4月29日(木曜日)
(第1日・通算第36日目・歩行距離28.5km・歩行歩数48,538歩)
5:00分、起床。
目覚めは悪くない。カーテンを開け窓から外を見ると薄明るい空に青空が広がっており、
今日の天気は良さそうだ。
昨夜買っておいたカップ麺とおにぎりで朝食を取る。
人通りのない街を琴電栗林駅へ向かって歩く。空が青さを増し明るくなってきた。
6:07分発の電車に乗る。乗客はほとんどいない。
15分ほどで一宮駅に着く。
ここから一宮寺へは歩いて10分ほどだ。
第83番札所 一宮寺
6:30分、一宮寺の境内に着く。
本堂に朝日が当たり眩しく輝いている。
早速、本堂と大師堂にお参りをする。
15分ほどでお参りを済ませるが、納経所が開く7時までには少し時間がある。
境内はヒンヤリして気持ちが良いが、空には青空が広がり、今日は暑くなりそうだ。
本堂前にある日当たりのいいベンチに座っていると、挨拶をしていくお婆さんがいる。
挨拶を交わして見ていると、本堂で熱心にお参りをしている。
散歩がてらに数人がお参りに来るが、皆さん中高年の人達だ。
それらの人と朝の挨拶を交わす。
7時になったので納経所へ行くが戸が閉まっている。
「ご用の方は押して下さい。」と書かれた紙のところにインターホンの
押しボタンがあるので押してみる。
数人のお遍路さんが来るが納経所が開いていないので一緒に待つ。
しばらくするとガタゴトと戸が開きお婆さんが納経をしてくれる。
納経帳は重ね印をお願いして御朱印を押してもらう。
7:10分、一宮寺を後にして、屋島寺へ向かう。
今日は高松市内を横切って歩かなければいけない。
中心街へは真っ直ぐ北の方へ進めばいいが、遍路道は西の方へ続いている。
細い路地をウネウネと曲がりながら西の方へ向かう。
途中で何本か中心街へ続く広い交通量のある道を横切る。
しばらく進むと、前方に特徴のある屋島が見えてくる。
屋島は大きな台形をしており、すぐわかる。
まだ相当の距離があるが、目指す目標が見えているのは歩いていても安心感がある。
8:10分、ちょうど1時間ほど歩き太陽も出てきて暑くなってきたので少し休憩する。
上之町郵便局の前で休む。ここで長袖のパーカーを脱ぐ。
左手には栗林公園の裏山が見えており、かなり街の中に来ているようだ。
半袖シャツで歩くのは久しぶりだ。気持ちがいい!
10分ほど歩くと、昨晩泊まったイーストパーク栗林の前に来た。
ここからは、河原町に向かって昨晩歩いた道を歩く。
商店街に入りアーケードに覆われた道を歩く。車が入らないので安心して歩ける。
でも、お店の方はまだ開店時間には早いので、ほとんどがシャッターを降ろしている。
しばらく歩くと右側に小さなお餅やさんを見つける。祝い餅「つくし」さんだ。
お腹が空いたときのお八つにと思い餅を買うことにする。
草餅とあん餅を1個ずつ頼むと「ちょっと待って下さい。」と女将さんにいわれる。
女将さんが店の奥に入り、机の引き出しから何かを取り出している。
店先に戻り、「これを持っていって下さい。」と差し出されたのは、錦の納札だった。
「近所にいるお爺さんが四国遍路を200回以上しており、お遍路さんが来たら渡して
下さいと預かっている。」といわれる。
納札を見るとそこには巡拝242回、高松市小西84歳と書かれている。
どのような方なのか知らないが、242回とは車で回ったにしても大変な数だ。
錦の納札は、宿や食堂などに額に入れられて飾られているのは見たことがあるが、
手にしたのは初めてだ。
お礼を言って、私の白い納め札を渡すと奥さんが「私もお遍路したときはこの札を
使いました。」などと話してくれる。
もう一度お礼を言って、錦の納札は納経帳の中にある納札入れにしまった。
河原町を過ぎて、ほどなく右手に曲がり、国道11号を屋島に向かって進む。
確かこの国道には高野山讃岐の別院への標識があったはずだと思い注意しながら
歩いていると、ありました、ありました。
左への矢印とともに讃岐別院とかかれている標識を見つける。
この標識は懐かしい! 以前、来たときに讃岐の別院に泊めてもらったのだ。
交通量の多い国道だが歩道がしっかりしているので歩いていても何の心配もない。
左手の先に見える屋島目指してドンドン歩く。
下千代橋を渡ると左手に海が見えてくる。屋島もすぐそこに見えている。
新詰田川橋、新春日川橋、新川橋と4本の橋を渡ると遍路道は左に曲がり、
いよいよ屋島への登り口となる。
9:45分、琴電潟元駅で休む。
15分ほど休憩してから、いよいよ屋島への登りとなる。
住宅街を抜け、坂道になると右手に溜池がある。
この溜池を過ぎると道はさらに急な坂道となり、グングン登っていく。
住宅地を過ぎると車の入れない遊歩道となり屋島の中腹をジグザグに曲がりながら
ドンドン高度を上げていく。
時折、ハイキング姿の人達が降りてくる。挨拶を交わしながら登っていくと
御加持水を通り、食わずの梨を過ぎる。
このあたりに来ると、左手には高松の町並みが眼下に広がってくる。
遊歩道は強い日差しを遮る木立があり、時折、風が吹き抜けるので、
汗をかいているが気持ちよく歩ける。
第84番札所 屋島寺
10:40分、階段を上がると屋島寺の山門が見えてくる。
四天門をあがると、木立の向こうに光り輝く本堂が見えてくる。
境内には大勢の参拝客がいる。
団体遍路の人達の声のそろった読経が響く。
私も本堂と大師堂にお参りする。
大師堂でのお参りを済ませ、納経所へ行こうとすると横手から来た白衣姿の
お婆さんがウーロン茶の缶を差しだし「お接待します。」といわれる。
ありがたくいただく。
お婆さんは小走りで仲間の方へ駆けていく。
納経所で納経を済ませ、今回は
本堂の隣にある宝物館を見ることにする。
前回来たときには時間が早く開館していなかったのだ。
宝物館の中はヒンヤリして涼しい。
参観者もほとんどいないのでゆっくりと観ることができた。
いろいろな仏像が並んでいる。
また、屋島は源平の合戦場で有名な場所だ。
那須与一が舟の上の扇子を射落としたといういわれが残っているのも屋島での出来事だ。
これらの合戦にまつわる展示物も沢山ある。
宝物館の裏側には庭が広がっている。
この庭が猩々囃子に出てくる狸が踊った庭なのか?
そうそう、屋島寺には狸にまつわる伝説がある。
本堂の横には籾山大明神として3メートルほどの大きな狸の石像が2体ある。
宝物館を観た後、屋島の展望台へ行く。
展望台からは高松市の全望と瀬戸内海が一望できる。
白峰寺や根来寺のある五色台まで見える。
今まで歩いてきた道が一望できる。
ここにある茶店でちょっと早めの昼食を取る。
冷やしうどん(500円)を頼み、今晩の宿に予約の電話をする。
今日は志度寺まで行き志度の町に泊まることにした。
いしや旅館に電話して,OKの返事をもらう。
11:30分、ゆっくり休めたので八栗寺を目指して出発する。
もと来た道を下っていく。遊歩道を下っていくと家族連れで何組かの人達が登ってくる。
小さな子がお父さんに手を引かれ登ってくる姿はほほえましい。
ちょっと太めのお父さんは汗だくで登っている。
「お父さん、頑張れ!」と、思わず声を掛けそうになる。
ここで、お父さんの頑張る姿を見せることが子供達にとって何よりの思い出に
なるのだから。 頑張れ! 頑張れ!
溜池まで戻ると東屋で休んでいる中年男性のお遍路さんがいる。
白衣は着ていないが杖を持っているのでお遍路に違いない。会釈をして通り過ぎる。
屋島ロープウェイ駅前を過ぎ、右手に川がある車が一台やっと通れる狭い道を歩く。
時折、対向車が来るとどちらともなく譲り合って待避所で交差している。
しばらく進むと道が右手に曲がり、牟礼の町へ入っていく。
牟礼の町にはいると州崎寺があるのでここで休む。
12:35分、州崎寺の本堂でお参りをしてから鐘楼の角に腰掛けて休む。
誰もいない境内で、風に吹かれながら休んでいると自然に目が閉じてくる。
ちょっとウトウトしてしまった。
牟礼は石の町。あちらこちらに彫刻された石仏や墓石などがあり、
中にはユーモラスな表情をした石仏などがあり、楽しませてくれる。
八栗寺は左手に見える山の中にある。
鋭く突き出た岩峰の下にあるのでかなりの急坂を上らなければ行けない。
ケーブルカーもあるが、ハナから使うつもりはない。
ヘンロ標識に従って遍路道を歩いていくと「うどん山田屋」と書かれた
大きな店先に出る。門の中を覗くと待っている人達が大勢並んでいる。
ちょっと気を引かれたが、昼食はうどんを食べたので我慢する。
ほどなく、ケーブルカーの駅前に出る。
この辺りからはいよいよ傾斜がきつくなる。
右手にケーブルカーを見ながら急な坂道を登っていくと、上から黒衣に黒地に
高野山と白抜きされた頭陀袋を首から下げたお坊さんが降りてくる。
「暑いですね!」と声を掛け、顔を見るとまだ若いお坊さんだ。
大きなザックとアルミのマットを背負っているので野宿をしながら
逆打ちをしているのか?
しばらく進むと、道ばたで休んでいる3人連れのお遍路がいる。
中高年の人達で男性1人、女性2人の人達だ。
声を掛けると、男性が休んでばかりいるのでサッパリ進まないなどと話してくれる。
どうやら高松の人達のようで、今日は行けるところまで歩いて迎えに来てもらうと
話してくれる。
長尾寺までは行きたいというが、この時間からは納経時間に間に合うか?
第85番札所 八栗寺
13:25分、八栗寺に着く。
境内にはお参りの人が沢山いる。
このお寺は歓喜天を祀っているので、商売繁盛を願う人達のお参りもある。
本堂と大師堂にお参りしていると、先ほどの3人連れのお遍路さん達がやってくる。
納経所で休んでいると「早いですね~」と、また声を掛けてくる。
「どちらから?」と聞かれたので「札幌からです。」と答えると、
北海道の人は多いですねといわれる。
「以前会った旭川の人も歩くのが速かった。私たちと歩いていても見る間に
離されてしまった。」などと話してくれる。
ここも一足先に出発する。
志度の町を目指して山を下る。
九十九折りの車道をグングン下るが、最近下り道を降りるのが苦手になってきている。
何故かというと、下り道は膝にくる負担が多く、膝が痛くなってくる。
特に古傷のある右膝に対する負担が大きい。
だから、いつも急な下り坂は車道一杯を使ってジグザグに下ることにしている。
こうすることによっていくらかでも右膝の負担を軽くすることができる。
山を下り終えたところに大きな溜池があり、公園になっている。
東屋などもあるが休まないで歩くことにした。
このため池のところに古い遍路石があり、左手の道を指しているが、
どう見ても右手に行く方がいいような気がして右手に進む。
ほどなく、国道に出てしまう。
地図を見ると道は間違っていないようなので、交通量の多い国道脇の歩道を
車の轟音に耳を塞ぎながら黙々と歩く。
国道の先に琴電の踏切があり、国道から別れた道が左手に伸びている。
どうやら旧道のようなので、左に曲がり踏切を渡る。
旧道には入った途端、今までの轟音が嘘のように消える。
車が全く走ってこない。ホッとして、牟礼の市街を歩いていく。
平賀源内邸の前を通り過ぎる。
覗いていこうかと思ったが、気乗りがしないのでやめてしまった。
しばらく歩くと右手に小さなお店があり、アイスを売っている。
暑かったのでちょっと一休みすることにした。
アイスを買って、お店のお爺さんと雑談をする。
ここはもう志度の町のようで、「この道を真っ直ぐに歩くと20分ほどで志度寺に着く。」
と教えてくれる。
アイスを食べ終わってから、お礼を言って志度寺を目指す。
志度の町並みを眺めながら歩いていると今晩の宿である「いしや旅館」を見つける。
隣には料理店を持っている店だ。宿代のことをちょっと心配した。
でも、頼んでしまったものは仕方がない。
第86番札所 志度寺
15:20分、志度寺に着く。
志度寺の仁王門には、立派な阿吽像が祀られている。
その門をくぐり、樹木の多い境内を歩き本堂に行く。
本堂と大師堂にお参りをして、本堂の前にあるベンチで休んでいると、
車椅子にお婆ちゃんを乗せた奥さんが横に座る。
木陰にいても汗をかいた体が寒くないちょうどいい気温の中でぼんやりしていた。
30分ほどすると3人連れのお遍路さんがやってきた。
男性は荷物が重いのかフウフウ言いながら歩いてくる。
私の横のベンチに荷物をおいてお参りに行く。
お参りを済ませて戻ってきたので話をすると、この先できるだけ長尾寺目指して歩き、
途中で迎えの車に拾ってもらうという。
車椅子のお婆ちゃんが、また、戻ってきて横のベンチに座る。
白髪を短く切りそろえたお婆さんの頭を見ていると、
妻の母が入院中に車椅子に乗っていた姿とダブってくる。
そろそろ宿に行こうと思いザックを背負い杖を持ったところで、
お婆さんに話しかけた。
お婆さんからは言葉が返ってこなかったが、お婆さんの手を握り
「いつまでもお元気でいて下さい。」と声を掛けると、頷いてくれた。
奥さんにも声を掛けてお別れした。
16:10分、いしや旅館には、ほんの5分ほどで着いた。
呼び鈴を押すと女将さんが出てくる。
玄関は広く趣がある。庭には金魚の入ったカメなどもあり、
なるほど料亭の造りになっている。
一番奥にある離れの2階に案内される。古いけれど8畳ほどの広い部屋だ。
風呂も沸いていると言われたので、早速、風呂に入ることにしたが、洗濯機を貸して
くれるということなので風呂の前に洗濯をしてしまうことにする。
今日一日よく汗をかいたのでズボンも洗濯してしまう。
洗濯物を部屋の縁側に干して、風呂に入る。
汗をかいた体にお湯が気持ち良く沁みる。湯船で手足を伸ばすと生き返ったような
気がする。
風呂から上がり夕食前の時間を利用して町をぶらついた。
すぐ前が港なので、港へ行くと釣りをしている人がいる。
左手に大きな建物があるので行ってみると市役所だった。
市役所には「さぬき市」と書かれた看板が掛かっている。
そうだ、ここは志度町ではなく、いまはさぬき市なのだ。
町村合併により市に昇格しているのだ。
四国では、あちらこちらで町村合併が行われている。
この動きは北海道などとは比べようのないほど早い。
宿に帰るともう一人お遍路さんが泊まるようだ。
私の下の部屋に洗濯物と人影が見える。
部屋の電話が鳴り、「夕食の用意ができました。」と女将さんに言われたので
食堂へ行く。食堂には2人分の食事が用意されている。
先に食べていると、私より少し年下に見える男性が入ってきた。
挨拶をして話をすると、「今日は根来寺から歩いてきた。」という。
テレビのニュースで三菱自動車がトラックの車輪のハブが不良のまま
見過ごしてきたという報道をしている。
このニュースを見ていると、「この会社に勤めているのです。」という。
その口調があまりにも明るく、ちょっと自慢しているようにも聞こえたので
オヤッと思った。
この問題は、会社の社長や幹部が自社の責任を認めずに修理しない所有者が
悪いとして自社の責任を他者に押しつけてきた三菱自動車がハブの強度等を十分に
テストしないトラックを商品として販売してしまった責任が問われている。
そして、これらのトラックから脱輪したタイヤによって数人が死亡したという事故を
起こしているのだ。
私がこの人の立場なら、このニュースを見ているときに「私の会社だ。」などと
人には言えない。
社会的な責任感が薄い会社と断罪されている問題を考えると、
ただ、黙ってこのニュースを見ることぐらいしかできない。
この人の話では、名古屋に住んでいるが今は岡山に単身赴任している。
お遍路は10年ほど前から歩いており、順打ちで3回、逆打ちで1回歩いているようだ。
年齢は52歳だと話してくれる。
自分が作っている製品が不良品で、そのために人が死んでいるという現実を
このように明るく他人事として話すことにちょっと驚いた。
まして、その人がお遍路であるということにさらに違和感を持った。
世の中にはいろんな人がいる!
夕食は、お魚料理がいろいろと並んでいる。
お刺身は切り口が光り新鮮でおいしい。魚の唐揚げもおいしくいただいた。
満足のいくお料理だった。
朝食は6:30分から用意できるということなので、それでお願いした。
(第1日・通算第36日目・歩行距離28.5km・歩行歩数48,538歩)
5:00分、起床。
目覚めは悪くない。カーテンを開け窓から外を見ると薄明るい空に青空が広がっており、
今日の天気は良さそうだ。
昨夜買っておいたカップ麺とおにぎりで朝食を取る。
人通りのない街を琴電栗林駅へ向かって歩く。空が青さを増し明るくなってきた。
6:07分発の電車に乗る。乗客はほとんどいない。
15分ほどで一宮駅に着く。
ここから一宮寺へは歩いて10分ほどだ。
第83番札所 一宮寺
6:30分、一宮寺の境内に着く。
本堂に朝日が当たり眩しく輝いている。
早速、本堂と大師堂にお参りをする。
15分ほどでお参りを済ませるが、納経所が開く7時までには少し時間がある。
境内はヒンヤリして気持ちが良いが、空には青空が広がり、今日は暑くなりそうだ。
本堂前にある日当たりのいいベンチに座っていると、挨拶をしていくお婆さんがいる。
挨拶を交わして見ていると、本堂で熱心にお参りをしている。
散歩がてらに数人がお参りに来るが、皆さん中高年の人達だ。
それらの人と朝の挨拶を交わす。
7時になったので納経所へ行くが戸が閉まっている。
「ご用の方は押して下さい。」と書かれた紙のところにインターホンの
押しボタンがあるので押してみる。
数人のお遍路さんが来るが納経所が開いていないので一緒に待つ。
しばらくするとガタゴトと戸が開きお婆さんが納経をしてくれる。
納経帳は重ね印をお願いして御朱印を押してもらう。
7:10分、一宮寺を後にして、屋島寺へ向かう。
今日は高松市内を横切って歩かなければいけない。
中心街へは真っ直ぐ北の方へ進めばいいが、遍路道は西の方へ続いている。
細い路地をウネウネと曲がりながら西の方へ向かう。
途中で何本か中心街へ続く広い交通量のある道を横切る。
しばらく進むと、前方に特徴のある屋島が見えてくる。
屋島は大きな台形をしており、すぐわかる。
まだ相当の距離があるが、目指す目標が見えているのは歩いていても安心感がある。
8:10分、ちょうど1時間ほど歩き太陽も出てきて暑くなってきたので少し休憩する。
上之町郵便局の前で休む。ここで長袖のパーカーを脱ぐ。
左手には栗林公園の裏山が見えており、かなり街の中に来ているようだ。
半袖シャツで歩くのは久しぶりだ。気持ちがいい!
10分ほど歩くと、昨晩泊まったイーストパーク栗林の前に来た。
ここからは、河原町に向かって昨晩歩いた道を歩く。
商店街に入りアーケードに覆われた道を歩く。車が入らないので安心して歩ける。
でも、お店の方はまだ開店時間には早いので、ほとんどがシャッターを降ろしている。
しばらく歩くと右側に小さなお餅やさんを見つける。祝い餅「つくし」さんだ。
お腹が空いたときのお八つにと思い餅を買うことにする。
草餅とあん餅を1個ずつ頼むと「ちょっと待って下さい。」と女将さんにいわれる。
女将さんが店の奥に入り、机の引き出しから何かを取り出している。
店先に戻り、「これを持っていって下さい。」と差し出されたのは、錦の納札だった。
「近所にいるお爺さんが四国遍路を200回以上しており、お遍路さんが来たら渡して
下さいと預かっている。」といわれる。
納札を見るとそこには巡拝242回、高松市小西84歳と書かれている。
どのような方なのか知らないが、242回とは車で回ったにしても大変な数だ。
錦の納札は、宿や食堂などに額に入れられて飾られているのは見たことがあるが、
手にしたのは初めてだ。
お礼を言って、私の白い納め札を渡すと奥さんが「私もお遍路したときはこの札を
使いました。」などと話してくれる。
もう一度お礼を言って、錦の納札は納経帳の中にある納札入れにしまった。
河原町を過ぎて、ほどなく右手に曲がり、国道11号を屋島に向かって進む。
確かこの国道には高野山讃岐の別院への標識があったはずだと思い注意しながら
歩いていると、ありました、ありました。
左への矢印とともに讃岐別院とかかれている標識を見つける。
この標識は懐かしい! 以前、来たときに讃岐の別院に泊めてもらったのだ。
交通量の多い国道だが歩道がしっかりしているので歩いていても何の心配もない。
左手の先に見える屋島目指してドンドン歩く。
下千代橋を渡ると左手に海が見えてくる。屋島もすぐそこに見えている。
新詰田川橋、新春日川橋、新川橋と4本の橋を渡ると遍路道は左に曲がり、
いよいよ屋島への登り口となる。
9:45分、琴電潟元駅で休む。
15分ほど休憩してから、いよいよ屋島への登りとなる。
住宅街を抜け、坂道になると右手に溜池がある。
この溜池を過ぎると道はさらに急な坂道となり、グングン登っていく。
住宅地を過ぎると車の入れない遊歩道となり屋島の中腹をジグザグに曲がりながら
ドンドン高度を上げていく。
時折、ハイキング姿の人達が降りてくる。挨拶を交わしながら登っていくと
御加持水を通り、食わずの梨を過ぎる。
このあたりに来ると、左手には高松の町並みが眼下に広がってくる。
遊歩道は強い日差しを遮る木立があり、時折、風が吹き抜けるので、
汗をかいているが気持ちよく歩ける。
第84番札所 屋島寺
10:40分、階段を上がると屋島寺の山門が見えてくる。
四天門をあがると、木立の向こうに光り輝く本堂が見えてくる。
境内には大勢の参拝客がいる。
団体遍路の人達の声のそろった読経が響く。
私も本堂と大師堂にお参りする。
大師堂でのお参りを済ませ、納経所へ行こうとすると横手から来た白衣姿の
お婆さんがウーロン茶の缶を差しだし「お接待します。」といわれる。
ありがたくいただく。
お婆さんは小走りで仲間の方へ駆けていく。
納経所で納経を済ませ、今回は
本堂の隣にある宝物館を見ることにする。
前回来たときには時間が早く開館していなかったのだ。
宝物館の中はヒンヤリして涼しい。
参観者もほとんどいないのでゆっくりと観ることができた。
いろいろな仏像が並んでいる。
また、屋島は源平の合戦場で有名な場所だ。
那須与一が舟の上の扇子を射落としたといういわれが残っているのも屋島での出来事だ。
これらの合戦にまつわる展示物も沢山ある。
宝物館の裏側には庭が広がっている。
この庭が猩々囃子に出てくる狸が踊った庭なのか?
そうそう、屋島寺には狸にまつわる伝説がある。
本堂の横には籾山大明神として3メートルほどの大きな狸の石像が2体ある。
宝物館を観た後、屋島の展望台へ行く。
展望台からは高松市の全望と瀬戸内海が一望できる。
白峰寺や根来寺のある五色台まで見える。
今まで歩いてきた道が一望できる。
ここにある茶店でちょっと早めの昼食を取る。
冷やしうどん(500円)を頼み、今晩の宿に予約の電話をする。
今日は志度寺まで行き志度の町に泊まることにした。
いしや旅館に電話して,OKの返事をもらう。
11:30分、ゆっくり休めたので八栗寺を目指して出発する。
もと来た道を下っていく。遊歩道を下っていくと家族連れで何組かの人達が登ってくる。
小さな子がお父さんに手を引かれ登ってくる姿はほほえましい。
ちょっと太めのお父さんは汗だくで登っている。
「お父さん、頑張れ!」と、思わず声を掛けそうになる。
ここで、お父さんの頑張る姿を見せることが子供達にとって何よりの思い出に
なるのだから。 頑張れ! 頑張れ!
溜池まで戻ると東屋で休んでいる中年男性のお遍路さんがいる。
白衣は着ていないが杖を持っているのでお遍路に違いない。会釈をして通り過ぎる。
屋島ロープウェイ駅前を過ぎ、右手に川がある車が一台やっと通れる狭い道を歩く。
時折、対向車が来るとどちらともなく譲り合って待避所で交差している。
しばらく進むと道が右手に曲がり、牟礼の町へ入っていく。
牟礼の町にはいると州崎寺があるのでここで休む。
12:35分、州崎寺の本堂でお参りをしてから鐘楼の角に腰掛けて休む。
誰もいない境内で、風に吹かれながら休んでいると自然に目が閉じてくる。
ちょっとウトウトしてしまった。
牟礼は石の町。あちらこちらに彫刻された石仏や墓石などがあり、
中にはユーモラスな表情をした石仏などがあり、楽しませてくれる。
八栗寺は左手に見える山の中にある。
鋭く突き出た岩峰の下にあるのでかなりの急坂を上らなければ行けない。
ケーブルカーもあるが、ハナから使うつもりはない。
ヘンロ標識に従って遍路道を歩いていくと「うどん山田屋」と書かれた
大きな店先に出る。門の中を覗くと待っている人達が大勢並んでいる。
ちょっと気を引かれたが、昼食はうどんを食べたので我慢する。
ほどなく、ケーブルカーの駅前に出る。
この辺りからはいよいよ傾斜がきつくなる。
右手にケーブルカーを見ながら急な坂道を登っていくと、上から黒衣に黒地に
高野山と白抜きされた頭陀袋を首から下げたお坊さんが降りてくる。
「暑いですね!」と声を掛け、顔を見るとまだ若いお坊さんだ。
大きなザックとアルミのマットを背負っているので野宿をしながら
逆打ちをしているのか?
しばらく進むと、道ばたで休んでいる3人連れのお遍路がいる。
中高年の人達で男性1人、女性2人の人達だ。
声を掛けると、男性が休んでばかりいるのでサッパリ進まないなどと話してくれる。
どうやら高松の人達のようで、今日は行けるところまで歩いて迎えに来てもらうと
話してくれる。
長尾寺までは行きたいというが、この時間からは納経時間に間に合うか?
第85番札所 八栗寺
13:25分、八栗寺に着く。
境内にはお参りの人が沢山いる。
このお寺は歓喜天を祀っているので、商売繁盛を願う人達のお参りもある。
本堂と大師堂にお参りしていると、先ほどの3人連れのお遍路さん達がやってくる。
納経所で休んでいると「早いですね~」と、また声を掛けてくる。
「どちらから?」と聞かれたので「札幌からです。」と答えると、
北海道の人は多いですねといわれる。
「以前会った旭川の人も歩くのが速かった。私たちと歩いていても見る間に
離されてしまった。」などと話してくれる。
ここも一足先に出発する。
志度の町を目指して山を下る。
九十九折りの車道をグングン下るが、最近下り道を降りるのが苦手になってきている。
何故かというと、下り道は膝にくる負担が多く、膝が痛くなってくる。
特に古傷のある右膝に対する負担が大きい。
だから、いつも急な下り坂は車道一杯を使ってジグザグに下ることにしている。
こうすることによっていくらかでも右膝の負担を軽くすることができる。
山を下り終えたところに大きな溜池があり、公園になっている。
東屋などもあるが休まないで歩くことにした。
このため池のところに古い遍路石があり、左手の道を指しているが、
どう見ても右手に行く方がいいような気がして右手に進む。
ほどなく、国道に出てしまう。
地図を見ると道は間違っていないようなので、交通量の多い国道脇の歩道を
車の轟音に耳を塞ぎながら黙々と歩く。
国道の先に琴電の踏切があり、国道から別れた道が左手に伸びている。
どうやら旧道のようなので、左に曲がり踏切を渡る。
旧道には入った途端、今までの轟音が嘘のように消える。
車が全く走ってこない。ホッとして、牟礼の市街を歩いていく。
平賀源内邸の前を通り過ぎる。
覗いていこうかと思ったが、気乗りがしないのでやめてしまった。
しばらく歩くと右手に小さなお店があり、アイスを売っている。
暑かったのでちょっと一休みすることにした。
アイスを買って、お店のお爺さんと雑談をする。
ここはもう志度の町のようで、「この道を真っ直ぐに歩くと20分ほどで志度寺に着く。」
と教えてくれる。
アイスを食べ終わってから、お礼を言って志度寺を目指す。
志度の町並みを眺めながら歩いていると今晩の宿である「いしや旅館」を見つける。
隣には料理店を持っている店だ。宿代のことをちょっと心配した。
でも、頼んでしまったものは仕方がない。
第86番札所 志度寺
15:20分、志度寺に着く。
志度寺の仁王門には、立派な阿吽像が祀られている。
その門をくぐり、樹木の多い境内を歩き本堂に行く。
本堂と大師堂にお参りをして、本堂の前にあるベンチで休んでいると、
車椅子にお婆ちゃんを乗せた奥さんが横に座る。
木陰にいても汗をかいた体が寒くないちょうどいい気温の中でぼんやりしていた。
30分ほどすると3人連れのお遍路さんがやってきた。
男性は荷物が重いのかフウフウ言いながら歩いてくる。
私の横のベンチに荷物をおいてお参りに行く。
お参りを済ませて戻ってきたので話をすると、この先できるだけ長尾寺目指して歩き、
途中で迎えの車に拾ってもらうという。
車椅子のお婆ちゃんが、また、戻ってきて横のベンチに座る。
白髪を短く切りそろえたお婆さんの頭を見ていると、
妻の母が入院中に車椅子に乗っていた姿とダブってくる。
そろそろ宿に行こうと思いザックを背負い杖を持ったところで、
お婆さんに話しかけた。
お婆さんからは言葉が返ってこなかったが、お婆さんの手を握り
「いつまでもお元気でいて下さい。」と声を掛けると、頷いてくれた。
奥さんにも声を掛けてお別れした。
16:10分、いしや旅館には、ほんの5分ほどで着いた。
呼び鈴を押すと女将さんが出てくる。
玄関は広く趣がある。庭には金魚の入ったカメなどもあり、
なるほど料亭の造りになっている。
一番奥にある離れの2階に案内される。古いけれど8畳ほどの広い部屋だ。
風呂も沸いていると言われたので、早速、風呂に入ることにしたが、洗濯機を貸して
くれるということなので風呂の前に洗濯をしてしまうことにする。
今日一日よく汗をかいたのでズボンも洗濯してしまう。
洗濯物を部屋の縁側に干して、風呂に入る。
汗をかいた体にお湯が気持ち良く沁みる。湯船で手足を伸ばすと生き返ったような
気がする。
風呂から上がり夕食前の時間を利用して町をぶらついた。
すぐ前が港なので、港へ行くと釣りをしている人がいる。
左手に大きな建物があるので行ってみると市役所だった。
市役所には「さぬき市」と書かれた看板が掛かっている。
そうだ、ここは志度町ではなく、いまはさぬき市なのだ。
町村合併により市に昇格しているのだ。
四国では、あちらこちらで町村合併が行われている。
この動きは北海道などとは比べようのないほど早い。
宿に帰るともう一人お遍路さんが泊まるようだ。
私の下の部屋に洗濯物と人影が見える。
部屋の電話が鳴り、「夕食の用意ができました。」と女将さんに言われたので
食堂へ行く。食堂には2人分の食事が用意されている。
先に食べていると、私より少し年下に見える男性が入ってきた。
挨拶をして話をすると、「今日は根来寺から歩いてきた。」という。
テレビのニュースで三菱自動車がトラックの車輪のハブが不良のまま
見過ごしてきたという報道をしている。
このニュースを見ていると、「この会社に勤めているのです。」という。
その口調があまりにも明るく、ちょっと自慢しているようにも聞こえたので
オヤッと思った。
この問題は、会社の社長や幹部が自社の責任を認めずに修理しない所有者が
悪いとして自社の責任を他者に押しつけてきた三菱自動車がハブの強度等を十分に
テストしないトラックを商品として販売してしまった責任が問われている。
そして、これらのトラックから脱輪したタイヤによって数人が死亡したという事故を
起こしているのだ。
私がこの人の立場なら、このニュースを見ているときに「私の会社だ。」などと
人には言えない。
社会的な責任感が薄い会社と断罪されている問題を考えると、
ただ、黙ってこのニュースを見ることぐらいしかできない。
この人の話では、名古屋に住んでいるが今は岡山に単身赴任している。
お遍路は10年ほど前から歩いており、順打ちで3回、逆打ちで1回歩いているようだ。
年齢は52歳だと話してくれる。
自分が作っている製品が不良品で、そのために人が死んでいるという現実を
このように明るく他人事として話すことにちょっと驚いた。
まして、その人がお遍路であるということにさらに違和感を持った。
世の中にはいろんな人がいる!
夕食は、お魚料理がいろいろと並んでいる。
お刺身は切り口が光り新鮮でおいしい。魚の唐揚げもおいしくいただいた。
満足のいくお料理だった。
朝食は6:30分から用意できるということなので、それでお願いした。
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