ひとり井戸端会議

主に政治・社会・法に関する話題を自分の視点から考察していきます。

「教育勅語」再考 その1

2007年05月08日 | 教育問題関係
 教育勅語と聞けば、現代の多くの人が「復古主義的」とか、「軍国主義を彷彿とさせる」と考えてしまうでしょう。かく言う自分も、中学・高校時代はそれらと何ら変わらない考えを、教育勅語に抱いていました。

 しかしながら、教育勅語の現代語訳版を読んでみて、そのような考えは誤解であったと思うようになりました。以下、教育勅語の現代誤訳版を載せてみます。


 私の思い起こすことには、我が皇室の祖先たちが国を御始めになったのは遙か遠き昔のことで、そこに御築きになった徳は深く厚きものでした。我が臣民は忠と孝の道をもって万民が心を一つにし、世々にわたってその美をなしていきましたが、これこそ我が国体の誉れであり、教育の根本もまたその中にあります。
 あなた方臣民よ、父母に孝行し、兄弟仲良くし、夫婦は調和よく協力しあい、友人は互いに信じ合い、慎み深く行動し、皆に博愛の手を広げ、学問を学び手に職を付け、知能を啓発し徳と才能を磨き上げ、世のため人のため進んで尽くし、いつも憲法を重んじ法律に従い、もし非常事態となったなら、公のため勇敢に仕え、このようにして天下に比類なき皇国の繁栄に尽くしていくべきです。これらは、ただあなた方が我が忠実で良き臣民であるというだけのことではなく、あなた方の祖先の遺(のこ)した良き伝統を反映していくものでもあります。
 このような道は実に、我が皇室の祖先の御遺(のこ)しになった教訓であり、子孫臣民の共に守らねばならないもので、昔も今も変わらず、国内だけでなく外国においても間違いなき道です。私はあなた方臣民と共にこれらを心に銘記し守っていきますし、皆一致してその徳の道を歩んでいくことを希(こいねが)っています。
明治二十三年十月三十日
(http://kan-chan.stbbs.net/docs/chokugo.htmlより。)


 このように、極めて簡素かつ、ごく当たり前の教えが書いてあるに過ぎないのです。しばしば教育勅語に批判的な人たちは、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」という部分を挙げて、「これが軍国主義教育と結びついた」「天皇のために死ねと言っている」などと言います。しかし、自分の所属する国が、存亡の危機に立たされているとういうのに、我先にと海外に逃亡するのがあるべき姿だとは、とても思えませんし、国家が危機に直面しているときに、祖国を守ろうと立ち上がるのは、今なお、多くの国の国民の間で常識と考えられているのではないのでしょうか。
 そして、邪推かも知れませんが、批判者のような考えが、権利ばかり主張して義務を放棄する人たちを増やしたのとすら言えると思います。

 もっとも、教育勅語そのものの復活は、憲法98条によって詔勅の禁止が明記されている以上、不可能でしょうが、教育勅語の精神そのものまでも否定するのも問題です。

 これは私見ですが、教育勅語が戦後これほどまでに軽視され、間違ったレッテルを貼られるようになってしまったのは、戦前の一時期(大東亜戦争中)に、奉安殿を相次いで建設したり、校長に一語一句間違えずに言わせたり、奉安殿を通るときは最敬礼を要求したりという、過剰なまでの神聖化をはかったためであると思うのです。
 
 モノも使いようです。包丁は殺人の道具になるけれども、料理人が使えば美味しい料理を作るための素晴らしい道具となります。教育勅語も同じことであると思います。当時の軍国主義の風潮と相俟って、過剰なまでに神聖視されたのがいけなかったのです。

 少し話しをずらしますが、最近、政府が道徳教育の再興を主張した際、彼ら批判者たちは「多様な考え方を否定して、一定の考えを押し付けるものだ」と言い、これに反発をしました。もちろん、多様な考え方は尊重されるのは当たり前ですし、それでこそ自由も担保されるというものです。

 ですが、道徳という、普遍的に存在する価値観を(親が教えないから)教育の現場教えることと、多様な考え方は共存できるのではないでしょうか。そう批判する彼らの多くも道徳自体を蔑ろにしているわけではないと思いますが、そもそも、多様な考え方というものは、一定の道徳的価値観の上に派生してくるべきであって、道徳を身につけずに多様な価値観を身につけさせるのは、子供にとってあまりにも危険です。 

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