Mamiのひとりごと

楽しいことも、悲しいことも。

発病から10年

2012-09-09 | 私のつぶやき

今日は9月9日。
私にとっては忘れられない日です。
それは、弟が「白血病」と診断された日。
ちょうど10年前の今日のことでした。


写真は10年前の今日。
CVを入れたばかりで、

まだ本人は「なにがなんだかわからない」時の写真です。

当時のことは…
ShinのCampathの闘病記を読んでいただくと幸いです。



すべての人へ、すべての事へ、心から感謝いたします。

ありがとうございます。

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がん患者さんのための卵子凍結保存による妊孕性温存プログラム

2012-09-06 | 私のつぶやき

少し前のことですが、NY在住で乳がんの治療経験があるアリカワトモミさんが、

ご自身の未受精卵子保存について経験をお話くださいました。

がん患者さんのための卵子凍結保存による妊孕性温存プログラム

CNJのキャンサーチャンネルで公開されていますので、お知らせします。

(ちょっと恥ずかしいのですが、私がお相手をさせていただいています)

 

日本でも、血液がんの患者さんが保存していた未受精卵子で

昨年、赤ちゃんが生まれたそうですし、今年も生まれる予定と伺いました。

 

残念ながら、どの患者さんも卵子保存が可能なわけではありませんし、

いろいろな問題があるとは思いますが、みんなで考えていくことが必要なのではないかと思います。

 

トモミさんは、本当に素敵な女性でした。

 

英語が堪能だったら、もっともっとたくさんお話ができたのになぁ~☆

 

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あと四日で丸10年です

2012-09-05 | 私のつぶやき

この9月は、

弟の発病した月。

 

今年は、丁度丸十年。

 

感慨深い2012年9月です。

 

 

今、元気でよかった。

 

真っ黒に日焼けした弟は、

 

今を生きています。

 

2012年9月を、生きています。

 

おめでとう。

 

そして、支えてくださった皆さまへ、

 

心から感謝申し上げます。

 

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再発を乗り越えて

2012-09-04 | 私のつぶやき

今日は、先ほど嬉しいメールが届いたので、

みんなにシェアしたいと思います。

3度目の白血病で移植をした男の子が、

退院予定とのお知らせがありました。

 

本当に、頑張り屋さんなんですよ。

本人も、ご家族も。

特にお父様が必死で彼を守っていらっしゃいました。

 

私は2度目の再発時からお付き合いをさせていただいているのですが、

さすがに、3度目の再発はショックでした。

でも、今度は移植。

どうか、どうか、うまくコントロールできるようにと祈っていました。

 

だから、嬉しい!!!

 

本当に、嬉しいです~

 

彼の人生、これから、いろんなことがあると思うけれど、

この経験を活かしてほしいな。

辛かったと思うもん。痛かったし悲しかったと思うもん。

だからこそ、この経験を生かして人生を送ってほしいです。

 

N君、ほんとうに、おめでとう。

 

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長月にはいりましたね

2012-09-01 | 私のつぶやき

まずは、お詫びを。

私へメールをくださった方々への返信が、非常に遅れてしまいました。

まだ、返信できていない方もいますが、大変申し訳ございません!

 

この一週間、怒涛のような日々でした。

母方の叔母と伯父が続けて他界し、

日曜日は千葉、水曜日から長崎へと、忙しくバタバタしておりました。

特に移植のことでご相談をくださった方々、本当に、ごめんなさい。

一時を争う状況なのに、心よりお詫び申し上げます。

 

今日から9月、長月ですね。

本当に時の経つのは早いものです。

 

職場には理解を得て、長崎まで伯父を送りに行って、

不思議な気持ちです。

・・・今、ABDULLAH IBRAHIMを聴きながら・・・

少しだけ、伯父のことを書いてみたいとおもいます。

 

伯父は長崎で長年音楽の教師をしていました。

市立長崎中学校、対馬市立南小学校、長与町立洗切小学校などの校歌は伯父の作曲です。

 

弟が生まれるとき、私は4歳でしたが、この伯父の家に預けられたそうです。

陣痛が長く中々生まれてこない弟を待ちわびていた私は

伯父と伯母(母の姉)に見守られていたことを、私は初めて知りました。

 

産道にいた時間が長かったそうで、顔が長くなって生まれてきた(ウリのようだった…と親戚は言います)

弟君の誕生は、伯父と伯母のもとでだったのだと知り、記憶がないとはいえ、伯父へ大変お世話になっていることに感謝しました。

 

伯父の家は五右衛門風呂でした。

木の台(?)に、そ~っと乗って入らなければやけどする(ホントか?)と言われ、

お風呂に入るのが大変怖かったのを覚えています。

また、とても躾の厳しい伯父でもあり、家の階段を音を立てて昇降してはイケナイときつく言われました。

「女の子ともあろうものが、音を立てて階段をのぼるとは何事ぞ!」と叱られたものでした。

そして、ピアノ教師もしていたので、音楽にはうるさいのはもちろんですが、

私は「猫ふんじゃった」を弾いたときの伯父の顔は忘れられません。

「ピアノはおもちゃじゃなかとぞ!」と大声で怒鳴れたものでした。

 

そんな伯父は、母の父代わりだったそうです。

母は幼い頃に父親を亡くしていたので、一番上の姉の夫である伯父夫婦と一緒に暮らしていたこともあるらしく…

父は、私の母への求婚のとき、その頑固な(怖~い)伯父のところへ、母をもらいに(?)行ったということがあるそうでした。

 

ま、こんないろいろな思い出話があったのですが、

その頑固伯父さんを荼毘に伏せるという時が、私は一番悲しかった。

もう、会えないんだ…と思ったら、涙が止まらなくなってしまったのでした。

 

私の中に、何か残っているんだろう?

伯父さんとの思い出は、何が残っているんだろう?

 

たくさん過ぎて、わからない。

少なすぎて、わからない。

 

ああ、なんだか、すごく悲しくなってきた。。。

 

 

では、また。

 

 


 

 

 

 

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