
これは、何らクリエイティブな考察ではない。ちょうど以前の『私の好きなククルス・ドアンたち』と同じく、ダラダラとした連想雑記である。
主に漫画における「第四の壁を破る」表現についてである。
第四の壁(※1)を破るというのは、演劇のほうでの用語で、作中のキャラが自らをフィクションの作中人物であると自覚して、そのように自分で言及するような手法のことである。
たとえば、舞台上で、登場人物同士の会話をしていたのが急に観客のほうを向いて、
「ねえ?皆さん」
なんて話しかけたりするような(※2)。
本来なら、舞台の上手(かみて)=右側と下手(しもて)=左側と、それからホリゾント=奥側とに劇中世界を取り巻く「壁」があるように、舞台の手前側=観客席と舞台上の間にも見えない「壁」があり、そこで「世界」は隔たっており、設定上は舞台から観客席は見えないー見えるはずがないーものである。
もし、その第四の壁、すなわち舞台上と観客席の間の見えない壁が破られてしまったら、それは、舞台上の登場人物たちが、これはお芝居だ、自分たちはお芝居の登場人物だと自覚していることになる。「第四の壁を破る」行為とは、そんな意図的なメタフィクション表現である。
映画やドラマでは基本的に少ない。とくに、時代劇や西部劇、歴史ものでは、映像でも小説でもまずあり得ない(※3)。
ただ、ミステリー小説、とくに海外ミステリーにおいては、解決編前の「読者への挑戦」という語りかけはよくある型で、これを日本のテレビドラマでそのまま取り入れた『古畑任三郎』(1994他)の、クライマックスで暗転する「視聴者への挑戦」はおなじみだろう(※4)。
ミステリーを除く一般の映像フィクションでは第四の壁を破った観客・視聴者への語りかけはやはり少ないが(※5)、それでも洋画『花嫁のパパ』(1991)や邦画『タンポポ』(1985)など、いくつか思い出せるものはある(※6)。『アニーホール』(1977)にも、そんなシーンはあったろうか、なかったろうか。
そうそう、黒澤明の初期の隠れた名作にして異色作『素晴らしき日曜日』(1947)を忘れちゃいけない。あれこそ、「第四の壁を破る」とは、というサンプル教材にしたいぐらいの典型的なシーンだった。たしかに、あの時代の日本映画で、しかも、全体的に暗い雰囲気の作品の中で、最後のほうになっていきなり第四の壁を破って画面から観客に語りかけてくるというメタ実験をやられても、あまりに唐突すぎて、感動より違和感が先に立つというのが正直なところだが。
それから、個人的に大好きな映画黄金時代のプログラムピクチャーシリーズの一編、『続社長外遊記』(1963)の最後のところでは、八方まるくおさまって、めでたしめでたし、のオチがついて、主役自らが「出来すぎだよねえ?」とカメラ目線で観客に語りかけるというお遊びがある。上記『素晴らしき日曜日』のような真面目な「名作」じゃない軽い娯楽作だから、違和感もなく、普通にクスリと微笑むことのできるシーンである(※7)。
特撮ものにも、第四の壁破りはある。
ウルトラシリーズ最初期、『ウルトラマン』(1966~67)の第2話『侵略者を撃て』―あの非戦闘員の一般市民を大量ジェノサイドする非道い回―なんて、かなり露骨に「テレビの前のお友達」に話しかけている。
また、子どもの時には気づかなかったが、『帰ってきたウルトラマン』(1971~72)の43話『魔神月に吠える』では、伊吹隊長(根上淳)(※8)が車のラジオで、ペギー葉山『南国土佐を後にして』を聴いているという場面があり、こういうメタギャグシーンは、ウルトラシリーズではかなり珍しい。テレビを見ている子どもは、根上淳の妻がペギー葉山だなんて知らないって(笑)。
では、漫画はどうかと言うと、漫画においても、第四の壁を破るのは、そんなに日常的なことではない。萩尾望都も里中満智子も竹宮恵子も池田理代子も大和和紀もまず破ることはなかった(と記憶している)。
やはり、第四の壁を破ることがあるのは、シリアス系よりギャグ系である。当たり前のことかもしれないが。赤塚不二夫なんて、バカボンのパパが読者に向けて語りかけるのが日常茶飯事すぎて、かえって新鮮味がないくらいである(※9)。
が、たとえば、あだち充は一度もやったことないだろうし、高橋留美子あたりでも私の知る限りではない、んじゃなかろうか、たぶん(※10)。
『巨人の星』にもそんな場面は皆無だった。
でも、意外と『キャプつば』にはあったな、そういえば。そう、あの、中沢早苗の、
「ほら!これ読んでる女の子、翼くんを応援しちゃダメよ!」
と読者に語りかけるサムい場面だ(※11)。
他にも、同じ時代のジャンプで、『Dr.スランプ』も、アラレちゃんが未来カメラを読者に向けたり、「このページ」を切り抜いて本物マシーンに入れたり、作者が作者という立場で作中に出てきたりといった第四の壁を破る場面はいくつも思い出せる(※12)。
『亀有』も、さすが長寿作品だけあって、やはり第四の壁を破る該当シーンはけっこうある。たとえば、ロボット派出所をぶっ壊せという投書が来たぞと両さんがダメ太郎を叱りつける回(60巻)。あるいは、かなり古い話だが、「劇画刑事・星逃田」をフィーチュアした2作(17巻、18巻)。
あとは、やはり同時期の『ジャンプ』の人気作『奇面組』での、『3年奇面組』時代の、腕組のリーダー塊がたびたび言う「この勝負に勝った者が、この漫画の主人公になることにしよう!」、天野さんの初登場回での「何見てんだよ?『奇面組』なんて読んでるとアホになるぞ」(←カッコイイ!)、あるいは、担任の伊狩先生の自宅に病気見舞いに行く回で、ヒロインの一人である千絵ちゃんが欄外の作者に向かって髪の毛の斜線をホワイトで消してくれるように頼み、伊狩先生に扮するというギャグなどは、メタセリフギャグの王道と言えよう。
また、小学館系統で、長寿漫画『あさりちゃん』の初期の作品で、家に届いたカステラを食べちゃったら、他の家あてに来た贈答品だった?と、パニックになる回で、「〇〇ページの〇段目の台詞を読め!」と、漫画ならではのメタツッコミをしていた場面も思い出される。
さらに同じ小学館系統の長寿作品『釣りバカ日誌』も忘れてはいけない。巻数は覚えていないが、たしかハマちゃんが、映画『釣りバカ日誌』を見たという話を佐々木課長にしているメタギャグ場面があった。
だが、やはり何と言っても第四の壁を破るギャグが大好きなのは藤子F不二雄だろう。
もっとも、作品で言うと、なぜか『ドラえもん』ほぼ一択で、『パーマン』でも『21エモン』でも『ウメ星デンカ』でも『キテレツ大百科』でも思い出せないのは少し不思議なところだし、相棒の藤子不二雄Aにしたって、Fとの合作の『オバケのQ太郎』はじめ、『忍者ハットリくん』にも『怪物くん』にもなかったと思う。とくに、『まんが道』や『少年時代』で第四の壁を破る表現は想像もできないぐらい、あり得ない。
しかし、なぜか『ドラえもん』は複数回あって、またそれが非常に印象に残っているのだ。おそらく、私が生まれて初めて知った「第四の壁を破るメタ表現」であったからだろう。
サブタイトルで言うと、「苦労味噌」がそれにあたる。怠け者ののび太に父が意見してやろうとすると、のび太が、
「お説教なんてつまらない。この漫画の人気が落ちる」
と、驚嘆すべきセリフで口答えする。
それに対し、父が
「いや、2ページほどやる!」
と、さらに驚くべきセリフを返す。この作品を最初に読んだ小学校低学年当時の自分は、「第四の壁を破る」手法なんて、まったく初めてだったから、一瞬、何が起こっているのか、意味さえわからず、呆然とするばかりであった(※13)。
が、ほどなく、他の『ドラえもん』でも、「念録マイク」の回で、ドラえもんが道具を出すときに、のび太が「やけに早いな」と言うと、ドラえもんが「この漫画は6ページしかないんだから、急がなきゃ」と真顔で答えるなんていうシーンを見たりもして、徐々に意図的なギャグとしてキャラクターに言わせているのだということを何となく理解していった(※14)。
おそらく藤子F不二雄にとって、タイムパラドックスのメビウスの輪に次いで、お気に入りのネタだったのに違いない(※15)。
そして、漫画の神様・手塚治虫。
手塚先生の作品は膨大な量になるので、「第四の壁を破る」シーンも探せばたくさん出てくると思うが、とりあえず私が思い出すのは、『ブラックジャック』の中でも名作の一つ、「幸運な男」の回。この回の主人公がラストシーンで空港から旅立つ時、見送りに来たブラックジャックになぜわざわざ見送りに来たのかと問うと、ブラックジャックは「私の出番が少ないからさ」と答えるという、あの小粋なシーンである(※16)。
本邦の漫画作品における第四の壁を破るメタ表現の元祖が何であるかは正確にはわからないが、ただ、戦前、藤子F不二雄も手塚先生も子どもの頃に愛読していたであろう田河水泡の『のらくろ』に、のらくろが読者に向かって語りかけるという場面は既にある。
たとえば、『のらくろ少尉』の時期の慰問袋の回で、最後のコマで、「読者の皆さんで、本当に慰問袋を送りたい人は関東軍(!)まで」と、時代を感じさせるメッセージを発する箇所など(※17)。
で、その田河水泡と言えば、『あんみつ姫』の倉金章介や『猿飛佐助』の杉浦茂、『名探偵カゲマン』のやまねあおおに、『かばどんとなおみちゃん』のやまねあかおに、落語漫画の滝田ゆう、そしてトキワ荘の異端児・森安なおやなど、多くの漫画家を育てた名伯楽であるが、言うまでもなく、彼ら門人の中でダントツに有名なのが、「国民的漫画家」として、手塚治虫先生も石ノ森章太郎先生も水木しげる先生も蛭子能収先生も貰ってない国民栄誉賞を漫画界でただ一人授与された、かの長谷川町子(※18)であろう。
長谷川町子といえば、漫画家としては、技法的にはトラディショナルな戦前育ちということで、決してイノベーターとして語られることはない人ながら、こと「第四の壁を破る」メタ表現に関しては・・・実はやっているのだ。
アニメの最後のジャンケンポン・・・のことじゃない。たしかにあれもメタ表現と言えばメタ表現だが、私が言いたいのは、原作のほうのことである。
とりあえず『サザエさん』原作で思い出せるところは二つ。
サザエが洗濯物を干しながら『お座敷小唄』(♪富士の高嶺に降る雪も京都先斗町に降る雪も雪に変わりはないじゃなし♪・・・という、あれ)を歌っていると、波平が
「歌なんてやめろ」
と注意する。そしたら、サザエが、
「いや、この歌は作詞者未詳だから、歌ってもいいのだ」
と答え、著作権の明確な歌を作中に出すとJASRACから使用料を取られるが、という事情を説明する。で、波平も、ならば良い、と一緒になって歌う・・・という話で、TSG(東京サザエさん学会)の岩松研吉郎先生(※19)も指摘するように、漫画としては、面白くも何ともない、というより、さっぱり意味がわからない「怪作」である。初めて読んだとき、小学校低学年だった私も、もちろん意味はまったくわからなかった。
長谷川町子は、師の水泡とは対照的に、人一倍、著作権にうるさい漫画家だったから、作詞家の作品引用使用料にも興味があったんだな、なんていうのは、後付けの理解に過ぎないし、そうしたバックグラウンドがあろうがなかろうが、くだんのメタ回が4コマ漫画としては、とても変な回であることには変わりはないじゃないかな。
それに対して、もう一つのメタ回、「今日の漫画はどうした」のほうは、4コマとしてちゃんと水準以上の面白さを備えている。
サザエたち家族がグダグダとゴロ寝しているところにやってきた波平が、
「みんな何してるんだ。今日の漫画はどうした」
と、のっけから思い切り第四の壁をぶち破って、いかりや長介ばりの叱責をすると、サザエだかマスオだかが、掲載日が大型連休かお盆か何かということで、
「どうせ新聞の漫画なんて、今日は誰も読まないでしょ」
と答える。
そしたら、波平も、
「それもそうだな」
と笑って、嬉しそうに自分もゴロ寝に加わる、という、なかなかシュールなオチである(※20)。
・・・ところで、この稿のオチは?
えっ!?ない!?!?
(※1)
なお、「第四の壁」は、本来、「だいよん」ではなく、「だいし」と読むものらしい。昔の日本語では「四」、「七」を「よん」、「なな」と読むことはほとんどなく、「し」、「しち」と読むものだったという名残りだろう。
新潟の第四銀行が「だいよん銀行」でなく「だいし銀行」であるように。金沢の旧制第四高等学校が「よん高」でなく「し高」であったように。京都の四条河原町が「よんじょうかわらまち」でなく「しじょうかわらまち」であるように。
まあ、赤穂の四十七士だって「よんじゅうなな士」じゃなく「しじゅうしち士」だし、弦楽四重奏も「弦楽よん重奏」じゃなくて「弦楽し重奏」だし、仙台の七十七銀行も「ななじゅうなな銀行」ではなく「しちじゅうしち銀行」だし、香川県の百十四銀行だって、「ひゃくじゅうよん銀行」でなく「ひゃくじゅうし銀行」だもんね。
四国地方だって、四角形だって、四面楚歌だって、シジュウカラだって、ジュウシマツだって、七難隠すだって、七福神だって、七面鳥だって、人の噂も七十五日だって、『二十四の瞳』だって、『七人の侍』だって、『狼と七匹の子やぎ』だって、『ヤマトナデシコ七変化』だって。
私が子どもの頃は、
「ああ、あんたももう四十(しじゅう)かい。あたしゃ、もう七十(しちじゅう)だよ」
なんていうおばあさんはよくいた。
まあ、改めて考えれば、今でも学校では「にしちじゅうし」とか「ししちにじゅうはち」とか「しちしちしじゅうく」とかって教えているわけだしね。
(※2)
歌舞伎で、大向こうからの「待ってました!」のかけ声に、役者が「待っていたとはありがてえ」と応ずる、なんていうのは、まさに演者と観客とでともに作るメタフィクションギャグである。
ちなみに、同じ伝統芸能つながりの連想で落語なんかでも、くすぐり(噺の途中に挟み込まれる小ギャグ)でメタギャグが使われることはよくある。
(※3)
ただ、時代劇において、あえて時代考証を徹底的に確信犯的に(誤用)無視しまくったり、あからさまに現代語を使ったりというギャグも、ある意味で広義のメタギャグと言えないこともないか?たとえば、『鴛鴦(おしどり)歌合戦』(1939)や『ピュンピュン丸』(1967他)や『仮面の忍者赤影』(1967~8)のような。
まあ、さらに敷衍すれば、『てなもんや』も『あんみつ姫』も『必殺』も『バカ殿様』もそうか。
あとは、相当マニアックなところでは、昔のTBSの新春スペシャルドラマ『徳川家康』(1988)で、秀吉が妹の朝日(駿河御前)を家康のところに正室(実態は人質)として送り込もうとするときに、嫌がって泣く朝日に、「泣~くな妹よ~、妹よ~泣くな~」と、古賀メロディ『人生の並木路』を歌うという「あり得ねー(笑)!」なシーンがあった。緒形拳のアドリブだろうか。
(※4)
『古畑』では、田村正和が西村まさ彦を相手に、眠狂四郎の真似をしてふざけるというシーンがあって、これなんて、まさに第四の壁を破るがごとき楽屋オチのお遊びであった。
これとよく似ていたのが、『踊る大捜査線』(1997)のスペシャル版(1998)で、織田裕二が『東京ラブストーリー』(1991)を見ているというギャグである。そういえば、『踊る』シリーズだと、「オイッス!」とか、「ダメだこりゃ」とか、「次いってみよう!」とかって、長さんネタも結構あったかも。
(『踊る』シリーズは、日本のテレビドラマでは例外的なぐらいにメタギャグの宝庫と言っていいだろう。そのあたりは、好き嫌いが分かれるだろうが)
(※5)
日本のドラマでは、『ムー』(1977)、『ムー一族』(1978~79)などは、ドラマとコントのハイブリットのような作品なので、「視聴者からのお便り」を紹介するような、『タイムボカン』シリーズ(1975~83)じみたお遊びが特徴的である。
その他では、『寺内貫太郎一家』(1974~5)や『アナウンサーぷっつん物語』(1987)の生放送回で、ハプニング的に視聴者に話しかけるなんていうのを除けば、第四の壁を破る表現は意外と少ない。
『気になる嫁さん』(1971~2)に、「ただ今、撮影中」なる全編に渡ってメタフィクションというアヴァンギャルドな回があったが、おそらくは本来の脚本が間に合わずに、無理やり放送日を埋めるためにねじこんだ掟やぶりのアクシデント回だったのだろう。
他に正統派なところでは、私が大好きだった朝ドラ『てるてる家族』(2003~4)などは、主人公が語り手を兼ねて、視聴者の皆さんに語りかける役割もしているので、メタ的と言えないこともないか。
(※6)
『寅さん』シリーズ(1969~95)は、山田洋次の主義として、メタフィクションギャグを含めた楽屋オチは嫌いなので、一切ない・・・と思いきや、意外にもある。
一つは、シリーズ全盛期にしてはイマイチな回、あの松竹本社のSKDテコ入れ命令でやむなく作らされた(想像)21作目『寅次郎わが道をゆく』(1978)で、冒頭の夢のシーンでUFOが出てきて空へ飛んで行くチャチい特撮について、登場人物らが
「頼りないUFOだな、あんなので宇宙に行けるのか」
「予算が足りないんだよ。アメリカ映画のようにはいかないさ」
と自虐的なメタセリフを述べるくだりがある。
また、後期の最後の水準作40作目『寅次郎サラダ記念日』(1988)では、寅さんが、20作目の『寅次郎頑張れ!』(1977)に出てきた、中村雅俊演ずる友人のワット君こと良介のことを話題にするときに、ワット君は作中設定では長崎県平戸島の出身なのに、「宮城県出身」と、リアルな中村雅俊のほうの出身地の名を出して紹介していた。個人的にはあまりセンスのいいギャグとは思わなかったが、これも一種の楽屋オチ的なメタセリフギャグだろう。
同じく、吉永小百合がマドンナ役の9作目『柴又慕情』(1972)では寅さんが『いつでも夢を』を口ずさんだり、桜田淳子がサブマドンナで出た16作目『葛飾立志篇』(1975)では巡回中の警官が『わたしの青い鳥』を歌ったり、松坂慶子がマドンナ役の27作目『浪花の恋の寅次郎』(1981)では寅さんが露店で「水中花」を売ってたりする(笑)。こっちのほうが、同じ楽屋オチでもセンスがいいね(ただ、28作目『寅次郎紙風船』(1981)の冒頭の夢シーンでの岸本加世子のメタセリフギャグは今一つかな)。
(※7)
あと、昔の日本映画ネタでもう一つ。
巨匠・木下恵介監督の往年のヒット映画『喜びも悲しみも幾歳月』(1957)のセルフリブート版『新・喜びも悲しみも幾歳月』(1986)の中に、登場人物に旧作『喜びも悲しみも幾歳月』のタイトルを言わせ、「あの映画は良かった~」と、臆面もなく自画自賛セリフを言わせる場面がある。
世界観的には旧作と新作はつながっているわけではないので、「第四の壁破り」のメタギャグの一種と言っていいのかどうかわからないが、まあそれでもやはり一種のメタギャグだろう。それともギャグでなく、大真面目だったのか?封切り当時の映画館での観客の反応はどうだったんだろう。気になる。
作品自体としては、旧作も新作も私はなかなか好きなのだが(そういえば、古い日本映画などはほとんど見ない昔の心友が、珍しく『喜びも悲しみも幾歳月』はいいと褒めていたのが印象的だったものである)、この自画自賛シーンは、ギャグであれ大真面目であれ、ちょっとダサイと言わざるを得ないか。
『新・喜びも悲しみも~』の公開当時、舞台演出家の鴻上尚史氏が週刊誌のコラムで同作を酷評していたが、まあ、当時の流行りから見ると古臭い、ダサイ映画だったという点で、揶揄されてもしかたなかったのだろうか。映画としての芸術的良し悪しとは別に、向バブルの時代に「イケてる」映画に見えたかどうかという意味で。
(※8)
ちなみに、『帰ってきたウルトラマン』では、番組の前半5分の2ぐらいのあたりでMATの隊長が塚本信夫の加藤隊長から根上淳の伊吹隊長に交代している。ウルトラシリーズでは珍しいことである。
子どもの頃は、ちょっと怖そうな伊吹隊長よりやさしそうな加藤隊長のほうが好きだったものだが、実は大人になってわかることとしては、塚本信夫と根上淳では、比較にならないぐらい、根上淳のほうが芸能人として格上である(いや、塚本信夫どころか、小林昭二と比べても遥かに根上淳のほうが大物芸能人である)。
こういうのは、幼稚園や小学校低学年の頃には普通はまったくわからないことだが、私の場合、再放送で番組を見ている私の傍らで、母が
「加藤隊長より伊吹隊長のほうがずっと有名な芸能人」、
「アマギやソガよりフルハシのほうがずっと有名な芸能人」、
「北斗星司より東光太郎のほうがずっと有名な芸能人」、
「丘隊員よりアキちゃんのほうがずっと有名な芸能人」、
「森山隊員よりさおりさんのほうがずっと有名な芸能人」、
「一文字隼人より本郷猛のほうがずっと有名な芸能人」、
「緑川ルリ子、ユリ、ミチよりひろみ、マリ、ヨッコのほうがずっと有名な芸能人」、
「メフィスト弟よりメフィスト兄のほうがずっと有名な芸能人」、
「改造ベムスター回のお兄さんは実はとても有名な芸能人」、
「キングパラダイ回のヒゲ船長は実はとても有名な芸能人」
というような情報を教えてくれて、それで知った次第である。
別にどうしても子どもに教えなきゃいけないようなことでも全然ないが(笑)。
(※9)
アニメのほうでは、われわれ団塊ジュニア世代には、『タイムボカン』シリーズ(1975~83)の、八奈見乗児(やなみじょうじ)のキャラ(グロッキー、ボヤッキー、トボッケー、セコビッチ等)が第四の壁を破るメタギャグの宝庫としておなじみである。
(※10)
ただし、私は高橋留美子については、超自然的要素のない、もしくは薄い『めぞん一刻』や『1ポンドの福音』、『高橋留美子劇場』などの青年誌作品が大好きなかわりに、超自然的・ファンタジー的な『うる星やつら』、『らんま1/2』、『犬夜叉』、『境界のRINNE』などのサンデー作品は肌に合わなくて、ほとんど読んでないから、いい加減な断定はできないが。
と、それにしても、改めてこうして高橋留美子の作品名を並べてみると、超自然的・SF的・ファンタジー的な作品と現実界を舞台にした作品と、バランスよく併存し、どっちでもヒット作、名作を生み出しているってのは凄いことだね。
たとえば、サンデーエースの大先輩、藤子F不二雄が、実は超自然的・SF的要素のない作品は最初期のごく一握りの作品を除けばほぼ皆無に等しいぐらいに著していないのと比べると、完璧な「二刀流」だよね。
ちょうど現代劇専門または現代劇偏重の小津安二郎や成瀬巳喜男、今井正、時代劇・半時代劇専門または偏重の山中貞雄、稲垣浩らに対し、フィルモグラフィー上で現代劇と時代劇がほぼ同じ重みを持つ黒澤明のように(私個人は、『赤ひげ』(1965)を除いては黒澤時代劇については、それほどのファンということはなく、黒澤なら圧倒的に現代劇派なのだが。ちなみに、稲垣浩は、時代劇でも半時代劇でもないところで、『手をつなぐ子ら』(1948)が、なかなかの佳作である)。
(※11)
あと、浦辺が『キャプテン翼』を読んでいるというメタギャグも、はなはだサムいギャグであった。
(※12)
『ドラゴンボール』のほうは、初期を除いては、さすがに『スランプ』よりは「第四の壁を破る」メタ場面は少ないが、たとえば、末期のグレートサイヤマン編から魔神ブウ編への橋渡しのあたりの、クリリンが再登場したコマで、悟飯がカメラ目線で読者に「戦わなくなって剃髪をやめたクリリンさんだよ」と解説するセリフなどはメタセリフである。
なお、上記の通り、初期ならば、ピラフとマイとの会話やウーロンの「この漫画のタイトル、どうなるんだろ」などのメタギャグが散見される。
(※13)
改めて読みなおすと、こののび太父の説教シーンは、メタフィクションというのみならず、同じ構図のコマがずーっと続くという表現もなかなかシュールな実験的手法であるとともに、物語自体、一見、精神主義的修身道徳を礼賛するようでいて、その実むしろ笑い飛ばしているあたりも含め、いろいろな意味で挑発的な作品である。
(※14)
それから、問題作「無人島へ家出」も、「僕が大人になったら、この漫画が終わっちゃう!」とメタ絶叫する場面が印象的である。
そういえば、この「無人島へ家出」は、タイムパラドックス的にも、いろいろ考えさせられる回だなあ。
それにしても、この回以降ののび太は、中身は、無人島で10年間サバイバルして、体感時間では20歳ぐらいになったのび太なのか???
(これと似た話としては、『涼宮ハルヒ』シリーズの長門さんの例がある。長門さんは、「夏休み後半の2週間をエンエンとループして繰り返す」という「エンドレスエイト」回で、メンバーの中でただ一人、記憶がリセットされずに全て自覚しているという設定だったから、14日間×約1万5500回で、約600年を自覚して経験したことになるわけで、他のメンバーとは、体感年齢が600年も違うということになるんだろうか?メンバーの中に一人だけ室町時代からの生き残りがいるようなもんじゃないか。って、それはちょっと違うか?)
(※15)
『ドラえもん』の「あやうしライオン仮面」で知られる、「この作品の本当の作者は誰なんだ!?」の、メビウスの輪的なタイムパラドックスネタは、『キテレツ大百科』のタイムマシンの回でも、そっくりそのままオチに流用されている。
また、「時空を隔てた複数の自分が出会う」ネタは、よほど好きなのか、『ドラえもん』のあの傑作「ドラえもんだらけ」を筆頭に、「のび太ののび太」、「弟をつくろう」、「セルフ仮面」、「ぼくをぼくの先生に」、「ガッコー仮面」、「いばり屋のび太」、『新オバQ』の「食べ物のうらみはこわいのだ」、短編『自分会議』、『あのバカは荒野を目指す』、『ノスタル爺』など、かなりの頻度で使い回されている。
タイムパラドックス系で言うと、規定の歴史を作ったのは実は僕らだった、というパターンも『ドラえもん』の「白ゆりのような女の子」や「ママのダイヤを盗み出せ」、「プロポーズ作戦」、「タイムマシンで犯人を」、「ホラふきご先祖」、「のら犬イチの国」、「天つき地蔵」等で何度も出てきている。
さらに、「今の自分の記憶を保持したまま過去に戻って人生をやり直す」という願望への執着もよほど強かったのか、『ドラえもん』の「人生やりなおし機」をはじめ、短編『パラレル同窓会』、『分岐点』、そしてドラ映画原作以外では実質的な遺作となった『未来の想い出』に至るまで、相当しつこく繰り返している(もちろん、どれも傑作です。念のため)。
それから、これは余談の余談になるが、個人的には『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)の「ジョニー・B・グッド」のギャグは、『ドラえもん』のライオン仮面を思い出した。また『バック・トゥ』の主題そのものが、まさに『ドラえもん』の「プロポーズ作戦」的だと言えなくもないだろう。藤子F不二雄は『バック・トゥ』を見たとき、「僕のアイディアを盗んだな!」と、スポーツ年鑑の着想をパクられたときのマーティーのように憤慨したかどうか?あの世に私が行ったときに、インタビューしてみたいものである(そういえば、『隠された時間』(2017)も、上記注「無人島へ家出」と似た着想だね)。
(※16)
私が高校生の頃―1990年頃―は、既に手塚先生が他界した後だが、『ブラックジャック』の人気は根強くて、クラスでは、授業中にもかかわらず、『ブラックジャック』の秋田書店の新書判単行本を回し読みしている同級生がいっぱいいた。
で、彼らが「母と子の愛情」回が最高だ、と口々に言っていたので、何のことかと思ったら、それが「幸運な男」の回のことであった。
なるほど、たしかにあの話はいいよねえ、と、心の中で同意した私に、同級生の一人が、お前のフェイバリットの回は何かと問うてきたので、私は「上と下」と即答した。
「えっ?何巻?」「12巻の最後かな」というようなやり取りがあって、その「上と下」を早速読んだその同級生はこちらの狙い通り、「上と下」のこともとても気に入ってくれたようだった。
それで、その次に好きな回として、「再会」も教えてあげたように記憶している。たしか。
懐かしい個人的思い出である。
なお、また余談ながら、最近の映画『君が描く光』(2016)は、上記「幸運な男」に少しだけ似てなくもない・・・気がする。また、「再会」は、クラシック洋画『心の旅路』(1942)ー及びその原作ーの翻案だろう。
(※17)
後期の日中戦争編の中で、
「のらくろが戦死してしまっては、この漫画もおしまいだ」
みたいなメタ台詞もあった気がするが、記憶が定かではない。
余談ながら、田河水泡作品では、今日では『のらくろ』がかろうじてタイトルのみ歴史用語的に記憶されている程度となってしまっているが、『のらくろ』以外でも『蛸の八ちゃん』や『凸凹黒兵衛』も忘れ去られるには惜しい作品である。
とくに『凸凹黒兵衛』は、かわいくて品の良い児童漫画として、今の時代でも普通に全ての母と子に推奨したくなる、愛すべき佳品である。
(※18)
長谷川町子の作品も『サザエさん』以外、今日では忘れられている・・・というより、『サザエさん』ですら、アニメはともかく、原作は若い世代にはほとんど読み継がれていないことと思うが、私のおすすめの一つに、『漫画幸福論』がある。短いながらも巧みな構成と意外なオチが実に見事な、鮮やかな小品である。
それにしても、長谷川町子はクリスチャンのくせに、なぜこのような多神教的世界観の作品を描いたのだろう。
(※19)
私は、大学時代、この先生の講義の後、思い切って勇気を出して、教壇に行って、TSGの本にこの先生のサインをお願いしたことがある。そしたら、快くサインしてくださった。ちなみに、講義自体も、当時の本学の国文専攻の中では例外的に面白かったことをよく覚えている。
(※20)
なお、『サザエさん』以外の長谷川町子作品だと、『意地悪ばあさん』では、読者に向けて、マッチ棒を並べたクイズを出題するという第四の壁破りがあった。
(追記)
本文で、藤子・F・不二雄の「第四の壁破り」は『ドラえもん』一択で、その他の藤子・F・不二雄作品及び藤子不二雄A作品及び共同作品には「第四の壁破り」はない、と断定的に書いたが、後で思い出した。
『オバケのQ太郎』(FとAの合作)で、サブタイは「ひとりぼっちのドロンパ」だったか、ガキ大将のゴジラがドロンパに「『少年サンデー』がおもしろいぞ。『オバQ』だけはつまんないけど」と、メタ自虐ギャグを言って、Qちゃんが「あんなこと言ってる!」と憤慨する場面があったのね(笑)、そういえば。
それから、『パーマン』でも、全集にしか入っていない埋没回ながら「パーマンは推理する」という回の冒頭でさりげなくサラッと第四の壁を破っている。
(2021年8月)
主に漫画における「第四の壁を破る」表現についてである。
第四の壁(※1)を破るというのは、演劇のほうでの用語で、作中のキャラが自らをフィクションの作中人物であると自覚して、そのように自分で言及するような手法のことである。
たとえば、舞台上で、登場人物同士の会話をしていたのが急に観客のほうを向いて、
「ねえ?皆さん」
なんて話しかけたりするような(※2)。
本来なら、舞台の上手(かみて)=右側と下手(しもて)=左側と、それからホリゾント=奥側とに劇中世界を取り巻く「壁」があるように、舞台の手前側=観客席と舞台上の間にも見えない「壁」があり、そこで「世界」は隔たっており、設定上は舞台から観客席は見えないー見えるはずがないーものである。
もし、その第四の壁、すなわち舞台上と観客席の間の見えない壁が破られてしまったら、それは、舞台上の登場人物たちが、これはお芝居だ、自分たちはお芝居の登場人物だと自覚していることになる。「第四の壁を破る」行為とは、そんな意図的なメタフィクション表現である。
映画やドラマでは基本的に少ない。とくに、時代劇や西部劇、歴史ものでは、映像でも小説でもまずあり得ない(※3)。
ただ、ミステリー小説、とくに海外ミステリーにおいては、解決編前の「読者への挑戦」という語りかけはよくある型で、これを日本のテレビドラマでそのまま取り入れた『古畑任三郎』(1994他)の、クライマックスで暗転する「視聴者への挑戦」はおなじみだろう(※4)。
ミステリーを除く一般の映像フィクションでは第四の壁を破った観客・視聴者への語りかけはやはり少ないが(※5)、それでも洋画『花嫁のパパ』(1991)や邦画『タンポポ』(1985)など、いくつか思い出せるものはある(※6)。『アニーホール』(1977)にも、そんなシーンはあったろうか、なかったろうか。
そうそう、黒澤明の初期の隠れた名作にして異色作『素晴らしき日曜日』(1947)を忘れちゃいけない。あれこそ、「第四の壁を破る」とは、というサンプル教材にしたいぐらいの典型的なシーンだった。たしかに、あの時代の日本映画で、しかも、全体的に暗い雰囲気の作品の中で、最後のほうになっていきなり第四の壁を破って画面から観客に語りかけてくるというメタ実験をやられても、あまりに唐突すぎて、感動より違和感が先に立つというのが正直なところだが。
それから、個人的に大好きな映画黄金時代のプログラムピクチャーシリーズの一編、『続社長外遊記』(1963)の最後のところでは、八方まるくおさまって、めでたしめでたし、のオチがついて、主役自らが「出来すぎだよねえ?」とカメラ目線で観客に語りかけるというお遊びがある。上記『素晴らしき日曜日』のような真面目な「名作」じゃない軽い娯楽作だから、違和感もなく、普通にクスリと微笑むことのできるシーンである(※7)。
特撮ものにも、第四の壁破りはある。
ウルトラシリーズ最初期、『ウルトラマン』(1966~67)の第2話『侵略者を撃て』―あの非戦闘員の一般市民を大量ジェノサイドする非道い回―なんて、かなり露骨に「テレビの前のお友達」に話しかけている。
また、子どもの時には気づかなかったが、『帰ってきたウルトラマン』(1971~72)の43話『魔神月に吠える』では、伊吹隊長(根上淳)(※8)が車のラジオで、ペギー葉山『南国土佐を後にして』を聴いているという場面があり、こういうメタギャグシーンは、ウルトラシリーズではかなり珍しい。テレビを見ている子どもは、根上淳の妻がペギー葉山だなんて知らないって(笑)。
では、漫画はどうかと言うと、漫画においても、第四の壁を破るのは、そんなに日常的なことではない。萩尾望都も里中満智子も竹宮恵子も池田理代子も大和和紀もまず破ることはなかった(と記憶している)。
やはり、第四の壁を破ることがあるのは、シリアス系よりギャグ系である。当たり前のことかもしれないが。赤塚不二夫なんて、バカボンのパパが読者に向けて語りかけるのが日常茶飯事すぎて、かえって新鮮味がないくらいである(※9)。
が、たとえば、あだち充は一度もやったことないだろうし、高橋留美子あたりでも私の知る限りではない、んじゃなかろうか、たぶん(※10)。
『巨人の星』にもそんな場面は皆無だった。
でも、意外と『キャプつば』にはあったな、そういえば。そう、あの、中沢早苗の、
「ほら!これ読んでる女の子、翼くんを応援しちゃダメよ!」
と読者に語りかけるサムい場面だ(※11)。
他にも、同じ時代のジャンプで、『Dr.スランプ』も、アラレちゃんが未来カメラを読者に向けたり、「このページ」を切り抜いて本物マシーンに入れたり、作者が作者という立場で作中に出てきたりといった第四の壁を破る場面はいくつも思い出せる(※12)。
『亀有』も、さすが長寿作品だけあって、やはり第四の壁を破る該当シーンはけっこうある。たとえば、ロボット派出所をぶっ壊せという投書が来たぞと両さんがダメ太郎を叱りつける回(60巻)。あるいは、かなり古い話だが、「劇画刑事・星逃田」をフィーチュアした2作(17巻、18巻)。
あとは、やはり同時期の『ジャンプ』の人気作『奇面組』での、『3年奇面組』時代の、腕組のリーダー塊がたびたび言う「この勝負に勝った者が、この漫画の主人公になることにしよう!」、天野さんの初登場回での「何見てんだよ?『奇面組』なんて読んでるとアホになるぞ」(←カッコイイ!)、あるいは、担任の伊狩先生の自宅に病気見舞いに行く回で、ヒロインの一人である千絵ちゃんが欄外の作者に向かって髪の毛の斜線をホワイトで消してくれるように頼み、伊狩先生に扮するというギャグなどは、メタセリフギャグの王道と言えよう。
また、小学館系統で、長寿漫画『あさりちゃん』の初期の作品で、家に届いたカステラを食べちゃったら、他の家あてに来た贈答品だった?と、パニックになる回で、「〇〇ページの〇段目の台詞を読め!」と、漫画ならではのメタツッコミをしていた場面も思い出される。
さらに同じ小学館系統の長寿作品『釣りバカ日誌』も忘れてはいけない。巻数は覚えていないが、たしかハマちゃんが、映画『釣りバカ日誌』を見たという話を佐々木課長にしているメタギャグ場面があった。
だが、やはり何と言っても第四の壁を破るギャグが大好きなのは藤子F不二雄だろう。
もっとも、作品で言うと、なぜか『ドラえもん』ほぼ一択で、『パーマン』でも『21エモン』でも『ウメ星デンカ』でも『キテレツ大百科』でも思い出せないのは少し不思議なところだし、相棒の藤子不二雄Aにしたって、Fとの合作の『オバケのQ太郎』はじめ、『忍者ハットリくん』にも『怪物くん』にもなかったと思う。とくに、『まんが道』や『少年時代』で第四の壁を破る表現は想像もできないぐらい、あり得ない。
しかし、なぜか『ドラえもん』は複数回あって、またそれが非常に印象に残っているのだ。おそらく、私が生まれて初めて知った「第四の壁を破るメタ表現」であったからだろう。
サブタイトルで言うと、「苦労味噌」がそれにあたる。怠け者ののび太に父が意見してやろうとすると、のび太が、
「お説教なんてつまらない。この漫画の人気が落ちる」
と、驚嘆すべきセリフで口答えする。
それに対し、父が
「いや、2ページほどやる!」
と、さらに驚くべきセリフを返す。この作品を最初に読んだ小学校低学年当時の自分は、「第四の壁を破る」手法なんて、まったく初めてだったから、一瞬、何が起こっているのか、意味さえわからず、呆然とするばかりであった(※13)。
が、ほどなく、他の『ドラえもん』でも、「念録マイク」の回で、ドラえもんが道具を出すときに、のび太が「やけに早いな」と言うと、ドラえもんが「この漫画は6ページしかないんだから、急がなきゃ」と真顔で答えるなんていうシーンを見たりもして、徐々に意図的なギャグとしてキャラクターに言わせているのだということを何となく理解していった(※14)。
おそらく藤子F不二雄にとって、タイムパラドックスのメビウスの輪に次いで、お気に入りのネタだったのに違いない(※15)。
そして、漫画の神様・手塚治虫。
手塚先生の作品は膨大な量になるので、「第四の壁を破る」シーンも探せばたくさん出てくると思うが、とりあえず私が思い出すのは、『ブラックジャック』の中でも名作の一つ、「幸運な男」の回。この回の主人公がラストシーンで空港から旅立つ時、見送りに来たブラックジャックになぜわざわざ見送りに来たのかと問うと、ブラックジャックは「私の出番が少ないからさ」と答えるという、あの小粋なシーンである(※16)。
本邦の漫画作品における第四の壁を破るメタ表現の元祖が何であるかは正確にはわからないが、ただ、戦前、藤子F不二雄も手塚先生も子どもの頃に愛読していたであろう田河水泡の『のらくろ』に、のらくろが読者に向かって語りかけるという場面は既にある。
たとえば、『のらくろ少尉』の時期の慰問袋の回で、最後のコマで、「読者の皆さんで、本当に慰問袋を送りたい人は関東軍(!)まで」と、時代を感じさせるメッセージを発する箇所など(※17)。
で、その田河水泡と言えば、『あんみつ姫』の倉金章介や『猿飛佐助』の杉浦茂、『名探偵カゲマン』のやまねあおおに、『かばどんとなおみちゃん』のやまねあかおに、落語漫画の滝田ゆう、そしてトキワ荘の異端児・森安なおやなど、多くの漫画家を育てた名伯楽であるが、言うまでもなく、彼ら門人の中でダントツに有名なのが、「国民的漫画家」として、手塚治虫先生も石ノ森章太郎先生も水木しげる先生も蛭子能収先生も貰ってない国民栄誉賞を漫画界でただ一人授与された、かの長谷川町子(※18)であろう。
長谷川町子といえば、漫画家としては、技法的にはトラディショナルな戦前育ちということで、決してイノベーターとして語られることはない人ながら、こと「第四の壁を破る」メタ表現に関しては・・・実はやっているのだ。
アニメの最後のジャンケンポン・・・のことじゃない。たしかにあれもメタ表現と言えばメタ表現だが、私が言いたいのは、原作のほうのことである。
とりあえず『サザエさん』原作で思い出せるところは二つ。
サザエが洗濯物を干しながら『お座敷小唄』(♪富士の高嶺に降る雪も京都先斗町に降る雪も雪に変わりはないじゃなし♪・・・という、あれ)を歌っていると、波平が
「歌なんてやめろ」
と注意する。そしたら、サザエが、
「いや、この歌は作詞者未詳だから、歌ってもいいのだ」
と答え、著作権の明確な歌を作中に出すとJASRACから使用料を取られるが、という事情を説明する。で、波平も、ならば良い、と一緒になって歌う・・・という話で、TSG(東京サザエさん学会)の岩松研吉郎先生(※19)も指摘するように、漫画としては、面白くも何ともない、というより、さっぱり意味がわからない「怪作」である。初めて読んだとき、小学校低学年だった私も、もちろん意味はまったくわからなかった。
長谷川町子は、師の水泡とは対照的に、人一倍、著作権にうるさい漫画家だったから、作詞家の作品引用使用料にも興味があったんだな、なんていうのは、後付けの理解に過ぎないし、そうしたバックグラウンドがあろうがなかろうが、くだんのメタ回が4コマ漫画としては、とても変な回であることには変わりはないじゃないかな。
それに対して、もう一つのメタ回、「今日の漫画はどうした」のほうは、4コマとしてちゃんと水準以上の面白さを備えている。
サザエたち家族がグダグダとゴロ寝しているところにやってきた波平が、
「みんな何してるんだ。今日の漫画はどうした」
と、のっけから思い切り第四の壁をぶち破って、いかりや長介ばりの叱責をすると、サザエだかマスオだかが、掲載日が大型連休かお盆か何かということで、
「どうせ新聞の漫画なんて、今日は誰も読まないでしょ」
と答える。
そしたら、波平も、
「それもそうだな」
と笑って、嬉しそうに自分もゴロ寝に加わる、という、なかなかシュールなオチである(※20)。
・・・ところで、この稿のオチは?
えっ!?ない!?!?
(※1)
なお、「第四の壁」は、本来、「だいよん」ではなく、「だいし」と読むものらしい。昔の日本語では「四」、「七」を「よん」、「なな」と読むことはほとんどなく、「し」、「しち」と読むものだったという名残りだろう。
新潟の第四銀行が「だいよん銀行」でなく「だいし銀行」であるように。金沢の旧制第四高等学校が「よん高」でなく「し高」であったように。京都の四条河原町が「よんじょうかわらまち」でなく「しじょうかわらまち」であるように。
まあ、赤穂の四十七士だって「よんじゅうなな士」じゃなく「しじゅうしち士」だし、弦楽四重奏も「弦楽よん重奏」じゃなくて「弦楽し重奏」だし、仙台の七十七銀行も「ななじゅうなな銀行」ではなく「しちじゅうしち銀行」だし、香川県の百十四銀行だって、「ひゃくじゅうよん銀行」でなく「ひゃくじゅうし銀行」だもんね。
四国地方だって、四角形だって、四面楚歌だって、シジュウカラだって、ジュウシマツだって、七難隠すだって、七福神だって、七面鳥だって、人の噂も七十五日だって、『二十四の瞳』だって、『七人の侍』だって、『狼と七匹の子やぎ』だって、『ヤマトナデシコ七変化』だって。
私が子どもの頃は、
「ああ、あんたももう四十(しじゅう)かい。あたしゃ、もう七十(しちじゅう)だよ」
なんていうおばあさんはよくいた。
まあ、改めて考えれば、今でも学校では「にしちじゅうし」とか「ししちにじゅうはち」とか「しちしちしじゅうく」とかって教えているわけだしね。
(※2)
歌舞伎で、大向こうからの「待ってました!」のかけ声に、役者が「待っていたとはありがてえ」と応ずる、なんていうのは、まさに演者と観客とでともに作るメタフィクションギャグである。
ちなみに、同じ伝統芸能つながりの連想で落語なんかでも、くすぐり(噺の途中に挟み込まれる小ギャグ)でメタギャグが使われることはよくある。
(※3)
ただ、時代劇において、あえて時代考証を徹底的に確信犯的に(誤用)無視しまくったり、あからさまに現代語を使ったりというギャグも、ある意味で広義のメタギャグと言えないこともないか?たとえば、『鴛鴦(おしどり)歌合戦』(1939)や『ピュンピュン丸』(1967他)や『仮面の忍者赤影』(1967~8)のような。
まあ、さらに敷衍すれば、『てなもんや』も『あんみつ姫』も『必殺』も『バカ殿様』もそうか。
あとは、相当マニアックなところでは、昔のTBSの新春スペシャルドラマ『徳川家康』(1988)で、秀吉が妹の朝日(駿河御前)を家康のところに正室(実態は人質)として送り込もうとするときに、嫌がって泣く朝日に、「泣~くな妹よ~、妹よ~泣くな~」と、古賀メロディ『人生の並木路』を歌うという「あり得ねー(笑)!」なシーンがあった。緒形拳のアドリブだろうか。
(※4)
『古畑』では、田村正和が西村まさ彦を相手に、眠狂四郎の真似をしてふざけるというシーンがあって、これなんて、まさに第四の壁を破るがごとき楽屋オチのお遊びであった。
これとよく似ていたのが、『踊る大捜査線』(1997)のスペシャル版(1998)で、織田裕二が『東京ラブストーリー』(1991)を見ているというギャグである。そういえば、『踊る』シリーズだと、「オイッス!」とか、「ダメだこりゃ」とか、「次いってみよう!」とかって、長さんネタも結構あったかも。
(『踊る』シリーズは、日本のテレビドラマでは例外的なぐらいにメタギャグの宝庫と言っていいだろう。そのあたりは、好き嫌いが分かれるだろうが)
(※5)
日本のドラマでは、『ムー』(1977)、『ムー一族』(1978~79)などは、ドラマとコントのハイブリットのような作品なので、「視聴者からのお便り」を紹介するような、『タイムボカン』シリーズ(1975~83)じみたお遊びが特徴的である。
その他では、『寺内貫太郎一家』(1974~5)や『アナウンサーぷっつん物語』(1987)の生放送回で、ハプニング的に視聴者に話しかけるなんていうのを除けば、第四の壁を破る表現は意外と少ない。
『気になる嫁さん』(1971~2)に、「ただ今、撮影中」なる全編に渡ってメタフィクションというアヴァンギャルドな回があったが、おそらくは本来の脚本が間に合わずに、無理やり放送日を埋めるためにねじこんだ掟やぶりのアクシデント回だったのだろう。
他に正統派なところでは、私が大好きだった朝ドラ『てるてる家族』(2003~4)などは、主人公が語り手を兼ねて、視聴者の皆さんに語りかける役割もしているので、メタ的と言えないこともないか。
(※6)
『寅さん』シリーズ(1969~95)は、山田洋次の主義として、メタフィクションギャグを含めた楽屋オチは嫌いなので、一切ない・・・と思いきや、意外にもある。
一つは、シリーズ全盛期にしてはイマイチな回、あの松竹本社のSKDテコ入れ命令でやむなく作らされた(想像)21作目『寅次郎わが道をゆく』(1978)で、冒頭の夢のシーンでUFOが出てきて空へ飛んで行くチャチい特撮について、登場人物らが
「頼りないUFOだな、あんなので宇宙に行けるのか」
「予算が足りないんだよ。アメリカ映画のようにはいかないさ」
と自虐的なメタセリフを述べるくだりがある。
また、後期の最後の水準作40作目『寅次郎サラダ記念日』(1988)では、寅さんが、20作目の『寅次郎頑張れ!』(1977)に出てきた、中村雅俊演ずる友人のワット君こと良介のことを話題にするときに、ワット君は作中設定では長崎県平戸島の出身なのに、「宮城県出身」と、リアルな中村雅俊のほうの出身地の名を出して紹介していた。個人的にはあまりセンスのいいギャグとは思わなかったが、これも一種の楽屋オチ的なメタセリフギャグだろう。
同じく、吉永小百合がマドンナ役の9作目『柴又慕情』(1972)では寅さんが『いつでも夢を』を口ずさんだり、桜田淳子がサブマドンナで出た16作目『葛飾立志篇』(1975)では巡回中の警官が『わたしの青い鳥』を歌ったり、松坂慶子がマドンナ役の27作目『浪花の恋の寅次郎』(1981)では寅さんが露店で「水中花」を売ってたりする(笑)。こっちのほうが、同じ楽屋オチでもセンスがいいね(ただ、28作目『寅次郎紙風船』(1981)の冒頭の夢シーンでの岸本加世子のメタセリフギャグは今一つかな)。
(※7)
あと、昔の日本映画ネタでもう一つ。
巨匠・木下恵介監督の往年のヒット映画『喜びも悲しみも幾歳月』(1957)のセルフリブート版『新・喜びも悲しみも幾歳月』(1986)の中に、登場人物に旧作『喜びも悲しみも幾歳月』のタイトルを言わせ、「あの映画は良かった~」と、臆面もなく自画自賛セリフを言わせる場面がある。
世界観的には旧作と新作はつながっているわけではないので、「第四の壁破り」のメタギャグの一種と言っていいのかどうかわからないが、まあそれでもやはり一種のメタギャグだろう。それともギャグでなく、大真面目だったのか?封切り当時の映画館での観客の反応はどうだったんだろう。気になる。
作品自体としては、旧作も新作も私はなかなか好きなのだが(そういえば、古い日本映画などはほとんど見ない昔の心友が、珍しく『喜びも悲しみも幾歳月』はいいと褒めていたのが印象的だったものである)、この自画自賛シーンは、ギャグであれ大真面目であれ、ちょっとダサイと言わざるを得ないか。
『新・喜びも悲しみも~』の公開当時、舞台演出家の鴻上尚史氏が週刊誌のコラムで同作を酷評していたが、まあ、当時の流行りから見ると古臭い、ダサイ映画だったという点で、揶揄されてもしかたなかったのだろうか。映画としての芸術的良し悪しとは別に、向バブルの時代に「イケてる」映画に見えたかどうかという意味で。
(※8)
ちなみに、『帰ってきたウルトラマン』では、番組の前半5分の2ぐらいのあたりでMATの隊長が塚本信夫の加藤隊長から根上淳の伊吹隊長に交代している。ウルトラシリーズでは珍しいことである。
子どもの頃は、ちょっと怖そうな伊吹隊長よりやさしそうな加藤隊長のほうが好きだったものだが、実は大人になってわかることとしては、塚本信夫と根上淳では、比較にならないぐらい、根上淳のほうが芸能人として格上である(いや、塚本信夫どころか、小林昭二と比べても遥かに根上淳のほうが大物芸能人である)。
こういうのは、幼稚園や小学校低学年の頃には普通はまったくわからないことだが、私の場合、再放送で番組を見ている私の傍らで、母が
「加藤隊長より伊吹隊長のほうがずっと有名な芸能人」、
「アマギやソガよりフルハシのほうがずっと有名な芸能人」、
「北斗星司より東光太郎のほうがずっと有名な芸能人」、
「丘隊員よりアキちゃんのほうがずっと有名な芸能人」、
「森山隊員よりさおりさんのほうがずっと有名な芸能人」、
「一文字隼人より本郷猛のほうがずっと有名な芸能人」、
「緑川ルリ子、ユリ、ミチよりひろみ、マリ、ヨッコのほうがずっと有名な芸能人」、
「メフィスト弟よりメフィスト兄のほうがずっと有名な芸能人」、
「改造ベムスター回のお兄さんは実はとても有名な芸能人」、
「キングパラダイ回のヒゲ船長は実はとても有名な芸能人」
というような情報を教えてくれて、それで知った次第である。
別にどうしても子どもに教えなきゃいけないようなことでも全然ないが(笑)。
(※9)
アニメのほうでは、われわれ団塊ジュニア世代には、『タイムボカン』シリーズ(1975~83)の、八奈見乗児(やなみじょうじ)のキャラ(グロッキー、ボヤッキー、トボッケー、セコビッチ等)が第四の壁を破るメタギャグの宝庫としておなじみである。
(※10)
ただし、私は高橋留美子については、超自然的要素のない、もしくは薄い『めぞん一刻』や『1ポンドの福音』、『高橋留美子劇場』などの青年誌作品が大好きなかわりに、超自然的・ファンタジー的な『うる星やつら』、『らんま1/2』、『犬夜叉』、『境界のRINNE』などのサンデー作品は肌に合わなくて、ほとんど読んでないから、いい加減な断定はできないが。
と、それにしても、改めてこうして高橋留美子の作品名を並べてみると、超自然的・SF的・ファンタジー的な作品と現実界を舞台にした作品と、バランスよく併存し、どっちでもヒット作、名作を生み出しているってのは凄いことだね。
たとえば、サンデーエースの大先輩、藤子F不二雄が、実は超自然的・SF的要素のない作品は最初期のごく一握りの作品を除けばほぼ皆無に等しいぐらいに著していないのと比べると、完璧な「二刀流」だよね。
ちょうど現代劇専門または現代劇偏重の小津安二郎や成瀬巳喜男、今井正、時代劇・半時代劇専門または偏重の山中貞雄、稲垣浩らに対し、フィルモグラフィー上で現代劇と時代劇がほぼ同じ重みを持つ黒澤明のように(私個人は、『赤ひげ』(1965)を除いては黒澤時代劇については、それほどのファンということはなく、黒澤なら圧倒的に現代劇派なのだが。ちなみに、稲垣浩は、時代劇でも半時代劇でもないところで、『手をつなぐ子ら』(1948)が、なかなかの佳作である)。
(※11)
あと、浦辺が『キャプテン翼』を読んでいるというメタギャグも、はなはだサムいギャグであった。
(※12)
『ドラゴンボール』のほうは、初期を除いては、さすがに『スランプ』よりは「第四の壁を破る」メタ場面は少ないが、たとえば、末期のグレートサイヤマン編から魔神ブウ編への橋渡しのあたりの、クリリンが再登場したコマで、悟飯がカメラ目線で読者に「戦わなくなって剃髪をやめたクリリンさんだよ」と解説するセリフなどはメタセリフである。
なお、上記の通り、初期ならば、ピラフとマイとの会話やウーロンの「この漫画のタイトル、どうなるんだろ」などのメタギャグが散見される。
(※13)
改めて読みなおすと、こののび太父の説教シーンは、メタフィクションというのみならず、同じ構図のコマがずーっと続くという表現もなかなかシュールな実験的手法であるとともに、物語自体、一見、精神主義的修身道徳を礼賛するようでいて、その実むしろ笑い飛ばしているあたりも含め、いろいろな意味で挑発的な作品である。
(※14)
それから、問題作「無人島へ家出」も、「僕が大人になったら、この漫画が終わっちゃう!」とメタ絶叫する場面が印象的である。
そういえば、この「無人島へ家出」は、タイムパラドックス的にも、いろいろ考えさせられる回だなあ。
それにしても、この回以降ののび太は、中身は、無人島で10年間サバイバルして、体感時間では20歳ぐらいになったのび太なのか???
(これと似た話としては、『涼宮ハルヒ』シリーズの長門さんの例がある。長門さんは、「夏休み後半の2週間をエンエンとループして繰り返す」という「エンドレスエイト」回で、メンバーの中でただ一人、記憶がリセットされずに全て自覚しているという設定だったから、14日間×約1万5500回で、約600年を自覚して経験したことになるわけで、他のメンバーとは、体感年齢が600年も違うということになるんだろうか?メンバーの中に一人だけ室町時代からの生き残りがいるようなもんじゃないか。って、それはちょっと違うか?)
(※15)
『ドラえもん』の「あやうしライオン仮面」で知られる、「この作品の本当の作者は誰なんだ!?」の、メビウスの輪的なタイムパラドックスネタは、『キテレツ大百科』のタイムマシンの回でも、そっくりそのままオチに流用されている。
また、「時空を隔てた複数の自分が出会う」ネタは、よほど好きなのか、『ドラえもん』のあの傑作「ドラえもんだらけ」を筆頭に、「のび太ののび太」、「弟をつくろう」、「セルフ仮面」、「ぼくをぼくの先生に」、「ガッコー仮面」、「いばり屋のび太」、『新オバQ』の「食べ物のうらみはこわいのだ」、短編『自分会議』、『あのバカは荒野を目指す』、『ノスタル爺』など、かなりの頻度で使い回されている。
タイムパラドックス系で言うと、規定の歴史を作ったのは実は僕らだった、というパターンも『ドラえもん』の「白ゆりのような女の子」や「ママのダイヤを盗み出せ」、「プロポーズ作戦」、「タイムマシンで犯人を」、「ホラふきご先祖」、「のら犬イチの国」、「天つき地蔵」等で何度も出てきている。
さらに、「今の自分の記憶を保持したまま過去に戻って人生をやり直す」という願望への執着もよほど強かったのか、『ドラえもん』の「人生やりなおし機」をはじめ、短編『パラレル同窓会』、『分岐点』、そしてドラ映画原作以外では実質的な遺作となった『未来の想い出』に至るまで、相当しつこく繰り返している(もちろん、どれも傑作です。念のため)。
それから、これは余談の余談になるが、個人的には『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)の「ジョニー・B・グッド」のギャグは、『ドラえもん』のライオン仮面を思い出した。また『バック・トゥ』の主題そのものが、まさに『ドラえもん』の「プロポーズ作戦」的だと言えなくもないだろう。藤子F不二雄は『バック・トゥ』を見たとき、「僕のアイディアを盗んだな!」と、スポーツ年鑑の着想をパクられたときのマーティーのように憤慨したかどうか?あの世に私が行ったときに、インタビューしてみたいものである(そういえば、『隠された時間』(2017)も、上記注「無人島へ家出」と似た着想だね)。
(※16)
私が高校生の頃―1990年頃―は、既に手塚先生が他界した後だが、『ブラックジャック』の人気は根強くて、クラスでは、授業中にもかかわらず、『ブラックジャック』の秋田書店の新書判単行本を回し読みしている同級生がいっぱいいた。
で、彼らが「母と子の愛情」回が最高だ、と口々に言っていたので、何のことかと思ったら、それが「幸運な男」の回のことであった。
なるほど、たしかにあの話はいいよねえ、と、心の中で同意した私に、同級生の一人が、お前のフェイバリットの回は何かと問うてきたので、私は「上と下」と即答した。
「えっ?何巻?」「12巻の最後かな」というようなやり取りがあって、その「上と下」を早速読んだその同級生はこちらの狙い通り、「上と下」のこともとても気に入ってくれたようだった。
それで、その次に好きな回として、「再会」も教えてあげたように記憶している。たしか。
懐かしい個人的思い出である。
なお、また余談ながら、最近の映画『君が描く光』(2016)は、上記「幸運な男」に少しだけ似てなくもない・・・気がする。また、「再会」は、クラシック洋画『心の旅路』(1942)ー及びその原作ーの翻案だろう。
(※17)
後期の日中戦争編の中で、
「のらくろが戦死してしまっては、この漫画もおしまいだ」
みたいなメタ台詞もあった気がするが、記憶が定かではない。
余談ながら、田河水泡作品では、今日では『のらくろ』がかろうじてタイトルのみ歴史用語的に記憶されている程度となってしまっているが、『のらくろ』以外でも『蛸の八ちゃん』や『凸凹黒兵衛』も忘れ去られるには惜しい作品である。
とくに『凸凹黒兵衛』は、かわいくて品の良い児童漫画として、今の時代でも普通に全ての母と子に推奨したくなる、愛すべき佳品である。
(※18)
長谷川町子の作品も『サザエさん』以外、今日では忘れられている・・・というより、『サザエさん』ですら、アニメはともかく、原作は若い世代にはほとんど読み継がれていないことと思うが、私のおすすめの一つに、『漫画幸福論』がある。短いながらも巧みな構成と意外なオチが実に見事な、鮮やかな小品である。
それにしても、長谷川町子はクリスチャンのくせに、なぜこのような多神教的世界観の作品を描いたのだろう。
(※19)
私は、大学時代、この先生の講義の後、思い切って勇気を出して、教壇に行って、TSGの本にこの先生のサインをお願いしたことがある。そしたら、快くサインしてくださった。ちなみに、講義自体も、当時の本学の国文専攻の中では例外的に面白かったことをよく覚えている。
(※20)
なお、『サザエさん』以外の長谷川町子作品だと、『意地悪ばあさん』では、読者に向けて、マッチ棒を並べたクイズを出題するという第四の壁破りがあった。
(追記)
本文で、藤子・F・不二雄の「第四の壁破り」は『ドラえもん』一択で、その他の藤子・F・不二雄作品及び藤子不二雄A作品及び共同作品には「第四の壁破り」はない、と断定的に書いたが、後で思い出した。
『オバケのQ太郎』(FとAの合作)で、サブタイは「ひとりぼっちのドロンパ」だったか、ガキ大将のゴジラがドロンパに「『少年サンデー』がおもしろいぞ。『オバQ』だけはつまんないけど」と、メタ自虐ギャグを言って、Qちゃんが「あんなこと言ってる!」と憤慨する場面があったのね(笑)、そういえば。
それから、『パーマン』でも、全集にしか入っていない埋没回ながら「パーマンは推理する」という回の冒頭でさりげなくサラッと第四の壁を破っている。
(2021年8月)
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