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身の程知らずの独り言

音楽的にも文学的にもダメダメな♀が、身の程もわきまえず、好き勝手な戯言(主に、中島みゆきさん)を記しております。

みゆきさんの言葉選び、その26「Nobody Is Right」 再び

2020-05-17 14:23:00 | 中島みゆきさん(言葉選び)
「Nobody Is Right」については2015.920に、
"みゆきさんの言葉選び、その21「Nobody Is Right」"
に、「earth music&ecology」のCMで、宮崎あおいさんがこの曲を歌われたのに絡めて書きました。

この時、CMの影響かアクセス数が恐ろしく増えてビックリしたんですが、この記事へのアクセスが昨日(2020.5.16)から、また急激に増えていて、驚いています。

このような状況だからでしょうか?

上記の記事は、この曲のことを知ってる方々を前提に書いたので、CMで興味を持った方々には非常に不親切で意味不明にな内容になっていました。

なので、その補足をUPしたのですが、
"みゆきさんの言葉選び、その21「Nobody Is Right」"補足と蛇足(2015.9.25)

この時は、歌詞の一部抜粋しかできず、やはり、わかりにくかったと思います。

すみません。m(_ _)m

JASRACの許諾承認がある今なら歌詞をフルバージョンで掲載できるので、以下に表示します。

「Nobody Is Right」
(『I Love You,答えてくれ』収録 2007年発売)

♪Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right,
Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right,
Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right,
Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right,

もしも私が全て正しくて とても正しくて 周りを見れば
世にある限り全てのものは 私以外は間違いばかり
もしもあなたが全て正しくて とても正しくて 周りを見れば
世にある限り全てのものは あなた以外は間違いばかり
つらいだろうね その1日は
嫌いな人しか 出会えない
寒いだろうね その一生は
軽蔑だけしか いだけない
正しさと正しさとが 相容れないのはいったい何故なんだ
Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right,
正しさは
Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right,
道具じゃない

♪悪い人などいないだなんて あいにくですが頷けません
正しい人こそいないんじゃないか カンペキ正しいってどういう人だ
争う人は正しさを説く 正しさゆえの争いを説く
その正しさは気分がいいか
正しさの勝利が気分いいんじゃないのか
つらいだろうね その1日は
嫌いな人しか 出会えない
寒いだろうね その一生は
軽蔑だけしか いだけない
正しさと正しさとが 相容れないのはいったい何故なんだ
Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right,
正しさは
Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right,
道具じゃない

Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right,
正しさは
Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right, Nobody Is Right,
道具じゃない

この詞を見ていただければ、それだけで十分だと思います。

興味を持った方は、是非実際にみゆきさんの声で聴いてみてください。

『I Love You,答えてくれ』というアルバムに収録されていますが、この曲だけダウンロードすることもできますから。

以下は、先の記事にも書いたことを少々。

歌詞をフルバージョンで載せたら、私が、グダグダ書くことはないんですが、よろしければ、もう少しお付き合いください。

補足でも書きましたが、
『♪もしも私が全て正しくて ~』

『私』からはじまります。
そして、
『もしもあなたが~』となります。

まず、我が身を省みて、同じことを相手に諭します。

つまり、相手を糾弾する曲ではないんです。

2番の歌詞は、本質をズバリ突いていて、グウの音もでないと思います。

『♪正しい人こそいないんじゃないか カンペキ正しいってどういう人だ』
『♪その正しさは気分がいいか
正しさの勝利が気分いいんじゃないのか』

そして、前にも書きましたが、私が、この曲で一番惹かれるフレーズが、
『♪つらいだろうね その1日は
嫌いな人しか 出会えない
寒いだろうね その一生は
軽蔑だけしか いだけない

1番、2番ともに歌われるこのフレーズに、この曲の凄さを感じるんですよ。

最初は、正しいと主張する人のことまで、思い至ってることが、強く印象に残ったんです。

そこまで、想像しているところが。

自分を絶体正しいと信じられる人には、この想像力がないんだと思うんですよね。

このフレーズを皮肉や揶揄と受けとる人もいると思いますが、揶揄や皮肉というより、私は憐れみだと思いす。

そして、何回も聴いているうちに、正しさを主張しようとする自分にもむけられてると思うようになりました。

みゆきさんの曲って、糾弾する面もありますが、多くは自分にかえってくると感じるんです。

自分の負の部分も糾弾していると。

だから、
『♪もしも私が全て正しくて』
から、はじまり、
安易に『正しさ』を振りかざすことを戒めるように、
『正しさ』は、『道具じゃない』
と、結んでいるんだと。

人の弱さ愚かさを描いて、己の弱さ愚かさに向き合う曲が、みゆきさんにはいくつもあります。

その歌詞を紹介しようとしたのですが、文字数制限に引っ掛かってしまって、泣く泣く削除。
(新アプリになってから、文字数制限ができたんです。(TT))

思い付いた曲名だけ
「風にならないか」(『LOVE OR NOTHING』)、
「PAIN」(『月-WINGS』)、
「ベッドルーム」(『常夜灯』)等々。

興味のある方は、是非聴いてみてくださいませ。

今回ほど、JASRACに申し込んで良かったと思ったことはありません。

もうすぐ、更新なので忘れないようにしないと。f(^^;

お読みいただき、ありがとうございました。(^^)

では、また。(^-^)

コメント (8)
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みゆきさんの言葉選び、その25"愚直さ"「負けんもんね」、「重き荷を負いて」、「走」

2019-10-29 00:21:00 | 中島みゆきさん(言葉選び)
台風や豪雨の被害が続いています。

被災された方々、被害にあわれた皆さま、お見舞い申し上げます。

1日も早い復旧復興を祈っています。

最近同じ書き出しになってしまって、すみません。

それだけ、毎週、毎週、天から試練が降ってくるんですよね。

『♪やっと見上げる鼻先を
叩きのめすように日々は降る』
(「負けんもんね」)

ニュースを見ていて思わず、
『叩きのめすように雨は降る』
と、脳内再生していました。

ニュースと言えば、「やすらぎの刻~道」の11月放送から、主題歌が更に2曲増えるそうですね。

「終り初物(おわりはつもの)」と
「観音橋(かんのんばし)」。

勿論、中島みゆき作詞・作曲、瀬尾一三編曲、歌・中島みゆきです。

こちらのニュースは、大変嬉しいニュースでした。

しかし、一方、「やすらぎの郷」、「やすらぎの刻~道」に姫こと九条摂子役で出演されていた八千草薫さんの訃報もあって、悲喜こもごもな1日でした。

八千草薫さん、本当に上品で可愛くて、倉本先生が"姫"と言う呼び名を付けたのが、すごくよくわかります。

ご冥福をお祈り申し上げます。

さて、本題です。

"愚直さ"。

みゆきさんは、不器用で愚直に生きることを肯定的に描いてくれてると思うんです。

先の「負けんもんね」も、
『♪これでもかこれでもかと
試すなら試せ試金石』
と押し寄せる困難に
『♪負けんもんね 負けんもんね』
と対峙する愚直さ。

「重き荷を負いて」の
『♪がんばってから死にたいな がんってから死にたいな』
なんて、そのものです。

みゆきさん自身が、決して要領良く生きてきたわけじゃないからでしょうね。

『♪要領を教えましょうかと ふところ手の誘い 蹴れば
顔色は変わる 寄辺は消える』
(「本日、未熟者」)
ですから。

でも、"愚直さ"を手放しで賛美はしない。

『♪あぁ 失えば あぁ その分の
何か恵みがあるのかと つい思う期待のあさましさ』
(「負けんもんね」)
という、どうしようもない下心も隠さず歌ってしまう。

更に、
『♪ひときれの優しさも ひときれの励ましも
見返りを数えている』
(「走」)
と、何ともシニカルな目線も。

そんな下心やあさましさを持ちながらも、愚直に生きている者達。

やせこけて、やせこけて、それでも登っていく魚のような生き方への愛しさと凛とした励まし。

『♪ファイト! 闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を
ふるえながらのぼってゆけ』
(「ファイト!」)

その優しい眼差しと激励に、この1年、本当に助けられました。
 
と、ここからは、ほとんど私事です。

愚痴もあります。

ただ、この1年、タイトルにあげた曲が、ピッタリくる出来事があって。

それで、この記事を書くことにしました。

そんな私事でもよろしければ、お付き合いくださいませ。

みゆきさんの言葉選び、その24"理不尽"「それ以上言わないで」、「ファイト!」
から、約1年。

これも、『みゆきさんの言葉選び』と言いながら、私事の愚痴愚痴記事で失礼しました。

失礼したのですが、ここからは、その時に書いた愚痴愚痴状況のその後のお話になります。

その前に、簡単に愚痴愚痴状況を説明します。

昨年10月、仕事量の増加と人員の減少という反比例状態で、仕事が滞留するようになりました。

しかし、10月異動で変わった上司の方針で残業禁止になってしまい、いよいよ、にっちもさっちもいかなくなったんです。

で、頼み込んで、1日限定で残業の許可をもらいました。

そして、何とか、終わらせた帰り際、新しい責任者から掛けられた言葉が、
「気は済んだ?」と、
「あなたの評価が下がるのよ」でした。

言葉使いでわかるように、新しい責任者は女性です。

フワフワした可愛い方(以下フワフワさん)なので、このお言葉は、衝撃でした。

そして、この数ヶ月後、この言葉通りの結果が待っていたんです。

先の記事にも書きましたが、偉そうに書いてますが、私はただの契約社員です。

契約更新と評価の面談が1年に一度あります。

直属の責任者の女性上司(フワフワさん)と総責任者(男性)の二人との面談です。

そして下された評価は、過去最低のものでした。

彼女が言った通り、評価は下がったんです。

予想以上に。

思わず、
「残業の件が原因ですか?」
と聞き返した私に、総責任者はいくつかの理由にならない理由を上げてきました。

なので、更に聞き返すと、口答えに苛立ったのか、最終的に
「性格が悪い」と切り捨てられました。

フワフワさんは、一言も発することなく、書類に何やら記入をしていたので、その表情はわかりませでしたが、、、。

その面談後から、
『試すなら試せ試金石』的な出来事が、チラホラ。

一番酷かったのが、繁忙期で臨時の人を増やした初日の出来事です。

チームに6人入ることになり、6人分の資料を作って準備をしていた私に、彼女から
「繁忙期で臨時と新人が17人来ます。
しかし、まだ、配属が決まってないから、皆一緒に説明してください」
との命令が。

それも、当日の朝。

総務が、社内規定の説明をしてる間に
急いで資料の追加を作り、場所を探し、17人相手に説明をすることに。

何とか説明を終えて、各々に仕事を割り振り、実際に仕事をしてもらうも、17人の仕事状況をチェックするだけで、精一杯。

お昼も5分で終えて、チェックしてました。

(この日から、残業できない分、昼休みを15分以内に切り上げて、仕事する日々に突入)

自分の仕事が、他に何一つできないまま、ヘトヘトで初日終了。

しかし、翌日は、配属が決まったからと人はいなくなり、更に当初予定の6人が5人にされる始末。

この初日、2日と頭の中を流れていたのが、
「負けんもんね」。

『♪試すなら試せ試金石』
と、何度も何度も。

そんなこんな、あれこれが日々繰り返された
「負けんもんね」の1年。

8月頃から、過敏性腸症候群と診断される状態に。

この頃から、頭を過るようになったのは、
『♪がんばってから死にたいな がんばってから死にたいな』。

大袈裟ですが、腹痛で身体に力が入らない日もあって、そんな時に。

我慢できないほどの痛みではないし、ましてや、休むほどではなくて。

そして、10月。

人の性格が悪いと言った総責任者が、突然異動になりました。

そして、新しい総責任者が着任。

着任後の朝礼で、簡単な個人面談をすつもりだと言われました。

しかし、誰もがその言葉を聞き流していました。

と言うのも、前任者が着任後や繁忙期前、繁忙期が一段落した後と、ことある毎に、
「皆の意見を聞きたいから面談をする」と言っては言いっぱなしで終わっていたからです。

結局、年1回の評価面談しか行わなかったんです。

仕事も言動も思いつきの人でした。

しかし、今度の総責任者は、有言実行の人でした。

ちゃんと、計画的に部署全員と面談を行ったのです。

その面談で、思いもかけないことを告げられたのでした。

まず、総責任者から開口一番、
「いつも、ありがとう」
と言われました。

何のことかわからずに、一瞬、ポカンとする私。

そんな私に、総責任者は
「今までに面談した人に、困った時に誰に相談するかと質問したら、ほとんどの人が、社員ではなく、あなたの名前をあげました。
中には、あなたがいないと回らないと、ハッキリという人もいて。
大変でしょう、大丈夫ですか?」と。

私は、最後少し手前の順番でしたから、本当に多くの人が、私の名前をあげてくれたようでした。

それで、
「いつも、ありがとう」
という言葉になったみたいです。

その時は、余りに意外な展開に感情がついていけず、どこか他人事のような気がして、
「ありがとうございます」
と返すのが精一杯でした。

自席に戻った後も、実感がなく、皆に礼を言うこともできず帰宅しました。

未だに、誰が言ってくれたのか、誰に礼を言えばいいのかわからぬままです。

その日の就寝前、やっと感情が追いついてきたのか、涙が止まらなくて、その時、頭の中を過ったのが、
『♪報われたなら その時泣こう』
(「走」)

全力疾走のような毎日が、報われた思い。

腐らず、真っ正面から取り組んできた。

それが、間違っていなかったことが、嬉しかったんです。

この時、"愚直"という言葉が、浮かんできました。

先にあげた曲たちとともに。

それで、これを書くことにしました。

何となく、1年がかりである意味完結したような気もして。

ただし、現実は、そんなに甘くなくて、仕事量が減ることもなく、腹痛がなくなるわけでもないのですが、気持ちのササクレはなくなってきました。

腹痛から解放される日も近いと思います。

本当に、最後は私事で失礼しました。

ここまで、お読みいただいて、ありがとうございます。(^^)

ではまた。(^-^)
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みゆきさんの言葉選び、その24"理不尽"「それ以上言わないで」、「ファイト!」

2018-10-31 00:38:00 | 中島みゆきさん(言葉選び)
『ほーりつだから』

なみふくの中島通信に載った、月イチ終了の本当の理由です。

働き方改革で、録音ならいいけど、生放送はできなくなったそうです。

今までに録音の番組もあったと思うのですが、オールナイトニッポンは生放送というこだわりがあったんでしょうね。

その時々、感じたことをストレートに伝えてきたオールナイトですし、毎週出迎えて、送り出してくれる玄関少年・玄関少女たちもいるオールナイトですから。

だから、みゆきさんにとったら、この『ほーりつ』
は、ある意味"理不尽"と感じられたんじゃないかな?

おことばの書き方を見てもそんな気がするな~、というわけ、だけではないのですが、"理不尽"というタイトルで勝手な妄想を書こうと思っております。

で、私の勝手な妄想ですから、みゆきさんが本当にそう思っているということではないので、お間違いなく。

それに、みゆきさん1人に"働き方改革"が適応されたのか?、ニッポン放送の社員である番組スタッフに対して適応されたのか?、その両方か?不明ですしね。

ただ、録音でも同時刻に放送するには、最低限のスタッフは必要になりますから、やはり、みゆきさんに対してでしょか?

この"働き方改革"、不勉強でよくわかんないんですよね。f(^_^;

後半、そのよくわからない働き方改革のことで、私のグチもグチグチ入りますが、その部分はすっ飛ばしてくださいませ、すみません。f(^_^;

さて、理不尽と言って、最初に思い浮かぶのは、
「ファイト!」かもしれませんね。

『♪あたし中卒やからね 仕事をもらわれへんのや』
『♪ガキのくせにと頬を打たれ』
『♪つきとばした女のうす笑い』
『♪出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃる』
『♪あたし男だったらよかったわ 力ずくで男の思うままに
ならずにすんだかもしれないだけ あたし男に生まれればよかったわ』
(「ファイト!」)

これでもか!と、理不尽のオンパレードの
「ファイト!」

しかし私は、みゆきさんの唄の中で一番理不尽なフレーズとして思い浮かぶのは、上記「ファイト!」のフレーズではなく、
「それ以上言わないで」(「miss M.」)の

『♪君は強い人だからいいね1人でも』
なんです。

さらにこの後に続く

『♪だけど僕のあの娘は』

を聴くと、
"これを、理不尽と言わずして、何と言う!"
と思うんです。

「ファイト!」のように、あからさまな悪意があれは、闘うこともできるでしょう。

『♪ファイト! 闘う君の唄を
 闘わない奴等が笑うだろう
ファイト!冷たい水の中を
ふるえながらのぼっていけ』
と唄うこともできるでしょう。

でも、「それ以上言わないで」の『貴方』には悪意の自覚はないんですよね。

思わず、上着を着せかけてくれるような無意識の優しさと同じくらい無自覚なんです。

そんな無自覚さに対しては、

『♪……それ以上言わないで』
と、遮るしかないんですよね。

そんな理不尽で、悲しい状況でも、
『♪憎み合っての別れじゃなかったと
明日みんなに言わなきゃね』
と言える健気さに泣けてきます。

しかし、同時に
"やっぱり、この人は強い!"
と、ホッと胸を撫で下ろす『貴方』が見える気もするんですね。

『貴方』の側にいる『私』の胸の奥には、殺したいほどの愛しさが渦巻いているのに。

『♪あの娘にあげる心はあげる せめて私に命をほしい』

そんな想いがあることに、気づくこともなく、『貴方』は去って行くんでしょうね。

そこまで、妄想すると、

『♪君は強い人だからいいね1人でも』

が、本当に"理不尽"に思えてくるんです。

「囁く雨」の
"先に泣く、あいつ"よりも、理不尽で、ある意味卑怯な気がするんですよ。

だから、私には、みゆきさんで一番理不尽なフレーズと言えば、このフレーズに思えるんです。

で、ここからは、言葉選びとは無関係な、私のグチになります。

なので、無視してくださいませ。f(^_^;

私にも吹き荒れたのです、働き方改革の嵐が!

つまり、お仕事のグチです。

まず、前に書いたリセットされちゃう新人さんが、辞めました。

私が、"くろよん"の旅から帰ってきたら、体調不良でずっとお休み。

で、体調不良のまま退職。

それ以外にも、家の事情で退職される方等々重なって、部署全体深刻な人手不足に陥りました。

当然、人員補充の要望は出しましたが、諸々の事情でままならず。

そんな中、私のいるチームからベテランを1人、新人が入り次第異動さすと、発表がありました。

前年比プラスのチームから、苦戦しているチームへのテコ入れということです。

この時、頭の中でグルグル回っていたのが、

『♪君は強い人だからいいね1人でも』
『♪だけど僕のあの娘は』

ただ、私は
『♪それ以上言わないで』
と言うほど健気ではないので、現在の進行状況や今後予測される進行の遅れ、それを補うための残業計画等を説明して反論を試みましたが、却下。

なのに、そんな異動を決定した責任者が、10月に異動になったんです。

実は、私、偉そうなことを書いていますが、契約社員です。

正社員では、ありません。

ただ、私のいる部署は新規事業のようなもので、経験者が異動してくることはほとんどありません。

なので、未経験の社員と古株の契約というねじれた構図になってます。

それゆえ、私ごとき契約社員が、通常業務以外にスケジュール管理、仕事の段取りと振り分け、そして、人材育成、果ては苦情処理までやるようになってるんです。

そんな一部署の都合は無視されて、働き方改革の影響で、10月から契約社員の残業を認めてくれなくなったんです。

前責任者と確認していた残業計画は、白紙。

やっと決まった補充も、ひと月先。

補充もなく、残業もできずで、にっちもさっちもいかなくなったので、頼み込んで私だけ、1日限定で残業の許可をもらいました。

何とか、終わらせた帰り際、新しい責任者から掛けられた言葉が、
「気は済んだ?」

唖然としました。

私の気の問題ではないと言いたかったのですが、言い返す気力が出てきません。

さらに、エレベーターの前まで追いかけて来て、追い討ちをかけるように
「あなたの評価が下がるから言ってるのよ。
もう、残業はしないでください」
と。

残業前に散々説明した現在の進行状況と今後予測される進行の遅れをもう一度説明しようかと思いましたが、聞く耳持ちそうもなかったので、諦めました。

理不尽だと思いましたが、
"目の前の仕事だけ片付けていこう、それでダメなら上の責任だ!"
と開き直ることで、精神の均衡を保つことにしました。

少なくとも、連帯責任。

その目の前の仕事だけで、毎日全力疾走(>_<")

そうやって開き直っても、どこかに吐き出さずにはいられないくらい、
「気は済んだ?」
のショックは続いています。

言葉の傷は、中々癒えないんですよ。

付け加えるなら、その新しい責任者は、
『♪僕のあの娘は』
と言いたくなるようなフワフワした可愛らしい女性です。

と、書く私は、悪意がありますね。(笑)

だから、余計にこの曲が、理不尽に感じられるんですよ。(笑)

長々と、言葉選びと関係ないグチをグチグチと書いて、すみません。m(._.)m

ショックは続いてますが、書くことができるくらい、精神的に落ち着いていますので大丈夫です。(^^)v

最後までお読みいただいて、本当にありがとうございました。(^^)

では、また。(^-^)
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みゆきさんの言葉選び、その23"綺麗事"の裏の裏(「希い」と「とろ」)

2018-05-21 02:54:00 | 中島みゆきさん(言葉選び)
ご無沙汰してます、お元気ですか?

月イチから、あっという間に2週間経ってしまいました。

本当に、時間の感覚が、、、(>_<")

『♪何がやりたかったかなんて今日も置き去りで24時』(「とろ」)

な、日々を送っておりまして、、、。(-_-;)

という、言い訳は置いといて、今回の本題に入ります。f(^_^;

「"綺麗事"の裏の裏」というのが、タイトルでして、その『綺麗事』の意味を調べると
"実情にそぐわない、体裁ばかりを整えた事柄。"
とあります。

『強く願えば叶う』、よく聞く言葉です。

普通に使われていると思います。

特に、『綺麗事』という意識も持っていませんでした。

『♪強く希えば叶うだなんて 子供に嘘はいけませんね』
(「希い(ねがい)」)
を聴くまでは。

「ちょっと社会的な意味のところもあるので。
反感を買うかもしれないという曲ですね」
と、みゆきさんが語られているのも、私のような認識の人間が多いからではないでしょうか?

みゆきさんは、この詞に関して、
「『強く希えば叶うだなんて 子供に嘘はいけませんね』
強く願えば叶うと子供に教えますよね。
そうですか、と大人に訊きたいね。
強い方が叶うんですか。
そうなのね。
それって突き詰めればどういう考えに行くのかなと」
と、仰ってます。

その行きつく先が、1番の

『♪欲にまみれた希いばかりが 先を争って叶ってゆく』
なのかなと思います。

社会的に強い力を持つ者が、強く欲すれば、強引に願いは叶う、それが現実。

叶わない願いに対しては、
"真剣さが足らない"とか、"もっと強く思わなければ"など、願う側の力不足と切り捨てられる。

そして、叶わなかった方も、"自分の思いが不足していたんだ"と我が身を納得させられる。

よく考えると、すごく便利な言葉ですね。

そんな便利で耳障りの良い言葉を真に受けるだけではなく、一度言葉を疑って、その本質を考えなさい、と言われたような気がします。

流されるな!、立ち止まって、考えろ!と。

昔から、その叱咤の声は変わりませんね。

考えて、考えて、感情の奥の奥まで見つめて、そこから出た言葉を臆することなく提示されるのが、みゆきさん。

そういう言葉だから、心に突き刺さるんでしょうね。

と、考えていたら、冒頭でも引用した
「とろ」の
『♪とろ、何とかならないか 考え考え日が暮れる』
が頭を過り(よぎり)ました。

みゆきさんのユーモラスな歌声つきで。

ユーモラスな
『♪考え考え日が暮れる』。

しかし、ユーモラスな歌声とは裏腹に、流されずに立ち止まって考えていると、回りからは
『♪あの人って、あの人って、変わ、、、ってるよね』(「とろ」)
って思われちゃうという、シビアな現実。

瀬尾師匠がラジオで、
「流れに乗れない人たち、
流れから弾き飛ばされてる人たち、
それから、流れに無視されてる人たち、
そういう人たちに、生きてていいんだよ」
と、みゆきさんは歌っていると語られていました。

その流れに乗れない、弾き飛ばされた人が、みゆきさん自身だったんだと思うんです。

改めて、
「とろ」の歌詞を考えてみました。

『♪あの人って、あの人って、変わ、、、ってるよね』(「とろ」)
って、いつ、誰に言われたんでしょうね。

子供の頃?、学生時代?、バイト先?、そして、デビューしてから?

どこでも、似たようなことがあったんだろうなと思います。

特に、デビューしてからは、師匠が聞かされた針ネズミのような回りの評判が、それじゃないかな、と。

"納得できない"、"妥協したくない"、
流されまいとすればするほど、回りと摩擦が起きる。

『♪いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね』
(「ファイト!」)
も、実感として出てきたんだと思うんです。

ただ、楽だとは思ってもできない、したくない、そんな自分自身と、同じようにできない、したくない不器用な人に向けて、
『♪ファイト!』と歌われたんだと。

みゆきさん自身、しんどい生き方をしてきたから、そんな不器用な人間の気持ちがわかるし、寄り添えるんじゃないかなと。

先ほどの続きで、師匠は、
「そこには必ず、自分の存在というものは、必要って言うか。
存在してなきゃダメって、意義があるってのを、必ずどこかで、彼女は言ってるんだと思いますね」
と語られてます。

みゆきさんは、自分にもそう言い聞かせながら、私たちにも歌いかけてきたんじゃないかなと思うんです。

だから、響くんじゃないかな。

と、今さら、あのユーモラスな歌声と裏腹な
「とろ」の奥深さに気づかされたのでした。(-_-;)

陰陽反転させるのは、みゆきさんの得意技なのに、深く考えてなかった自分が恥ずかしい、、、(>_<")

話が若干逸れましたが、反転というか、裏の話に戻ります。

はじめに、「希い(ねがい)」を聴いて、
『強く願えば叶う』が、"綺麗事"だと意識したということを書きました。

『強く願えば叶う』という言葉の裏側を考えさせられたからです。

でも、「希い(ねがい)」は、もっと凄い言葉が出てきますよね。

『♪希いよ届け あの人の希い
私のすべての未来と引き替えに ただひとつ』

ラストだけを聴くと、これこそが"綺麗事"に聴こえる気がします。

しかし、フルコーラスを聴くと、素直に感動できるんですね。

それは何故なのかを考えて、出た答えが、タイトルの
「"綺麗事"の裏の裏」
だったんです。

"綺麗事"って、胡散臭い言葉として使われますし、ここまでそういう風に書いてきました。

でも、突き詰めて考えると、理想でもあると思うんです。

『希いが叶う』のは、理想ですよね。

そこに、『強く』とか変に条件を付けるから、胡散臭くなるだけで。

その胡散臭さを一旦、暴いてるから、説得力があるような気がするんです。

それも、"みんなの希い"という漠然とした理想論ではなく、
『あの人の希い』であり、『ただひとつ』なんです。

それが、誰の希いかはわかりません。

でも、『つましい』けど『切なる』SOSだとわかります。

決して、欲にまみれた希いではない。

「とろ」のように、流れに乗れずにもがいている人のSOSならば、一緒に
『♪希いよ届け』
と、歌い、願いたくなる。

だから、初めて聴いた時から心に響いたんだなあ、と思ったんです。

何か、屁理屈を並べたてた気もしますが、いつもの妄想ですのでお許しくださいませ。

ただの妄想なら、もっとチャッチャと書けばいいようなものなのですが、色んなモノを盛り込もうとして、収集がつかなくなって、何回か書き直してるうちに時間ばかりが経ってしまいました。(^^;

これも、
『♪考え考え日が暮れる』
だと思っていただければ、ってダメですかね、、、f(^_^;

無駄口は、ここまでにして。

お読みいただいて、本当にありがとうございます。(^^)

では、また。(^-^)
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みゆきさんの言葉選び、その22「誰だってナイフになれる」(問う女)

2015-12-29 18:39:00 | 中島みゆきさん(言葉選び)
『♪誰だってナイフになれる いつだってナイフになれる
誰だってナイフになれる 簡単にナイフになれる』

「夜会VOL.8 問う女」(公演1996、映像盤1997)で歌われた曲です。
(アルバム未収録)

公演で2度(インストゥルメンタル1度含む) 、映像盤ではオープニングにプラス1度流れます。
(公演は観れなかったので、「中島みゆきオフィシャル・データブック」参照してます)

突然、何故
「夜会VOL.8 問う女」?
と思われた方も多いかと思います。

流れからいうと、
「組曲(Suite)」
の残りの曲を好き勝手に妄想するつもりだったのですが、、、f(^_^;

前回の
「霙の音」で相手の女性を攻撃しないのが、みゆきさんの美学のような気がすると書いた後、
「夜会VOL.8 問う女」
のことを思い出したんです。

歌ではない(これも、思いつかないだけで全曲検証してません。間違っていたら、スミマセンm(__)m)かもしれませんが、「夜会」ではあるなあと。

それが、
「夜会VOL.8 問う女」
です。

そして、女性同士が非難しあうのは、男の思い込みだと書いていたのが、小説「問う女」(中島みゆき著 1997.12.10)でした。

(「ナイトキャップ・スペシャル」(「恋文」2003)でも
『♪女の敵は女なんだと 男友達は分析をする
少し違うわ 敵は男でも女でもありうるってだけよ』
って歌ってますね。)

その両方を踏まえての
「問う女」
と思って頂けたら、、、f(^_^;

「夜会VOL.8 問う女」については、
"みゆきさんの声、その36「PAIN」(「問う女」)で少し書きました。

その時に久々に観直し(みなおし)て、いたく感動するとともに、認識を新にしたんです。

小説「問う女」も読み直しました。

で、この記事の原型をその後で書き始めたんですが、上手くまとめられなくて店晒し状態と言うか、店にも出してないからお蔵入りかな?になっていたものです。

少し強引ですが、この機会に
「霙の音」
からの流れということで、蔵出ししようと思います。

流れと言っても、内容は
「霙の音」
とは関係ありません。

私が、みゆきさんに惚れてる一番根底にあるものについての長い妄想になります。

と書きながら、「問う女」から書くとやはり、まとまらないので(2回書き直して考え直しました)、その根底にあるものを先に書きます。

それは、罪の意識、罪の自覚、もっと過激に言うと、加害者の自覚、または加害者となりうる自覚。

そこから、決して目を背けない覚悟を感じるところなんです。

これまた、勝手に感じてるだけなんですけどね。

以下のように、みゆきさんがインタビューで語っていたことがあります。

「言葉はあくまでも道具なんですけど、手に負えない道具なんですねぇ。
まだ小さかったときに、なんか暴言を吐いて、両親に、
『刀で切った傷は薬をつければ治せるけれど、言葉で切った傷は薬では治せないんだよ』って言われまして。
自分は、悪気もなく言ってしまったんだろうけれども、それで人を傷つけることがあるなんて思いもしなかったんで、言葉は気をつけて使わなければいけないんだって、そのときに学習したんですね。」
(婦人公論 2000.1.7 no1052)

似たようなことは、
『言葉が刃になっちゃうことがあるのね。
 ただ、それだけじゃない。
 刃になるだけだったら黙っちゃえばいい。
 でも、それでは言葉がかわいそうなんじゃないかな。』(1993)
『言葉の傷というのは本当に深いの。
 そして私は言葉に対する憧れがすごく強いんですよ。』(1977)
(「中島みゆきスペシャル
もっと みゆきと 深い仲~時代・夜会・そして~」)

無自覚な「言葉の傷」の深さを意識してる人って、どれだけいるでしょう?

少なくても私は、中島みゆきという人に会わなければ、そんなことを深く考えることはなかったと思います。

「悪意・悪心」のある「言葉」だけではなく、無自覚な言葉もまた刃になるということを自覚した上で、なお深く言葉を使おうという意識。

その意識も凄いと思いますが、その前提の言葉を使うことで誰かを傷つけているかもしれないという意識が好きなんです。

免罪符として頻繁に使われる「悪気はない」、「悪意の不在」。

この言葉が苦手です。

今まで生きてきて、全くこの言葉を使わずにきたかと言われると、自信はありませんが好きではありません。

今までブログで散々愚痴ってきて、言えた義理じゃないんですけど、
"被害者面"が嫌いなんです。

理不尽に感じることは、多々あるんですけどね。(笑)

それ以上に、他人を傷つけているんじゃないかなと思っています。

それこそ、全く予期せず放った言葉が相手の心に刺さっていたことが後からわかったりして、、、。

そんな時に、「悪気はなかった」と自分を庇わず、結果だけを受け止めて謝罪できる人間であろうとは思っています。

なんて、立派なことを書いてますが、100%できているとは言えません。

「♪二度とだれかを傷つけたくはない
されど自分が傷つきたくもない
互い違いに心は揺れる』
『♪我が身可愛と心は揺れる』
「風にならないか」(「LOVE OR NOTHING 」 1994)
ですね。

みゆきさんの負の部分から目をそらさない姿勢が、一番好きです。

「♪救われない魂は
傷ついた自分のことじゃなく
救われない魂は
傷つけ返そうとしている自分だ」
「友情」(「臨月」1981)

「一会」で久々に歌われた
「友情」。

私にとって、この曲は一番救われた曲です。

自分の負の部分を見つめる勇気をくれた曲ですね。

そういう、負の自分を見つめる目があるから、女性に優しくなれるんじゃないかなと、思うんです。

自分が傷つくことしか考えられない人は、相手を傷つけずにいられないような気がするので。

前置きが長くなりましたが、この
「誰だってナイフになれる」
もそういう曲だと思うんです。

で、この曲の
『誰だって』
と言う言葉が「問う女」と言う物語の中で、変化している気がして、そこにみゆきさんの言葉選びの見事さを感じたんです。

ここから、
「夜会VOL.8 問う女」と
小説「問う女」のネタバレになります。

(「PAIN」の時は、お断りも入れずいきなりネタバレしてスミマセン。
読み返してあまりの配慮のなさに、唖然としてしまいました。
コソっとお断りを入れました、重ね重ねスミマセンm(__)m))

ネタバレにもなりますし、こここらまた長くなります、スミマセンm(__)m。


まず、
『誰だって』
の変化を解って頂くために、
小説「問う女」を少し紹介します。

この小説は、主人公の綾瀬まりあの学生時代から始まります。

「夜会」に至るまでの彼女の前半生から、「夜会」で描かれたクライマックスまでがより詳細に語られます。

まりあの生活環境を描くことで、彼女の感じ方や考え方が浮き彫りになります。

そして、それが招く悲劇も。

まりあは、転勤族の父に伴い、転校を繰り返しています。

高2の時に転校したクラスで、親切に接してくれたのが、引っ込み思案で、地味な八重でした。

八重は、「聖母マリア様」の"まりあ"だから呼び捨てにできないと、「まりあさん」と呼び、まりあの話をただただ素直に聞いてくれます。

回りへの不満や悪意を口にしても否定も反論もせず、聞いてくれる八重。

そんな八重に次第に苛立ち、エスカレートしていくまりあ。

自分の意地の悪い言動に、嫌悪感を持ちながらも、反論せぬ八重に責任転嫁し、自己正当化をはかる、まりあ。

そんなある日、お節介なクラスメートから、八重が先輩と付き合ってることを知らされます。

公然の秘密、暗黙の了解。

転校生のまりあを疎外する空気。

一方的に裏切られたと、逆上し感情のままに、八重に言葉をぶつける、まりあ。

「あなたの言葉って、ちっとも心から出てなくて、しゃべればしゃべるほど他人を裏切ってる」と。

受験期に突入して不定期になった授業を八重が休みがちになっていることを、八重を避けていた、まりあは気づきません。

新学期、八重が失語症で休学するまでは。

自分が原因かも知れないと思いながらも、八重を傷つけそうな者なら他にいくらでもいると、自身を守ることしか考えられない、まりあ。

読んでる私の頭の中には、
「誰だってナイフになれる」
が流れてきたんです。

この時の
「誰だってナイフになれる」は、
"私だけが悪いんじゃない、誰だってナイフになるんだ、誰だって"
という風に響きました。

そして、
「夜会VOL.8 問う女」
です。

"みゆきさんの声、その36「PAIN」(「問う女」)で書いた、
「夜会VOL.8 問う女」
の身も蓋もない説明を再録します。

"綾瀬まりあ(中島みゆき)というアナウンサーの愚かさが、結果的にタイ人のジャパユキさん"ニマンロクセンエン"(森上千絵)の命を奪ってしまうという物語です。"

本当に、身も蓋もないですね。(笑)

この綾瀬まりあの愚かさというのが、離れていった男の彼女(小坂圭子)への攻撃、と思い込んだ行為です。
(ややこしい書き方でスミマセン)

この攻撃の前、連絡の取れなくなった男を探して、元カノの小坂圭子に電話を入れるシーンがあります。

「夜会」では男が直接出ますが、小説では小坂圭子が出て、男に取り次ぎます。

ここでは、はじめに書いたように、
「圭子に対しての特別な感情は起こらなかった。
相手の女を非難するのが常套だと、思い込んでいるのは男たちだけだ。
それは男たちにとっては都合の良いドラマだろうが、~
ドラマの裏を知りすぎた年齢だった。」
と。

アナウンサーの綾瀬まりあは、自分のラジオ番組を持っています。

そこに送られてきた
"彼に黙って子供を堕してしまった"
というハガキ(小説では手紙)の差出人の名が、小坂圭子。

まりあは、圭子からわざわざ送られたのものだと思い込みます。

その時、はじめて冷静さが消えます。

自分を傷つけようとする圭子への反撃から、そのハガキを生放送で読み上げます。

匿名希望を本名で。

そんな自分への自己嫌悪で、泥酔して夜の街をさ迷うまりあのバックに
「誰だってナイフになれる」のインストゥルメンタルが流れます。

ここで流れる
「誰だってナイフになれる」
は、高2の時と同じく自己を正当化しているように聴こえます。

"私だけが悪いんじゃない、攻撃されたらナイフになる、誰だって"
と。

インストゥルメンタルで歌詞がないので、完全な妄想ですけど、私にはそう聴こえるんですね。

その時に出会ったのが、街角で客引きをしていたジャパユキさんのニマンロクセンエンでした。

淋しさから一緒に居て欲しいと、ニマンロクセンエンとホテルへと。

ここで歌われる、
「RAIN 」
が沁みるんです、と前も書きました。

その後、小坂圭子から後日談が送られてきて全くの別人だったことがわかります。

実名を読まれ傷つきながらも、自身を見つめ直し全てを受け入れ、最後にありがとうと書かれたハガキ。

自分の過ちにパニックになる、まりあ。

この時歌われたのが、
「誰だってナイフになれる」。

『♪そんな自分に切りつける
誰だってナイフになれる 自分を嫌いになるとき
自分を嫌いになるとき 』

ここで歌われる
『誰だって』は、ナイフが自分以外の誰かではなく、自分自身だと気づいた
『誰だって』だと思うんです。

自分のしたことを直視したために、自己正当化できなくなってパニックになったような気がします。

そして、パニックのあまり職場放棄をして、すがるようにニマンロクセンエンのもとを訪れるんです。

運命のゴンドラへと乗り込む二人。

ゴンドラは大事故を起こし、ニマンロクセンエンは還らぬ人となります。

その死の間際に、ニマンロクセンエンからHIV 感染者だと告げられた、まりあ。

「2万6千円というお金は、あなたにとって大きなお金ですか?、些細なお金ですか?」

最後の放送で、事故のことを、ニマンロクセンエンのことを、HIV のことを必死で語るまりあ。

そして、まりあがニマンロクセンエンの息子を探す旅に出るところで、
「夜会VOL.8 問う女」
は幕を閉じます。

先に書いたように、映像盤ではオープニングでも流れます。

映像盤のオープニングは、ニマンロクセンエンの息子を探しに行く飛行機の中から始まります。

そのオープニング映像にかぶせて、
「誰だってナイフになれる」
が流れます。

そして、旅立つまでの綾瀬まりあを糾弾するみゆきさんのナレーションが続きます。

「綾瀬まりあさん、傷つきやすい自分だと思いましたか?
けれどこの世の中で、人を傷つけてもいいと振りかざす理由はいつだって、自分が傷つきたくないための理由ではありませんか?
この世で最も人を傷つけるものは、この世で最もか弱いものなのではありませんか?」
と。

舞台を観ていないので、映像盤のどの部分までが、実際に上演されたのかはわかりません。

ただ、少なくとも
「誰だってナイフになれる」
は歌われてはいません。

観終わってから、オープニングを観直すと、
「誰だってナイフになれる」の
『誰だって』は、『誰であれ例外なく』と聴こえるんです、私には。

"例外なく、あなたも私もナイフになる"んだと。

ただの妄想ですが、だから映像盤に追加したのかな?と思ったんです。

舞台でも映像盤でも、
「誰だってナイフになれる」より
「エコー」(アルバム未収録)
の方が多く歌われます。

『♪悪意は満ちている
目をあわせると危なくて
みんなそうして生きてるものじゃないの
だからみんな生きていられるのでしょう』
『♪エコー、エコーだけに話続ければ時はゆく
エコー、エコーだけに答え続ければ時はゆく』
と歌われる「エコー」。

上手くは言えないのですが、
「エコー」も
「PAIN」 も「RAIN」も
"誰にでもある愚かしさ"を歌っているような気がするんです。

一般論ではなくもっと身近に、自分がナイフになるんだ、自分が加害者にもなるんだということを強調したかったんじゃないかな?

だから、オープニングに
「誰だってナイフになれる」
を加えたんじゃないかなと、勝手に妄想しています。

少しでもわかりやすく書こうと、何回か書き直したんですが、、、(--;)

伝わったでしょうか?

要は、
"みゆきさんの声、その36「PAIN」(「問う女」)
を書いた時に、映像盤と小説を見返して、
「誰だってナイフになれる」というフレーズが物凄く強く引っ掛かったって、それが何故かと考えてるうちに、こんな妄想になってしまったということなんです。

そんな妄想に、長々とお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。(^^)

年内にもう1本書くつもりですが、どうなるかわからないので、
本年中はこんな妄想だらけのブログをお読み頂き、本当にありがとうございました。m(__)m

皆様のおかげで書いてこれました。

ありがとうございます。

来年もよろしくお願いいたします。(^^)

では、また(^-^)


コメント (6)
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