「痛々しいサインペン」
サインペンには
痛々しいほどの傷がある
握力がない私は
サインペンのキャップを
手で開けることができなくて
口で開けている
そのため歯形がふえる
もう少し字がうまくなるまで
しんぼう願いたい
2002年1月ごろの詩
握力がない私は「歯」という武器をよく使った。
入院中の朝食に付く「バナナの皮」をむくのも、もちろん「歯」。
行儀は悪いけれど、
不可能を可能に出来ることはすべてやってきた。
薬の袋も、歯で噛み切る。
自分ひとりでは薬を袋から口に入れられない。
しかし水薬を飲むときのように、別の容器に薬を移せば
ひとりで飲むことが出来る。
今はこういう「裏ワザ探し」が楽しい。
さて、今度はどんなアイディアを見つけようか。
パソコンに頼っていた文字を、自筆に挑戦し始めた。
ゆっくりあせらず、やっていこう。
「お見舞いに来てくれた人へのお礼」
お見舞いにきて下さった人を
つかまえて
感心するほどよくしゃべる
でもそれは
心配してきて頂いた人に
あんしんしてかえってもらう為の
精一杯のお礼なのである
だからおしゃべりと思わず
ゆるしてください
2002年1月の詩
私は逆の立場を考えていた。
誰よりも健康で、徹夜もオッケーの私に
友人はなんと声をかけたらいいのか・・・と
恐る恐るのお見舞い。
私の口から病気のことをすべて話した。
しゃべる、しゃべる。
そんなにしゃべって大丈夫?
だって逆だったら、どう声をかければいいのか
わからないだろうから。
私はしゃべりまくった。
当時はお見舞いに来てくれた人が帰ると
休まずにはおられなかった。
それでも安心して帰ってもらえることを
お礼としたかった私は、大満足だった。
2006年10月20日・・・
病後丸7年を迎えました。
7年前の今日、救急車で病院に運ばれ、酸素マスクをして、検査でした。
熱があり、会社のことを寝言でしゃべりだし、
妹が「ここは会社じゃないよ、病院」と言うといったんは納得し、
またしばらくすると「この書類があったはず」と言い出したらしいです。
ずっと「胆石」なんて軽い病気と思い込んでいました。
1ヶ月もすれば、手術後退院できると信じきっていました。
あるとき、私がおかしなことを言い始めたそうです。
そこで妹は主任さんに聞きました。
「すみません。姉がおかしなことを言うんです」
「お姉さんの命が危ないの」
(絶句)
手術は1999年(平成11年)11月1日
夫には生存確率20パーセントと告げられたそうです。
私は暢気なもので何も知りませんでした。
手術前後の記憶がまったくないのです。
時は21世紀、2000年になりました。
2000年1月7日、手術から68日ぶりに目覚めました。
胆石を放置してあったため、その石が胆管に落ち、胆管はふさがれ
そのため「膵液」が逆流し、開腹したお腹は泥水状態、
お腹をきれいにする必要があり、お腹は閉じず開いたままでした。
それは痛みを伴うという理由から、薬で眠らされました。
そのたった2ヶ月の間に私の手足の筋肉はなくなり、
ナースコールを押すことさえ出来ず、気管切開し人工呼吸器を付け、
点滴ほかたくさんの管に繋がれていたそうです
今7年前を振り返り、7年前の自分に助言するとしたら
「ありのままを受け入れ自分を信じて生きよ」
ということになります。
今日は私の大事な記念日。
どうしても書き残したくって・・・。
特別企画があります。締め切りは20日24時です。
詳細は本館「つぶやき」10/18の記事をご覧ください。
ご応募も本館コメントへくださいね。10/18「つぶやき」
「感謝の思いが我慢を教えてくれた」
かんしゃの思いが
がまんすることを教えてくれました
するとどうでしょう
とてもあたたかな気持ちになって
心ゆたかにすごせるようになりました
生かされていることに
改めて感謝です
2003年1月ごろの詩
明日で病後7年.
生かされていることの感謝しかありません。
2006.10.19 未歩