長島充-工房通信-THE STUDIO DIARY OF Mitsuru NAGASHIMA

画家・版画家、長島充のブログです。日々の創作活動や工房周辺でのできごとなどを中心に更新していきます。

191.開創一千二百年・高野山滞在記(五)高野三山登山 

2015-05-04 21:11:33 | 旅行

4月11日。今回の高野山行、三日目はメイン・イベントとなる奥の院御廟の北方に位置する高野三山の登山を行った。高野山の町は海抜850m前後の盆地だが、その周囲はさらに高い山々に取り囲まれている地形から内の八葉、外の八葉の蓮華の花びらのような峰々に取り囲まれた、この世の浄土であるという信仰が古くから伝えられてきた。外の八葉は西の弁天岳と東の摩尼山(まにさん・海抜1004m)、楊柳山(ようりゅうさん・海抜1009m)、転軸山(てんじくさん・海抜930m)の高野三山がその代表格となっている。この日は、その高野山を代表する山岳の『高野三山』を登山道沿いに結んで登り、女人堂へと下山するコースをとった。大きな法会で賑わう伽藍空間も良いのだが、せっかく山間部に宿泊しているのだから山の霊気も感じたい。

朝食後、8時11分に宿坊を出ると昨日からの雨天がまだ続いていた。予報では昼頃にはやむことになっている。小雨の降る中、雨具にザックと身をつつみボチボチと歩き始めた。街中を通り過ぎて中の橋に到着。ここから北に進路をとり登山口に向かう。家並みが少なくなってきたが、摩尼峠に向かう登山口が、なかなか見つからない。地元の男性が歩いてきたので尋ねると「摩尼峠?そりゃ、あんた山ん中ですよ」という返事。結局登山口は知らないとのこと。日本全国地元に住む人々というのは地元の山には興味がないし登らないんだよね。トンネルの手前まで歩いて来て周囲を見回すと「ツキノワグマに注意!」の小さな看板が視界に入った。良く見るとその横にこれまた小さな「摩尼山登山口」の看板が並んで立っていた。狭くて見つけにくい登山口だった。「それにしても最初からクマに注意ですかぁ…」ごていねいに「子連れには特に注意!」とも書いてある。でも、だいじょうぶクマに出会ったら「視線を逸らさずにゆっくり後ずさりしていく」。北海道のタクシーの運ちゃんに教わった方法。死んだふりをするというのは効き目がないそうだ。念のために持参したクマよけの鈴を腰に着けた。「クマちゃん仲良くしてください」。

狭い登山道を登り始めるとすぐに周囲の森林は霧に包まれてきた。まるで長谷川等伯の水墨画『松林図屏風』の世界そのものである。朦朧として幽玄、視界は悪い。「クマに霧かぁ、単独登山だし先が思いやられるなあ…遭難しないようにしよう」。 霧の中、真っ白な世界を40分ほど登ると神変大菩薩(役行者)の小さな石像が現れた。傍らの木の解説版を見ると「高野山奥の院と大峰山山上を結ぶ古道の道しるべ」と書いてある。ということはここは修験道の修行道でもあるわけだ。そういえば弘法大師・空海も若い頃、都の大学の出世コースを中途退学し、私度僧(国家の免許のない僧侶)として近畿や四国の山中を一山岳修行者として歩き回っていたという説がある。役行者のような孤高の修行者を目指していたのではないだろうか。遣唐使として唐の長安を目指す以前の7年間は研究者に「謎に包まれた空白の7年間」などと称されている。ここから人登りで摩尼峠に到着。霧はますます濃くなってきたようだ。先を急ぐことにしよう。

濃霧の中、一人登っていると不安もよぎる。チリン、チリンというクマ避けの鈴の音だけが大きく響く。しばらくすると谷筋から”キョロイ、キョロイ、キョコキョコ…”と渡ってきたばかりの夏鳥クロツグミの囀りが聞こえてきた。こういう状況ではこうした鳥の声が勇気づけてくれるものだ。30分弱で摩尼山頂上に到着。祠に祀られる「如意輪観音菩薩」に合掌し、山行の無事を祈願してから大休止。コーヒー・タイムとする。ガス・コンロでお湯を沸かしコーヒーをすすっていると”ツイッ、ツイッ、ツツッ、ジェージェー”という鳥の声。見上げるとすぐ近くの木の枝に森林性のコガラが4羽とまっている。こちらがじっと動かないでいると、さらに近づいて来て手が届きそうな距離まできてくれた。なにか大切なメッセージを伝えようとしているようにも見えた。霧の中、僕と4羽のコガラしかいない。周囲には、ようやく枝先に芽が出始めた木々が無言で囲んでいる。こうして自然の中に包まれているとすべての命は繋がっているのだと理屈ではなく肌で感じることができる。一汗かいて休憩したら少し体が冷えてきた。次のピーク楊柳山に向かう。

東摩尼山から黒川峠を過ぎて一時間弱で楊柳山ピークに到着。時計を見ると12:25になっていた。ここで昼食。準備をしていると山ガール2名と3名のグループが登って来る。みなさんスナップなどを撮影して先へ進んで行った。お湯を沸かしてカップ・ラーメンを食べていると今度はアトリ科の野鳥、ウソが3羽、”フイッホ、フイッホ”と鳴きながら近づいてきた。これもとても近い。クロツグミ、コガラと今日は野鳥たちが仲良くしてくれる日である。そうこうしているうちに空を見上げたら雨脚も弱くなり明るくなり始めていた。13:18最後の目標、転軸山を目指して出発。転軸山へのアプローチはいったん下山したところからさらに登ることになる。昼食を食べて身体が重くなっているところに、この登りは少々きつい。14:36転軸山頂上に到着。頂上は見晴らしはなくうっそうとした樹林に包まれていた。ここでまたティー・タイム。しばらく腰を下ろして休んでいると地元、関西方面の山岳会と思われる男性5名が登ってきた。その中の一人が第一声「高野三山を制覇っ!!」と明るく元気に叫んでいたのが印象に残った。ちょっと時間がかかっている。のんびりしてはいられない。ここからは一気に下山路に入る。

森林公園、鶯谷の集落、女人道を通って、高野七口の一つと言われる『女人堂』にたどりついたのは17:12になっていた。ここまでくるとすっかり雨も上がっていて気持ちも晴れてきた。霧に迷って遭難もせず、熊に襲われもせず無事下山できてよかった。高野山は厳しい修行で知られていたので明治時代までは女人禁制を布いていた。山の七ヶ所に、そこまでは女性が登山し、お参りしてもよいという御堂が建てられていた。現在、その当時の御堂が残っているのはこの『女人堂』だけだという。そうした説明をうけてこの御堂を見ていると昔の信心深い女性の思いが伝わってくるようだった。本尊の『大日如来』にお焼香をしてから千手院橋を通って宿坊へと向かった。画像はトップが濃霧の中の山林。下が向かって左から濃霧の登山道、摩尼峠でのセルフタイマーによるスナップ、熊の注意板、女人堂から振り返った転軸山?、ゴールとなった女人堂。