311から間もなく五年。
朝日新聞連載の「プロメテウス罠」を読み感じたことは、
ここへ10回以上は書いている。
久しぶりに、この連載から。
ある夫婦が震災後懸命に生き、愛知県で出産したエピソードから。
タイトル「明るい未来」
夫、双葉町出身、39歳は学生時代、原発の看板を考案した。
「原子力、明るい未来のエネルギー」、
震災後、これが、心にひっかかっていた。
三月12日、妊娠七ヶ月の妻、40歳、~高齢で心配だったと思う~と
車で移動していると、警官から、避難して、と言われるが、
その方向は後に放射能が流れた方向だったと知る。
そう、当時の情報は錯綜、混乱していたことも読んだ。
旅館、ホテルなど満室なので車で野宿。
ガソリン、水、食料もない。トイレも汚れ使用できない状態。
妊婦の妻はどれほど不安だったろう。
自宅は大きな被害はなかった。
どこへ行こう?妻が、会津若松の実家へ行きたいという。
勤務先社長のポストに「しばらく休みます」と手紙を入れ、
100キロ先、会津若松へ向かう。
何回も並びガソリンを手に入れ、急いだ。
14日朝、やっと着き、眠りこけた。
40歳の初産の妻、私ならどうしたろう?
大変キツイ三日間、生きるのに必死だったろう。
この日、三号機が爆発、翌日、四号機も爆発。
夫は、かつて標語を書いたが
放射能のことはよくわからない。
妻を安心させ、安全な場所で無事出産させたいだけだった。
検査をしないとホテルにとまれないので、検査を受けた。
また何回も並んで、ガソリンを買った。
愛知県の親戚に県営住宅の申し込みを頼んだら、
24日見つかり、近くに産科病院もあった。
通帳を再発行してもらい、最低限の荷物で愛知県へ。
二週間で七キロ痩せた。
とちゅう、さいたまスーパーアリーナへより、被災証明書を受け取った。
1200人で溢れかえっていて、難民になったと感じた。
三月末、愛知県県営住宅で新生活を始めた。
何もなく支援物資の世話になった。
TVは買い情報を得た。
かつて考案した原発の標語がTVに出て複雑な気持ちだった。
産科で検査を受けたら、子供は順調に育っていた。
気丈な妻だったとおもうし、夫もがんばったな~~。
妻の母は愛知に行くことを反対した。
愛知に来て、初めて中日新聞の取材を受け、
「生まれる命、守り抜く、夫婦車で500キロ」と掲載され
すぐに市民から、ベビーベッド、ベビーカーを提供された。
六月末、元気な男児無事出産。
夫は七月、一時帰宅に参加、自宅を見に行った~
記事はその後の様子も続く。
普通に暮らしていた夫婦、夫は、原発の標語を書いた。
それは原発PR看板になったが
彼の勤務先は原発系ではないようだ。
「明るい未来~」という、その言葉が胸にささっただろう。
愛知で暮らしている彼は、自分が過去に考案したスローガンが
事故後、トラウマになっていた。
ある講演で、本当の事をいおう、5000人の前で
「私が標語を考案しましたが、今は、
原子力、破壊を招くエネルギー、~」と語った。
気持ちがふっきれたとある。
小さい頃の輝いた言葉。
大人になり、父になり、しんさい、事故を真剣に考え
心に突き刺さってきたのだろう。
プロメテウスの罠、震災でのはたくさんの一般市民の取材記事が載った。
原発に関しての専門的なものなどもあり、幅広い視点から取材していると思う。
この連載、五年経過後も継続して欲しい。
小さいことでも、五年後初めて知った、読んだ、はまだまだあると思う。
この御夫婦、これからも力を合わせて、生きていってほしい~
こういう過酷な経験をすると、夫婦の関係は強くなるかな~と思いつつ。
間もなく5年、亡くなられた方に、心から合掌。
そして、今も厳しい避難生活をされている、多数の方が
少しでも心がやすらぐように~
朝日新聞連載の「プロメテウス罠」を読み感じたことは、

ここへ10回以上は書いている。
久しぶりに、この連載から。
ある夫婦が震災後懸命に生き、愛知県で出産したエピソードから。
タイトル「明るい未来」

夫、双葉町出身、39歳は学生時代、原発の看板を考案した。
「原子力、明るい未来のエネルギー」、
震災後、これが、心にひっかかっていた。
三月12日、妊娠七ヶ月の妻、40歳、~高齢で心配だったと思う~と
車で移動していると、警官から、避難して、と言われるが、
その方向は後に放射能が流れた方向だったと知る。
そう、当時の情報は錯綜、混乱していたことも読んだ。
旅館、ホテルなど満室なので車で野宿。
ガソリン、水、食料もない。トイレも汚れ使用できない状態。
妊婦の妻はどれほど不安だったろう。
自宅は大きな被害はなかった。
どこへ行こう?妻が、会津若松の実家へ行きたいという。
勤務先社長のポストに「しばらく休みます」と手紙を入れ、
100キロ先、会津若松へ向かう。
何回も並びガソリンを手に入れ、急いだ。

14日朝、やっと着き、眠りこけた。
40歳の初産の妻、私ならどうしたろう?
大変キツイ三日間、生きるのに必死だったろう。
この日、三号機が爆発、翌日、四号機も爆発。

夫は、かつて標語を書いたが
放射能のことはよくわからない。
妻を安心させ、安全な場所で無事出産させたいだけだった。
検査をしないとホテルにとまれないので、検査を受けた。
また何回も並んで、ガソリンを買った。

愛知県の親戚に県営住宅の申し込みを頼んだら、
24日見つかり、近くに産科病院もあった。
通帳を再発行してもらい、最低限の荷物で愛知県へ。
二週間で七キロ痩せた。
とちゅう、さいたまスーパーアリーナへより、被災証明書を受け取った。
1200人で溢れかえっていて、難民になったと感じた。
三月末、愛知県県営住宅で新生活を始めた。
何もなく支援物資の世話になった。
TVは買い情報を得た。
かつて考案した原発の標語がTVに出て複雑な気持ちだった。
産科で検査を受けたら、子供は順調に育っていた。
気丈な妻だったとおもうし、夫もがんばったな~~。
妻の母は愛知に行くことを反対した。
愛知に来て、初めて中日新聞の取材を受け、
「生まれる命、守り抜く、夫婦車で500キロ」と掲載され
すぐに市民から、ベビーベッド、ベビーカーを提供された。
六月末、元気な男児無事出産。

夫は七月、一時帰宅に参加、自宅を見に行った~
記事はその後の様子も続く。
普通に暮らしていた夫婦、夫は、原発の標語を書いた。
それは原発PR看板になったが
彼の勤務先は原発系ではないようだ。
「明るい未来~」という、その言葉が胸にささっただろう。
愛知で暮らしている彼は、自分が過去に考案したスローガンが
事故後、トラウマになっていた。
ある講演で、本当の事をいおう、5000人の前で
「私が標語を考案しましたが、今は、
原子力、破壊を招くエネルギー、~」と語った。
気持ちがふっきれたとある。
小さい頃の輝いた言葉。
大人になり、父になり、しんさい、事故を真剣に考え
心に突き刺さってきたのだろう。
プロメテウスの罠、震災でのはたくさんの一般市民の取材記事が載った。
原発に関しての専門的なものなどもあり、幅広い視点から取材していると思う。
この連載、五年経過後も継続して欲しい。
小さいことでも、五年後初めて知った、読んだ、はまだまだあると思う。
この御夫婦、これからも力を合わせて、生きていってほしい~
こういう過酷な経験をすると、夫婦の関係は強くなるかな~と思いつつ。
間もなく5年、亡くなられた方に、心から合掌。

そして、今も厳しい避難生活をされている、多数の方が
少しでも心がやすらぐように~