病気を乗り越えて(私の奇跡)

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しあわせのものさし・・・メルマガより

2008年10月10日 | 心にとめておきたい言葉
ブログ・カウンターナンパ


「出家」ということ


今日は「出家」(しゅっけ)についてお話したいと思います。
「出家」とは、字のごとく家を出る、ということです。
ではどこの家を出るのかというと、迷い・苦しみの家から出る、
ということです。
仏様のお話に、このようなお話があります。

ある日、父親が我が家に帰ってきたら、
家がなんと火事になっていたのです。
その家の中で、子供たちは火事だ、ということも気づかずに
夢中になって遊んでいるのです。
父親が、家の外から「火事だから早く出てきなさい」と
呼びかけるのですが、遊ぶことに夢中になっていて
気づかないのです。

そこで父親は、「ここに立派な車がある。
これに乗って遊びなさい。」と呼びかけると、
子供たちは家の中から飛び出して、難をのがれた・・・

家の外に出てきた子供たちの目の前には、
実はもっと素晴らしい乗り物が用意されてあった。
というお話です。

ここでの父親は、仏様であり、
子供たちは、私達凡夫を指しておられるのです。

家が火事で焼けている状況を、
今私達が住んでいるこの世界を指しておられるのです。
家が、火事になっていても、
目の前の玩具に夢中になって遊んでいる。
ましてや、外から父親が声を掛けても振り向こうとしない。
一生懸命遊んでいるから、声が聞こえない・・のです。

家が火事になっている状況を「火宅三界(かたくさんがい)
の娑婆(しゃば)」といいます。
この火の家から、外に出ることを「出家」というのです。
つまり、火宅三界という迷い・苦しみの世界から飛び出して、
安穏(あんのん)な世界、悟りの世界・・仏の世界へ
住まわしてもらうことなのです。

目先の欲・・例えばお金・権力・地位・名誉などに
あまりにも執着しすぎて、周囲や周囲の状況が見えなくなって
しまう状態が、「火宅の娑婆」に住んでの生活と
いうことになるのです。

そこから「出家」するということは、
目先の欲得にとらわれ過ぎることなく、
「少欲知足」で「欲を少なくして、足ることを知る」・・
ことなのです。

大局的に物事を見つめ、
人の生涯において何が大事なことなのか・・などと、
一生涯を一つの全体と見なし、全体のなかでの今の役割などを
捉えていく。
これが「出家」ということです。

そして、何よりも大事なことは、
「真の出家」とは「人を大事に」そして「人を助けていく」
ことなのです。

決して口先だけではなく、
実際に悩み苦しむ人の懐に飛び込んで、
共々に這い上がろうとする「生きざま」のことです。
そして、その方が良くなっていったら、我が事のように喜ぶ心。
そこには、裏も表もない「純粋」に人のことで
難儀・苦労が出来る、喜んで出来る。
そういう生き方が「真の出家」なのです。

みんなが「心の出家」をしていけば、
きっと素晴らしい世の中になっていくのでしょうね。


転載元
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□発行者 : 小牧 清立(本門仏立講 蓮行寺 住職)

□発行者住所 : 千葉県松戸市牧の原2丁目375番地2

□発行者連絡先 : rengyouji@mail.goo.ne.jp

□URL : http://ameblo.jp/renngyouji/
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追記
小牧住職さんのご了解を得ましたので、
ブログへのジャンプ先、コメント欄にさせていただきました。
いつもいい記事を書かれていますので、
ぜひご訪問ください。


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1 コメント

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住職さんのブログ (まほ)
2008-10-10 11:41:46
こちらです。
http://ameblo.jp/renngyouji/

ぜひ、ご訪問ください。
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