ひとり井戸端会議

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いつまで分霊(分祀)の意味を履き違えるつもりか

2008年08月29日 | 靖国神社関係
 ここ最近、またもや靖国神社に合祀されているいわゆる「A級戦犯」の〝分祀〟を主張する勢力が亡霊のごとく登場してきている。そもそも〝分祀〟という言葉はこれまで神道の概念には存在せず、「分霊」というのが正しい言葉なのである(〝分祀〟については「分祀 できないものはできない」を参照)。
 なお、いわゆる「A級戦犯」を靖国神社が合祀をした経緯は、有名な話ではあるが、その合祀は昭和41年に厚生省(現厚生労働省)から送られてきた合祀者の身の上が記された文書である「祭神名票」にしたがいなされた。これは靖国神社がその前身である東京招魂社であったときからの伝統である(戦前は陸・海軍省から送られてきていた)。そして、元靖国神社宮司である湯浅貞氏によれば、昭和45年の崇敬者総代会において、「A級戦犯だけを合祀しないのは極東裁判(東京裁判)を認めたことになる」との批判が出て、合祀の対象になったという。

 しばしば分霊という言葉の意味を説明する際に「蝋燭の火の喩え」が出されるように、分霊を行ったところでもとの御霊は分霊を行った神社に残るのであって、分霊をしたところでいわゆる「分祀派」の主張するような結果にはならないことは明白である。現に日本の神社を総括する神社本庁も、「分霊しても元の神霊は存在しています」と回答しているのである。ちなみにこのような分霊の概念に対し、分祀派である石破茂氏は、「宗教法人・靖国神社が『それが教義なのだ』とおっしゃるなら、それは誰が何を言っても無駄でしょう。そこはまったく同感です。私は分祀すべきだと思いますが、『できない』と言われたら、『そうですか』と言わざるを得ない」と述べている(「正論」9月号、潮匡人氏との対談)。

 もし仮に分祀派の多くが石破氏のような考えであるとしたら、彼らはどうして断られる、それ以前にできもしない「分祀」などを主張するのであろうか。このことへの回答と考えられるものとして、中曽根康弘氏の神道への見解がある。中曽根氏は以前、(出自はうろ覚えなのだが、確か評論家の松本健一氏との対談においてであると思われる。)神道の教義は非常に柔軟であるから、われわれの手でこれをいじっても構わないと思っている、といったことを述べている。

 このような見解は、おそらく中曽根氏のみのものではなく、分祀派の多くが共有しているものと思われる。そうでなければ、「できない」と言われる結果が見えているのに、いつまでも主張を引っ込めないというのはおかしいはずである。確かに、神道の教義、というかその宗教的色彩自体、他の宗教(たとえばキリスト教やイスラム教、ユダヤ教など)と比べて、薄い。この要因のひとつに、八百万の神と呼ばれるように、神道における「神(カミ)」の概念の多様性があろうし(かまどや便所にも神は存在するものとされる)、また「聖書」や「コーラン」といったような独自の聖典をもたないことも挙げられよう。

 しかし、だからといって、教義を好き勝手に解釈し、挙句中曽根氏の言うようにこれを変更してもいいということにはならないはずだ。神道の柔軟さとは、たとえば異民族の信仰している宗教の神にも尊崇の念を払い、これを排除することなく、自然と神道の中に溶け込ませ、共存してきたという面や、森羅万象あらゆるものに神の存在を認めたり、人々が他の異なる宗教とも共生していくことに寛容であるという面であって、中曽根氏の言うような意味ではないはずである。だからこそ神社本庁も「分霊しても元の神霊は存在しています」と述べるのであり、当の靖国神社も「できない」と回答するのではないか。

 したがって、彼らがどんなに「分祀」の〝正当性〟を説いたところで、それはただただ虚しく響くだけで、この手の議論は全くもって非生産的なものであり、相手にするだけ時間の無駄ですらあろう。なので、破綻している「分祀論」に対しては、上記のようにだけ回答しておくだけで十分であろう。なお、最後に参考までに「有名神社の分霊分社一覧表」を挙げておく。

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