昨夜は、なんだか、眠るに眠られない。
そんな気持ちで一杯でした。
5月末にしばらくの間、6月の上海での「京劇・能・歌舞伎」の三大公演のために、
「能」の台本をパソコンで打ち込む仕事をしていました。
その時、ひさしぶりに「古典」に触れて、作品を一字ずつ追って、
じっくり読むことが出来ました。
ここには「人生」が凝縮されている、どうりで
学校で古典を教えるはずだわ。と、この年になって理解できたのでした。(遅い?!)
『楊貴妃』という、能の台本の中に。
會者定離ぞと聞く時は。(ゑしやじやうりぞときくときは)
逢ふこそ別れなりけれ。(おふこそわかれなりけれ)という一節がありました。
玄宗皇帝との昔を想い、楊貴妃の魂が謡うのです。
なんということ。
何年、何十年たっても、人間の「感情」には変わりがなく
そして、悲しみも、哀しみも、同じ波の高さで打ち寄せます。
しみじみと、台本を読ませてもらってありがたかったなと
思いました。
先ほど亡くなられた方が公演のために送ってくださった台本です。
冊子という<形>にはなりませんでしたが、わたしの心の中には
<形>として残りました。
私が受け取った、この<想い>は、形となって残るのかしら。
誰かに届くのかしら。
楊貴妃の嘆きが、今、私の元に届いたように。
しみじみと、故人のご冥福を祈りつつ。
さあ、しっかりと上海の思い出をまとめましょう。
美味しいものから登場します、お楽しみに♪(かな?)
そんな気持ちで一杯でした。
5月末にしばらくの間、6月の上海での「京劇・能・歌舞伎」の三大公演のために、
「能」の台本をパソコンで打ち込む仕事をしていました。
その時、ひさしぶりに「古典」に触れて、作品を一字ずつ追って、
じっくり読むことが出来ました。
ここには「人生」が凝縮されている、どうりで
学校で古典を教えるはずだわ。と、この年になって理解できたのでした。(遅い?!)
『楊貴妃』という、能の台本の中に。
會者定離ぞと聞く時は。(ゑしやじやうりぞときくときは)
逢ふこそ別れなりけれ。(おふこそわかれなりけれ)という一節がありました。
玄宗皇帝との昔を想い、楊貴妃の魂が謡うのです。
なんということ。
何年、何十年たっても、人間の「感情」には変わりがなく
そして、悲しみも、哀しみも、同じ波の高さで打ち寄せます。
しみじみと、台本を読ませてもらってありがたかったなと
思いました。
先ほど亡くなられた方が公演のために送ってくださった台本です。
冊子という<形>にはなりませんでしたが、わたしの心の中には
<形>として残りました。
私が受け取った、この<想い>は、形となって残るのかしら。
誰かに届くのかしら。
楊貴妃の嘆きが、今、私の元に届いたように。
しみじみと、故人のご冥福を祈りつつ。
さあ、しっかりと上海の思い出をまとめましょう。
美味しいものから登場します、お楽しみに♪(かな?)
会者定離、ですね。
花が供えられていたそうです。
本当に人の心とは、
時代を超えて共感を呼ぶものです。
逢ふこそ別れなりけれ。
古典ならではの凝縮された表現、
素晴らしいです。
人類の時間は、ほんの短い時間ですね。
遥か原始の昔でも、つい最近の明治維新のころでも
私たちと同じように生きていた人たちの感情は
変ることがなく、今に繋がっているのですね。
なんだか不思議な気持ちです。
会者定離。自分の明日もわからないので、一瞬一瞬を大切にしたいと思います。
なんだか心が暖かくなる話です。
そういえば、遺跡を発掘したとき、(エジプトとか)
たくさんの物を入れて上げていたというのを思い出します。
時代や地域を越えて、共感できますね。
その人の心を、豊かに表現するいにしえの文に触れ、あらためて教えられることが多かったです。気がつくのが今頃になって、と思いますが、出会えてよかったと思っています。