見沼・風の学校BLOG

知るより感じろ。――見沼田んぼ福祉農園で日々耕作をしているボランティア団体、見沼風の学校のブログです。

農的若衆宿2011 ~百姓の底力~に向けて 4

2011年11月09日 | 農的若衆宿
この記事は、今年大学生になったばかりのスタッフが書いたものです。
とはいいつつ、彼は小学校の頃から見沼・風の学校に関わっています。

そんな彼の思いを感じ取ってください。


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何を耕すのか?―311への直感―

3月、緊迫した様子を伝えるテレビは、原発の建屋が吹っ飛ぶ映像を我々に突き付けた。その時覚えた恐怖と不安は何だったか。自分が被曝するかもしれないという身に迫った危機に対して、我々が対応できる手段はゼロであった。まず放射能というもの自体まるで掴みどころがなく、どのように状況を捉えればよいのか全く分からなかった中、できる限りの所から情報を取り寄せ、食いつないで耐えしのいでいた。そして、どうやら問題の終息には途方に暮れるような時間が必要になると分かれば、茫然とするほかなかったはずだ。
 早くも8ヶ月が過ぎた。節電の夏が過ぎ、秋が来て、冬を予感させる今、原発事故を伝えるニュースはもはや旬を過ぎた話題のように響く。シンサイとゲンパツという言葉のある状況にすっかり包み込まれ、一度は疑ったはずの日常を再び肯定し生きざるを得ない状況がある。あんなに天地がひっくり返ったにも関わらず、それでも風化は起きてしまう。
 人々はあまりにも自らの神経をよそに託し過ぎたように思う。私一人の力では原発とか震災に太刀打ちならないが、専門用語が飛び交う界隈があることで世の中はなんとか体裁を保っているように見える。その言葉を発する連中はことごとく下らないが、しかし一方で彼らに頼らざるを得ないのだから、もうそこに任せてなんとかなってくれればいい。でなければ、身の回りが保障されさえすればいい。まるで祈るようにして生きているようだ。
 
 ところで、当然農園も存亡の危機に立たされた。今後農園の野菜が食べられなくなるかもしれない。そこでありとあらゆる手段を用いて対抗し活動し続ける選択をとった。事故直後に放射能に関するレクチャーと意見交換を行ったことは、農園が早くから放射能問題に対抗する足場を持っていたことを示している。
 このような行動を可能にしているのは、農園に来る人達と、農園がやってきたこと、農園という土地の3つの要因があると思う。開園以来、農園は実に多くの人たちによって維持され、自立するための強固なエンジンを備えてきた。加えてその維持に関わった多くの人とは本当に多様で、はたから見れば異様な集団にも見える。この多種多様な人達の知恵を統合的に活用することで、農園は回り続けている。
 また、農園にいることで、我々は素朴な季節感を感じることができる。自分の五感を通して季節を感じ、その微妙な変化を察知して、畑に手を加えていかなければならない。一見自然にも思えるこの行為は、自分自身を信頼していなければ不可能である。ここには与えられた情報のみで生きていく方法とは違って、主体的な判断が迫られる。自分の五感は自分にしか感じ取れないのだから、自分自身の感覚を信頼せねばならなくなる。
農園で作業することは、そのまま自分で思考し行動するための選択の幅を広げることにつながるのだ。あらゆる方向から集まった知恵と自らの直感を通して、得体のしれないものに対して少しずつ解読し対応する術を身につけることができる。未曾有の大災害と、それをも上回る日常の作用に対抗する手段を、農園では耕し語ることで鍛えるのだ。



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