「はじまりは日本舞踊」 

 美作流との出会いが人生をかえました。世界はあざやかに輝き、心は自由に、踊っている時間は本当の自分に戻れる気がします。

お付き合い下さい

2009年05月14日 | 日本舞踊


図書館のある情景

                          
 私は湾岸戦争の頃、入試の失敗で茫然としながらTにやってきた。
形勢逆転のため、吹奏楽部の練習時間以外の日中は図書館に籠もろうと決心していた。女の子の色香に迷いこの決心は一ヶ月で頓挫したが、彼女を吹奏楽部に入部させることで万事解決した。T大学の図書館はもともと大学設置基準に満たないほどの蔵書数だったらしい。そこで、教員の蔵書を強制的に図書館に運び込み、その結果、岩波文庫は不揃いだったが、珍しい雑誌の復刻版と専門書が系統性もなく積み重なっていた。クーラーはなく、検索システムもなかった。たった一つのコピー機は私が触といつも壊れた。平日は六時で閉館である。思うに、かかる環境が私を鍛えたのではなかろうか。開館時間に登校し、本の位置を全て記憶、本のしかるべき箇所を書き写し、うだるような暑さで居眠りもできず、「概論」的なテキストを飛び越えて専門書から入門するという - 古風な教員が理想として夢見る学生が私だった。
そんな調子で色恋沙汰と卒業論文を両立し、オウム事件で大騒ぎの世間をせせら笑いつつ私はTB大の大学院にやってきた。が、そこの図書館には仰天した。本が多すぎる。検索システムに猛然と書名がヒットする。クーラーが気持ちよすぎていつの間にか夕方になっている。周りを見渡してみると、若手研究者の集団が突然居丈高になって「学者は閉鎖的にならず社会に奉仕するべきだ」とかなんとか主張しながら徘徊していた。しかも彼等は頭までよいらしく、いつもすたこらさっさと論文を生産しつつあった!こんな図書館ですら、私には絶対に必要だったのである。ある時、私は失恋してとぼとぼ地下書庫に降っていった。小林秀雄『文藝評論』昭和六年版のかび臭さは目にしみた。若くして死んだラディゲについて、「神の兵士に銃殺されたこの人物が垣間見たものは、正しくこの世のからくりだったのに相違ない、そして又恐らく同じくあの世のからくりだったに相違ない」とあった。色々とおいつめられていた私だったが「からくり」もまだ見えなかった。暗い書庫には一度も読まれぬ作者たちの怨霊だけが住んでいて、私の背後から薄く夕日が差している、私はそういう空間に逃げ込みたかっただけだ。恋人が住む「社会」にそんなものはないからだ。

 話に嘘が混じりだしたのでもうやめておくが、つまるところ、私にとっての図書館は、単に学問の手段ではなく、その環境への猜疑や反発から生じた悲喜劇的「情景」なのである。これからたぶん我々は大学の社会的変革の議論へ民主的に参加させられたあげく、ある人々が勝手に勝利宣言するのを見るだろう。
それで大学や図書館は意外にはやく様変わりしてしまうかもしれない。
しかしそうなってもどうせ私はまた似たような「情景」に耽るであろう。そしてそれは、感傷的だ、脱社会的だ、守株刻舟だ、憎いあンちくしょうだ、などと批判にさらされるであろう。が、それで到って被虐的に喜んでしまうのが私のような文学研究者であろう。研究者や教育者には精神の倍音のごときものが必要だ。ゆっくりと矛盾に軋みながら興奮せずに進むのだ。私など時々研究中に食欲に負けるくらいだ。要するに、大学や図書館には、勉強する人間がいる限り様々に不純な人間が生息するのであって、押し出せばみんな心太になってでてくるわけではないということだ。
 K大でも検索システムは便利である。ついでに書物も沢山買っていただけると私の研究はますます快調に進むであろう。快適さで私の頭の劣化も進むかもしれないがもうそんなことはどうでもよろしい。できれば論文も代わりに書いてもらいたいくらいだ。コピー機が少ないのは不便である。古い書物は現に朽ちつつあるのでどうにかせねばなるまいが、誰も読まないからといって黙って捨てないでほしい。私が読むかもしれないので。


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 お疲れ様でした。
兄は某大学で国語の先生をしています。
図書館だより(笑)より、面白い記事を発見したのでご披露しました。

 変わった身内ですがなかなかいい奴です。
どなたかお嫁に来てください。


あまりに写経が大変だったので、適当に改行させてもらいました。
あしからず。