見沼・風の学校BLOG

知るより感じろ。――見沼田んぼ福祉農園で日々耕作をしているボランティア団体、見沼風の学校のブログです。

農的若衆宿2011 ~百姓の底力~ 島岡さんとの出会いから2

2011年11月29日 | イベント告知
島岡さんとの若衆宿を終えてのスタッフの文です。
これを書いたスタッフは8月に島岡さんの住む窪川を訪問しています。


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11月12日、農園に到着すると、8月にお会いした時と変わらない笑顔で島岡さんが迎えてくれた。相変わらず話しだすと止まらない。でも面白いから引き込まれていく。止まらない話を聞きながら、島岡さんはつねに動き続け考え続け耕し続けている人なのだと改めて感じた。
夜の勉強会を聞いて、8月にいろいろとお話を聞いた時とは違って、自分にとっては原発反対運動時代よりもその後の活動のことが印象に残っている。
島岡さんの運動は何も終わってない。あの時、たぶんその前からずっと続いていて、これからも続いていくのだと確信した。「窪川のことは窪川で」という方法で、そこから目指す地域の未来に向かい続け、闘い続けているのだと思う。8月に私たちは、島岡さんたちが命をかけて守ったまち、命をかけて守り続けているまちに、迎えてもらって、そこでとれた食べ物を口にし、その土地が育てた人たちと出会わせてもらったのだと思う。
命をかけて守りたいと思う場所はどんなところか。さまざまな人に様々な命をかけて守りたい場所があると思う。私がすぐに思い浮かぶのは農地である。百姓は長い時間をかけて土を耕し、その土地とともに生き、そこで命を生みだしてきた。農地とは現在だけではなく、過去や未来すべてを含む大きな時間のなかで存在している。百姓にとっては、その農地があるそこでしか生きる意味がないと言っても過言ではないほどのものではないだろうか。彼らが命をかけて原発から地域を守り、そして今もそこでの未来のために動き続けている。私にとって、百姓が自分たちの土地の未来を思い、命をかけてその土地を守ろうとすることは、とても当たり前のように感じられる。
福祉農園にも存続の危機が訪れたことが何度もあったと思うが、それでも耕し続けてきた過去や耕し続けていく未来があるのだと思うと、農園のあの土やあの空間がとても愛おしく感じられる。
 現在、原発計画が進行中の山口県上関町では、3.11後に再選した町長が先頭に立って、原発に頼らない場合の町政を考えるために東京のコンサルタント会社に130万もお金を払っているらしい。原発に頼らないために何か産業を考える時、新しいものを考えることよりも、それまでの土地の記憶を掘り起こして、まず自分たちがその町で暮らしていけるように、漁業や農業に目を向けていくことができないだろうか。農業や漁業とともに生きてきた歴史があったからこそ、それが矛盾した考えだとしても、その土地に原発を誘致してでも住み続けたいという執念があるのだろう。自分の土地を持って、自分の土地で生きながら彼らとどうつながれるのか。そのうえで、「上関のことは上関で」決めなければならないのだと思う。
島岡さんの言う「まず命を捨てる」なんてことは、私はとてもまだ口にできないけれど、自分の土地を持ち、暮らしていくことから始めたいと思う。



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農的若衆宿2011 ~百姓の底力~ 島岡さんとの出会いから1

2011年11月29日 | イベント報告
先日終了した「農的若衆宿2011 ~百姓の底力~」。
そこに参加したスタッフが島岡さんとの出会いを通して感じたことをまとめました。
ここから幾つかの記事に分けて紹介します。

島岡さんが勉強会で話していたことをに触れている部分が多いため、わかりづらい部分もあるかと思いますが、その様子を想像しながらご一読いただければと思います。


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今回の島岡さんの話をきいて、私は以下のことを思い出した。

3/27にTBSラジオで放送された「文化系トークラジオLife」という番組にて、神里達博氏(東京大学特任准教授 科学史 科学論)が以下のような話をしている。

3月10日に新聞社の方から「最近原発問題があまり社会的に注目されていない。どうすれば眼を向けることが出来るか企画を考えたい」という相談が来ました。嘘みたいな話ですが。
人間のリスク認知出来る範囲は決まっていて、たくさんのものを同時に怖がることはできない。ある種のものが怖いという時には認知が高まるし、ニュースも多くなる。
私はここ10年くらい大学の授業で学生に、「一番最初に思いつく怖いものは何?」というアンケートをとっています。そうするとみんな、医療とか食べ物とかバイオ系のものがリスクのイメージとして多く出てくる。そして前回アンケートを取ったときに、ついに原子力発電所が0になった。

(2011/03/27 放送 文化系トークラジオLife 「このメディア環境を生きる」より要約)

上記の話にあるように、私たちがリスクと感じたり、脅威を感じることができる範囲は限られている。
そして、神里氏が授業の際にとったアンケートの話からもわかるように、その内容は常に時事的なニュースに左右され常に移り変わっていく。一つの脅威に立ち向かう術を持たないまま、また別の脅威に脅かされる。足場は不安定なまま、なんとなく日常を生きている。
脅威の対象は常にうつろだ。

ただ、島岡さんはそうではない。足場を固め、脅威に立ち向かっている。
勉強会中、島岡さんは反原発だけではなく、遺伝子組み換え作物やCo2削減についても言及していた。
正直、遺伝子組み換え作物についてなど、今の自分には頭になかった。
島岡さんにとっての脅威の対象はうつろではない。
そのことにはっとさせられた。
そして島岡さんの行動の元となるものが、「四万十町を食糧生産の町にする」ということだった。
反対活動にしても、遺伝子組み換え作物反対も、すべてそこが出発点だ。
そしてその出発点は何も脅威に対するものだけではない。
「四万十町を食糧生産の町にする」ということを実現させるために、前向きに様々な事業に取り組んでいる。中国電力が発行しているペーパーが島岡さんの朝霧の活動の記事を掲載したという話は、笑ってしまったが、その出発点がわからなければ、そこにある皮肉さも気づかないだろう。
脅威に対して立ち向かうことでも、事業に取り組むことも、そこに一歩でも近づこうとすることから始まっている。
これが島岡さんの力強さの素になっているのだと感じた。

現在、放射能関連の日々報道されるニュースに一喜一憂させられる毎日だ。
私の足場はどこだろうか、出発点はどこだろうか。
それを決めることが、始まりなのだと痛感させられた。



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ところで、先日京都で開催されたアートミーツケア学会に参加するために風の学校スタッフ数名で京都・大阪を回る旅をしてきました。

詳しくは以下から見てみてください。

アートミーツケア学会2011年度総会・京都大会

そこでのことも後々報告できたらと思っています。



2011 見沼田んぼ福祉農園 収穫祭 無事終了

2011年11月26日 | イベント報告
今週の水曜日に開催された、2011 見沼田んぼ福祉農園「収穫祭」。
今年も例年にもれず、天気に恵まれ、無事終了致しました。
これまで、収穫祭では雨に振られたことがありません。勤労感謝の日は体育の日以上に雨の降らない祝日と言っていいのではないでしょうか。
それでは、収穫祭の様子を写真で振り返ってみたいと思います。




豚汁調理中。


お米はこのドラム缶で炊きました。
収穫祭の主役は、なんといっても見沼の新米と農園野菜の豚汁です。


会場はこんな感じです。


人がいるとこんな様子。




羽釜で炊いたお米。配膳中。


皆でお米と野菜を味わいます。



福祉農園関係者以外にも、近所の農家の方をはじめとして様々な方がいらして下さいました。せっかくなので、挨拶をお願いしている様子。




ちょっとした演奏会も。


最後に集合写真。


福祉農園のブログでも当日の様子が紹介されています。
こちらもご覧下さい。

第26回見沼の新米を食べる会 晴天に恵まれ無事終了

見沼田んぼ福祉農園収穫祭2011 準備作業点描

見沼田んぼ福祉農園収穫祭2011 点描

見沼田んぼ福祉農園収穫祭2011 点描2



今年の収穫祭は80名以上の方が参加して下さいました。
とても平和な空気に満ちた日となりました。
来年もまたこのような収穫祭ができることを願っています。

2011 見沼田んぼ福祉農園 収穫祭 開催のお知らせ

2011年11月21日 | イベント告知
「農的若衆宿2011 ~百姓の底力~」、「さいたま市 農業祭」とイベント続きですが、
私たち見沼・風の学校だけではない、見沼田んぼ福祉農園全体のイベントのお知らせです。

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第26回 見沼の新米を食べる会 
第13回見沼田んぼ福祉農園 収穫祭

日時:11月23日(水) 勤労感謝の日 12:00~

場所:見沼田んぼ福祉農園 芝生広場

参加費:500円



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詳しくは以下のサイトからご覧ください。

11月23日(水)勤労感謝の日 恒例 第26回 見沼の新米を食べる会


また、去年の収穫祭の様子は以下から見てみてください。


2010年11月23日 見沼田んぼ福祉農園収穫祭

2010年 見沼田んぼ福祉農園 収穫祭点描 1

2010年 見沼田んぼ福祉農園 収穫祭点描 2

2010年 見沼田んぼ福祉農園 収穫祭点描 3

克己絵日記と写真でつづる見沼福祉農園収穫祭(11.23)

年に一度の収穫祭です。
参加希望される方は、ご一報ください。




さいたま市 農業祭出店 無事終了しました

2011年11月20日 | イベント報告
先日ブログで告知しました、見沼・風の学校のさいたま市農業祭出店が無事終了しました。

その様子を紹介します。

農業祭の会場入り口です。



こんな様子で出店していました。





これが今回の目玉、カチン料理です。



結構盛況。



土曜日はあいにくの雨でしたが、日曜日は天気に恵まれましたね。
来場していただいた方はありがとうございました!

さいたま市 農業祭に出店します

2011年11月17日 | イベント告知
さて、先日農的若衆宿が無事終了したばかりですが。
見沼・風の学校では、来週末に開催されるさいたま市の農業祭に出店します。

概要は以下です。

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さいたま市 農業祭

◆日程
平成23年11月19日(土)~20日(日)
9:00~15:30 (営業時間)

◆場所
見沼グリーンセンター(さいたま市見沼区)
JR土呂駅より徒歩15分

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出店は「見沼田んぼ福祉農園協議会」という名前の場所で行います。
土曜日は平日活動していらっしゃる団体の方々が出店を行い、風の学校は日曜日に出店します。


毎年出店している農業祭ですが、今年は「カチン料理」をメインに出店を行います。
カチン料理の「カチン」とはなにか。

カチンとは、ビルマ(ミャンマー)の少数民族の「カチン族」のことです。
現在ビルマ軍はビルマに住む少数民族に対し、圧政をしいています。
カチンを始めとして少数民族の人々はビルマ軍の圧政から逃れるため、各国へ散り、難民として暮らしています。
そのうちの一部の人々が日本にも来ているわけです。

そんなカチン族の方と風の学校が出会い、今回の農業祭の出店に至りました。
今回の農業祭のために、先日カチン族の方が福祉農園に来園し、カチン料理の手ほどきをしてくださいました。
料理に使う野菜は福祉農園でとれたもを使用します。

お時間のある方は、是非農業祭に来て、カチン料理を味わってみてください。


農業祭全体の詳しい内容・会場へのアクセスは以下のサイトから確認できます。

2011 さいたま市農業祭

会場のマップは以下です。

農業祭会場案内図(PDF)

11月はイベントが目白押しで、11月23日には見沼たんぼ福祉農園の収穫祭も控えています(これについては別途記事を掲載します)。

詳細について知りたい方は、コメント欄などにご連絡ください。




農的若衆宿2011 ~百姓の底力~ 無事終了

2011年11月16日 | 農的若衆宿
農的若衆宿2011 ~百姓の底力~ 無事終了

「農的若衆宿2011 ~百姓の底力~」が先日無事終了しました。
二日間天気にも恵まれ、二日間で計36名が参加しました。
当日の様子は以下の福祉農園ブログの記事を見てください。

11月12日 竹の拡大阻止と伐採した木を薪にする

11月12日 高知県窪川原発を止めた島岡幹夫さん来園る

また上記の記事にもありますが、島岡幹夫さんが来園され、勉強会だけでなく2日間にわたり農業指導をして下さいました。現在風の学校の畑には、島岡さんの手による力強い畝がいくつも並んでいます。

勉強会では、島岡さんのこれまでの反原発活動についての話だけでなく、四万十町での様々な活動にも話題が及び、島岡さんの力強さと奥深さが感じ取れる充実した時間になりました。
興味のある方は、勉強会中に資料として配られた以下の記事を読んでみてください。

蚯蚓(みみず)と憲法9条

島岡さんはこの若衆宿を通して、頭と体で、今後の私たちの生き方の指針を示していただいたような気がします。
その姿はまさに「耕しながら考える」だったように思います。

そして参加したみなさんも、お疲れ様でした。
また福祉農園で会いましょう。


農的若衆宿2011 ~百姓の底力~ 勉強会について

2011年11月11日 | 農的若衆宿
今週末に予定されている「農的若衆宿2011 ~百姓の底力~」。
夜の勉強会の詳細な内容が決定しました。

勉強会だけの参加も可能ですので、興味を持った方はご連絡ください。


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■「人類は危ないものをつくりすぎた、これから農業
:見沼・窪川から、福島へ

高知県窪川町(現四万十町)。四万十川流域に広がるこの自然豊かな農村に、原発建設が計画されたのは今から30年ほど前のこと。生命を育む農的の論理と、生命を脅かす原発の論理とは相容れないと、農民や漁民を中心に保革を越えて多様な住民たちが反対運動に立ちあがり、10年間の<たたかい>の後、計画を白紙撤回させました。
 このような反対運動と、それを支えた住民の自主的学習の延長で、現在、窪川―四万十町では、豊かな環境資源を保全・活用・創造するため様々な仕事づくりや、住民自治活動が展開されています。
 窪川原発反対運動と同じころ、見沼田んぼでは、多様な人々によって、農業によって見沼を守る活動が始まります。その活動の先に福祉農園が1999年に生まれ、今、13年目を迎えようとしています。

 今回の農的若衆宿では、窪川原発反対運動のリーダーで、有機農業者でもある島岡幹夫さんをお招きします。島岡さんが原発を如何に拒否し、国内外の仲間と<たたかい>を組織したのか、<たたかい>の後に、今どんな社会的な事業を企てているのかを伺います。
 これ受けて、見沼田んぼ福祉農園の若者が応答します。3月11日以降、彼らはそれぞれ福島や宮城、岩手、そして見沼の現場で、原発危機と向き合い、これからの大地と共にある暮らしを考えてきました。
 両者の対話を通じて原発危機の中に生きる私たち、今、何をなすべきか、見沼田んぼの大地の上で考えます。

オープニング 20分
 いのちのまつりオープニング映像上映+講師紹介(猪瀬浩平より)

第一部 長老講話 
講演 猪瀬良一「いのちの祭りから福祉農園構想、そして農園14年の歩み」 
島岡幹夫「原発反対運動から、生命を育む里へ」 
第二部 若衆からの応答「3・11以後の世界で生きる」 
指定応答者 面川常義「原発事故の後を生きる」
     戸沢竜也「被災地支援から見えたもの」
     石井秀樹「見沼・福島・チェルノブイリ」
     安藤聡彦(埼玉大学教育学部)+参加者から
進行   猪瀬浩平



主催  見沼・風の学校
共催  見沼・田んぼ福祉農園
申込  見沼・風の学校事務局
    kazekoukou●ybb.ne.jp(●を@に変換)
      090-6938-9211 (猪瀬)

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農的若衆宿2011 ~百姓の底力~に向けて 5

2011年11月10日 | 農的若衆宿
今回は、新潟出身のスタッフによる文章です。
中越地震を経験している彼女が今回の震災で感じ取ったものが書かれています。


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3.11からずっと、初めて聞く難しい言葉と初めて見る映像と、人伝いの本当かどうか疑わしい話たちが、確かめることもできずに私の周りにたくさんあった。

今私の問題意識はどこにあるのだろうか?
たくさんの重大なことがあるけれども、それでも一番気になったのは地元のことであった。
余談だがわたしは15歳の秋に震災で被災している。しかし幸いなことに地元はそこまで被害はなく、亡くなった方もいない。電気がなくて寒くて車で寝た心細い夜のことや、やっとお風呂に入れてお湯に足を伸ばした嬉しさとか、それらは強烈に覚えているけれど、それだけで避難生活の苦労は知ったような顔をすることはできない。

実家は近くの海沿いの原発から20キロ圏内。正確にいえば18キロ。
それが怖いと思ってこなかった私が怖い。だって知らなかった、そんなリスク聞いたことがなかった、いいことだって教えたのは…ではもう済まされないと思う。
言い方に偏りがあるかもしれないが、知ってしまったからにはある種の責任があるのではないだろうか。もっといえば今回の若衆でお会いできる島岡さんや百姓の方、その他にも集まるたくさんの人と出会うことで、出会ってしまったからにはその人と関わる、話を聞いて考えるという責任が生まれると思う。
20キロという距離は変わらない。私は地元が大好きだということも、そこに住んで関わっていこうとすることも変える気はない。
それだったらこれからの話をしたい。人と出会って話をして地元へとつながるような。



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農的若衆宿2011 ~百姓の底力~に向けて 4

2011年11月09日 | 農的若衆宿
この記事は、今年大学生になったばかりのスタッフが書いたものです。
とはいいつつ、彼は小学校の頃から見沼・風の学校に関わっています。

そんな彼の思いを感じ取ってください。


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何を耕すのか?―311への直感―

3月、緊迫した様子を伝えるテレビは、原発の建屋が吹っ飛ぶ映像を我々に突き付けた。その時覚えた恐怖と不安は何だったか。自分が被曝するかもしれないという身に迫った危機に対して、我々が対応できる手段はゼロであった。まず放射能というもの自体まるで掴みどころがなく、どのように状況を捉えればよいのか全く分からなかった中、できる限りの所から情報を取り寄せ、食いつないで耐えしのいでいた。そして、どうやら問題の終息には途方に暮れるような時間が必要になると分かれば、茫然とするほかなかったはずだ。
 早くも8ヶ月が過ぎた。節電の夏が過ぎ、秋が来て、冬を予感させる今、原発事故を伝えるニュースはもはや旬を過ぎた話題のように響く。シンサイとゲンパツという言葉のある状況にすっかり包み込まれ、一度は疑ったはずの日常を再び肯定し生きざるを得ない状況がある。あんなに天地がひっくり返ったにも関わらず、それでも風化は起きてしまう。
 人々はあまりにも自らの神経をよそに託し過ぎたように思う。私一人の力では原発とか震災に太刀打ちならないが、専門用語が飛び交う界隈があることで世の中はなんとか体裁を保っているように見える。その言葉を発する連中はことごとく下らないが、しかし一方で彼らに頼らざるを得ないのだから、もうそこに任せてなんとかなってくれればいい。でなければ、身の回りが保障されさえすればいい。まるで祈るようにして生きているようだ。
 
 ところで、当然農園も存亡の危機に立たされた。今後農園の野菜が食べられなくなるかもしれない。そこでありとあらゆる手段を用いて対抗し活動し続ける選択をとった。事故直後に放射能に関するレクチャーと意見交換を行ったことは、農園が早くから放射能問題に対抗する足場を持っていたことを示している。
 このような行動を可能にしているのは、農園に来る人達と、農園がやってきたこと、農園という土地の3つの要因があると思う。開園以来、農園は実に多くの人たちによって維持され、自立するための強固なエンジンを備えてきた。加えてその維持に関わった多くの人とは本当に多様で、はたから見れば異様な集団にも見える。この多種多様な人達の知恵を統合的に活用することで、農園は回り続けている。
 また、農園にいることで、我々は素朴な季節感を感じることができる。自分の五感を通して季節を感じ、その微妙な変化を察知して、畑に手を加えていかなければならない。一見自然にも思えるこの行為は、自分自身を信頼していなければ不可能である。ここには与えられた情報のみで生きていく方法とは違って、主体的な判断が迫られる。自分の五感は自分にしか感じ取れないのだから、自分自身の感覚を信頼せねばならなくなる。
農園で作業することは、そのまま自分で思考し行動するための選択の幅を広げることにつながるのだ。あらゆる方向から集まった知恵と自らの直感を通して、得体のしれないものに対して少しずつ解読し対応する術を身につけることができる。未曾有の大災害と、それをも上回る日常の作用に対抗する手段を、農園では耕し語ることで鍛えるのだ。



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