病気を乗り越えて(私の奇跡)

「つぶやき」本館ブログ終了で
現在「今日もきらめいて」の
ポエムブログの別館・病気関連&童話です。

涙の先輩

2008年09月29日 | いい言葉ねっとより
ブログ・カウンターナンパ


つまずいたときに
つかんだ知恵こそ、
「涙の先輩」がくれた
本物の知恵です。

(百歳からあなたへ、松原泰道)



【shuさんのコメント】

先輩という言葉を
耳にすると、「鼠先輩」
が思い浮かんでしまう最近です。

その鼠先輩にも、
今のヒットとは程遠い、
当たらない時代、涙の先輩が
あったようです。

誰もが同じような苦しみを体験して、
同じような成功に至るわけじゃない。

それどころか、最初から、
ずーっと勝ち組で、
負け知らずであるかのように
自慢する人さえ見かける。

反対に、自分の苦労を売りものにして、
自分が苦労して見つけた「楽な方法」だから、
この方法でがんばれば、誰でも成功できる、
と宣伝する人もいる。

みんなが欲しがるような勝ちや成功を
描いているだけの人であれば、
そういう先輩たちからアドバイスを
聞いたらいい。

「涙の先輩」が教えてくれるのは、
きっと、そういうことじゃないと思う。

自分にとって
本当に大切なことは何か、
本当の勝ちは、本当の成功は何か。

こういうことを
ちゃんと学ばせてくれる先輩が、
私たちには必要なのだ。

そうしないと、
何かに煽られるたびに、
自分が欲しいわけでないものを
求める道ばかりに突き進むクセが
身についてしまうだろう。

学ぶべき先輩を見失わないように。


必要なのは…

2008年09月28日 | いい言葉ねっとより
ブログ・カウンターナンパ


必要なのは勇気ではなく覚悟。
決めてしまえば全て動き始める。

(人生の地図、高橋歩)


【shuさんのコメント】

わたしたちは、必要なものを
勘違いしていることが多い。

お金が必要だという時に、
根性を持ち出してきたりする。

逆に、愛情が必要な時に、
お金を集めたりしている。

勇気を出せ、
と人に教えている人が、
誰よりも勇気がない時がある。

いろんなシーンを見てきて思うのは、
勇気なんていうのは、
出せと言われて出るもんじゃなくて、
心の中に生まれてくるか、
というものらしい。

強い人が勇気をもっているわけじゃない。
弱い人にそれがないとも言えない。

今どういう状態にあるかに関わらず、
勇気は、心の中に生まれることが出来る。

それは、覚悟を決めた時かもしれない。
どんな結果であれ、精いっぱいやるんだ、
っていう覚悟。

あるいは、何度失敗しても、
何度でも挑戦するぞ、という覚悟。

うまくいかなかったら、
その責任は自分がとるぞ、という覚悟。

いろんな覚悟を胸にした時に、
不思議なことに、自分も、まわりも、
動き出してくる。

たしかに、そう思う。



空(くう)って

2008年09月28日 | 心にとめておきたい言葉

ブログ・カウンターナンパ


物というのは、それを見る物がいなければ無いと同じ。
また、無いと思えば無いと同じ。
つまり、あっても無いのが「空(くう)」であると仏教は言う。
これは非常に素晴らしい、ユニークな考え方だと思います。

(瀬戸内寂聴さんの言葉)

運は自分で作るもの

2008年09月27日 | いい言葉ねっとより

ブログ・カウンターナンパ


もう運を天に任せるより
ほかにしようがない
というのですけど、

運というものは天にも、
人にも任すもんやない、
自分で拾うて
つくるものですわな。

(白い巨塔2巻、山崎豊子)


【shuさんのコメント】

多分、運というものは、
あるかもしれない。

専門家に言わせれば、
それは、確率の問題
と言うだろう。

めったに起こらない良いことが
自分に舞い込んでくれば、
運がいいと言い、
そうでなければ、
運が悪いと言う。

運を運に任せているうちは、
どんな味方も登場しない。

確率の問題で、
自分の前を通り過ぎようとする運を
引き止めて、自分のものとした時に、
味方が出来たりする。
同時に、敵が増えることも…

味方や敵が登場するのは、
運や確率の問題とは、また違う。

自分が出した結果への反応として、
生まれてきたもの。
それがまた結果を出して、
反応を生む。

良い方向に進めば、運がいいと
うらやましがられるかもしれない。

きっかけには、
運とか確率の問題が
からんでいるとしても、
その後は、本人の努力も
含まれているのだ。

運がよくてうらやましいとか、
才能があってうらまやしいとか、
そんな言葉で解決させていたら、
自分の運をつかめるわけなどないのです。

拾えるものは、
ちゃんと拾うんですよ。


もちこたえなさい

2008年09月26日 | いい言葉ねっとより

ブログ・カウンターナンパ

もちこたえなさい、
誰のせいにもするな、
変えられないことは。

(パブリリウス・シルス)


【shuさんのコメント】

過去は、どうやっても、
変わりようがない。

しかし、そんな過去も、
新しい今や未来と
置きかわっていく、必ず。

ずっともちこたえなければ、
と思えば、気は重い。
そんなに、人の心は強くない。

もしかしたら、
気休めにしかならない
かもしれないけど、
まず今日だけ、まず今週だけ、
と考えて進めば、重荷は、
それだけのものに分けられる。

1年ずっとと考えれば、それだけ重いから…

それだけ長いものもあるだろうけど、
ほとんどは、そんなに長くない。

その証拠に、ちょうど1年前の今日、
何に悩んでいたか、なんて、
私たちは覚えていない。

とりあえず、もちこたえてみる。
誰のせいにもせずに…

誰かのせいにすれば、
敵ができてしまうから、
心がそれを忘れにくくなる。

誰のせいにもせず、
ただもちこたえる。
それだけで、変わることは、
少なくない。本当にそう思う。


今日のリハビリ(9/25)

2008年09月25日 | リハビリ
ブログ・カウンターナンパ



ただいま~

20往復・800メートル歩いてきました。
23日が祝日だったせいか、とてもしんどかったです。
でも、今までのえらさを思ったら、夢のよう。
これが楽に感じる日はきっと来る。
こつこつ行こう。
来週は30日が休みになりました。




☆目 標☆
1年半かけて115キロメートル歩ききる。
1年のリハビリ回数を96回と仮定すると1年半で144回です。





9月歩行距離累計 5280メートル
9/ 2 800メートル
9/ 4 800メートル
9/ 9 800メートル
9/11 880メートル
9/16 800メートル
9/18 400メートル
9/25 800メートル



リアルであればある程

2008年09月23日 | いい言葉ねっとより

ブログ・カウンターナンパ


リアルであればあるほど
本物から離れることもあり得る。

(光源、桐野夏生)



【shuさんのコメント】

難しい言葉にも思えるけど、
そうだなぁ、って分かってくる。

目に見える現実ばかりを、
目に見えるところの成功ばかりを、
追い求めているうちに、心の中に、
満たされないものが増えてきたりする。

で、それが結局、
すべての現実を、成功を
手放すことになったりして。

ちょうどいい言葉をもう一つ見つけた。
「目に見える成功の証で、
 目に見えない心の空白を埋め続けていた。」
 (半落ち、横山秀夫)

結局、これは、
自分の求めていたホンモノじゃあない、
って気がつく時が来るんだよね。
(けっこう、何度も…)

自分のトラウマや、
周囲の声に惑わされ、
いろんなものに流される時が
あるだろうけど、ま、それも経験。

失敗しながらも、
ホンモノを手に入れよう。

リアル=目に見えるものでも、
1枚皮をはがせば、
そうでないものがある。
また、その逆もある…

でも、そんなことばかり考えていると、
かえって迷ってしまい、
手も足も出なくなりそう。

やっぱり、何か信じるものが
必要なのかもね。それを見つけるのさえ、
本当はたいへんなんだろうけど。


言い過ぎた、言い足りなかった

2008年09月23日 | いい言葉ねっとより
ブログ・カウンターナンパ


言い過ぎた。
言い足りなかった。

二つの思いが激しく
せめぎ合っていた。

(半落ち、横山秀夫)



【shuさんのコメント】

言わなければいけないことは、
いつまでも言えずにいて、
言わなくてもいいことばかりが、
口から流れるように出てくる。

そのために、
なかなか交われない二つの心。
そして、何よりも
スッキリできない自分の心。

そう考えてみれば、
言い過ぎも、言葉足らずも、
多分、本当のことを言えない、
あるいは尋ねられないモドカシサから、
来るのかもしれない。

本当のことをストレートに言う、
ってけっこうたいへんなんだよね。

伝わる言葉もあれば、
伝わらない言葉もある。
和解もあれば、誤解もある。

それでも、あえて、
言葉を選んで伝えるとすれば、
そんな誤解もあると思って、
伝えなければいけないこともある。

伝えたら、後悔しない。
伝わらなくても、後悔しない。

次のコミュニケーションに活かすのみ。
そんな気持ちで、言葉を使いたい、
と言うしかない。


ありのままに生きる

2008年09月22日 | いい言葉ねっとより


ブログ・カウンターナンパ


自分の失敗をかくさず、
自分を飾ることなく、
ありのままに生きることが出来なくて、
なにが新しい人生のスタートか。

(幸福の船、平岩弓枝)


【shuさんのコメント】

過去は忘れて、
新しいスタートをしたい、
それを望むのが、
ふつうの心境のように思う。

けれど、この言葉は違う。

ま、確かに、
過去に罪を犯した人々が
新しいスタートをする際には、
周囲の偏見から守る必要性が
あるのはみとめます。

ただ、それは例外として、
新しいスタートであればこそ、
失敗や過去をかくさず、
新しい自分の「ふり」をすることなく、
ありのままで生きよう、
と言っているのでしょう。

なるほど、それが
本当の新しいスタートだとすれば、
ウソのスタートもあるわけだ。
そして、そのウソによって、
後々、自分が苦しくなってしまうことも…。

隠している自分が、
ひょっこり出てくる時があるから。
出てきてしまったら、
スタートはリセットされる。

それよりだったら、
新しいスタートこそ、
やはり、ありのままで。

そうだよね。
それがいいような気がしてきた。

よし。
今日も、ありのままの自分で、
新しいスタートをしよう。


ありのままの自分を愛す

2008年09月22日 | いい言葉ねっとより
ブログ・カウンターナンパ


ありのままの自分を
心から愛することが
できるようになったら、

あなたは誰をも
抑圧する必要がありません。

(私がわたしになれる本、テリー コール・ウィッタカー)


【shuさんのコメント】

なるほど、
プレッシャーを与える人、
っていうのは、
そういうことなのかもなぁ、
と納得させられます。

わたしも、時に、
そういうオーラを
発しているときには、
おそらく、そのときの自分に
何かしら満足していない、
そして、誰かのせいにしている…

誰かのせいにすることなく、
あきらめすぎるでもなく、
ありのままの自分を
受け入れることができたら、

きっと、他人のことも、
ありのまま受け入れられる
ようになるんでしょうね。

プレッシャーを与えないように、
と気遣うのとも、また違う気がします。

気遣いっていうのが、
ありのままの自分を隠したり、
否定したりして、
相手に合わせているつもりに
なっていることがありますからね。

それなのに、もし、
相手に気に入られないようだったら、
落ち込んだり、イライラすることでしょう。
その姿がプレッシャーになることも。

だから、こういう言葉に
なるほどって思ってはみても、
ありのままの自分を愛する、
っていうのは、長い旅になる
ということかもしれません。

それは、ありのままの自分が、
まだ分かっていないというスタートを
見つけることから始まるわけですから。