Mamiのひとりごと

楽しいことも、悲しいことも。

思考のクセ

2009-03-25 | 私のつぶやき
昨日のブログで「私は逆境好き」って書いたので、なんだか、激しい人のようだな~と思われたかもしれませんが、私は決して激しい性格ではないと思ってます(笑)。
(ホント~?っていう突っ込みはしないでね)

どちらかと言うと、小心者で人前でもあまりズバズバ話をしない(タラタラ長話はするけど)ほうじゃないかと思います。



そういえば、たまたま先週の新聞で「不安障害の学会が設立された」という記事を読んで、思ったことがありました。

不安障害・適応障害・パニック障害・うつ病・PTSD・・・など、いろいろな病名があるけれど、医師が正確な診断をしてくれるかどうかが、一番重要だと思うんです。

心療内科、精神科、メンタルクリニック・・・街には、数々の病院があるけど、
いったいどこの先生が信頼できるかなんて、患者には分からないから、口コミなどで探して行くしかないのだけど、それも心の底から信用できるのかどうかなんて分からないんじゃないかな…。

不安障害って、明確な理由がないのに不安になることで、その不安が日常生活に支障をきたすってことなのだと(勝手に)思っているのだけど、それは薬で治療することが果たしてできるのだろうか?という素朴な疑問を持つのです。

もちろん本人が悪いわけではない。でもひょっとしたら、それは「考え方のクセ」を意識していくことで改善されることなんじゃないか…と思ったりもします。

自分ではなかなか気付かないのだけど、人には「思考のクセ」がある。
楽観的な方向へいきやすい人もいるし、悲観的な方向へ行きやすい人もいる。
私の知る限りでは後者が圧倒的に多く、自分もその傾向があります(汗)。



他人の話を聞いてて「なんで、そんなふうに考えるの?」と思ったことは無いでしょうか?

また、「へ~、そんな考え方もあるのか!」と思ったこともあるのではないでしょうか?


人によって、たぶんそれば経験や学習によってできていく思考のクセで、そのクセは、生きていく限り“上書き”されて変化していくものだと思います。

じゃ、どうしたら意図的に上書きできるか…?

それは、まずは「自分の思考のクセを知りたいと思うこと」からがスタートなんじゃないかな、と私は思います。


私は、会話をしていて「なんか他意がありそうな気がする…」と感じることがあります。
その時、「他意はなんだろう???」と頭が?でいっぱいになるのではなく、
「どうして、自分は他意があるかも知れないと感じたのだろうか?」と、まずは考えてみます。

その人の視線だろうか?
声質だろうか?表情だろうか?ボディランゲージ?

そして例えば、不機嫌そうな表情だと気付いたら、「なぜ不機嫌だったのだろうか?」を考えてみる。

不機嫌な原因を自分が作ったのだろうか?
たまたま他のことで不機嫌だったのだろうか?
何かに真剣に取り組んでいたから、不機嫌に見えたのだろうか?


そんなふうに考えていくと、「他意があると感じたのは思い過ごしだったかな~」という結論になることが少なくありません。




私は「他者には私の心を傷つけることはできない」と思っています。
自分が「傷ついた」と思うのは、「自分で自分を傷つけている(傷つくような受け取り方をしている)」のではなか?と思います(とは言うものの、私も「傷つくような受け取り方」をすることはあるのですが・・・)。


・・・と、言葉で言ったり書いたりするのは簡単で、実際難しいことではありますが、自分の「思考のクセ」を知ると、意外とラクになるということを、もっと広めていけば、不安障害って減るんじゃないかな~と思ったりしながら、新聞を読みました。

不安障害学会による公開講座「不安障害からの脱出」が29日午後1時から、早稲田大学国際会議場で開催されるそうです。
参加は無料だそうですので、ご興味のある方は是非ご参加を!
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