ひとり井戸端会議

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「世襲制限」について

2009年04月24日 | 国政事情考察
民主の世襲制限に批判続出=「愚の骨頂」「機会は平等に」-各閣僚(時事通信) - goo ニュース

 民主党が次期衆院選から国会議員の「世襲候補」の同一選挙区からの立候補を制限する方針を決めたことに関し、世襲議員である各閣僚から24日午前の記者会見で、世襲制限への批判や反論が相次いだ。
 鳩山邦夫総務相は「非常に中途半端な内容だ。自分たちは(世襲で)いいけど、後(の人)は駄目だというのは愚の骨頂だ」と批判。「どうせなら(民主党代表の)小沢一郎さんも(同党幹事長の)鳩山由紀夫さんも鳩山邦夫も出るなよ、とやれば徹底している」と皮肉った。
 浜田靖一防衛相は「安易に(近く)選挙があるとみられるときに議論するのでなく、冷静に話すべきだ」と慎重な論議が必要と強調。石破茂農水相は「あらゆる人に(選挙に)出る機会が平等に保障されるべきだ。憲法論がクリアできるかどうか難しいのではないか」と指摘した。
 小渕優子少子化担当相も「世襲という理由だけで良い悪いと決めるのは乱暴かと思う」と言及。中曽根弘文外相は「つまみ食い的にここが問題になったから(変えるべきだ)というのが最近多い」と不快感を示し、自身は(中曽根康弘元首相の)「2世」だが、参院議員で地盤を受け継いでいないことから、世襲議員ではないと主張した。
 一方、野田聖子消費者行政担当相は「世襲制限よりも女性の比率を高める内規をつくった方が前向きではないか」と述べた。



 記事にもあるように、次期衆院選を睨んでか、俄かに国会議員の世襲制限論が脚光を浴びているように思える。

 まず、世襲は是か非かということが問題の根底にあると思われるが、これは一概に言いきれることではないだろう。世襲が良い影響をもたらす場合もあればそうでない場合もある。つまり、ケースバイケースということだ。

 このことについて民間企業をみてみると、自動車メーカーでいえばトヨタやスズキ、飲料系メーカーではサントリー、ゼネコンでは竹中工務店と、多くの企業において同族経営は行われている。過去に同族経営を行っていた企業も挙げれば、パナソニックや三洋電機、ダイエー、西武などがある。

 しかしながら、トヨタやサントリーなど前者は経営の世襲で成功してきたが、ダイエーなど後者は、世襲経営によって会社を傾かせてしまった。その原因はすなわち、世襲経営のやり方である。トヨタやサントリー(サントリーは08年12月期に、過去最高の1兆5129億円の売上高を記録している。)が世襲経営でも成功しているのは、経済ジャーナリストの財部誠一氏によれば、文化や理念を守り、社員を大切にし、たとえ赤字続きでも長期的視野に立って製品開発を続けることができるからであるという。

 反対に、世襲経営によって失敗するパターンとは、ダイエーの場合、創業者の中内功氏が経営を自分の息子に継がせるため、息子の昇進の妨げになる有能な人材を徹底的に排除したことが世襲経営の失敗を招いた。三洋電機の場合は、世襲ジュニアの暴走が経営を傾かせた。

 このように、世襲と一口で言っても、それはまさにケースバイケースであって、世襲=悪とは言い切れない事情があるのだ。世襲といえども、そこにはメリットもあり、世襲を制限した場合、後継者が有為な人材であれば、それだけでその人材を殺してしまうことになり、かえって社会全体にとってマイナスということもあり得る。



 翻って国会議員の世襲制限について考えてみると、当然世襲で当選してきた国会議員でも有為な人材はいるのであって、徒に世襲の弊害ばかりが強調されると、せっかくの人材も活躍の場がなくなってしまうことになる。世襲議員であっても、安倍晋三氏や西村真悟氏のように有為な人材もあるし、逆に世襲でなくとも、福島瑞穂や岡崎トミ子などのように、全く使えないどころか、有害な者もいる。

 そもそも、世襲について法をもって規制しようとすることが理解できない。弊害が生じているものがあれば、何でもかんでも法をもって対処すればいいということにはならないはずだ。それから、どうして世襲制限の対象が国会議員のみに限定されているのかも理解できない。選挙を間近に控えたための国民のご機嫌取りのように思える。

 国会議員の世襲について確かに世論の目は厳しい。しかし当然のことながら、世襲議員も他の非世襲議員と同じく、選挙による国民の審判を受けて国会議員になっているのだ。世襲だからといってエスカレーター式に議員バッジを獲得しているわけではない。

 世襲議員による弊害を訴えたいのなら、国民がもっと「人を見る目」を養えばいい。国民も国民だ。批判の対象となっている世襲議員を国会に送り込んでいるのは他ならぬ国民自身なのだから。自分たちでそうした人材を国会に送っておきながら、「世襲議員はけしからん」とは、クレームの域であるとさえ言える。

 田中角栄時代の格言だが、政治家になるには、地盤・看板・カバン(経済力)の3つが重要であり、これらを積極的に活用して国会議員になることは、何ら非難されるべきことではない。なぜならば、これも実力のうちだからだ。



 むしろ私としては、政治家になるために立候補し、当選するまでにかかる莫大な金額に対する国家による補助こそ重要なのではないかと思う。これがネックになって政治への意志があるにもかかわらず、なかなか立候補できないという人も少なくないはずだ。

 結局世襲議員がどうして大量に当選するかといえば、その原因の一つに潤沢な経済力というものが考えられる。言い方は悪いが、カネにモノを言わせてる面もある。潤沢な資金と確固たる地盤、そして親の知名度、これらが混然一体となって世襲議員は当選をものにしているのである。

 そうであるならば、せめて経済格差だけは、国家の補助によって埋めることはできないだろうか。俗な言い方だが、経済的な面においてもっとお手軽に立候補できる仕組みを整える必要があるのではないか。

 そうすれば、もっと国会議員選挙にも競争原理が働き、有権者の選択肢の幅も広がり、世襲議員であっても、親の背中におんぶに抱っことはいかなくなる。つまり、政策の競い合いである。政策を競い合うことによって国民がよりよい政策を提示した者を国会に送り込む。こうなれば議員の世襲をわざわざ制限する必要もなくなるのではないか。



 世襲もメリットとデメリットがある。そのことをもっと認識して、情緒論ではなく、冷静な議論をするべきだ。世論に阿り、国民のご機嫌取りに走るポピュリズム政治は必ずダメになり、国家を傾かせることになる。

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