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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

midnight_ray_polaris(幻のカクテル)

2005年06月26日 | 至福の花
midnight_ray_polarisをカクテルにするとしたら…どんな色合いと味わいのカクテルになるのでしょう?もし考え付かれた方がいらしゃいましたら、是非レシピをお寄せください。超リーズナブルなお値段設定の歌舞伎町ゴールデン街にある「クレマスター」というバーでレシピどおりにmidnight_ray_polarisのカクテルを作ってもらおうと思っています。一度飲み干してみたいんです。midnight_ray_polarisがどんな味のカクテルになるのかを試してみたいんです。

バナナ・ブリス(Banana Bliss)

2005年06月26日 | 至福の花
ブランデー1/2 バナナ・リキュール1/2で作り、氷を入れたロックグラスに注ぎ、軽くステアする…このカクテルの名前をバナナ・ブリスと言います。ブリスとは英語で"無上の喜び"という意味。ところで、私の知っている「無常の喜び」さんはバナナが大の苦手だったはず… ごめんなさい。この文章の意味については、「無常の喜び」さん以外は、これを読んでも、何のことが書かれてあるのかをまったくご理解いただけないと思います。悪しからず、お許しください。m(__)m

宇宙ってな~に?

2005年06月26日 | 羅漢気功
宇宙と一体化する(宇宙と響きあう・宇宙と溶け合う)ことをイメージしながら気功を行うことで、もし宇宙との一体化に成功すれば最高の境地(涅槃の境地=安らけき境地)が得られるのだそうです。こうして得られた意識を宇宙意識と呼ぶのでしょうか?私はかつて、この宇宙意識らしきものを2回ほど体験したことがあります。「瞑想」を日常に取り入れていた時、身体中のどこにも痛みを感じない状態で、完璧な至福感に包まれるという至高体験をしました。けれどその感覚は残念なことに、あっという間に消退してしまうんです。でもこの体験の思い出はかけがえのないものとして記憶の片隅に今でも大事に、その時の感覚と共に保管されています。宇宙の中で、自分が日々生かされているという現実をを忘れ、「自分が…自分が…」という自己主張の無間地獄に陥れば、宇宙からはシャッターアウトされてしまうのだそうです。(怖いですね~)宇宙には「ただ今」の意識がいつも飛んでいるから、宇宙には「今」しか存在していないのだとのこと。宇宙は一瞬たりとも留まってはいないとのこと。「ある」と思った次の瞬間には、「ある」と思ったものはもう「ない」のです。「ない」と思った次の瞬間にももう「ない」と思ったものも「ない」のです。ある…ない…ある…ない…。これの繰り返しです。これでは、まるで禅問答のようですね。宇宙には「永遠の今」のみが存在する。瞬間瞬間も瞬間に流れていくわけですから、すぐに、ある事象は姿を変えてしまうということなわけです。難しい説明ですが、なんとなく判るような気もします。良い気がないと良い想念も出てこない。だとするなら、邪気を取るために気功を励行して、宇宙に邪気を返して、私たちは瞬間瞬間に生まれ変わらなければなりませんね。なんとなく忙しくて慌しいイメージを抱いてしまうのは、私がまだ、宇宙とは何なのか…を理解できていないからなのでしょうネ…

無風状態

2005年06月26日 | 羅漢気功
このブログは気功を始めたことによって変化するであろう私の日常を、起こってくるであろう不思議な体験を中心に綴っていくはずでした。教室に通いだした当初は不思議と思われることが次々に起こって、私を取り巻く空気の揺らぎがそこはかとなく感じとれたので、しめしめと内心ほくそ笑んでいたのです。が、ここへきて、その動きがすっかり静止してしまっているのです。まったく風が感じられないのです。これは大変なことになってしまいました。私から、宇宙の大いなる原理原則を信じる力が消退していこうとしているからなんでしょうか?愛が足りない…愛が足りない…愛が足りない…そういうことだからなんでしょうか?

サントリーニ島のプチホテル

2005年06月26日 | 日々の泡
デジカメに収めてきた、ギリシャのサントリーに島の小さなホテルの写真です。最近テレビのCMにこのホテルが映っていたのでびっくりしました。しかも、このホテルの前で十朱幸代さんがにっこり微笑んでいたのです。あのCM撮影は本当に現地で行われたのでしょうか?素晴らしいところですが、とにかく遠いのです。

借景

2005年06月26日 | 日々の泡
私の家の窓から見える春の桜の様子です。春になると、この窓から、毎日の桜の移り変わりが観察できます。梅雨の季節に桜というのも何なんですが……桜です。(写真には実物の美しさが反映されていなくてとても残念です。)

まさに…私の大好きな…

2005年06月26日 | my favorite・・・
「カネコイサオ」のお洋服たちは、まさに、私の‘終わることのない夢と憧れ’の象徴です。「カエコイサオ」を身にまとう時、私は一点の紛れもない私になれるのです。これもまた確実に、私にとっての奇跡です。

一期は夢よ…ただ狂へ

2005年06月26日 | 日々の泡
大まかな意味あいは「真面目真面目で通したところで。どうせ、一生は束の間の夢なんだから、ただ狂ったように生きればいいじゃないか!」というようなところになるでしょうか。「狂う」とう言葉には、常軌を逸した行動という意味もあるでしょうし、気が違ったようにある物事に集中するというような意味もあります。常識に縛られて本心を抑えた一生を送るよりは、たとえ「狂った」ように見えることがあっても、ただひたすらに自分の気持ちに素直に正直に生きたほうがいい。そういう意味のことを言っているような気がします。「夢の夢の夢の」ような人生だからこそ、すべてを肯定して「狂へ」ばいい。この世の儚さをしっかりと受け止め、この人生を一期の夢と見切る覚悟があればこんな風に生きることも可能になるのかもしれませんネ。ただ、気功の先生は前世や来世の存在を確かに存在するものと言われます。私も多分、人の世は今生のものだけではないのだろうなぁ…と思うようになっています。尤も、前世や来世があったとしても今世を狂ったように生きることの意味づけに差異はありませんし、その意味が色あせることもまったくないでしゅう。この歌は、忘れた頃に何故かふっと思い出す不思議な言葉です。人生が‘夢幻’に満ち満ちていることを私に想起させてくれる言葉です。

寝ることとは極楽のことなり

2005年06月26日 | my favorite・・・
「寝るより楽はなかりけり。浮世の馬鹿は起きて働け!」という物言いがあります。ひと頃の私の一番の趣味は寝ることでした。暇さえあれば寝ていました。その頃の私にとって、寝ることは簡便で手軽な小さな旅のようなものだったのです。寝る子は育つという言葉もあるとおり、寝ることの効用はいいことだらけに思えました。日々起こる出来事には良い事もあれば、あまりよくない事もありますが、寝てしまえばこっちのものでした。すべては程よくブレンドされて、夜明けを迎えれば、また新たに生まれ変わった自分に出会えたからです。夢を見ることも大好きでした。それが高じて「夢分析」を受けていたこともあります。夢の話ばかりしていると、どんどん夢を見るようになります。こじつけのような解釈もありましたが、なるほどと思える分析で、自分の真の願望の在り処を知って、たいそう狂喜乱舞したこともあります。気功では寝ることを極楽と言います。死んだようになって寝れるようでなければ極楽の醍醐味は味わえないそうです。寝ることは「小さな死」でもあります。私たちは寝ては目覚め…目覚めては寝るという毎日の生活の中で、ユング心理学でいう「死と再生」を繰り返しながら生きている存在なのですネ。