みちのくの風の旅人 [ 愛と義の街(上杉の城下町)から情報を発信中 ]

米沢・山形・東北の自然や文化・風土を季節の便りとして届けています。HP[新・天空の流れ雲]と合わせてご覧ください。

戦後71年 ~ 終戦スペシャルドラマ「百合子さんの絵本・・・・」 ~ 

2016-08-16 16:46:43 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年は戦後70年の節目の年だった。あれから1年、今年も戦争に関わる過去のドキュメンタリードラマなどが放送された。

 その中で、終戦スペシャルドラマ「百合子さんの絵本 ~陸軍武官小野寺夫婦の戦争~」は大変印象的だった。

 


※ 番組ホームヘージの記事をそのまま掲載しています。

  URL; http://www4.nhk.or.jp/yurikosan/ 

     『ムーミン』など児童文学の翻訳者として知られる小野寺百合子。
     絵本をこよなく愛し、平和を求め続けた彼女の原点には、知られ
     ざる過酷な戦争体験があった。
     北欧スウェーデンを舞台に繰り広げられる、命がけの情報争奪戦。
     駐在武官の夫・信とともに諜報の最前線を生きた女性の姿を通し、
     
夫婦の愛と絆を描く、スペシャルドラマ。 

 二次大戦中のヨーロッパで、日本の運命を変えるべく懸命に生きた夫婦の感動実話。陸軍武官の小野寺信(香川照之)と妻・百合子(薬師丸ひろ子)の知られざる諜報戦争。

 第二次大戦中のヨーロッパで、諜報の最前線を生きた夫婦がいた。小野寺百合子(薬師丸ひろ子)の夫は「諜報の神様」と言われた陸軍武官・小野寺信(香川照之)。百合子は、信が入手した極秘情報を暗号化し、日本へ送り続ける。だが、参謀本部らの返信は来ない。子供の命が狙われる不安と緊張の日々。夫婦の情報はついにいかされず、原爆が投下され、敗戦を迎える。戦争を止めようと懸命に生きた、知られざる夫婦の感動実話。

番組紹介

昭和16 年―
小野寺百合子(薬師丸ひろ子) は、陸軍武官としてストックホルムに駐在していた夫・信(香川照之) がいるスウェーデンに旅立った。到着したその日から、百合子は夫が入手した極秘情報を暗号化し日本の参謀本部に送る毎日を過ごす事となる。夫婦共同で諜報作業にあたり、機密を守るためだった。
外出の時には必ず見張りがつき、子供の命が危険にさらされる緊張の日々が続いた。百合子は母としての悲痛な気持ちを押し殺し電文を送った。そんなある日、信はヤルタ会談で交わされた連合国の密約の存在を知る。それは「ソ連ガ対日参戦ヲ決メタ」というもの。日本の敗戦を決定づける極秘情報だった。
百合子は、この情報を本国が受け取ればきっと和平に動くと信じ打電し続けた。しかし、小野寺夫婦の情報はついに活かされる事なく、原爆が投下され、日本は敗戦を迎える…。

戦後、百合子は『ムーミンパパの思い出』など児童文学の翻訳に携わる。一方、信は戦時中の事には堅く口を閉ざし、無念の思いで日々を過ごしていた。夫にかつての誇りを取り戻して欲しいと願う百合子は、自分たちはもう1度、過去と向き合うべきだと語る。信は、消えた電文の行方を探る決意をする。
戦争の最前線を生きた稀有な女性の姿を通して描く、夫婦の愛の物語。

【 作 】池端俊策
【原  案】岡部 伸「消えたヤルタ密約緊急電」
【音  楽】千住 明
【出  演】薬師丸ひろ子  香川照之
              イヴォ・ウッキヴィ  千葉哲也  利重剛  戸田昌宏  加藤剛
              小林勝也  山本龍二  菅田俊  三田村周三  小倉一郎  金田明夫  佐野史郎  吉田鋼太郎  ほか
  


登場人物

小野寺百合子(薬師丸ひろ子)
Onodera Yuriko

小野寺百合子(薬師丸ひろ子)

 

明治39年(1906)陸軍大将の祖父がいる軍人の家に生まれる。ストックホルムでは、夫の諜報活動を手伝い、暗号電文の作成および解読の作業を受け持った。「銃後」ではなく「最前線」で戦争に参加した女性である。絵本が好きで、子供たちに読み聞かせてやるのが無上の喜びの一つ。戦後は、ムーミンシリーズなどの翻訳家として活躍した。

 

 

 

 

 

 

小野寺 信(香川照之)
Onodera Makoto

小野寺 信(香川照之)

 

明治30年(1897)生まれ。陸軍の参謀本部ロシア課に所属した情報士官。ロシア語とドイツ語に堪能。誠実な人柄から各国のスパイに信頼され、貴重な情報を得る事が出来たという。「諜報の神様」といわれヨーロッパにおける日本のインテリジェンスオフィサーの中心として活躍。その動向は、イギリスの情報局やアメリカのOSS(CIAの前身)も注視した。

 

 

 

 

 

 

 

ペーター・イワノフ(イヴォ・ウッキヴィ)
Peter Ivanov

元々はポーランド軍NO.1の情報将校。祖国がドイツに占領された後、スウェーデンに逃げこんだのを小野寺がかくまい武官室の事務員として雇っていた。小野寺の人間性に惚れ心から信頼していた。「ヤルタ密約」をはじめ、数々の貴重な情報をもたらす事になる。

 

佐佐木信綱(加藤 剛)
Sasaki Nobutsuna

歌人、国文学者。短歌結社「竹柏会」を主宰し、多くの歌人を育成した。百合子にとっては、若いころからの歌の師。歌を通じて百合子の人生に影響を与える。

 

原島 浩(吉田鋼太郎)
Harashima Hiroshi

駐ドイツ大使。ドイツ語に堪能で日独伊三国同盟を推進した中心人物。ヒトラー信奉者で、実際にヒトラーからの信任も非常に厚い。小野寺夫婦に対して、ドイツに有利な情報を流すように圧力をかける。

 

戦時中のスウェーデンは…

西の隣国ノルウェーはドイツに占領され、東のフィンランドはソ連の侵攻を受けていたが、スウェーデンは中立を保っていた。そのため、欧州の中では情報戦に最も力を入れており、首都ストックホルムには、欧州の最前線情報が集まっていた。

スウェーデン地図
 

 

制作者コメント

百合子さんの絵本メモ    作 : 池端俊策

絵本、童話が好きでムーミンの翻訳まで手がけた小野寺百合子さんは、第二次世界大戦の最中、スウェーデンの駐在武官であった陸軍軍人の夫の下でスパイ活動に協力していた。その事実だけで十分ドラマの主人公たり得ますが、本当に興味深いのは、百合子さんが太平洋戦争になだれ込んだ日本という国の危うさ、無責任な為政者達の実態を、外地から言わば俯瞰で見ていたということ、その不幸な国家の有様とどういう心情で向き合い、軍人の夫とどう折り合って生きたのか、その内面の葛藤が今も我々の胸を打つということです。童話という夢の世界と、戦争という現実世界を同時に抱えて生きた百合子さんの人生は、現代にも様々な暗示を与えてくれると思いました。

届かなかった言葉    制作統括 : 訓覇 圭

小野寺夫婦の物語を知った時、二つのことが強く心に響きました。一つは、夫婦が命がけで集めた情報が誰にも届かなかったこと。送れども送れども、本国からの返信は来ない。その一方通行の「届かない」絶望が切なく、やるせなく。もう一つは、晩年、そんな自らの過去を子供たちに語る決意をしたこと。墓場まで持っていくはずの過去を、何故語ったのか?絶望を経てなお、何を未来に届けようとしたのか?そのことを知りたいと強く思いました。戦争という題材は重い荷物です。共に背負って頂いた薬師丸さん、香川さんに感謝の気持ちでいっぱいです。大好きなお二人の芝居を通して、見て頂いた方に小野寺夫婦の何かが「届けば」これ以上の幸せはありません。

 

鈍色の空が晴れる日    演出 : 柳川 強

昨年9月、ストックホルムでの撮影初日、北欧特有の濃霧が発生し、近くにいる人間も判別出来ない状態で「撮影は出来るのか?」とヤキモキ待った事を昨日のように思い出します。待つこと1時間、空は嘘のように快晴となり撮影は無事スタートしたのですが、私はハタと考えました。このドラマの主人公―小野寺信・百合子夫妻の人生の霧は晴れたのか?快晴の空はあったのだろうか、と。日本の戦争の帰趨を決する情報を送ったにも関わらず、本国がその情報を活かした形跡はなく、何十万もの無駄な命が奪われた。夫妻にとっての戦後は、きっと無念の日々の連続に違いなく、その眼に映る空は常に鈍色(にびいろ)だったのではあるまいか、と。“いつか、鈍色の空が晴れる日が来て欲しい” 夫妻の思いと今を生きる私達の願いを重ね合わせました…。とくとご覧ください。

 


 

   ※ 最近印象に残った番組の録画リスト。

 

 

 ~ ~ 

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戦後71年 ~ 原爆の悲劇いまだ癒えず ~

2016-08-14 17:39:36 | 日記・エッセイ・コラム

 71年前、8月6日の朝は広島へ、9日の昼は長崎に原爆が投下された。その悲劇いまだ癒えていない。

  非人道的な大量破壊兵器による、一般市民を巻き込んだ悲惨な

被害の実態。戦後も続いた被爆者への差別。

 大戦後も大量に作られた原爆が、世界中に拡散して、地上から

廃絶される日がいつ来るのか、まるで見通しが立っていない。

  NHKスペシャル「決断なき原爆投下 ~米大統領 

71年目の真実~」は、とても印象的だった。

   ↓  ※ 一部記事を抜粋しました。

「原爆投下は戦争を早く終わらせ、数百万の米兵の命を救うため、2発が必要だとしてトルーマンが決断した」。
アメリカでは原爆投下は、大統領が明確な意思のもとに決断した“意義ある作戦だった”という捉え方が今も一般的だ。その定説が今、歴史家たちによって見直されようとしている。

[ 参考まで番組のホームヘージ全文を後ろに掲載しています。 ]

 

 http://afpbb.ismcdn.jp/mwimgs/0/5/500x400/img_0516008ad23d1c15cb35d49add764c97279985.jpg

 

http://cdn.mainichi.jp/vol1/2016/08/06/20160806hpj00m040008000q/9.jpg?1

 

     http://www.sankei.com/photo/images/news/160809/sty1608090018-p1.jpg

  上記の3枚の写真は、WEB上で「広島市 平和式典」「長崎市 平和式典」と検索して出来た写真を借用しています。 

 


 

   NHKスペシャル  URL:http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160806

         決断なき原爆投下           ~米大統領 71年目の真実~

初回放送

総合 2016年8月6日(土)   午後9時00分~9時54分 総合

関連ジャンル

  • 歴史・紀行  国際

「原爆投下は戦争を早く終わらせ、数百万の米兵の命を救うため、2発が必要だとしてトルーマンが決断した」。
アメリカでは原爆投下は、大統領が明確な意思のもとに決断した“意義ある作戦だった”という捉え方が今も一般的だ。その定説が今、歴史家たちによって見直されようとしている。
アメリカではこれまで軍の責任を問うような研究は、退役軍人らの反発を受けるため、歴史家たちが避けてきたが、多くが世を去る中、検証が不十分だった軍内部の資料や、政権との親書が解析され、意思決定をめぐる新事実が次々と明らかになっている。
最新の研究からは、原爆投下を巡る決断は、終始、軍の主導で進められ、トルーマン大統領は、それに追随していく他なかったこと、そして、広島・長崎の「市街地」への投下には気付いていなかった可能性が浮かび上がっている。それにも関わらず大統領は、戦後しばらくたってから、原爆投下を「必要だと考え自らが指示した」とアナウンスしていたのだ。
今回、NHKでは投下作戦に加わった10人を超える元軍人の証言、原爆開発の指揮官・陸軍グローブズ将軍らの肉声を録音したテープを相次いで発見した。そして、証言を裏付けるため、軍の内部資料や、各地に散逸していた政権中枢の極秘文書を読み解いた。
「トルーマン大統領は、実は何も決断していなかった…」
アメリカを代表する歴史家の多くがいま口を揃えて声にし始めた新事実。71年目の夏、その検証と共に独自取材によって21万人の命を奪い去った原爆投下の知られざる真実に迫る。

 


     最近録画したビデオリストの抜粋  ↓

 

     ← 参考までに7月末から8月初めの録画リストを掲載しました。

                     画像をクリックすると大きな画像に替わります。

 

 ~ ~ 

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お堀のはすの花 IN 米沢 松が岬公園 (その2)

2016-08-13 09:00:00 | 日記

 先月末の28日の朝に続き、8月に入って10日にも上杉神社周辺に出掛けた。はすの花が先日よりも大分増えて、ちょうど見頃を迎えていた。北西側のお堀では、今年も見事な花を咲かせていた。

  

 ← 松が岬公園全体の地図です。この画像をクリックすると、大きな画像になります。

  西参道と北参道に囲まれたお堀がはすの花の咲いている所です。

 ~ ~ 

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愛宕の火祭り2016 ~ 松明行列の帰り道 ~

2016-08-03 06:00:18 | 米沢の自然と文化

 愛宕・羽山両神社の例大祭の前夜、8月1日に愛宕の火祭りが行われている。今年は3時頃から5時ごろにかけて強い雨が降ったので心配したが、幸い松明(たいまつ)行列の始まる前に雨は上がり、無事8時頃には約3km近い行進は終わった。

 去年は、まん丸い月が出ていた(前回のブログに掲載)。ことしは、月が隠れて暗いせいか、星がよく見えた。北斗七星や、白鳥座などしっかりと見ることが出来た。しかし、周りがほんのりと明るいせいか、天の川を良く捉えることが出来なかったのは残念であった。

 

 地蔵園の広場で解散してから、夜店に立ち寄って、

後は時々写真を撮りながら自宅に戻った。行列の疲れ

もどっと出て、わずか2kmが何となくいつもより遠

く感じた。

 

 

 

  

 

 

 

 矢来踏切を渡るとようやく戻ってきた様な感覚になる。火祭りの松明行列現地本部もひっそりとしていた。7時過ぎ松明をかざして通った時は、沢山の人で賑わっていた。まさに祭りの後の寂しさそのものだった。

 近くにある踏切横丁の店だけは、久し振りに活気が感じられた。 

 

 

 先月末の29日、例年より遅い梅雨明けが発表されたが、その後も不安定な天候が続いている。きのうの午後は米沢で大雨が降った。1日火祭りの日にも午後約1時間ほど降った。幸いその日は山形市周辺の様な大雨にはならなかった。すっきりとした夏空が待ち遠しい。 

 ~ ~ 

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愛宕の火祭り2016 ~ 松明行列 ~

2016-08-02 05:52:19 | 米沢の自然と文化

  今朝5時頃起きると、金属音が聞こえて来た。小野川街道沿いの愛宕の火祭りの看板を解体する作業をする音だった。1時間もかからないで、看板も足場もきれいに無くなっていた。

 松明(たいまつ)を1時間以上持ち上げていたせいか、右腕が少し筋肉痛になっていた。また、久し振りに長時間歩いたせいか横腹も少し筋肉が固くなっていた。


 

 昨夜1日、昨年に続いて町内の子供たちと共に、松明行列に参加した。戦勝院に集合し約30分後、米沢信用金庫西部支店をスタートした本隊の後ろに合流した。

 

 

 

 矢来踏切を過ぎた頃には7時を過ぎて、辺りはすっかり暗くなっていた。

 

 

 

 夕方の4時から5時頃にかけて雨が降った。そのせいか、木が濡れて昨年より火の勢いが弱かった。

 地蔵園の広場で解散し、約2km歩いて自宅に戻った頃には9時を過ぎていた。

 夕方自宅を出発した時に付けた万歩計が9000歩を越えていた。


 

 2週間前から、街中に愛宕の火祭りのポスターが貼り出されていた。

 Cimg5231

 

 



 

  ※ 参考までに昨年のブログ記事の一部を掲載しています。タイトルをクリックすると、全ての記事をご覧いただけます。

      ↓       ↓        ↓

 

   愛宕の火祭り ~ 約20年振りの松明行列参加 ~

                 2015-08-02 10:30:19 | 米沢の自然と文化

  松が岬の米沢信用金庫西部支店をスタートした松明行列は、6時50分頃千勝院を通過した。我が町内の子供たちは、千勝院から松明に火を灯して行列に加わった。

 矢来踏切を渡り遠山方面に500mほど行進した所で、休憩した。再出発したのは7時半頃だったので、辺りは暗闇に覆われていた。6月の夏至の頃に比較して30分近く日が短くなっている。

 地蔵園のお祭りの広場に松明行列隊が到着し、広場のやぐらに火が点けられたのは8時頃だった。

 

 

  ~ ~ 

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