【サバキャンと若衆を終えて】
まずは夏のサバキャンから。「土着力‐人と土地をむすぶ力‐」というテーマを掲げ、様々な思いを抱きながら準備から関わってきたわけだが、これはきっかけでここからだなぁという思いを抱いていた。それは農園全体にとっても参加者一人ひとりにとっても。もちろんスタッフ2年目、学生最後の夏に途中参戦で実行委員長になった私にとっても。
今回、農業や教育や行政の分野で地域で活動されている方々を招いてお話しを聞いた。加えて農園の協議会団体についても勉強会を開いた。数時間のお話や発表ですべてを把握することなんてできないが、農園や地域での活動について学ぶことで農園の根源と今後を複数の視点から探ることができたのではないか。もちろん企画のためだけにお話しを聞いたわけではなくこれから関わっていくための勉強会である。これからが大切だ。
サバキャンが始まる前に「今まで」と「これから」、「昔からあるもの(以前からいる人)」と「新しく生み出すもの(新しく来た人)」を繋ぐ1週間にしたいと思っていた。このどういうサバキャンにしたいかというのは純三さんととても時間をかけながら言葉にしていった。スタッフ歴も、農園とのかかわり方も、年齢も、生活環境も異なる中で、時に面倒くさくなりながら(時に父の心配を受けながらも)深夜の電話で言葉にしていった。
人がそこにいるから利害関係が発生し、色々と問題も出てくるけれど、それでも365日人がいる農園に、毎日何かしらの作物が成長している農園に「今年度と次年度」といってビーっと線引きをするのはやっぱりおかしい。3月31日と4月1日の活動に大きな変化はないし、写真で振りかえってみても堆肥、耕耘、畝立て、種まき、収穫、撤収を1年間繰り返している。そこで活動している人を思った対応をとってもらえるよう主張して歩み寄れたらと思う。少なくとも一緒に汗をかいている人間として、障害者の生活の場、表現の場という農園に対する公有地化事業の出発点を忘れないでいたい。
明学生約20人が「ボランティア特別実習」という講義の中で参加した今回の若衆。若衆を終えて私はその子たちの前で自分と農園の関わりを話す機会をいただいた。理由は様々だろうけど講義をとって農園に来た明学生に夜の勉強会で聞くことができなかった農園の活動やボランティアについて考えてみてほしいと思ったのは正直な気持ちである。しかし、ボランティアにまったく興味のなかった私が(今も全く自覚はないけど)ちゃんと話せるのかなと思って、少し考えてみた。
ボランティアっていうのは「与える」と「もらう」の2本線だと思う。しかも自己中心的な思いから始めた(良く言えば主体的な、とか、自分軸でとか言えればいいんだけど・・・)私のボランティアは「与える」ではなくて「もらう」ものが多い。今まで出会わなかった他者との関わりかた、人生の中の時間とお金の稼ぎ方への考え方、野菜の知識、法律の話、進路決定などなど。もしかしたらそっちのほうが多いのかもしれない。一番の理由は濃い人間関係なのはわかっているけど、だから続けられるんだと思う。
代表が若衆のとりまとめで土に堆肥を入れる作業について、『土に戻していくものがないと何もない。与えるものがないと何も生まれるものはない。畑作は特にそう。互いの関係がないと人の問題もない。万人は一人のために、一人は万人のために』ということをおっしゃっていたのがすごく耳に残っていて、本当にそうだなって思った。この1年半で一気に生活が農園に染まってしまっているわけだけど、私が農園で「ボランティア」しているのは、それと引き換えに何かをもらっているのだ。だから、社会人になってもこの場はあり続けてほしいし、私のことを支えてほしいと思う。というか支えてくれるんだろうなという不確かな確信があるから千葉から通えるのだと思う。
今回新しく生まれた出会いも以前から繋がりのある関係も両方大切にしていきたいと強く思う。私がこうして書くことで一人でも多く農園を支える人が増えればいい。
さき
まずは夏のサバキャンから。「土着力‐人と土地をむすぶ力‐」というテーマを掲げ、様々な思いを抱きながら準備から関わってきたわけだが、これはきっかけでここからだなぁという思いを抱いていた。それは農園全体にとっても参加者一人ひとりにとっても。もちろんスタッフ2年目、学生最後の夏に途中参戦で実行委員長になった私にとっても。
今回、農業や教育や行政の分野で地域で活動されている方々を招いてお話しを聞いた。加えて農園の協議会団体についても勉強会を開いた。数時間のお話や発表ですべてを把握することなんてできないが、農園や地域での活動について学ぶことで農園の根源と今後を複数の視点から探ることができたのではないか。もちろん企画のためだけにお話しを聞いたわけではなくこれから関わっていくための勉強会である。これからが大切だ。
サバキャンが始まる前に「今まで」と「これから」、「昔からあるもの(以前からいる人)」と「新しく生み出すもの(新しく来た人)」を繋ぐ1週間にしたいと思っていた。このどういうサバキャンにしたいかというのは純三さんととても時間をかけながら言葉にしていった。スタッフ歴も、農園とのかかわり方も、年齢も、生活環境も異なる中で、時に面倒くさくなりながら(時に父の心配を受けながらも)深夜の電話で言葉にしていった。
人がそこにいるから利害関係が発生し、色々と問題も出てくるけれど、それでも365日人がいる農園に、毎日何かしらの作物が成長している農園に「今年度と次年度」といってビーっと線引きをするのはやっぱりおかしい。3月31日と4月1日の活動に大きな変化はないし、写真で振りかえってみても堆肥、耕耘、畝立て、種まき、収穫、撤収を1年間繰り返している。そこで活動している人を思った対応をとってもらえるよう主張して歩み寄れたらと思う。少なくとも一緒に汗をかいている人間として、障害者の生活の場、表現の場という農園に対する公有地化事業の出発点を忘れないでいたい。
明学生約20人が「ボランティア特別実習」という講義の中で参加した今回の若衆。若衆を終えて私はその子たちの前で自分と農園の関わりを話す機会をいただいた。理由は様々だろうけど講義をとって農園に来た明学生に夜の勉強会で聞くことができなかった農園の活動やボランティアについて考えてみてほしいと思ったのは正直な気持ちである。しかし、ボランティアにまったく興味のなかった私が(今も全く自覚はないけど)ちゃんと話せるのかなと思って、少し考えてみた。
ボランティアっていうのは「与える」と「もらう」の2本線だと思う。しかも自己中心的な思いから始めた(良く言えば主体的な、とか、自分軸でとか言えればいいんだけど・・・)私のボランティアは「与える」ではなくて「もらう」ものが多い。今まで出会わなかった他者との関わりかた、人生の中の時間とお金の稼ぎ方への考え方、野菜の知識、法律の話、進路決定などなど。もしかしたらそっちのほうが多いのかもしれない。一番の理由は濃い人間関係なのはわかっているけど、だから続けられるんだと思う。
代表が若衆のとりまとめで土に堆肥を入れる作業について、『土に戻していくものがないと何もない。与えるものがないと何も生まれるものはない。畑作は特にそう。互いの関係がないと人の問題もない。万人は一人のために、一人は万人のために』ということをおっしゃっていたのがすごく耳に残っていて、本当にそうだなって思った。この1年半で一気に生活が農園に染まってしまっているわけだけど、私が農園で「ボランティア」しているのは、それと引き換えに何かをもらっているのだ。だから、社会人になってもこの場はあり続けてほしいし、私のことを支えてほしいと思う。というか支えてくれるんだろうなという不確かな確信があるから千葉から通えるのだと思う。
今回新しく生まれた出会いも以前から繋がりのある関係も両方大切にしていきたいと強く思う。私がこうして書くことで一人でも多く農園を支える人が増えればいい。
さき