大田観光協会主催の文学散歩に出かけた。
いわゆる東京での地元でありながら、これまで探検したことはない。
いつも見慣れた風景が違って見えた。
昭和文学の宝庫といわれる魅力がいっぱい、とってもワクワクした。
気になった景色を思い出しながらもう一度たどってみよう。
昔ね、八景坂の上からの展望がよく、大森八景を眺めることができたって。
★八景園という一万坪余りの地は明治17年(1887)久保邦太郎が開設した。
東京近郊随一の遊園地だったって、みんな遊びに来たのね。
そんな名高い行楽地に明治35年11月13日皇后さま(後の昭憲皇太后)が
来園された。
★望翠楼ホテル・大正元年(1912)純洋式のバンガロー風の建物。
◎ポイント上下のベランダがあった。バストイレ付き。
経営者は猪原貞雄氏。金網戸あり、夏の生活も快適。
★大森ホテル・大正11年(1922)は、日本では例がない本格的なホテル。
庭園は広く、眼下には東京湾の景色が一望できる。
まさしく翠を望む、 翠とは海の色の翠のこと。
経営者は若尾幾太郎氏。
今も残るメタセコイヤの高い木たちに洋風イメージを見るよう。
◎気になる、誰が建てたのでしょうか。
◎明治5年に新橋~横浜間の鉄道が開通した。
この建設に従事した外国人技師たちの家が大森にあったため、
大森駅の開設・明治9年(1876)6月12日が早かったという。
★弁天池と厳島神社、◎★山王花清水公園
ここの公園はとても趣深くてとても美しかった。
奥に桜、染井吉野のほかにも濃い色の枝垂れ桜や
足元にチューリップなど色とりどりで、高低の段差をいかして、
景色に奥行きが出ていた。
画家でなくても、画板をもってスケッチして色を塗りたいような場所だった。
梅の木通り(ステキ♪)をしばらく歩いて、
みんなの憧れ、くちなしの君こと歌人で翻訳家の片山広子と
★三鷹の家が進駐軍に接収されて引っ越してきた山本有三の屋敷後へ。
右近坂の近く、
★安倍別邸跡・・幕末の老中・安部倍正広の娘夫婦のお屋敷があった。
花壇、温室、噴水あり、花が咲く時期には、近所の人々にお花見の場として
開放していた。現在も桜の古木は見事で、とてもキレイだった。
今日は風が強く、舞い散る桜吹雪が圧巻だった。
臼田坂途中にあった下宿・九州閣に移ったのが★石坂洋次郎
→チェック◎立原道造も住んでいた。
★川端康成も臼田坂に1年半いたが、この間、いろいろ物語があった。
仲が良かった萩原朔太郎の、その妻が慶応ボーイと駆け落ちしたり・・。
風気が乱れていた。
★仲村トオル・鷲尾いさ子夫妻の邸宅あり。
ガレージのシャッターが閉まっているので、今日は撮影か、お仕事のよう。
★◎三島由紀夫の家 → 表札。
本日一番目玉の驚き、あのミシマだよ。うーん、スゴイ。
★衣巻省三と★稲垣足穂 神戸の関学で同級だった。
衣巻は馬込でダンスを流行らせた人物。
稲垣は衣巻家に居候していた。佐藤春夫に認められ、作品を発表したが、
アルコールとニコチン中毒により創作不能に陥った。
少年愛を扱った作品は、審査委員長の三島由紀夫に高く評価された。
★尾崎士郎と宇野千代夫妻の家。現在も表札には宇野の文字が。
関東大震災直前の大正12年に移り住む。
千代は断髪のモダンガール、馬込時代に覚えた麻雀は生涯の趣味となった。
★佐藤朝山 彫刻家
大田区立郷土博物館の裏手に家とアトリエがあった。
日本橋三越本店の吹き抜けスペースにある見事な彫刻が有名。
★山王や馬込は、季節の花々が咲くステキなところ。
散策、楽しかったな。また行こう♪
いわゆる東京での地元でありながら、これまで探検したことはない。
いつも見慣れた風景が違って見えた。
昭和文学の宝庫といわれる魅力がいっぱい、とってもワクワクした。
気になった景色を思い出しながらもう一度たどってみよう。
昔ね、八景坂の上からの展望がよく、大森八景を眺めることができたって。
★八景園という一万坪余りの地は明治17年(1887)久保邦太郎が開設した。
東京近郊随一の遊園地だったって、みんな遊びに来たのね。
そんな名高い行楽地に明治35年11月13日皇后さま(後の昭憲皇太后)が
来園された。
★望翠楼ホテル・大正元年(1912)純洋式のバンガロー風の建物。
◎ポイント上下のベランダがあった。バストイレ付き。
経営者は猪原貞雄氏。金網戸あり、夏の生活も快適。
★大森ホテル・大正11年(1922)は、日本では例がない本格的なホテル。
庭園は広く、眼下には東京湾の景色が一望できる。
まさしく翠を望む、 翠とは海の色の翠のこと。
経営者は若尾幾太郎氏。
今も残るメタセコイヤの高い木たちに洋風イメージを見るよう。
◎気になる、誰が建てたのでしょうか。
◎明治5年に新橋~横浜間の鉄道が開通した。
この建設に従事した外国人技師たちの家が大森にあったため、
大森駅の開設・明治9年(1876)6月12日が早かったという。
★弁天池と厳島神社、◎★山王花清水公園
ここの公園はとても趣深くてとても美しかった。
奥に桜、染井吉野のほかにも濃い色の枝垂れ桜や
足元にチューリップなど色とりどりで、高低の段差をいかして、
景色に奥行きが出ていた。
画家でなくても、画板をもってスケッチして色を塗りたいような場所だった。
梅の木通り(ステキ♪)をしばらく歩いて、
みんなの憧れ、くちなしの君こと歌人で翻訳家の片山広子と
★三鷹の家が進駐軍に接収されて引っ越してきた山本有三の屋敷後へ。
右近坂の近く、
★安倍別邸跡・・幕末の老中・安部倍正広の娘夫婦のお屋敷があった。
花壇、温室、噴水あり、花が咲く時期には、近所の人々にお花見の場として
開放していた。現在も桜の古木は見事で、とてもキレイだった。
今日は風が強く、舞い散る桜吹雪が圧巻だった。
臼田坂途中にあった下宿・九州閣に移ったのが★石坂洋次郎
→チェック◎立原道造も住んでいた。
★川端康成も臼田坂に1年半いたが、この間、いろいろ物語があった。
仲が良かった萩原朔太郎の、その妻が慶応ボーイと駆け落ちしたり・・。
風気が乱れていた。
★仲村トオル・鷲尾いさ子夫妻の邸宅あり。
ガレージのシャッターが閉まっているので、今日は撮影か、お仕事のよう。
★◎三島由紀夫の家 → 表札。
本日一番目玉の驚き、あのミシマだよ。うーん、スゴイ。
★衣巻省三と★稲垣足穂 神戸の関学で同級だった。
衣巻は馬込でダンスを流行らせた人物。
稲垣は衣巻家に居候していた。佐藤春夫に認められ、作品を発表したが、
アルコールとニコチン中毒により創作不能に陥った。
少年愛を扱った作品は、審査委員長の三島由紀夫に高く評価された。
★尾崎士郎と宇野千代夫妻の家。現在も表札には宇野の文字が。
関東大震災直前の大正12年に移り住む。
千代は断髪のモダンガール、馬込時代に覚えた麻雀は生涯の趣味となった。
★佐藤朝山 彫刻家
大田区立郷土博物館の裏手に家とアトリエがあった。
日本橋三越本店の吹き抜けスペースにある見事な彫刻が有名。
★山王や馬込は、季節の花々が咲くステキなところ。
散策、楽しかったな。また行こう♪
『3つのオレンジへの恋』
『ピーターと狼』
1918.7.23 日記より。
大森のホテル(望翠楼ホテル)は静かだが、設備は良くない。・・・
へぇ~お泊まりあそばしたのね。