年号が平成から令和に変わり2日目も何事もなく過ぎ去ろうとしている。
花の命は短く、10日前に咲き誇っていたみちのくのさくらも、今は見る影もなく、葉桜となってしまった。
先月の24日、高畠のまほろば緑道の桜を眺めてから、西へ車で5分、最上川右岸の資福寺跡に立ち寄った。
高畠町観光協会の記事を抜粋 URL; http://takahata.info/detail/?no=2260
伊達家の墳墓(資福寺跡) だてけのふんぼ
伊達家の供養墓
当地方は伊達宗遠(8代)以降、7代にわたり(9代~14代:儀山政宗、氏宗、持宗、成宗、尚宗、稙宗)、高畑城を中心に施政が行われてきた。高畠は、伊達家の本拠赤館城(現桑折町)と地理的にも近く、しかも二井宿峠を背に要害の地であることから選定されたといわれる。その後、晴宗(15代)から米沢城に移り、17代・貞山政宗の天正19年、岩出山城(岩出山町)に移されるまで、伊達家は210年の間、置賜を統治した。
【夏刈伊達家の墓】
資福寺跡、松川の右岸川西街道のそばに4基の五輪の墓石がある。儀山政宗夫婦、独眼竜の父輝宗と、殉死した重臣遠藤山城守の五輪塔であり、これは後年、供養墓として祀られたものといわれている。
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