偽善物語(※9)を無批判に補強するばかりなのだろう(※10)。

 「戦争に巻き込まれた気の毒なウクライナの一般市民を救え」自体にはもちろん私も一切反対しないが、欧米がみんな正義なわけでも、欧米が単純な義侠心から「ウクライナをロシアから守ろう」としているわけではないことぐらいー言い換えれば、何らかの損得勘定なしに国家が動くわけないってことぐらいー、ちょっとでも世界史を知っていればすぐにわかるはずなのに(※11)。


(※1)

ネットでたまたま見た、とてもいい文章を以下に無断転載。

   私達の国のメディアの皆様方は、いつも発しておられる「国際社会」というお決まりのフレーズに対して、違和感や疑問を感じた事が一切無いのでしょうか。
   所謂「国際社会」というのは単なる「西側社会」という事なのではないのでしょうか。
   私達の国のメディアや西側メディアが「国際社会」がだとか「世界」がだとかおっしゃられておりますけど、それは真の意味での「国際社会」や「世界」ではないのではないのでしょうか。
   要するに「西側社会」が認めない、などというふうに正確な言葉で発信して下さいねということなんです。
   「西側社会」の価値観が「国際社会」や「世界」の価値観とイコールだといった主張は、西側諸国の大いなる傲りであって、大いなる自惚れや勘違いにほかなりません。ですので西側諸国の皆様方は、あなたがたの価値観が必ずしも万国共通ではないという現実を容認し、それに対して向き合う努力をなされますよう願ってやみません。

どんな人が書いたのかは、わからない。たぶん私より若い人なんだと思うが、本質を誤解せずに掴んでいて、素晴らしい。


(※2)

ちなみに、ここで書いた
「ウクライナがロシアの強圧下から離れたがって西側の庇護を求め、それを嫌がるロシアが身勝手な抵抗」
という図式は、「ウクライナ」を「キューバ」に、「ロシア」を「アメリカ」に、「西側」を「ソ連」にすると、ヒロン浜事件(ピッグス湾事件)の話にそのまんまなる。


(※3)

そして、そのNATO不拡大の口約束をキチンと文書化させず、(ロシア人から見れば)「だまされた」格好となることが、ゴルビーの評価がロシア国内で低いことの大きな理由の一つである。


(※4)

アメリカがやればイラク「戦争」、ロシアがやればアフガン「侵攻」(笑)。


(※5)

ジャイメリカ「正しいのは、いつもおれだ!!」
日ネ夫「そうそう!ジャイメリカはいつも正しい!」


(※6)

アメリカの号令下で、日本もその一員となって、腐れロスケや腐れシナを成敗する・・・というのが日本の右翼が大好物とする物語であり、逆に日本の頭越しにアメリカがロシアや中国と握手するというのが、日本の右翼が最も嫌がる展開である。
そう考えると、ロシアと取り引きしかねないトランプより、「悪の帝国」ロシアに対して妥協禁止で非難一辺倒のバイデンのほうが、日本の右翼にとっては、実はよほど「いい大統領」なのかも(笑)。


(※7)

CNNやBBCなど、西側の戦争報道とは、アフリカあたりでも日々いろいろなひどいことが起こっているのに、そちらには全く興味を示さず、ウクライナに関してだけ異常な熱量で肩入れ報道し、援助を呼びかけるというものである。
結局、白人国家のキリスト教文化圏で起こったことと非白人国家、非キリスト教文化圏の(彼らにとって)未開国で起こった出来事とでは関心度合いが違うということであろう。非白人国家で非キリスト教文化圏の我が国までそれに同調しているのは実に滑稽であるが。
欧米をキャッシュディスペンサーにするペテンスキー氏は、民主主義を守る正義の戦いだなどとうそぶくが、調べれば相当にダーティーな政権であり、ダーティーな政治家であるにもかかわらず、報道ではそういった面には触れず、悲劇のヒーローみたいにウソライナマンセー、ペテンスキーマンセーと一色。ロシア国内のプロパガンダ報道と案外五十歩百歩かもね。


(※8)

ユキチ以来の尊欧侮亜病患者の日本人にはわかるまいが。
日本人の、とくに「親米保守」と呼ばれる人たちは、全世界の人たちがG7を大好きで、逆にロシアや中国は(と、ついでに韓国もw)全世界からの嫌われ者だと無邪気に信じているが、願望と現実は違う(笑)。
ロシアや中国が、アフリカ諸国や中南米諸国や南アジア、西アジア、東南アジア諸国にとって、本当に頼りになるような信頼のおける国かどうかはともかく、欧米が自分たち本意で好き勝手にアフリカや中南米等を侵略支配してきたということ、それも単なる過去の歴史ではなく、いまだに搾取と差別が現在進行形であることを思えば、西側メディアがどんなに、ロシア=悪、欧米=正義と唱えても(プロパガンダしても)彼らに刺さるわけないわな。


(※9)

世界史をひもとけば簡単にわかることとして、ここ数百年の、米英アングロサクソン連合の本能というか、基本発想は、「特定の地域に自分たち以外の覇権国家ができることを嫌がり、何が何でも邪魔して封じ込める」である。
ナポレオン帝国ができればそれへの包囲網を作り、ドイツ帝国が統一され英国の強大な対抗馬になってくれば、それを封じ込めようと画策し、ロシア帝国の南下を妨害するために一時的に大日本帝国を利用するも、今度はその日本がアジアの覇権国家になろうとしたら、これまた全力でつぶし、もちろんナチスの欧州征服プログラムも阻止し、戦後はソ連を徹底的に牽制し、一時は「敵の敵は味方」で利用し合った中国も、中国自身が強大化したら、やはり封じ込めの対象となり・・・・・・と、とにかくおもしろいぐらいに首尾一貫しているのだ。
米英の行動原理はぶっちゃけ、これだけで説明がつく・・・と言っても言い過ぎではない。


(※10)

まあ、いわゆる「右」の人たちの中でも、疑米家の小林よしのり氏あたりはどう言っているのか知らんが。


(※11)

そして、私も「国際社会はロシアの一方的侵略を許さない!」なんて、バイデンが演説している映像など見ると、
「そうそう。呼ばれてもいないのに軍事力にものを言わせて他国に侵犯して、自分たちの都合のいいように現状を書き換えようとする、そういう身勝手なならず者国家ってあるよね!そういえば、2003年頃にもそういう国、あったよね。たしか、その国はアメリカとかいう国じゃなかったっけ?」
なんて、揶揄的な戯言を大人げなく吐いてみたくなったりもして。
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トランピスト修道院

2020-12-22 17:52:46 | 政治・経済・社会・時事
 いやはや、奇妙というか、何というか。
 アメリカ本国だけじゃなくて、日本の右翼の一部の人が、異常なまでにトランプ狂信なのには、はなはだ驚かされ、あきれさせられるね(※1)。
 一体、何が彼らをこんなによその国の選挙に熱くさせるのだろう?

 まあ、それは実は容易に想像がつくのだが。
 要するに彼ら(いわゆるネトウヨの人たち)は、トランプが中国に対し強硬的な発言をしてくれているのに「胸がすく」から、そんな正義の味方が選挙で負けるなんてことはあり得ない、あってはいけない、と、まあ、そんな動機づけでトランプに声援を送って、そして、負けてもいつまでもあきらめないんだろう。たぶん(※2)。

 でも、彼らの妄言というのは、哀れを通り越して滑稽なぐらいに、小学生でも論破できそうな稚拙な、というより支離滅裂な物言いだからなあ。・・・


 いわく、「今回のアメリカ大統領選挙(※3)の、90%なんていう投票率はあり得ない。日本を含む他の先進国の国政選挙投票率と比べても、高すぎる。バイデン側が不正をしていたからだ!」

 それは、全有権者に対しての90%ではなくて、投票者登録をした人の数に対しての90%でしょ。別に今回に限らず、いつもそんなもんなんじゃないの(※4)。


 いわく、「今回の選挙では、場所によっては、一時的に投票率が100%以上になったそうだ。これぞ、バイデン陣営が不正を行なっていた動かぬ証拠だ!」

 ああ、それは郵便投票の開票と有権者登録のタイムラグで一時的にそうなっただけね。未払い未収とその消し込みの順番がテレコになって一時的に残高がおかしくなったようなもん(←経理の人にしかわからないたとえをするな!)。


 いわく、「バイデン陣営の大統領選挙不正の『動かぬ証拠』が次々と出てきている。ドミニオン(投票用紙振り分け機)の異常など、既にユーチューブやSNSでいっぱい伝えられている。なのに、なぜCNNなどのオールドメディアは報じないのだ!?オールドメディアは、中共に闇で支配されているから報道しないに違いない。だから奴らは嘘ばかりつくのだ。信頼できる情報によれば、トランプは実は圧勝している。いずれ真実は明らかになるだろう!」

 中国に支配されているから報道しないんじゃなくて、事実である可能性が極めて低いから報道しないだけでしょ(笑)。東スポや夕刊フジなら読者の「願望」というか需要に合わせて誤報を流しても世間は許すけど、三大紙が誤報したら世間が許さないみたいなもので、ちゃんとしたメディアなら、情報の真偽判断に慎重になるのは当然のこと。
 だいたい民主党が大規模な不正なんてできるんなら、議会選挙のほうも民主党が圧勝してるだろ(笑)。もともと、一般的に言って、選挙に細工しやすいのは古今東西、政権党のほうであって、野党が大規模な不正をやって成功したなんてのは聞いたことない。

 それと、オールドメディアが嘘ばかりつくとか、真実を伝えるメディアは別にあるとかってのは、何が根拠なのだ?CNNが誤報を流しているとか、ニューヨークタイムズがフェイクニュースを流しているとか、あるいはどこぞのユーチューブの流す情報こそが真実だとか、そんなこと判定できる能力があんたらにあるのか(笑)?もしあるんだとしたら、凄いぞ(笑)。ネットで吠えてないで、アメリカに乗り込んで証明したらどうなの?キチンとした証拠が出せるのならね(※5)。



 ・・・まあ、こんなふうにおバカな人たちを揶揄していても全然生産的ではないので、これぐらいにするが、いずれにしても、アメリカの有権者は日本の憎中右翼の溜飲を下げさせるために自分たちの大統領を選んでいるわけではないからね。
 たとえ日本の一部の人が「中国に対して強硬なことを言ってくれる!うれしい!気持ちいい!胸がすく!黄門様!カッコイイ!」と、シビレていたとしても、アメリカ人は、日本のネトウヨの都合で自分たちの大統領を選んでいるわけではない(※6)。
 現実問題、嘘つき(※7)で差別主義者の下品な人物をいつまでも国の顔にしているわけにはいかないと、ごく当たり前のことを考える人が多かったという、至って当然の結果になっただけだろう(※8)。


 でも、一応言っておくと、2016年の大統領選において、内政のスタンスとしてトランプのような主義主張をする野党候補が出てきて、そして一定数がそれを支持したということは、ある意味でまっとうなことだとも思う。それは、人種差別発言をしてもいいという意味ではなく、反グローバリズムで自国優先、とくに雇用の視点から生産拠点の海外流出に反対し保護貿易を主張するというのは、現実にどこまで可能かは別として、野党ならそう主張して当たり前・・・と言っては語弊があるが、でも、まあ当たり前のことだと思う。ある意味、それこそ「愛国心」なのだから、そういう意味で日本の社民党や共産党なんか、トランプ的な日本ファーストを(もっと上品に)訴えたっていいと思う(※9)。

 そんなわけで、トランプが人品卑しいデマゴーグであるとかいうこととは別に、「自国ファースト」、イコール「グローバル企業の儲けより自国の労働者の雇用ファースト」というスローガンには、実は個人的には共鳴したいところもなくはない。
 それが偽らざる私の本音だったりもするのだ。

 そして、トランプが嘘つきであったこと、品がなかったこと、それゆえ大国アメリカの「国父」にふさわしくなかったことは否定しがたくとも、しかし、イランにて―結果として成功判断と見るか否かは別として―戦争しようと思えばできる状況下でそれを踏みとどまった、アメリカ史上まれに見る最高指揮官であったことは記憶されていいし、いつの日か再評価されてしかるべきだと思うのだ(※10)。



(※1)
ちなみに、日本の右翼は、民主党が親中で、ならば一方の共和党が反中の同志でいてくれようと、そんな動機でトランプを応援していたようだが、実は伝統的一般的傾向としては、民主党政権のほうが、「他国の人権問題を憂えて『民主主義の輸出』をしたがる」というお節介体質から、中国に対して声高にあげつらう傾向が強い。
さらに余談の余談として。上記の通り、民主党政権はその「お節介体質」ゆえに、アメリカ企業のための「売り込み」に官民一体で協力する、みたいな日本の財界にとっては迷惑な性癖もあり、それゆえ、日本の政財界は、押しつけがましい民主党政権よりレッセフェールな共和党政権のほうを歓迎する傾向にある。理念的なことではなしに。


(※2)
「右翼っぽい」というだけで、トランプを安倍晋三に似ていると捉える人もいたかもしれないが、あまり適切ではない。安倍は、「バカな世襲政治家」という共通点から、トランプよりむしろジョージ・W・ブッシュに近い。そして、トランプは「品性下劣な政界アウトサイダーのレイシスト」という共通点で、安倍より橋下徹に近い。
そう考えると、トランプがブッシュ親子のような保守本流ではなく、異端だったのだということも理解しやすいか。何しろ、副大統領も上院議員も下院議員も州知事も経験せず、職業軍人だったこともない大統領というのは、200年以上に及ぶアメリカ大統領史上、トランプが唯一のはずである。


(※3)
アメリカ大統領選の、「州ごとの選挙人総取りを競う間接選挙」という陣取り合戦的なややこしいシステムについては、選挙速報報道で日本でもおなじみになったが、「普通の選挙ルールだったら勝っていたはずの人が負けて、普通の選挙ルールだったら負けていたはずの人が勝っちゃう」という奇っ怪な現象が起こるのが特徴である。
実際の選挙人方式の本選挙だと、ビル・クリントン以降の、1992年から2016年までの大統領選は民主党4勝、共和党3勝だが、もし普通のルールだったらと仮定してみると、何と民主党6勝、共和党1勝となるのだ。まあ、そういう意味でマイケル・ムーアが憤慨するのもわかるし、現に理不尽な負け方をしたアル・ゴアやヒラリー・クリントンにとっては終生納得はいくまい。
この、一般投票の得票数と獲得した選挙人の数のねじれというのは、歴史をひもとくと、19世紀にも例のあったことだが、なぜかその時も必ず得するのが共和党、損するのが民主党だったというのがおもしろい。
ということは、民主党側から見れば、僅差ではダメで、大差をつけないと本当には勝てないということになるし、共和党から見れば55対45なら勝てるのは当然として、45対55でも実は勝てるハンデ戦ということになる。次の注で触れる有権者登録制度の運用とともに、こういう一種のアファーマティブアクション的な下駄によってアメリカの二大政党制は維持されている(そうしないと民主党だけが勝ち続けて、そのうちヒスパニックばかりが大統領になってしまう?)ということも、ふまえておいて損はなかろう。
なお、余談の余談になるが、オリンピックイヤーの11月に州ごとの選挙人選出という方式で選ばれるアメリカの大統領選挙というシステム、それを含めたアメリカ中央政治の基本システムは、18世紀後半の建国以来、全く変わっていない。日本で言うなら、田沼意次や松平定信、平賀源内や本居宣長の生きていた時代から全く変わっていないのだ。
アメリカ合衆国といえば、「新しい国」というイメージがあるが、政体の連続性という視点でみると、日本よりはるかに「古い」国である。中国より韓国よりロシアよりはるかに「古い」国である。フランスよりドイツよりはるかに「古い」国である。意外と見落としがちな部分であるが、本当にそうなのである(これは岩波新書のアメリカ史の本からのイタダキ)。
改めて考えると、ジョージ・ワシントンという人は、やっぱり偉大だったんだね。当時の常識からすれば、国と言ったらイコール君主国なのだから、周りもみんなワシントン王朝ができるのかとばっかり思ってたら、選挙で選ぶ大統領という、当時ほとんど誰も知らない制度を創始(だから、「アメリカ独立『革命』」と呼ばれる)。しかも、スターリンや蒋介石のように「死ぬまで権力を手放さない」ではなく、潔く2期8年で引退して、院政も敷かず、もって後世の前例となし、もちろん北朝鮮やシリアのように「共和国のはずなのに世襲国家」などというアホなことも一切なく・・・と、その先見の明と無私の潔さには本当に頭が下がる。


(※4)
ちなみに、アメリカの場合、本音と建て前の使い分けというか、日本みたいに18歳になれば誰でも自動的に投票用紙が自宅に送られてくるので選挙に行きたきゃ行ける、ではなくて、投票者登録みたいなのを自分でしないといけないわけね。
で、この登録は、白人は簡単に受け付けてもらえるけど、黒人や移民には登録まで屋外で何時間も行列させたり、面倒な手続きを課したりして、「もういいや、めんどくさいからやめた!」と仕向けるようにできているんだそうな。
あらゆる「チート」な手段を使ってでも有色人種を投票に行かせまいとする、先進国とは思えないようなあさましい現実が横行するアメリカと、制度上は思想信条にも階級にも関係なく誰でも投票に行けるけど、実際は誰も選挙に行かないから、ぶっちゃけたとえ内閣支持率1%でもたぶん政権交代は起こらない、だから与党は実は何の心配もしていない、という日本と、民主主義国としてどっちがまともなのか、わからないな。


(※5)
それにしても、その「いずれ真実が明らかになり、トランプが勝利する」の「いずれ」ってのは、いったいいつのことなのかね。
11月の選挙直後には、「もうまもなく正義の司直判断が下される」で、12月半ばの選挙人投票の時期には、「選挙人投票のときにひっくり返るのだ」で、たぶん、今は「1月20日の就任式までには真実が明らかになりバイデンは逮捕されるのだ」で、そしたら、就任式以降はどう言うつもりなのかな(苦笑)?


(※6)
そもそも―今さら当たり前すぎるぐらい当たり前のことだが―外交は、アメリカ大統領の仕事の一部でしかない。
FDRもトルーマンもJFKもLBJもニクソンもクリントンも、本国での歴史的評価は、まずは景気や雇用、社会政策等の内政面での評価がありきで、その次に戦争を含めた外交政策の評価という順番になろう(現にわれわれ日本人が日本の歴代首相をそう評価しているように)。
当然のことであるにもかかわらず、日本人はここのところを意外と見落としている。
とかくわれわれは、FDR=パールハーバー、トルーマン=原爆、LBJ=ベトナム、ニクソン=電撃訪中、と、外交・戦争の面ばかりを見て評価したがり、ともすれば、彼らに国内向けの仕事があることを意識すらしなかったりする。
そして、そんな彼らの内政面の業績をちゃんと視野に入れなければ、なぜ日本の歴史修正主義者にとっての「永遠の悪者」FDRの評価が米国内で高いのか、なぜ60年代の日本の反戦全共闘世代にとって評判が悪かったLBJの評価が米国内で高いのか、わからないだろう。


(※7)
誠実とは言いがたいニクソンやレーガンであっても、品行方正とは言いがたいビル・クリントンであっても、理知的とは言いがたいブッシュ・ジュニアであっても、紳士的とは言いがたいリンドン・ジョンソンであっても、トランプのように前の大統領に対して、「アメリカ生まれではない。大統領の資格がなかったのだ」などと、デッチアゲの言いがかりをつけたりはもちろん一度もせず、ちゃんと前任の国家元首に対する最低限の礼節は守っていたはずだ。


(※8)
ただし、バイデン氏が未曽有の得票数で圧勝したからと言って、大統領として今後ずっと安泰なわけでは決してなかろうというのは、誰でも簡単に予測できてしまうところである。
周知の通り、バイデン氏は自身が政治家として積極的に支持されたというより、「とにかくトランプじゃなければ誰でもいいんだから!」という良識派の総出の投票で大統領になったという、ある意味でタイミングに恵まれたラッキーな当選者なのだから。
それゆえ、4年後に、トランプかあるいはそのポジションに近い誰かに再びやられる可能性は十分にあるだろう。積極的支持でない勝利がいかに脆いかは、われわれ日本人も国政・地方政治で幾度も味わいつくしているはずである。だから、アメリカの良識派市民の皆さんもくれぐれも気をつけないと本当に危ういで!


(※9)
いや、しているのかもしれないが。マスコミに大きく取り上げてもらえてないだけで。


(※10)
なお、過去におけるアメリカ大統領のこのような稀有な英断としては、1956年に起こったスエズ動乱(第二次中東戦争)に、あえて介入しなかった例がある。
時の大統領はノルマンディー上陸作戦で有名な元陸軍元帥のアイゼンハワー。やはり戦争の何たるかを熟知する軍人あがりだからこそ、安易な軍事介入を避けるという冷静な判断ができたのだろうか(小ブッシュに爪の垢を煎じて飲ませたかった!)。この時、他ならぬアメリカ大統領が「侵略者」・「ならず者国家」たるイスラエルに対し、毅然とした、適切な対応をしたという事実は、後世の歴史を知る者には涙が出るほど感動的な、今では信じられないような話である。
アイゼンハワーといえば、Dデイの英雄として語り継がれる一方、大統領としては、FDR、トルーマン、ケネディ、LBJ、ニクソンらと比較して、「何もしなかった人」だと思われがちだが、スエズにて安易な武力行使をせず、冷戦時代にあっても軍事費増強をあまりせず、むしろ例の退任演説時には軍産複合体の肥大化に警鐘を鳴らした、ものすごくまっとうで、ものすごく良識的な大統領だったとして、もっともっと再評価されてもいいのではないか。
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年号論ノート(4)

2018-05-11 18:22:34 | 政治・経済・社会・時事
4 年号は誰のために


 現在の年号「平成」がスタートしたのは1989年、今からおよそ30年前であるが、ご承知の通り、その30年の間に、実社会のシステム化・IT化というものは著しく進んだ。
 今や官公庁でも民間企業でも1989年時点とは比較にならないほど、多くの業務がコンピュータシステムによって制御されるようになっている。

 中央省庁、都道府県庁、市役所・町村役場、税務署、法務局、警察署、裁判所など、あるいは民間でも銀行や病院など、基本データを目下年号(元号)で管理しているところにとって、もし急に天皇死去という事態になったら、いったいどうなるのか。
 その場合の混乱は、30年前とは比較にならないはず。大袈裟な言い方をすれば、日本列島麻痺っていうぐらいのパニックになりかねない。


 そのことをふまえれば、今回「生前退位」の決定が強行された理由も十分に推察できる。
 もし仮に「ご高齢の陛下のご負担の軽減」だけが目的だったら、当人の意向はどうあれ、公務を次期天皇に委譲するだけで、形式的な帝位までおりなくてもいい(※16)。そうではなく、天皇交代という期限をはっきりと決めたがっている理由は、この年号とシステムの関係の都合(事前準備の都合)に他ならない。
 と、これは私に限らず、誰でも想像できることだろう。

 ということは、本当は誰のための「生前退位」なのだろう。
 天皇のためなんだろうか。それとも年号のためなんだろうか。
 天皇のために年号があるのか。年号のために天皇がいるのか。
 と、首をひねらなくもないところである。

 とりあえず、当今の明仁天皇(敬称略)が改元予定日まで無事に生きていたとしても、それまでのシステム改変や何かでいったいどれだけの手間ひまと、そしてお金(役所の場合、原資はもちろん血税)がかかるのだろう。


 私はまあ、率直に言って、合理性の面から見れば年号は「百害あって一利なし」に近いと思っている。
 しかし、ただちに年号をまるごと廃止すべきだ、とも言わない。
 それは、「日本の伝統文化」だから、などという「伝統とは起源の忘却なり」(フッサール)と揶揄したくなるような事実誤認で言うのではなく、西暦とてベターではあってもベストではないからである。

 西暦はたしかに、ヒジュラ暦や仏暦と比べても、そもそもの起源をあまり意識せずに使える、比較的フラットな暦と現状なっている。が、そうは言っても、もともとはイエスの誕生の伝説を起源とする紀年法である。
 たとえば神社仏閣の関係者などは、使いにくい、できれば使いたくないと思って当然である(※17)。

 だから、天皇の代替わりごとに年号を作るという習慣自体はー日本オリジナルではなく中国発祥だと承知した上でー存続するならすればいいだろう。おおいに。
 そして、神社仏閣関係者をはじめ、すきな人、使いたい人はどんどん使えばいいと思う(※18)。


 しかし、上記、中央省庁、都道府県庁、市役所、町村役場、税務署、法務局、警察署、裁判所、そしてそれらに引きずられている銀行や病院、不動産業界などは、もういいかげん西暦ベースにしたほうがいいのではと思われてならない。
 お上がメートル法でなく尺貫法を使い続け、国民にも使わせたがることで、先述の通り、年号切り替えの際には、大はシステム構築から小は申請書類の作り直しまで、余計な手間とお金がどれだけかかるか。
 もし、本当に守るべき日本の素晴らしい伝統文化ならば、それはお金で買えない、損得換算すべきでないものだが、年号はそんなものでは全然ないし、第一、役所のデータ管理に使わなくなったからって、ただちに年号そのものが消滅するわけはない。もちろん、仮に公的機関が年号ベースから西暦ベースにデータ管理基準を変えたところで、君主制度そのものへの賛否や存廃とは何ら関係ない(※19)。

 たしかに、たとえば明治以来100年以上の法令文書改正履歴・判例履歴などを、遡及的に西暦に書き換えるとしたら大変な作業であろう。
 しかし、冷静に考えてみてほしい。本当に100年後も200年後も、現行の中国式年号を使い続けているつもりなのかと。100年後、200年後になったら、明治以降だけでも年号が10個とか15個とかになるはずだが、それでも使い続けていると言い切るのか(※20)。
 いつかはどのみち、尺貫法からメートル法に切り替えなければならない日が来るのではないか。

 もし冷静に真剣に未来のことを考えるならば、決断を下すのに、もうあまり時間はないのではないか(※21)。



【ご参考】
http://www.st.rim.or.jp/~k-kazuma/FS/FS106.html
http://blog.livedoor.jp/lunarmodule7/archives/4655627.html
https://love-guava.com/no-japanese-calendar/
http://皇室.net/gengou-haishi-614
https://afanlife.com/era-name-2/9441/
https://americagurashi.com/gengou-seireki-kouki/227/
http://lifes-bright.com/gangou-giron-naiyou



(※16)
なお、いい悪いはともかくとして、明仁天皇(敬称略)が明仁上皇(敬称略)となった場合は、いざ本当に病気になったり他界したりしたときの報道などの扱いが大幅に簡略化されるであろうことが予測される。
たとえば海外の大物政治家などでも、現職の国家首脳が在任中に死んだ場合と、既に引退してから死んだ場合とでは、歴史的な毀誉褒貶とは関係なく、報道の扱いの大きさがまるで違う。もしトランプ現大統領が今、急に死んだら大ニュースだが、ブッシュ・シニア元大統領がもし死んだとしても、通りいっぺんの訃報という程度の扱いになろう(たとえば、フィデル・カストロ元議長なんかも、既に引退してから死んだため、現役のまま死んだ毛沢東やブレジネフに比べて、ニュースとしては、とても小さな扱いだった)。
だから、いい悪いは別として、「生前退位」によって、明仁天皇(敬称略)が当今(現職)でなくなれば、もし病気になったり死去したりしたとしても、昭和天皇の最期のときのような、異常なまでの時代錯誤的「自粛」ムードという無言の強制は、だいぶ軽減されることになるのではないか。たぶん。


(※17)
私自身も、既に述べた通り、必ずしもキリスト暦の使用を積極的に良いと思っているわけでも何でもない。
ただ、西暦使用に関して、
「何で、キリスト教国でもない日本で、キリスト教の暦を使わなければならないんだ!」
と、頭から湯気を出して吠えている御仁がいたら、私は逆にこう質問してみようか。
「そうですか。じゃ、今日は何年何月何日何曜日なんですか」
と。
そうすると、以下、こうなる。
「平成30年5月11日の金曜日に決まっとるだろうが!」
「ふ〜ん・・・そうですか。・・・でも、その5月11日というのは、グレゴリオ暦といって、16世紀後半の、日本でいう織豊時代に、ローマ教皇の命令で制定されたカトリックの暦ですよ?だから、革命前のロシアなんて、正教会の国としてカトリック歴は使ってなかったぐらいのもので。日本のもともとの非キリスト教の暦は、太陰太陽暦の天保暦です。いわゆる旧暦です。2018年という年の数え方は拒否するのに、日にちはカトリックの暦に従うんですか?西暦という暦は、年だけじゃなく月日まで含めての西暦なんですよ?」
「・・・・・・」
「それから、金曜日だとかいう「曜日」という概念、「一週間」という概念も、ユダヤ・キリスト教から来たものですね。旧約聖書で、神が6日間で世界を創造し、7日目に休んだと書かれていることに由来すると言われてますね。だから、あちらでは日曜日は安息日で、休日なんです。キリスト暦を拒否するとおっしゃるなら、「曜日」に従って生活することも、ただちにやめなければいけませんね」
「・・・・・・」
・・・と、まあ、もし実際にこんな問答したら嫌われるだろうから、あえてしないけどさ(笑)。


(※18)
もっとも、それならば神道関係者は皇紀を使えばいいし、仏教関係者は仏暦を使えばいいじゃないかと言ってしまえばそれまでだが(苦笑)。


(※19)
そんなことは当たり前である。
年号があろうとなかろうと、尊崇される王朝は尊崇されるし、尊崇されない王朝は尊崇されない。
一世一元の制度によって「皇帝が国土と人民と、そして“時間”をも支配する」としていた清帝国は、辛亥革命によってあっさり滅んだ。
いっぽう、仏暦を使うタイ王国は国王在位期間とイコールの中国式年号など採用していないが、国民の間で、君主制度への支持が圧倒的に強いことで知られる。
わが国にしてもそうで、年号制度(正確には年号を公的機関で基準とする制度)への賛否と君主制度への賛否は別である(君主制そのものについては、いつの日か、次の世代の日本人が、身分制度のある国とない国のどちらがいいかを虚心坦懐に見つめ直し、考えてくれればそれでいいだろう)。
もしロイヤリスト(君主制支持者)が、公的機関における基準紀年法の切り替えを主張したとしても、何ら矛盾することはない(ちなみに、小谷野敦氏が書いている通り、ナショナリスト(愛国者)とロイヤリスト(尊王者)は別の概念である。愛国者にして共和主義者、という人間がいたって何の不思議もない。フランス革命の歴史を学べば誰でもわかることである。さらについでながら、母国・郷土を愛することと、過去及び現在の自国政府の行為すべてを肯定するかどうかというのも、もちろん別のことで、ナショナリスト(愛国者)と体制支持者が一致するとは限らない。だから当然、非体制派が非愛国者ということになるはずもない)。


(※20)
現行の明仁天皇(敬称略)の年号「平成」が約30年で終わった後、目下の継承優先順位によれば、徳仁天皇(敬称略)、文仁天皇(敬称略)、悠仁天皇(敬称略)の順で即位することになるはずだが、年齢的に考えて、文仁天皇(敬称略)は、たぶん80歳ぐらいで即位して、死去するまで数年間の在位、とかいうことになりかねないよね。
それでもいちいち年号を切り替えるのだろうか(不謹慎だとか言う人もいるのだろうが、生身の人間である以上、私たちみんながそうであるように、天皇だって、日本の平均寿命とそう大差ない年齢で死亡すると考えるのはいたって当たり前のことである)。


(※21)
平成改元から四半世紀あまりの間に、世の中がここまでIT化、グローバル化するとは、予想外のことだっただろう。
今より世の中がずっと単純で「何となく」でまわっていた前近代と違って、今のような緻密な数字計算で動かされている時代に、10年後どころか来年、さ来年でさえ正確に表せない(かもしれない)、そして日本以外にはどこでも通用しない紀年法を公的機関が意地でも使い続けようとするのは、はたしてまともな発想なのだろうか。
もし仮に、役所、裁判所、警察などが思い切ってデータシステムを西暦ベースに変えたとしたら、驚くほどあっというまに世の中から年号は激減するだろう(もちろん、先述のように神社仏閣関係の、たとえば墓碑銘なんかのために年号そのものは存在しておおいにけっこうだし、年賀状には西暦じゃなく年号のほうがしっくりくるという人がいたって、無論おおいにいい)。現在、年号ベースで動いているものは強制力、あるいは習慣的惰性でそうなっているに過ぎないものが多いので、もし公的機関が「決断」したら、世の中全体から、あっけないほどにあっさりと年号は姿を消すかもしれない。
少なくとも、もし役所が2019年以降もかたくなに年号ベースを貫いたとしても、一般社会では(年号不使用に対する強い罰則でも新規に立法されない限りは←自民党憲法草案を見た限りではそんな荒唐無稽な話もあり得ない話ではない)今より年号が使われなくなることはあっても、今より広く使われるようになることはないと思われる。つまり、年号使用局面は減ることはあっても増えることはないと容易に予想できる。
コメント (4)
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