病気を乗り越えて(私の奇跡)

「つぶやき」本館ブログ終了で
現在「今日もきらめいて」の
ポエムブログの別館・病気関連&童話です。

発明

2006年10月31日 | わたしの気持ち

ブログ・カウンターナンパ

彫刻

「発 明」


何かをなくし 何かを得る
得たものは なくしたものより
はるかに大きい
なくした者にしか味わえない
醍醐味かもしれない

何の不自由も無ければ
発明は生まれないように
人生の知恵の多くは
知識からではなく体験によって
生み出されるわけだから






2005年6月ごろの詩




失くしたものは大きかった
けれども得たものはそれ以上だった




痛々しいサインペン

2006年10月30日 | わたしの気持ち

ブログ・カウンターナンパ


サーカス団長(ティモシー)


「痛々しいサインペン」

サインペンには
痛々しいほどの傷がある

握力がない私は
サインペンのキャップを
手で開けることができなくて
口で開けている
そのため歯形がふえる

もう少し字がうまくなるまで
しんぼう願いたい    




2002年1月ごろの詩

握力がない私は「歯」という武器をよく使った。
入院中の朝食に付く「バナナの皮」をむくのも、もちろん「歯」。
行儀は悪いけれど、
不可能を可能に出来ることはすべてやってきた。

薬の袋も、歯で噛み切る。
自分ひとりでは薬を袋から口に入れられない。
しかし水薬を飲むときのように、別の容器に薬を移せば
ひとりで飲むことが出来る。

今はこういう「裏ワザ探し」が楽しい。
さて、今度はどんなアイディアを見つけようか。

パソコンに頼っていた文字を、自筆に挑戦し始めた。
ゆっくりあせらず、やっていこう。






無言の励まし

2006年10月29日 | わたしの気持ち


ブログ・カウンターナンパ


ダンス(ピノキオ)


「無言の励まし」

はなれて暮らしていて
なにかと不自由かけているけれど
もう少しのあいだ
辛抱してくださいますか

このことが将来きっと
無言のはげましとなって
役立つ時があると思うから  





2002年1月ごろの詩


当時19歳の息子と16歳の娘を思って詠んだ詩です。
年末年始を初めて自宅で過ごし、
入院生活も2年を超え、
ようやく光が見え出したときのものです。




  

赤ちゃんとの競争

2006年10月27日 | わたしの気持ち



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おままごと(ミニー)

「赤ちゃんとの競争」

生まれたばかりの赤ちゃんと
どちらが早く歩けるか
競争することに
体は赤ん坊 頭は大人
バランスの悪い私は
無欲の赤ちゃんに完敗だった





2001年9月ごろの詩

看護助手さんのお孫さんと競争。
悔しいけれど、完敗でした。






チャレンジ

2006年10月25日 | わたしの気持ち

ブログ・カウンターナンパ


ティンカー・ベルに扮したミニー



「チャレンジ」

「やってみよう」と言う意欲は
ほんの小さなきっかけから始まる
さいしょの意欲は
次なる意欲を生む

意欲がどんどんふえれば
不可能が可能となって
生きていく力と自信を
与えてくれる       




2002年2月ごろの詩


大好きな看護婦さんがいました。
いつも私を励ましてくれた、あったかい人でした。
その看護婦さんへのプレゼント。


「プロ意識 日夜ふんとう 白衣の天使」
ひらがな交じりで書いた言葉を受け取ってくださいました。

病院を辞められたそうですが、お元気ですか?
おかげさまで私はとっても元気になれました。
その節は、ありがとうございました。

あなた様のお幸せを祈っています





お見舞いに来てくれた人へのお礼

2006年10月24日 | わたしの気持ち

ブログ・カウンターナンパ


レッドカーペット


「お見舞いに来てくれた人へのお礼」

お見舞いにきて下さった人を
つかまえて
感心するほどよくしゃべる

でもそれは
心配してきて頂いた人に
あんしんしてかえってもらう為の
精一杯のお礼なのである

だからおしゃべりと思わず
ゆるしてください     





2002年1月の詩


私は逆の立場を考えていた。

誰よりも健康で、徹夜もオッケーの私に
友人はなんと声をかけたらいいのか・・・と
恐る恐るのお見舞い。

私の口から病気のことをすべて話した。
しゃべる、しゃべる。
 そんなにしゃべって大丈夫?
だって逆だったら、どう声をかければいいのか
わからないだろうから。

私はしゃべりまくった。
当時はお見舞いに来てくれた人が帰ると
休まずにはおられなかった。

それでも安心して帰ってもらえることを
お礼としたかった私は、大満足だった。



 

心配しないで

2006年10月23日 | わたしの気持ち


ブログ・カウンターナンパ





「心配しないで」

心配しても
どうしようもないことまで
心配して
結局心配ごとを増やすだけ

ならば
どうにかなるさと
腹をくくったほうが
かっこいい          





2002年1月の詩


この詩の日にちに「ごろ」とないのは、
確信があるからです。
そう、あれは個室からやっと出世して
大部屋に移れた日だからです。
個室では食事の配膳が忘れられていても
じっと忙しく遅れているのだと待っていました。
大部屋だったらみなさんが居られる、
助けてもらえると安堵したものでした。

個室2年3ヶ月・・・
ナースコールが手元になく押せないときは
「かんごふさ~ん」と必死でわめきました。




病後7年を迎えて

2006年10月20日 | 病気の記録
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2006年10月20日・・・
   病後丸7年を迎えました。

7年前の今日、救急車で病院に運ばれ、酸素マスクをして、検査でした。
熱があり、会社のことを寝言でしゃべりだし、
妹が「ここは会社じゃないよ、病院」と言うといったんは納得し、
またしばらくすると「この書類があったはず」と言い出したらしいです。

ずっと「胆石」なんて軽い病気と思い込んでいました。
1ヶ月もすれば、手術後退院できると信じきっていました。

あるとき、私がおかしなことを言い始めたそうです。
そこで妹は主任さんに聞きました。

 「すみません。姉がおかしなことを言うんです」
 「お姉さんの命が危ないの」
 (絶句)

手術は1999年(平成11年)11月1日
夫には生存確率20パーセントと告げられたそうです。

私は暢気なもので何も知りませんでした。
手術前後の記憶がまったくないのです。


時は21世紀、2000年になりました。
2000年1月7日、手術から68日ぶりに目覚めました。


胆石を放置してあったため、その石が胆管に落ち、胆管はふさがれ
そのため「膵液」が逆流し、開腹したお腹は泥水状態、
お腹をきれいにする必要があり、お腹は閉じず開いたままでした。
それは痛みを伴うという理由から、薬で眠らされました。

そのたった2ヶ月の間に私の手足の筋肉はなくなり、
ナースコールを押すことさえ出来ず、気管切開し人工呼吸器を付け、
点滴ほかたくさんの管に繋がれていたそうです

今7年前を振り返り、7年前の自分に助言するとしたら
「ありのままを受け入れ自分を信じて生きよ」 
ということになります。


    

    今日は私の大事な記念日。
     どうしても書き残したくって・・・。





感謝の思いが我慢を教えてくれた

2006年10月19日 | わたしの気持ち


ブログ・カウンターナンパ

特別企画があります。締め切りは20日24時です。
詳細は本館「つぶやき」10/18の記事をご覧ください。
ご応募も本館コメントへくださいね。
10/18「つぶやき」



登場!(ジーニー)


「感謝の思いが我慢を教えてくれた」

かんしゃの思いが
がまんすることを教えてくれました
するとどうでしょう

とてもあたたかな気持ちになって
心ゆたかにすごせるようになりました
生かされていることに
改めて感謝です     





2003年1月ごろの詩


明日で病後7年.
生かされていることの感謝しかありません。
2006.10.19 未歩