生きている証に!

生きている証に、日々の暮らしで出合った物や、楽しい物作りを自分の記録として残したいのです。

6月8日、あじさいの咲く頃に・・・

2010-06-08 22:23:53 | 日記
今日は6月8日。

あじさいの花も少しずつ色づいてきてます。

 


祖母が亡くなって9年経ちました。

長い間入院生活をさせてしまって悔いを残した最後でした。

一緒に散歩することもなく、道端に咲く花も見せてあげれなかった・・・。

時折見舞いに行く時に、小さな花を枕元に生けてあげることぐらいしか出来なかった。

長い年月を暮らした山奥の家を出てから、一度も帰ることがなかった祖母。

自分が耕した田畑がどんなになっているか、きっと見たかっただろうに。

そういえばあの家にはあじさいの花はなかった。

と言うより何も花がなかったように思う。

花など育てている余裕など、百姓仕事をしているとなかったのかも。

家の横の小さな畑に私が植えた「ホウセンカ」のこぼれ種が育って夏に咲いていたぐらい。

そんな山奥の家の向かいの畑に、今はあじさいの花がたくさん植えられている。

父が定年後、こつこつと田んぼの岸や畑の隅にいろんな花を祖父母の墓の周りに植えている。

きっと祖父母が生きている頃、何も親孝行など出来なかった罪滅ぼしのように思える。

さっき、母から電話があって、梅の実が熟れだしたので採りに行く段取りを父がしていると言うので、仕事が暇なので有給休暇を取って手伝いに行くことにした。

春の彼岸に出来なかった墓参りも出来る。

祖母が大好きだった芋の天ぷらも揚げて供えよう。

祖父には好きだった日本酒を持って行こう。



今は蛍の季節でもある。

祖母の死んだ夜、実家で初めて蛍が飛んでいるのを見た。

死に際に会えなかった私に会いに来てくれたのだと思って嬉しかった。


9年前の6月8日。

あの痛ましい池田小殺傷事件の日でもある。

祖母の葬儀の段取りを決めてテレビの電源を入れると、衝撃のニュ-スが流れていた。

無残に奪われた幼き命。

天寿を全うした祖母の亡骸の横で、涙が溢れて止まらなかった・・・。


あじさいの花が咲く頃に思い出す、様々な消えて逝った命の悲しみです。






コメント (2)
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