文化財「返還」要求相次ぐ 朝鮮儀軌引き渡し逆効果(産経新聞) - goo ニュース
政府が昨年末、韓国政府の歓心を得ようと朝鮮半島由来の図書「朝鮮王朝儀軌(ぎき)」を引き渡したことが逆効果を生んでいる。これをきっかけに、韓国側から朝鮮半島由来の文化財「返還」を求める動きが相次いでいるのだ。菅直人前首相が平成22年の日韓併合100年の談話で日本側に何ら義務がないのに引き渡しを表明し、その路線を野田佳彦首相が踏襲した結果、かえって日韓間に新たな軋轢(あつれき)が生じる事態となった。(杉本康士)
韓国側が新たな「返還」運動の標的とするのは東京、京都、奈良、九州の4国立博物館が所蔵する朝鮮半島由来の文化財4422点。4月23日には、韓国側の活動を支援する共産党の笠井亮衆院議員が文化庁と国立文化財機構の担当者を呼び説明を要求した。
このとき笠井氏には儀軌「返還」運動にも関与した韓国の民間団体「文化財還収委員会」の関係者も同席。所蔵品のうち、かつて朝鮮王室が保有していた「朱ビロード地金銀装甲冑(かっちゅう)」「紫縮緬(ちりめん)冠」「金銅製印」の3点について、王室子孫に特別閲覧を認めるよう求めた。
機構関係者によると還収委は約2年前には、国立博物館の所蔵品を韓国に「返還」するよう要求した。3点を所蔵する東京国立博物館の「東洋館」は改装中で、来年1月のオープン時に「返還」運動が激化することが危惧されている。笠井氏に応対した一人は「民主党政権の儀軌引き渡しで『返還』運動が再燃してしまった」と指摘する。
日韓外交筋は「昨年の儀軌引き渡し対象は相当精査した。仮にもっとほしいという話になっても『はい、どうぞ』とはいかない」と強調する。日韓間の賠償請求権問題は本来、昭和40年の日韓基本条約と関連協定で「完全かつ最終的に解決」されているためだ。
だが、「返還」要求の動きは民間にも波及している。
東京都港区のホテルオークラ本館前の「大倉集古館」が所蔵する高麗時代初期の「利川五重石塔」については、韓国・利川市の民間団体が数回にわたり「返還」を要求してきた。平壌にあったという「八角五重塔」に関しては、文化財還収委が「いったん韓国に持ち帰って、北朝鮮に持っていく」と求めたという。
このため集古館側は文化庁に対応を相談したが、担当者は「民間のことは民間同士でやってくれ」と責任を回避した。集古館関係者は、儀軌引き渡しについて「民主党政権が点数稼ぎでやっただけだ」と憤りを隠さない。
菅内閣が何の戦略も持たず、場当たり的に行った儀軌「返還」の結果がこれです。一部の能天気なマスコミ(どことは言いませんが。)や自虐史観に染まった連中(これも誰とは言いませんが)は、当時こうした菅内閣の「暴挙」を歓迎したものですが、多くの論者が指摘してきたとおり、韓国の儀軌「変換」運動に拍車を掛ける結果になってしまいました。
民主党政権に外交を任せたらろくなことにならない、というのは、地球が自転しているということと同じぐらい周知のことですし、そんなことを繰り返し述べて批判したところで、「返還」してしまった儀軌が戻ってくるとは思えないので、ここでは別の観点から考えてみたいと思います。
まず、あくまでも大前提中の大前提は、こうした問題は、日韓国交正常化に際し、「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、(中略)完全かつ最終的に解決された」(日韓請求権並びに経済協力協定2条1項)ことです。
この文言の意味することは、国交正常化交渉当時には判明しなかった、事後に新たな事実等がたとえ後に判明したとしても、それを根拠に紛争を蒸し返することはできない、というものでしょう。こうした、紛争の蒸し返し防止という法的な効果(確定効)というのは、何もこの問題に限られたものではなく、たとえば民法上の和解契約(民法695条)にも認められる効果です。法的関係ないしは法的地位の安定は、法治国家では不可欠の要請ですので、紛争の解決をする際には当然に文言上に盛り込まれる内容です。
したがって、こうした文言があるにもかかわらず、後になってこの文言に反するような請求を蒸し返すというのは、法的に決して容認できないものであり、日本政府は韓国の不当かつ違法な要求を断じて拒絶しなければならなかったのです。しかし、菅内閣は韓国への「要らぬゴマすり」のために、先人が築いた「防波堤」を破壊してしまったのです。その結果が、この産経の記事です。
ここで苦肉の対応として考えるべきは、こうした和解的要素を含む約束(条約)というのは、相互に歩み寄って(つまり「痛み分け」をして)作成されるものですから(先に挙げた協定の文言はまさにそのことを示しています。)、それなら相互主義の下、韓国にある日本の文化財も同時に「引き渡される」べきでしょう。対等な独立国同士の関係である以上、日韓基本条約等の趣旨に照らして、日本政府も韓国政府に対し、日本の文化財を引き渡すよう請求すべきです。とはいえ、民主党政権では、自民党政権よりも望み薄でしょうが。
韓国も、(立派な?)独立国であることを自覚するならば、いつまでも日本の「善意」(?)に依存して、これに寄りかかって過去を蒸し返しては日本に謝罪や賠償を求めてばかりいないで、たまには独立国としての大人な対応を見せて欲しいものですね。つまり、一方的な要求ばかりせず、日本の文化財を返すぐらいの度量を見せてみろ、ということです。とはいえ、反日が国是のような国ですから、これもまた望み薄でしょうが。
ところで、しばしばこの問題ではフランスの対応(韓国の同様の要求に対し「ノン」を突きつけた。)が日本との比較として出されますが、確かに日本の外交下手(特に中韓に対しては。)がフランスとの差の大きな原因とは思いますが、これはフランスの国民性に根差した結果だと思っています。
フランス(人)というのは、何か揉め事が生じたとき、決して自分の非を認めず、相手の責任を追及するという国民性があると言われています。たとえば、買った商品が故障して店側にクレームをつけても、店側はまず「あなたの利用方法がまずかったから壊れたのでは?」と言うといいます。そのためか、フランスでは子供の時から法や哲学についての教育が盛んで、子供向けに書かれた法や哲学の本が普通に売られているといいます。
翻って、日本(人)は、おそらくこのフランスの対応とは逆の対応を取るでしょう。すなわち、まずは(揉め事は面倒なので)とりあえず自分の非を認め、それから問題を解決する。もちろん、この儀軌の問題では、菅内閣が「実行犯」なので、こうした要素以外の、確信犯的な要素のほうが、もしかしたら大きいかも知れません。
いずれにせよ、最低限、さきの「返還」は、あくまでも日韓国交正常化100年の節目の特別なものであることを強調しつつ、したがってこれ以上の「返還」には日韓基本条約上応じられないこと、そして仮に応じるとすれば、この条約の枠組みの外で、独立国同士の相互主義の原則の下、韓国側「も」韓国内にある日本の文化財を同規模で引き渡すというのでなければ応じられない、としなければなりません。
政府が昨年末、韓国政府の歓心を得ようと朝鮮半島由来の図書「朝鮮王朝儀軌(ぎき)」を引き渡したことが逆効果を生んでいる。これをきっかけに、韓国側から朝鮮半島由来の文化財「返還」を求める動きが相次いでいるのだ。菅直人前首相が平成22年の日韓併合100年の談話で日本側に何ら義務がないのに引き渡しを表明し、その路線を野田佳彦首相が踏襲した結果、かえって日韓間に新たな軋轢(あつれき)が生じる事態となった。(杉本康士)
韓国側が新たな「返還」運動の標的とするのは東京、京都、奈良、九州の4国立博物館が所蔵する朝鮮半島由来の文化財4422点。4月23日には、韓国側の活動を支援する共産党の笠井亮衆院議員が文化庁と国立文化財機構の担当者を呼び説明を要求した。
このとき笠井氏には儀軌「返還」運動にも関与した韓国の民間団体「文化財還収委員会」の関係者も同席。所蔵品のうち、かつて朝鮮王室が保有していた「朱ビロード地金銀装甲冑(かっちゅう)」「紫縮緬(ちりめん)冠」「金銅製印」の3点について、王室子孫に特別閲覧を認めるよう求めた。
機構関係者によると還収委は約2年前には、国立博物館の所蔵品を韓国に「返還」するよう要求した。3点を所蔵する東京国立博物館の「東洋館」は改装中で、来年1月のオープン時に「返還」運動が激化することが危惧されている。笠井氏に応対した一人は「民主党政権の儀軌引き渡しで『返還』運動が再燃してしまった」と指摘する。
日韓外交筋は「昨年の儀軌引き渡し対象は相当精査した。仮にもっとほしいという話になっても『はい、どうぞ』とはいかない」と強調する。日韓間の賠償請求権問題は本来、昭和40年の日韓基本条約と関連協定で「完全かつ最終的に解決」されているためだ。
だが、「返還」要求の動きは民間にも波及している。
東京都港区のホテルオークラ本館前の「大倉集古館」が所蔵する高麗時代初期の「利川五重石塔」については、韓国・利川市の民間団体が数回にわたり「返還」を要求してきた。平壌にあったという「八角五重塔」に関しては、文化財還収委が「いったん韓国に持ち帰って、北朝鮮に持っていく」と求めたという。
このため集古館側は文化庁に対応を相談したが、担当者は「民間のことは民間同士でやってくれ」と責任を回避した。集古館関係者は、儀軌引き渡しについて「民主党政権が点数稼ぎでやっただけだ」と憤りを隠さない。
菅内閣が何の戦略も持たず、場当たり的に行った儀軌「返還」の結果がこれです。一部の能天気なマスコミ(どことは言いませんが。)や自虐史観に染まった連中(これも誰とは言いませんが)は、当時こうした菅内閣の「暴挙」を歓迎したものですが、多くの論者が指摘してきたとおり、韓国の儀軌「変換」運動に拍車を掛ける結果になってしまいました。
民主党政権に外交を任せたらろくなことにならない、というのは、地球が自転しているということと同じぐらい周知のことですし、そんなことを繰り返し述べて批判したところで、「返還」してしまった儀軌が戻ってくるとは思えないので、ここでは別の観点から考えてみたいと思います。
まず、あくまでも大前提中の大前提は、こうした問題は、日韓国交正常化に際し、「両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、(中略)完全かつ最終的に解決された」(日韓請求権並びに経済協力協定2条1項)ことです。
この文言の意味することは、国交正常化交渉当時には判明しなかった、事後に新たな事実等がたとえ後に判明したとしても、それを根拠に紛争を蒸し返することはできない、というものでしょう。こうした、紛争の蒸し返し防止という法的な効果(確定効)というのは、何もこの問題に限られたものではなく、たとえば民法上の和解契約(民法695条)にも認められる効果です。法的関係ないしは法的地位の安定は、法治国家では不可欠の要請ですので、紛争の解決をする際には当然に文言上に盛り込まれる内容です。
したがって、こうした文言があるにもかかわらず、後になってこの文言に反するような請求を蒸し返すというのは、法的に決して容認できないものであり、日本政府は韓国の不当かつ違法な要求を断じて拒絶しなければならなかったのです。しかし、菅内閣は韓国への「要らぬゴマすり」のために、先人が築いた「防波堤」を破壊してしまったのです。その結果が、この産経の記事です。
ここで苦肉の対応として考えるべきは、こうした和解的要素を含む約束(条約)というのは、相互に歩み寄って(つまり「痛み分け」をして)作成されるものですから(先に挙げた協定の文言はまさにそのことを示しています。)、それなら相互主義の下、韓国にある日本の文化財も同時に「引き渡される」べきでしょう。対等な独立国同士の関係である以上、日韓基本条約等の趣旨に照らして、日本政府も韓国政府に対し、日本の文化財を引き渡すよう請求すべきです。とはいえ、民主党政権では、自民党政権よりも望み薄でしょうが。
韓国も、(立派な?)独立国であることを自覚するならば、いつまでも日本の「善意」(?)に依存して、これに寄りかかって過去を蒸し返しては日本に謝罪や賠償を求めてばかりいないで、たまには独立国としての大人な対応を見せて欲しいものですね。つまり、一方的な要求ばかりせず、日本の文化財を返すぐらいの度量を見せてみろ、ということです。とはいえ、反日が国是のような国ですから、これもまた望み薄でしょうが。
ところで、しばしばこの問題ではフランスの対応(韓国の同様の要求に対し「ノン」を突きつけた。)が日本との比較として出されますが、確かに日本の外交下手(特に中韓に対しては。)がフランスとの差の大きな原因とは思いますが、これはフランスの国民性に根差した結果だと思っています。
フランス(人)というのは、何か揉め事が生じたとき、決して自分の非を認めず、相手の責任を追及するという国民性があると言われています。たとえば、買った商品が故障して店側にクレームをつけても、店側はまず「あなたの利用方法がまずかったから壊れたのでは?」と言うといいます。そのためか、フランスでは子供の時から法や哲学についての教育が盛んで、子供向けに書かれた法や哲学の本が普通に売られているといいます。
翻って、日本(人)は、おそらくこのフランスの対応とは逆の対応を取るでしょう。すなわち、まずは(揉め事は面倒なので)とりあえず自分の非を認め、それから問題を解決する。もちろん、この儀軌の問題では、菅内閣が「実行犯」なので、こうした要素以外の、確信犯的な要素のほうが、もしかしたら大きいかも知れません。
いずれにせよ、最低限、さきの「返還」は、あくまでも日韓国交正常化100年の節目の特別なものであることを強調しつつ、したがってこれ以上の「返還」には日韓基本条約上応じられないこと、そして仮に応じるとすれば、この条約の枠組みの外で、独立国同士の相互主義の原則の下、韓国側「も」韓国内にある日本の文化財を同規模で引き渡すというのでなければ応じられない、としなければなりません。