水曜は遠足。Warren Centerという、郊外のフラミンガムという地にある研修所に行った。
Team buildingとは、アウトドア活動や工作などを通じてチームの結束を固める活動のこと。SloanのCore termの半年間、一緒に活動するチーム6人で一日一緒に活動する。
正直、行く前は余り期待していなかった。
どうせ、コーチング会社の無駄に元気なおにいちゃん達と野外で遊ぶだけだろう、なんて冷めた見方をしていた。
ところが、終わってみるとチーム一人ひとりの性格の違い、リーダーシップスタイルの違いなどがよく見えてきて面白かった。バランスの取れた良いチームだということがわかり、彼らと木登りしたり、工作したり、泳いだり、一緒に過ごすのが楽しかった。
朝8時にTang centerを出発。 まずは広場に集まりMediterreneanクラス60人と先輩10人、コーチ10名で輪になって、遊ぶ。 天高く、一点の曇りなく澄み渡った空は、まるで日本の秋のようだ。 最初の活動は木登り。3人一組になって、体にロープを巻きつけて、まるでロッククライミングのように登る。 しかし、ここで皆が学んだのは人は見かけによらないということではないか。 |
私も、同時に登った非常に体格のいい男性が実は木登りが不得意だったので、上から彼を引き上げて、助けて登らせた。後で皆に、何でそんなに早く登れるんだ、どこから男性を引き上げるような力が出るんだと驚かれたが、恐らく火事場の馬鹿力というものだろう。要は気合である。
木登り後、インストラクターが「今日の木登りで自分のConfortable Zoneを越えたな、という人、手を上げて」という。ちらほら手が挙がる。Confortable Zoneを越えたときに、人間は成長するらしい。
私は、アメリカに住むということ自体が毎日Confortable Zoneを越えており、木登りごときではZoneを越えない。というか、既に越えてるので、木登りはMarginalだ、とでも言うべきか。
午後はまず、目隠しをされてチームメンバーに助けられながらタスクをこなすゲームなどをやる。やっているうちに、チームの性格がだんだんわかる。
私のチームは6人で、うち4人がアメリカ人(しかも白人)、残りがイスラエル人のShlomiと私である。皆おもしろいバックグラウンドだ。
- KristinはNew Yorkの出身で、JP Morganのソフトウェアエンジニア。トレーダーが使うソフトの社内開発をしている。趣味はトライアスロン。普段はおとなしいが、しっかり「仕事をこなす」信頼できる女性。
- Toddはアリゾナ出身で、今は西海岸で技術ベンチャーをやっているエンジニアだ。外向的な性格で、人なつこい顔で誰にでも話しかける。気分屋なところもあるが、アイディアマンで、いつも色んなアイディアにあふれている。
- Johnはシカゴ出身のエンジニア。大学卒業後、原子力関係のベンチャーで2年。年はチームで一番若い25歳。おしゃべりだが、初めての人には内向的。問題解決は得意で、「これだ!」というアイディアを見つけたら、一気に駆け抜ける、典型的なエンジニアタイプ。
- Adamはユダヤ系アメリカ人で西海岸出身。両親とも弁護士でヒッピーだったというが、彼自身も自由な人生を歩んでいる。大学を終えて3年は大手経営コンサルで働いたが、今はモザンビークやカンボジアなど世界中のNGOを渡り歩く。Harvard KennedyスクールとのDual programで、昨年はケネディスクール、今年はMIT、来年両方やって卒業するという。ものの見方がいつもトップダウンで、全体像を見て判断するのが得意。
- イスラエル出身のShlomiは、軍隊にいた後、会計コンサルのデロイトへ。ベイビーフェイスだが、もう33歳で、チームの最年長。静かににこやかにチームを見守り、最後に気の利いたジョークを言って閉める。たまに真剣になると、とてもアグレッシブだ。仕事柄か、細かいところまで最後のチェックを怠らない。
最後のボート作りは、そんなメンバーの一人ひとりの強みが、絶妙なバランスで発揮されて、とてもうまく行った。 Johnがボートを設計し、Toddは他チームに協力要請に行って点数を稼ぎ、KristinとShlomiがボートを実際に作り、Adamは全体を見てチェックをし、私は全体を見ながら足りない仕事のAssignをして、チームの歌を作って点数を稼ぎ、危険な最初の航海を買って出た。 |
上の写真は我々のボートで3度目の航海。左が4度目。もう壊れかけているが、この直後に壊れた。 |
最後に、壊れたボートと記念写真。 我々のチームの得点はMediterreneanクラス10チームの中では2位の1100点。 へとへとに疲れて、帰途に着いたのは6時過ぎ。 でも楽しかった。チームメンバーに誰も「僕が私が」タイプがいないので、私も変に頑張る必要がない、というのがいい。ゆっくり、いつもの自分でいられるから。 |