島岡さんとの若衆宿を終えてのスタッフの文です。
これを書いたスタッフは8月に島岡さんの住む窪川を訪問しています。
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11月12日、農園に到着すると、8月にお会いした時と変わらない笑顔で島岡さんが迎えてくれた。相変わらず話しだすと止まらない。でも面白いから引き込まれていく。止まらない話を聞きながら、島岡さんはつねに動き続け考え続け耕し続けている人なのだと改めて感じた。
夜の勉強会を聞いて、8月にいろいろとお話を聞いた時とは違って、自分にとっては原発反対運動時代よりもその後の活動のことが印象に残っている。
島岡さんの運動は何も終わってない。あの時、たぶんその前からずっと続いていて、これからも続いていくのだと確信した。「窪川のことは窪川で」という方法で、そこから目指す地域の未来に向かい続け、闘い続けているのだと思う。8月に私たちは、島岡さんたちが命をかけて守ったまち、命をかけて守り続けているまちに、迎えてもらって、そこでとれた食べ物を口にし、その土地が育てた人たちと出会わせてもらったのだと思う。
命をかけて守りたいと思う場所はどんなところか。さまざまな人に様々な命をかけて守りたい場所があると思う。私がすぐに思い浮かぶのは農地である。百姓は長い時間をかけて土を耕し、その土地とともに生き、そこで命を生みだしてきた。農地とは現在だけではなく、過去や未来すべてを含む大きな時間のなかで存在している。百姓にとっては、その農地があるそこでしか生きる意味がないと言っても過言ではないほどのものではないだろうか。彼らが命をかけて原発から地域を守り、そして今もそこでの未来のために動き続けている。私にとって、百姓が自分たちの土地の未来を思い、命をかけてその土地を守ろうとすることは、とても当たり前のように感じられる。
福祉農園にも存続の危機が訪れたことが何度もあったと思うが、それでも耕し続けてきた過去や耕し続けていく未来があるのだと思うと、農園のあの土やあの空間がとても愛おしく感じられる。
現在、原発計画が進行中の山口県上関町では、3.11後に再選した町長が先頭に立って、原発に頼らない場合の町政を考えるために東京のコンサルタント会社に130万もお金を払っているらしい。原発に頼らないために何か産業を考える時、新しいものを考えることよりも、それまでの土地の記憶を掘り起こして、まず自分たちがその町で暮らしていけるように、漁業や農業に目を向けていくことができないだろうか。農業や漁業とともに生きてきた歴史があったからこそ、それが矛盾した考えだとしても、その土地に原発を誘致してでも住み続けたいという執念があるのだろう。自分の土地を持って、自分の土地で生きながら彼らとどうつながれるのか。そのうえで、「上関のことは上関で」決めなければならないのだと思う。
島岡さんの言う「まず命を捨てる」なんてことは、私はとてもまだ口にできないけれど、自分の土地を持ち、暮らしていくことから始めたいと思う。
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これを書いたスタッフは8月に島岡さんの住む窪川を訪問しています。
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11月12日、農園に到着すると、8月にお会いした時と変わらない笑顔で島岡さんが迎えてくれた。相変わらず話しだすと止まらない。でも面白いから引き込まれていく。止まらない話を聞きながら、島岡さんはつねに動き続け考え続け耕し続けている人なのだと改めて感じた。
夜の勉強会を聞いて、8月にいろいろとお話を聞いた時とは違って、自分にとっては原発反対運動時代よりもその後の活動のことが印象に残っている。
島岡さんの運動は何も終わってない。あの時、たぶんその前からずっと続いていて、これからも続いていくのだと確信した。「窪川のことは窪川で」という方法で、そこから目指す地域の未来に向かい続け、闘い続けているのだと思う。8月に私たちは、島岡さんたちが命をかけて守ったまち、命をかけて守り続けているまちに、迎えてもらって、そこでとれた食べ物を口にし、その土地が育てた人たちと出会わせてもらったのだと思う。
命をかけて守りたいと思う場所はどんなところか。さまざまな人に様々な命をかけて守りたい場所があると思う。私がすぐに思い浮かぶのは農地である。百姓は長い時間をかけて土を耕し、その土地とともに生き、そこで命を生みだしてきた。農地とは現在だけではなく、過去や未来すべてを含む大きな時間のなかで存在している。百姓にとっては、その農地があるそこでしか生きる意味がないと言っても過言ではないほどのものではないだろうか。彼らが命をかけて原発から地域を守り、そして今もそこでの未来のために動き続けている。私にとって、百姓が自分たちの土地の未来を思い、命をかけてその土地を守ろうとすることは、とても当たり前のように感じられる。
福祉農園にも存続の危機が訪れたことが何度もあったと思うが、それでも耕し続けてきた過去や耕し続けていく未来があるのだと思うと、農園のあの土やあの空間がとても愛おしく感じられる。
現在、原発計画が進行中の山口県上関町では、3.11後に再選した町長が先頭に立って、原発に頼らない場合の町政を考えるために東京のコンサルタント会社に130万もお金を払っているらしい。原発に頼らないために何か産業を考える時、新しいものを考えることよりも、それまでの土地の記憶を掘り起こして、まず自分たちがその町で暮らしていけるように、漁業や農業に目を向けていくことができないだろうか。農業や漁業とともに生きてきた歴史があったからこそ、それが矛盾した考えだとしても、その土地に原発を誘致してでも住み続けたいという執念があるのだろう。自分の土地を持って、自分の土地で生きながら彼らとどうつながれるのか。そのうえで、「上関のことは上関で」決めなければならないのだと思う。
島岡さんの言う「まず命を捨てる」なんてことは、私はとてもまだ口にできないけれど、自分の土地を持ち、暮らしていくことから始めたいと思う。
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