19日放映。タイトルはよく見なかった。
福岡FBS放送制作。
10万人の学生が戦場へ!
「皇恩にこたえ、ペンを銃に変え~」と戦場へ向かう。
この言葉も前に検閲された。神宮球場には石碑が残されている。
ここで大規模な出生式があった。
当時、大学へは3%の進学率。今とは違い勉強のために
入った学生が多かったろう。
他の若者は闘っているのに、という思いもあり、
特攻へ志願した人もいたという。
東条は学生も命をかけろと出生させた。
経済を勉強したかったが・・夢があったが、戦場へ。
今、100歳で生きている方の証言もあった。
父が戦死、日記が80冊も見つかり、細かく当時の
心理を書いていた。苦しんだ言葉。
「死にに行く狂気の世界、ドイツ語の本は没収された」
かそ”くのためなら死ねるが、天皇のためには死ねない。
当時は反対はできなかった。
九大では少なくとも60名が戦死。
生き延びた人は弁護士になり、9条の大切さを訴えた。
当時、大学ヘは優秀で勉強が好きなひとが入ったが、
戦場へという理不尽な行為を実行するしかなかった。
反対などできない世界。
まだ生きている本人、子供たちが取さ”いに応じた
ドキュメント。恐怖政治が現実にあった。
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