みちのくの風の旅人 [ 愛と義の街(上杉の城下町)から情報を発信中 ]

米沢・山形・東北の自然や文化・風土を季節の便りとして届けています。HP[新・天空の流れ雲]と合わせてご覧ください。

東日本大震災から10年 2:大地震の前後の緊迫した状況

2021-03-16 10:35:01 | 東日本大震災に寄せる想い

 東日本大震災から10年が経過して、記憶がだんだんと薄らいできているが、真冬の様な寒さの3月11日の午後、まともに立っていられない様な激しい揺れが襲って来たことだけは、体が覚えている。

 震災から2年後、まだ記憶が多く残っていた頃、当時を振り返って書いた記事があります。

 原文のまま、再掲載しました。

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

東日本大震災から2年

2013-03-11 19:34:00 | 東日本大震災に寄せる想い

    月日の流れは容赦なく訪れる。ちょうど2年前の2011年3月9日午後、半年から1年振りに米沢で震度3程度の地震があった。翌日の高校入試の準備中の事だった。10日の入学試験が無事終了しその時は、1日遅れて入試の日に重ならず、緊張感が漂う中でもそっと胸を撫で下ろし安堵した。9日の地震は単独の地震で、まさか11日の大地震の前震とは想像できなかった。

 3月11日午後2時46分、震度5強の地震がいきなり襲ってきた。揺れが3分ぐらい続いた。立っているのがやっとの状態だった。学校の渡り廊下が波打った。こんな地震は初めての経験であった。50年以上生きて来て、幾度か地震を経験した中では、1964年(昭和39年)の新潟地震が最も記憶に残る恐れを感じた地震だった。しかし、今回の地震はかつての地震をはるかに凌ぐ巨大な地震だった。高校入試の採点業務は一旦中止し、校舎の破損状況や、実習室や教室の点検確認に追われた。テレビには大津波に飲まれて行く町が撮し出されていた。その後更に追い討ちを駆けるように、東京電力福島第一原子力発電所の事故のニュースが飛び込んで来た。

 その後約2週間、テレビから通常の番組が消えた。幸い米沢は停電にならなかったが、県内外で停電が発生した。また、製油所の破壊によって、ガソリンの供給が激減し、早朝から2時間並んでようやく10リットル入れられる程度だった。1ヶ月後の4月半ばになって、長時間並ばずにガソリンが入れられるようになった。高校では修了式・離任式も中止となり、4月初旬まで生徒たちは自宅待機となった。

 3月上旬、積雪が1m前後ある。下の写真は自宅近くの歩道と、山形大学工学部本館。

Cimg2748 Cimg2752


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東日本大震災から10年 1... | トップ | 東日本大震災から10年 3... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

東日本大震災に寄せる想い」カテゴリの最新記事