ひとり井戸端会議

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鳩山さん、矛盾してることに気付きませんか?

2009年04月25日 | 外国人の人権
“炎上発言”は「愛のテーマ」 鳩山民主幹事長、会見で真意説明(産経新聞) - goo ニュース

 民主党の鳩山由紀夫幹事長が、インターネット上で永住外国人への地方参政権付与の必要性を主張し、ネット掲示板に批判的な書き込みが殺到した問題で、鳩山幹事長は24日、「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」との発言の真意を問われ、「これは愛のテーマ。地球は生きとし生けるすべての者のもので、日本列島も同じだ」などと説明した。
 鳩山幹事長は党本部で行われた記者会見で、「これ(発言)は大きなテーマ。まさに愛のテーマだ。(自らが)友愛と言っている原点がそこにあるからだ。地球は生きとし生けるすべての者のものだ。日本列島も同じだ。すべての人間のみならず、動物や植物、そういった生物の所有物だと考えている」と持論を力説。
 さらに、「そこに住んでいる人たちを排斥するという発想ではなく、権利もできるだけ認めて差し上げる。多くの税金を、同じように払ってこられた方々の権利を認めて差し上げるべきではないか。日本は鎖国をしているわけではない。もっと多くの人に喜んでもらえるためには、地方での参政権は付与されてしかるべきではないかと思っている」などと述べた。国政参政権付与については、否定的な考えを示した。
 鳩山幹事長は、インターネットの動画サイト「ニコニコ動画」に17日に出演。「定住外国人は税金を納め、一生懸命頑張っている。その人たちに参政権ぐらい当然付与されるべきだと思っている」「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」などと発言。ネット掲示板に批判的な書き込みが殺到して“騒動”となっていた。



 これは国家否定の発想と看做してよいだろう。次の内閣を担うかも知れない人物が、このような貧弱な発想しか持てていないことは極めて由々しき事態だが、ここでは個人の信条についてとやかく言う前に、彼のこの持論が、実は矛盾を多々包含していることを指摘してみたい。



 まず、鳩山氏は「愛のテーマ」などと意味不明なことを口走っているが、その前に、日本列島を「所有する」とは、一体どういう意味なのだろうか。所有するということは、当然にそこには「所有者」がいるということが前提になるが、では、日本列島の所有者とは一体誰のことを指すのか。

 日本列島の「所有者」を強いて挙げるならば、それは日本「国」であろう。つまり、日本という国家が日本列島という領土を所有している。ここで、国家というものが成立するには3つの要素が必要になる。ドイツの法学者であったゲオルグ・イェリネックが提唱したいわゆる「国家の三要素」と呼ばれるものがそれである。

 イェリネックの国家の三要素によれば、国家は、主権・領土・国民の3つが揃ってはじめて国家として成立する。この考え方は現在、国際法上、国家の承認要件とされ、これらが揃っていない場合、国家承認はされない。しかしながら、鳩山氏の「愛のテーマ」のなかには、これら国家にとって必須の要素がまるっきり欠けている。

 まず第一に、国家の要素である領土について、鳩山氏の発想ではこれが否定される。日本列島は、「生きとし生けるすべての者のものだ」からだ。「すべての者のもの」ということは、そこには領土という概念は存在しない。そもそも領土の「領」という字の語源は、「他を支配し、統治すること」という意味である。だが、鳩山氏の発想からはこうした概念が導き出されることはない。

 次に、主権もまた否定される。参政権とはその国の舵取りを行う権利であって、まさに国民「主権」の発露そのものだからである。その国の政治(国政、地方政治問わず。)に参画し、居住者(resident)としてではなく、国籍を有する国民(citizen)として、政治に選挙権の行使としての投票行為をもって意思表明する。それが参政権という権利だからだ。

 さらに、国民という概念も否定されることになる。国民とは字の通り、その国の民のことである。その国の国民と言うからには、その国に所属している証明、すなわち国籍を有していなければならない。そして、日本国籍保持者のみに許される参政権の行使を、日本国籍保持者以外にも認めようというのだから、国民の概念も否定ないしは極めて曖昧なものになる。

 したがって、鳩山氏の「愛のテーマ」からは国家の三要素を抽出することはできない。



 それでは、次は、鳩山氏の「愛のテーマ」と、普段彼をはじめ民主党が主張していることとが、全く相いれない矛盾したものであることを証明してみせよう。

 先述したとおり、鳩山氏の「愛のテーマ」は、国家否定の思想そのものである。それでは彼の「愛のテーマ」に従い、国家を否定してみよう。


国家を否定して生じる矛盾その1。政権交代が無意味になる。

 政権を奪取しても、その政権が動かす国家が存在しないから。


国家を否定して生じる矛盾その2。党是の「国連主義」の破綻。

 国連とは、地球上に存在する国家の集まりだから。「愛のテーマ」を実行するには、まずは国連を脱退しよう。


国家を否定して生じる矛盾その3。憲法を掲げる無意味。

 憲法とは、その国の存在を示す国家の基本法だから。
 ここでもっと彼の矛盾を突くならば、参政権も国家という権利の行使の対象があるから行使できる権利であって、しかもその権利は憲法の規定をもって容認されている。つまり、憲法なきところに参政権なし。


 だが、一番の矛盾は、「国政参政権付与については、否定的な考えを示した」ことだ。

 私としては、鳩山氏がここまで述べたのに、どうして国政レベルの参政権は認められないのか、全く理解できない。「愛のテーマ」の中で、国政レベルの参政権と、地方レベルの参政権は、どういった基準で線引きされているのか。日本列島は日本人だけの所有物ではないのなら、国政レベルだろうが関係なく参政権を付与してもいいと言い切れなければ、彼が述べた壮大な理想論は瞬く間に瓦解するに違いない。



 それから、もう何度も指摘していることだが、納税をしているから参政権が認められるという論理は全くもっておかしなものである。

 納税の見返りは、水道や警察といった公共サービスの享受であって、参政権が納税の見返りに付与されているのではない。もし参政権が納税の見返りに付与されるという理解を採るならば、それは戦前の制限選挙と同じであるだけではなく、それこそ20歳以上の国民に選挙権を平等に付与した法の趣旨(普通選挙の実施)に真っ向から対立してしまうことになるからだ。

 鳩山氏の参政権についての発想は、100年前のレベルである。



 最後に、「もっと多くの人に喜んでもらえるために」権利は付与されるものではない。それでは、もっともっと喜んでもらうために国政レベルの参政権も与えろ、という主張も当然に成立する。権利は頑張ったご褒美に与えられるものではない(もっとも、鳩山氏にはその権利を「与える主体」は一体誰なのかと聞いてみたいところだが)。

 敢えてリバタリアニズム的視点に立って、鳩山氏の「権利は与えるもの」という発想について批判すると、もし権利が彼の言うように「与えられるもの」だとすれば、逆に奪うことも当然に可能になる。

 「こうした自由は、基本的に人々の行動を束縛することを原則とし、その例外として認められる権利だから、権力者の気が変われば容易に剥奪されてしまう」(池田信夫『ハイエク 知識社会の自由主義』91頁)ということになる。この発想が、普段彼が口にしている様々な発言と、そして民主党の政策とも矛盾していることは容易に分かる。



 鳩山よ、日本列島は日本人だけのものではないと言うのなら、参政権を与えろとのたまう者達の故郷である韓国に行って、「韓国は韓国人だけのものではない。だから日本人にも参政権を与えろ」と言ってみればいい。彼らがどういう反応をするだろうか。

 外国人参政権推進の論拠がこの程度とは。片腹痛いとはこのことだ。

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