再見。原作者の横溝が那須ホテルの主人として
1シーン、ラストに?当時70代。
他に遺言状を読むシーン、左に一人いた、あの男性も?
大野雄二の音楽が効果的。助清のゴムお面は笑える。
あのお面のせいで、少しコミカル、シュール感もあり、
映像はアップからロングなどたのしい。
大昔、主はバイセクシャルだった。
動機はわかるが、そこまで何人も殺害・・
~ではできないと思うが小説なので。
あおい輝彦は元祖ジャニーズ、人気だった。
ついでに珠代役、島田についても。
〇あおい輝彦。
喜多川が30代の頃、20位だった。
性被害にあい、やめた可能性もある。ルックスはいい。
〇デビュー以前には『週刊少年マガジン』の表紙を飾ったこともある[5]。
アイドルグループ・ジャニーズのメンバーとして1962年に芸能界デビュー。
現芸名は、すべて漢字では「硬い」というジャニー喜多川の提案により名字をひらがな表記にしたものである。
ジャニーズは1967年12月31日に解散。もともとジャニーズはアイドルになることが目標ではなく、
グループを中途で休業しアメリカに4ヶ月半留学。渡米したあおいは歌や踊りのレッスンとミュージカル鑑賞に明け暮れ、
予定になかったレコーディングもした[7]。仕事の都合で帰国したものの、アメリカでの経験からグループ活動の継続についてメンバーで考えた結果、
解散に至ったという[7]。あおい自身は「芝居」への志向を抱く
〇島田陽子
熊本出身。3歳からクラシックバレエを習い、高校まではバレリーナを目指していた。
8歳の時に東京へ移住[3]。中学1年生の時に劇団若草に入団[2][3]。
内田裕也と不倫、結婚できず、TBSのディレクターと不倫。
結婚するが離婚。豪邸を買うなど借金がかなりあり、刑事告訴された。
大腸ガンで22年死去。
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