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アロマな日々

一条の光に誘われて歩くうちに、この世とあの世を繋ぐ魔法の世界に紛れ込んでいました。夢のワンダーランド体験を綴ります。

枠の中の自由

2005年06月25日 | 日々の泡
かつて、1年間、自己啓発のための箱庭作りに挑戦したことがあります。1年間で10個ほどの箱庭を作りましたが、「箱庭」という枠の中で、じゃあどれだけ自由に遊べたかというと・・自由であるということの大変さを思い知らされた辛い経験だったような気がします。自由の前で、私は途方もない気持ちで立ち尽くすばかりでした。想像力や創造力の貧困。連想力の貧困。1年間が限界でした。もうそれ以上は続けられなかった苦い思い出です。

大きな勘違い・・「ability to be alone」再考

2005年06月25日 | 日々の泡
私はずっと長いこと、一人でいられる能力「ability to be alone」のことを、安易に対象を求めようとする前に、まずは一人でも十分にやっていける精神力の強さを自分の中に蓄えることから育っていく能力のことなのだと信じていました。けれども正確には、ちょっとニュアンスの違う概念だったようです。ウイニコットはこの能力を母子関係において論じています。養育者である母は、子どもに危険がなさそうならば「放置」して子供のしたいようにさせて自分の関心や家事などに没頭することが出来る母であれたら・・その関係はとても自然なものになります。子どもの自由を容認できずに、母自身が自分の不安を常に子どもに投影しているようでは、いつまでたっても子どもは自分の力を信じられずに萎縮して固まってしまうでしょう・・だから子どもに目配りと注意を払いながらも、母自身がゆったりと穏やかに自分自身を生きることが出来るという姿勢が、子どもの成長にとっても、ひいては健康的な二者関係の維持にとってもとても大事な要素となります。そうすれば、子どもは子どもで自分の空間の中で、母と共に居ながらも自分の世界を楽しめるようになるでしょうし、そうした状況が子どもの自我を順調に形成してもいくことでしょう。このようにして、親と子どもが一緒にいながらもそれぞれの関心に安心して没頭していられる状態、すなわち「一緒に居ながらそれぞれが安心して『ひとりでいられる』状態」が成長の過程において不可欠な体験となるということ。そうした状態を可能にする根底には「ability to be alone」が脈々と息づいているということ。すなわち、人と一緒に居ても、自分の生き生きとした世界を見失わずに、自分の世界を豊かに拡げていくことの出来る能力のことを指していたのです。傍にいる人の存在に飲み込まれずに、その人と一緒に居ることを楽しみながら、あくまでも自分は自分として自分の世界を生きることが出来るようでいられたなら・・それは奇跡ですよね!魔法の力を手に入れたも同然のことです!