熊本地震から2ヶ月、14日米沢温故会の例会が、今回はいつもの会場(法音寺)ではなく、窪田の千眼寺で早朝の6時半から開催された。会場には車で6時前には到着したが、既に会員5・6名は来ていた。
上杉家の重鎮色部家の菩提寺であることから、色部家の話を住職から聞いた。50名近い会員が朝早くから集まった。
戊辰戦争末期の新潟方面での戦いで活躍した、色部長門久長(いろべながとひさなが)という方の新潟と米沢(上杉伯爵邸内)にある、追念碑や記念碑の碑文について詳しく解説していただいた。
法話のあとは、色部家の墓や保呂羽堂など境内を案内していただいた。
色部家の墓 ↓ 住職の説明を聞く会員 ↑
長門久長の偉業を偲びの旧家臣127名が建立した酬恩碑 ↑
米沢市のホームページに「城下町ふらり歴史探訪」という、特集記事があります。
その中に色部氏の記事もありますので、下のURLをクリックしてみて下さい。
色部長門追念碑 http://www.city.yonezawa.yamagata.jp/1164.htm
他にも様々な記事がありますので、参考にご覧下さい。
色部氏と菩提寺千眼寺 http://www.city.yonezawa.yamagata.jp/1163.htm
保呂羽堂 http://www.city.yonezawa.yamagata.jp/1121.htm
↓ 米沢日報デジタルの昨年末の記事です。 http://www.yonezawa-np.jp/html/news/2013/201312103.html
保呂羽堂・千眼寺で裸餅つき 12月10日
米沢市窪田町窪田の保呂羽堂・千眼寺で恒例の歳越し餅つきが4日行われた。寒さが凍てつくなか、さらしを巻いた保呂羽堂餅つき有志会ら25人が煉歌・搗歌・揚歌を歌いながら裸餅つきを披露。最後の一番に天井へと餅を突きあげると、観衆からは大きな歓声があがっていた。
早朝5時から始まり、この日つかれた餅は約700キロ。地域住民らが納豆餅やあんこ餅、雑煮にし、県内外から訪れた人々に振る舞われた。訪れた人たちは「天井につきあげ、迫力があった。お餅もおいしい」と話し、大きな口で味わっていた。
毎年恒例の同行事が始まったのは300年以上前の寛永18年。虫害による大凶作にみまわれた際、保呂羽堂の砂を撒いたところ豊作になり、その秋から感謝と祈りを込めて、新年の豊作を願って行われている。
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