2011年3月11日。 9年前に起こった東日本大震災は復興は道半ば、思えば当時
私ども建設会社は、震災後に仙台郊外の工場の復興に力を注いできました。
当時の仙台市内は道路が波打ち、建物は損壊して、組み立て工場の被害を見て
私どもはどの様にこれから復興をしたらよいか、正直分かりませんでしたが、
一つ一つを丁寧に出来るだけ進めてゆきました。 荷物をトラックで運ぶのに
幹線道路は使えず、道を乗り継ぎ、仙台まで長い時間をかけて、基本だけを
修理する過程を済ませた経緯がありました。 仙台は私の連れ添いの故郷。
何回となく訪れた町でした。 一番の思い出が仙台郊外の荒浜海岸、
松林が続く海辺の美しさ、海水浴も出来ましたが2011年11月に訪れた荒浜海岸は
元の姿は無く、松林も海岸近くの給油所も何もありませんでした。黙祷が前の建築
会社で行われ参加してきました。 懐かしい仲間との再会もありました。
当時この場所を案内してくれた地元の人の
話を聞いて、10mの津波が押し寄せて
後ろの東道路の斜面まで押し寄せたと聞きました。
松林も風光明媚な景観も根こそぎ無くなり、津波で破壊
されたと聞いてます。その後、海岸近くに
東日本大震災慰霊之塔が出来上がり
何度か来て手を合わせたのを覚えてます。
この若林地区には荒浜小学校が有り2011年の震災と大津波によって、大きく
損傷して、校舎は暫く残されてました。 いずれは取り壊しの工事が始まると
聞いてましたが、2017年に震災遺構として残され、今は校舎の中を見られ
語り部の方々が説明をしてくれてます。 申し訳ありません、当時の写真が見当たりませんです。
2011年から新幹線の側面は東北の応援ステッカーが貼られ、一丸となって
東北を応援いたしました。 私ども新幹線で出向を繰り返してた過去を
思い出します。 今は道は違いますが、今でも仙台には年に何回かは帰ります。
忘れないことが大切であるといつも思ってます。 がんばれ東北。