安倍元総理が凶弾に斃れて早くも半月近くが経ちます。自分の父が亡くなった時よりも、ある意味で喪失感が強く、当日は仕事が手に付きませんでした。岸田総理は、安倍元総理の生前の功績等に鑑みて、吉田茂以来、戦後では2例目となる国葬を実施する旨、発表しました。すると、朝日新聞や共産党等、「いつもの連中」から、早速、国葬反対論が噴出しています。
しかしながら、私は、以下に述べる通り、安倍元総理の国葬に対して賛成しますし、また、国葬の実施にあたって法的な妨げはないものと考えます。
岸田総理は、国葬の根拠規定として内閣府設置法を挙げたようですが、おそらくは同法4条33号「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)。」であると思われます。実際、産経新聞によれば、かかる規定が根拠とされているようです。
この点に関し、安倍元総理の国葬に対して、「根拠法がない」と批判する向きがありますが、同じようなことを行政法を学んだ法学部生が言っていたら首を傾げたくなるレベルです。
行政法を学んだ人であれば、誰もが習う法治行政における法律の留保をめぐる学説で、通説とされる侵害留保説は、行政による侵害行為が、一方的に国民の自由や財産を制限したり奪ったりする場合には、その旨を授権する根拠法が必要とする一方で、他方、それ以外の行政、たとえば、行政が国民に利益を与えたり、国民の権利義務と直接関係のない活動をする場合などには、いちいち法律の授権がなくても、行政の独自の判断で自由にすることができます。
安倍元総理の国葬は、まさに後者に該当することであり、したがって、本来であれば、そもそも根拠法自体不要であると解されるものです。このことは、国民に弔意を求めたりしないという政府の方針を踏まえれば、国葬によって国民の自由が制限されるわけではないのでなおのことです。
また、政教分離に基づき宗教色を排除して行えば憲法上の疑義もありません(政教分離上、宗教色を排除しても国葬は不可というのであれば、総理大臣の寺社仏閣への参拝もすべて違憲となってしまいます。)。吉田茂氏の国葬もそうでした。したがって、国葬の実施に関する法的問題は皆無だと思います。
もっとも、私は、法的根拠に問題がないから国葬でもよい、という消極的な理由ではなく、安倍晋三氏に関してはぜひとも国葬を実施すべきと考えます。その理由は以下の通りです。
まず、外交上の意義です。憲政史上最長の在任期間を記録し、「地球儀を俯瞰する外交」によって各国要人とも深い交流のあった安倍氏の国葬には、それこそ各国要人が大挙してやってくるでしょう。もしかしたらプーチンも来日するかも知れません。そうなれば、これ以上の外交の場はありません。各国の錚々たるメンバーが一堂に会する場などそう滅多にないことです。
国葬を通じてではあれ、各国要人と日本国との紐帯を確認することは、「外交努力によって平和を維持すべき」と普段からしきりに仰っている「リベラル」勢力の理想とするべきことで、(本来であれば)彼らとしても文句はないはずです。
次に、民主主義社会の擁護という観点からです。安倍氏は民主主義社会においてもっとも重要なことである国会議員選挙期間中に凶弾に斃れました。民主主義社会の基盤を脅かすテロ行為によって現職の国会議員が犠牲になり、しかも、その犠牲になった人物は二度も内閣総理大臣を務めた人物である以上は、民主主義社会を擁護しテロには屈しないという国家としての意思を示すためにも、国葬を行うべきであると考えます。
こうした意見に対して、国葬と民主主義とは矛盾するという旨の批判をしている人もいますが、民主主義の本家といえるフランスやアメリカでは国葬がされていますし、むしろ「偉人を讃える」行為の最たるものといえる国葬は、国民国家を維持するために必須のことだと思います。
以下では、国葬反対派がよく主張する点に関して反論を加えておきましょう。
1.安倍元総理の国葬に関して、「評価が分かれる人を国葬にすべきではない」という意見について。
アメリカとの単独講和を推し進め、自衛隊を設置し、破防法を制定した吉田茂は「評価が分かれた人」の最たる存在なのに国葬が実施されていますので、安倍さんの国葬を否定する理由にはなりません。
2.森友・加計等の「疑惑」を理由とする意見について。
国葬を反対する理由に、森友・加計のことを挙げる人もいますが、もう5年以上も前から「疑惑」レベルに留まっている話ですので、これらはもはや捏造と断定していい案件です。
さらに、桜を見る会についても、安倍さんは2回も不起訴となっています。
したがって、以上の「疑惑」は国葬を否定する要素には全くなり得ません。
ついでに、在職日数が最長だからどうした、という批判もありますけど、こういう批判をする人は、ではどうして安倍さんにはできて他の政治家にはできなかったのか考えて欲しいですね(考えたところで分からないでしょうけど。)
以上から、法的問題がないことは当然として、外交上も、また民主主義という国家の基盤を守り抜くためにも、安倍氏の国葬をするべきであると考えます。
とまれ、安倍さんが最後に演説をした際に、「彼はできない理由を考えるのではなく…」と言われていましたが、反安倍勢力は「できない理由」ばかり考えているようですね。
しかしながら、私は、以下に述べる通り、安倍元総理の国葬に対して賛成しますし、また、国葬の実施にあたって法的な妨げはないものと考えます。
岸田総理は、国葬の根拠規定として内閣府設置法を挙げたようですが、おそらくは同法4条33号「国の儀式並びに内閣の行う儀式及び行事に関する事務に関すること(他省の所掌に属するものを除く。)。」であると思われます。実際、産経新聞によれば、かかる規定が根拠とされているようです。
この点に関し、安倍元総理の国葬に対して、「根拠法がない」と批判する向きがありますが、同じようなことを行政法を学んだ法学部生が言っていたら首を傾げたくなるレベルです。
行政法を学んだ人であれば、誰もが習う法治行政における法律の留保をめぐる学説で、通説とされる侵害留保説は、行政による侵害行為が、一方的に国民の自由や財産を制限したり奪ったりする場合には、その旨を授権する根拠法が必要とする一方で、他方、それ以外の行政、たとえば、行政が国民に利益を与えたり、国民の権利義務と直接関係のない活動をする場合などには、いちいち法律の授権がなくても、行政の独自の判断で自由にすることができます。
安倍元総理の国葬は、まさに後者に該当することであり、したがって、本来であれば、そもそも根拠法自体不要であると解されるものです。このことは、国民に弔意を求めたりしないという政府の方針を踏まえれば、国葬によって国民の自由が制限されるわけではないのでなおのことです。
また、政教分離に基づき宗教色を排除して行えば憲法上の疑義もありません(政教分離上、宗教色を排除しても国葬は不可というのであれば、総理大臣の寺社仏閣への参拝もすべて違憲となってしまいます。)。吉田茂氏の国葬もそうでした。したがって、国葬の実施に関する法的問題は皆無だと思います。
もっとも、私は、法的根拠に問題がないから国葬でもよい、という消極的な理由ではなく、安倍晋三氏に関してはぜひとも国葬を実施すべきと考えます。その理由は以下の通りです。
まず、外交上の意義です。憲政史上最長の在任期間を記録し、「地球儀を俯瞰する外交」によって各国要人とも深い交流のあった安倍氏の国葬には、それこそ各国要人が大挙してやってくるでしょう。もしかしたらプーチンも来日するかも知れません。そうなれば、これ以上の外交の場はありません。各国の錚々たるメンバーが一堂に会する場などそう滅多にないことです。
国葬を通じてではあれ、各国要人と日本国との紐帯を確認することは、「外交努力によって平和を維持すべき」と普段からしきりに仰っている「リベラル」勢力の理想とするべきことで、(本来であれば)彼らとしても文句はないはずです。
次に、民主主義社会の擁護という観点からです。安倍氏は民主主義社会においてもっとも重要なことである国会議員選挙期間中に凶弾に斃れました。民主主義社会の基盤を脅かすテロ行為によって現職の国会議員が犠牲になり、しかも、その犠牲になった人物は二度も内閣総理大臣を務めた人物である以上は、民主主義社会を擁護しテロには屈しないという国家としての意思を示すためにも、国葬を行うべきであると考えます。
こうした意見に対して、国葬と民主主義とは矛盾するという旨の批判をしている人もいますが、民主主義の本家といえるフランスやアメリカでは国葬がされていますし、むしろ「偉人を讃える」行為の最たるものといえる国葬は、国民国家を維持するために必須のことだと思います。
以下では、国葬反対派がよく主張する点に関して反論を加えておきましょう。
1.安倍元総理の国葬に関して、「評価が分かれる人を国葬にすべきではない」という意見について。
アメリカとの単独講和を推し進め、自衛隊を設置し、破防法を制定した吉田茂は「評価が分かれた人」の最たる存在なのに国葬が実施されていますので、安倍さんの国葬を否定する理由にはなりません。
2.森友・加計等の「疑惑」を理由とする意見について。
国葬を反対する理由に、森友・加計のことを挙げる人もいますが、もう5年以上も前から「疑惑」レベルに留まっている話ですので、これらはもはや捏造と断定していい案件です。
さらに、桜を見る会についても、安倍さんは2回も不起訴となっています。
したがって、以上の「疑惑」は国葬を否定する要素には全くなり得ません。
ついでに、在職日数が最長だからどうした、という批判もありますけど、こういう批判をする人は、ではどうして安倍さんにはできて他の政治家にはできなかったのか考えて欲しいですね(考えたところで分からないでしょうけど。)
以上から、法的問題がないことは当然として、外交上も、また民主主義という国家の基盤を守り抜くためにも、安倍氏の国葬をするべきであると考えます。
とまれ、安倍さんが最後に演説をした際に、「彼はできない理由を考えるのではなく…」と言われていましたが、反安倍勢力は「できない理由」ばかり考えているようですね。