[最終講義: 空間をめぐって 建築の野生<フィールド>]
鈴木恂 早稲田大学教授 2006.2.11
最初で最後の講義を受けてきた。
゛学問は社会のもの ひとりだけのものではない゛
大隈重信公の早稲田の開かれた精神が好きである。
今回もありがたく、感涙の極み。
「GAギャラリー」その空間を唯一体験したことはあるが、
私はご本人とお会いするのはこの日が初めてだった。
だけど、私にとってこの日が、何かの始まりになったような気がする。
新鮮な光と空気に触れた感じかな。
教育の中心である建築設計の゛住宅から学校まで゛と、
研究調査にみる゛メキシコからエジプトまで゛の2本柱でお話下さった。
その内容は、小野梓記念館で開かれているギャラリーでの建築展や
ホワイエでの写真展ともイメージがつながっている。
建築作品を通して、キャンパスではすき間にたまり場を、
一服できる空間を、face to face の小さくてもアトリウムをつくろうと。
そこには必ず光を通すことを忘れない。
住宅では、生活の場として屋上は居場所だよ、とのお考え。
なるほど。確かに作品に実践されている。
映しだされるスクリーンの建物の背景には、
いつもクリアーな空と雲があって、それだけでまるで美しいアートだと感じた。
また旅する建築家は、ご自身゛今和次郎先生的な記録゛とおっしゃる
多くの世界の街並みのスケッチ、ドローイングも、惜しげなくみせてくださった。
空間をいかに知ろうとあがいてきたか、得たものを自分で記録した。
それをここで敢えてみせると。
細かくするどい観察眼、それを描きこむ作業、とにかくどれも圧巻。
道と住宅の接点を調べ、街並みのすっと走っていない道のふくらみやたまり、
三叉路、壁にいたるまで、細かく描いている。
濃さや薄さがある。個人的な空間も顔を出している。
私は前のめりの姿勢になって、スクリーンに釘付けになった。
お隣の学生さんは、必死にケイタイ写メールで撮っている。(内緒ね)
頭では分析できない、歩かなければならない。歩きながら考える。
自分が感じた空間を記録、その時のポイントを記号化してもよいから、
書き留めておく。実測的であれ。
膨大なエネルギーが注がれている、だがその一連が大事なんだとわかる。
説得力がある。
[写真展 回KAIRO廊]では、
光と影のコントラスト、深い陰影が生み出され、
あまりに美しくて、その向こうの世界に思わず吸い込まれそうな感覚になった。
子どもの頃、「影は黒い色の絵の具一色でないよ、よくみてごらん。」
美術の先生の言葉を思い出した。単なる黒色ではないのだ。
翳ならではのひきたつ深み。
そうか、建築家は自らカメラマンにもなるんだ。瞬間を切り取る。
[建築展 MAKOTO SUZUKI WORKS]
あろうことか、建築模型が壁にくっついてる。ユニークだ。
まったくもって、鈴木恟さんは素敵に恰好よかった。
積み重ねてきたゆるぎない時間と静かな強さをまとっている。
そんな雰囲気だ。
早稲田大学をこの3月で退官されるとのこと。
ホールに入りきれないたくさんの人々が駆けつけ、
先生をお慕いしているあたたかい雰囲気が感じられて、偉大な方だなぁ思った。
建築が専門でない一般の私にさえも、よく伝わる味わい深いお話を伺えた。
3時間近く、とても実のある時間だった。どうもありがとうございました。
入試期間中の校内閉鎖のため、重信さまにお礼を言えなかったが、
灯りがともったゴシックの早稲田の時計塔を見上げながら、
大隈講堂のスクラッチタイルの感触、手触りをそっと確かめた。
そのこともなんとなくうれしくて、感激いっぱいの一日だった。
やはり新しい出会いには喜びがあるものだ。
『風景の狩人』は最新著作本のタイトル。
読み手の想像力がかきたてられ、ステキである。
鈴木恂 早稲田大学教授 2006.2.11
最初で最後の講義を受けてきた。
゛学問は社会のもの ひとりだけのものではない゛
大隈重信公の早稲田の開かれた精神が好きである。
今回もありがたく、感涙の極み。
「GAギャラリー」その空間を唯一体験したことはあるが、
私はご本人とお会いするのはこの日が初めてだった。
だけど、私にとってこの日が、何かの始まりになったような気がする。
新鮮な光と空気に触れた感じかな。
教育の中心である建築設計の゛住宅から学校まで゛と、
研究調査にみる゛メキシコからエジプトまで゛の2本柱でお話下さった。
その内容は、小野梓記念館で開かれているギャラリーでの建築展や
ホワイエでの写真展ともイメージがつながっている。
建築作品を通して、キャンパスではすき間にたまり場を、
一服できる空間を、face to face の小さくてもアトリウムをつくろうと。
そこには必ず光を通すことを忘れない。
住宅では、生活の場として屋上は居場所だよ、とのお考え。
なるほど。確かに作品に実践されている。
映しだされるスクリーンの建物の背景には、
いつもクリアーな空と雲があって、それだけでまるで美しいアートだと感じた。
また旅する建築家は、ご自身゛今和次郎先生的な記録゛とおっしゃる
多くの世界の街並みのスケッチ、ドローイングも、惜しげなくみせてくださった。
空間をいかに知ろうとあがいてきたか、得たものを自分で記録した。
それをここで敢えてみせると。
細かくするどい観察眼、それを描きこむ作業、とにかくどれも圧巻。
道と住宅の接点を調べ、街並みのすっと走っていない道のふくらみやたまり、
三叉路、壁にいたるまで、細かく描いている。
濃さや薄さがある。個人的な空間も顔を出している。
私は前のめりの姿勢になって、スクリーンに釘付けになった。
お隣の学生さんは、必死にケイタイ写メールで撮っている。(内緒ね)
頭では分析できない、歩かなければならない。歩きながら考える。
自分が感じた空間を記録、その時のポイントを記号化してもよいから、
書き留めておく。実測的であれ。
膨大なエネルギーが注がれている、だがその一連が大事なんだとわかる。
説得力がある。
[写真展 回KAIRO廊]では、
光と影のコントラスト、深い陰影が生み出され、
あまりに美しくて、その向こうの世界に思わず吸い込まれそうな感覚になった。
子どもの頃、「影は黒い色の絵の具一色でないよ、よくみてごらん。」
美術の先生の言葉を思い出した。単なる黒色ではないのだ。
翳ならではのひきたつ深み。
そうか、建築家は自らカメラマンにもなるんだ。瞬間を切り取る。
[建築展 MAKOTO SUZUKI WORKS]
あろうことか、建築模型が壁にくっついてる。ユニークだ。
まったくもって、鈴木恟さんは素敵に恰好よかった。
積み重ねてきたゆるぎない時間と静かな強さをまとっている。
そんな雰囲気だ。
早稲田大学をこの3月で退官されるとのこと。
ホールに入りきれないたくさんの人々が駆けつけ、
先生をお慕いしているあたたかい雰囲気が感じられて、偉大な方だなぁ思った。
建築が専門でない一般の私にさえも、よく伝わる味わい深いお話を伺えた。
3時間近く、とても実のある時間だった。どうもありがとうございました。
入試期間中の校内閉鎖のため、重信さまにお礼を言えなかったが、
灯りがともったゴシックの早稲田の時計塔を見上げながら、
大隈講堂のスクラッチタイルの感触、手触りをそっと確かめた。
そのこともなんとなくうれしくて、感激いっぱいの一日だった。
やはり新しい出会いには喜びがあるものだ。
『風景の狩人』は最新著作本のタイトル。
読み手の想像力がかきたてられ、ステキである。
今和次郎は、東京美術学校図按科卒業。
岡田信一郎の推薦で、早大建築科の助手となり、その後、講師、助教授、教授となられます。
大正11年に『日本の民家』ロングセラー。
大正12年に「バラック装飾社」を設立。
昭和5年に『モデルノロヂオ(考現学)』吉田謙吉と共著。
昭和14年に中谷宇吉郎らと「雪氷協会」を設立。
同じく早稲田ご出身の米山先生も、大正後期の今和次郎の活動について、論文を書かれているようです。
多くのご本人のスケッチも載せられている。
★ナイル三景
ナイル河は、七千キロメートルの長い旅を続ける表情豊かな河なのである。
ナイルはここアスワンで、カタラクトと呼ばれる御影の岩を噛んで流れる急淵地帯をなす。
流れる河の淀むところ、ナイルの水の庭といった変化に富んだ風景をつくる。
アスワン産の赤御影のような、赤紫色の夕闇がゆっくりとその水面を分けて行き交う。
三千五百年前の歴史ドラマが流れるところ。
★このスケッチ(パステルと水彩か?)→
ラウル・デュフィのそれと通じると感じた。
ヨットのイメージがそう思わせるのかもしれないけれど。
建築家は、時には画家でもあるね。
七郎さんといえばニッタビルじゃん。
改修は早稲田大学か、そりゃそうね。
鈴木恂さんですって。
来週の見学会が楽しみです。しっかり解説を聞こう。
小笠原伯爵邸もご近所ね。
ほんとはお茶でもしてゆっくりしたいけど、それはまたお預けです。
ても、いつものとーさまじゃなくってね、
いゃん、実は理工系は初めてなの。
ハイテク・リサーチ・センターだってさ、名前だけでカツチョイイー♪
鈴木&古谷の二人の建築家の共同設計なのね。
安東さんのもこの目で確かめてくるわ。
うまく潜入できるかな、怪しまれたらどうしょう、いゃん、緊張するなぁ ドキドキしてきた。
シンポもいっぱい来るだろうから、ひとりぐらいわからんの紛れ込んでも大丈夫よね。
うんうん、行ったもん勝ちやわ。
わくわく。