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銀の人魚の海

日々の思いを好きに書いています。映画、海外ドラマ、音楽、本。
スヌーピー、ペコ、NICI、雑貨グッズ画像。

311、消防団のこと

2013-03-25 | 2011年3月11日 東日本大震災関連
大震災で消防団、250人以上が犠牲になった。

TVでも取り上げられ、ここへも書いた。

消防団員とは?新聞に載った。

各市町村に設けられた消防組織に属する非常勤公務員。

常勤と協力し、避難、誘導などにあたる。

条例で定める報酬は全国年平均、25000円。

50年代には200万人いたが、今は88万人に減少している。

安すぎるから減るのは当然だし、都市部にはいるの?

聞いたことないが、いるのかな~

息子を亡くした父の言葉、

「息子は真面目すぎた。半分ボランティア、プロではない」

そう思う。

地域によっては、公務員と同じように頼られていただろうが、こくだ。

水門を閉めに行き亡くなった方、老人を誘導して津波にのも多く、

今後はどう対応するか。

マニュアルの見直しが必要だろう。

プロも大変な災害時、別の職業なのに、どこまで手を貸すか。

中途半端な待遇にせず、ボランティアにするか、

公務員を増やすが早いかもしれない。難題である。

311の都市部のできごと

2013-03-23 | 2011年3月11日 東日本大震災関連
桜のニュースだらけの数日。

見なくても、行かなくてもいい私。

歩いていればみられるよ。

311の事、まだいくつか書いてみたい。

初めて知ったあの日の都市部のできごと。

NHKでほうえいされた。


●東京。

子供達の行方。

杉並区の中学校は校外学習の日で、

グループごとに別の場所の都心へ出ていた。

70人が教師と共に班にわかれ見学し、学校へ帰るころだったのだろう。

これは、かなり大変だったと見て思った。

校長は学校で思案したが携帯不通で連絡がとれない。

無事かどうかも、しばらくは全くわからない。まだ子供だ。

夕方になり、まず一つのグループからやっと電話が入り無事を確認、

公衆電話からだったよう。

学校で緊急保護者会をひらく。

その後、夜になり全員無事を確認、

保護者も協力し教師らと徒歩で学校まで全員無事に戻った。

夜遅くまでかかった。

知られていないが、相当たいへんだったと思う。

疲れていて食料もなかっただろう。

まだ子供、電話かけるにしてもどこでかけたらいいか、

皆が協力しないとできなかったと思う。

結束が強くなったか?頑張ったと思った。

他に学校で、こういう事はなかったかと思う出来事だった。

●丸の内近辺。

三菱地所ビル課長さんだったかは、地震後すぐに、

人が避難できず電車もとまるだろうと判断。

近くに所有している三菱地所のビルは30以上、

まずすべてのビルの安全を確認、確認ができ、

開放、受け入れた。

備蓄の毛布などを配布。暖房も24時間付けっ放しにした。

発生から二時間で実行した。早い!!

●工学院大学

西新宿にある高層ビル大学。

子供も行った事があり、吹き抜けで広いよと。

地震後、避難所指定ではないので、受け入れるか迷ったが、

困った人がいるので、受け入れることに。

700名来た。固定電話も設置、連絡に使ってもらった。

学生がいない春休みだったので、

これだけ受け入れたが、いたら、無理だったと。

確かに何千人の学生がいると外部の方は居場所がなかっただろう。

●仙台市、中心部にある唯一の超高層ビル。トラストタワー。

指定ではなかったが最新の耐震ビル、

三日間、電気は自家発電可能で、停電の中、

夜になり灯りがここだけ、灯ったので人が集まってきた。

受け入れることにする。

出張で仙台にきていたサラリーマンは、地理もわからず、

灯りを見てほっとしたと語った。

●仙台市、小学校だったか、ここは、指定避難所だったので、

人が集まりすぎた。人手も足りず、

備蓄も半分以下、横になれないほどの人が来てしまった。

食料は朝まで我慢してもらおうと考えたほど。

夜遅く応援物資がきてやっと、何とか数がたり配ることができた。

人が一箇所に集中すると、こういう事になるのだと初めて感じた。

東京都は人口を考えての避難場所指定なのか?

災害の程度によるから難しい問題だ。

家が大丈夫なら避難しなくてもいいが食糧などないとね。

311当日の都市部避難の状況をみた。

指定ではないが、何とかしよう、老人、妊婦さんもいたので~

気持ちからできたこと。

それに比べ、JRの態度ひどさはない。

石原慎太郎も抗議したと思うが、これには同感、

はやばや八時にはシャッターを閉めたのではないか。

お役所的で臨機応変さが全くない、規則主義の象徴だった行動。

今後は、200くらいの駅で開放するとなった。

東京ならJR駅が一番多いのに。

困った追い出しだった。

民間の動きの良さにも感心した放映。

NHKはどうしたのかな。

あそこも一階は広い。メディアなので入れてないと思うが。



NHKスペシャル 大川小学校と学校という組織

2013-03-12 | 2011年3月11日 東日本大震災関連
NHKスペシャル、大川小学校。

108名のうち84名だった?が死亡した、小さな大川小学校の取材。

三人の家族の思いを見ながら感じたことをかいてみたい。

一人目、三人の子、妻を失った32歳の男性。

これはつらいね。5人家族から一人になった。

一人残された方は、何人もいる。

両親を失った子供も辛いが、家族がいきなり自分だけになってしまった、

それも通っていた学校で逃げ遅れという悲劇。

自分だけが、何故こちらの世界にいるのだろう、と語っていた。

気持は、けいけんしなくても、かなりわかる。

二人目は大川小学校で教師だった息子の両親。

息子は生徒を救えなかったので、

息子のクラスの亡くなった生徒の家族へ、

両親は一軒ずつ、お詫びへいったそう。

残された親も、大事な成長した息子をなくしたのだから、

二重の苦しみだったと思う。

ひっそりと二年間生きてきたようだが「先生は悪くない」、

という新聞の記事を読み、少し気持ちが変化していた。

息子のために育てた、葉牡丹を大川小学校の校庭に飾る事ができた。

亡き生徒、教室の数だけ。

三人目。娘を亡くした中学校の教師である40代の父。

自分も教師という職業、もし勤務先の中学で起こったことなら、

同じ教師としてどう行動しただろう?

それに悩み、しんさいご、

大川小学校の親の会などにもなかなか参加しにくい日々があったが~

妻のことばなどから、やっと参加できるようになった過程。

という三つの家族の話を、つっこまず、そのまま撮っていた。

大川小学校は、311は校長は公休で助かった。

すぐ裏に高台があり、そこへ逃げた生徒、教師はギリギリ助かったが

校庭で50分生徒を待たせ、どう逃げるか決めかねていた事実がある。

今、裁判になっているか?

これほど多くの生徒が亡くなった学校はなかったので、今後どうなるかもある。

強く感じたこと。

津波てんでんこ、という言葉。

もし小学校という組織内でなかったら、

勝手に逃げる子供もいただろう。自分で判断し。

とくに高学年の子供は。

残念ながら、学校という組織の中の集団行動だった。

教師の一人、誰かが、早く逃げよう!先導すれば、

犠牲者はすくなかっただろう。

若い教師でも、上に遠慮せず言えれば良かった。

津波への対策は組織内でも、勝手に逃げること、だ。

都心の暮らしでは考えられない、のどかで、皆、顔を知っている小さい町。

教師たちのおっとり、のんびりさが悪い方へ働いたかと感じたし、

津波が、すぐくるかもしれないという情報が

何故、学校へ入らなかったのか、無線はなかったのか、は疑問だ。

まさかここまではこない地域だったかもしれないが、

小さい子供たちがいるのだから、すぐに歩き出す判断が大事だ。

集団でいても、大きな地震、ツナミが来る地域は、

まず一人でも、高い場所で逃げることだと感じた。

小さい多数の命に合掌。

NHKスペシャル 311

2013-03-10 | 2011年3月11日 東日本大震災関連
7日のNHKスペシャル。

これは地道な取材だった。これまでにメディアにでなかった救出劇で、

映像、写真などが、まとめられていて、とても良かった。

受信料を払っているのだから、じっくり取材の成果をしっかり放映することが大事だと思う。

三つの3・11、石巻市の苦難。

◎火事が多かったので、助けを求める声を聞き火の海に入っていった消防団の方々。

助ける人は火の中、行こうとしたが、熱く靴がとけてしまう。

「また来るから」と声をかけ、

戻って考え、梯子をつなげ、それをうまく使いやっと救出する。

間違えば自分も死ぬ。でも何人か救出した。

水がひかない街、ボートで助ける人を探し、 安全な場所に移動、

その繰り返しで、できる限りの事をした。

瓦礫に埋れていて二人では力が足りず、到底無理な方は、そのままにした。

優先順位をつけようと辛い判断だった。

医師のトリアージと同じ方法だったか?

炎の中、命がけで救った。

それでも助けられず、自責の念にかられると話す団員。

三日間、ほぼ寝ずに救出したようだ。初めてしった。

◎三階あたりまで津波がきたスーパー。

必死で屋上に逃げた店員、お客さん。

食べ物は幸い、上の階の100円ショップの物があった。

皆でわけていたが、すぐ隣のホテルにいる人は食べ物がない。

皆の意見で分けようと決める。

25メートル離れているが、

ちょうど店員に野球部の方がいてボールに紐をつけ、

ホテルの屋上にまず投げるが、風できれてしまう。もう一度!と何か丸い物を探す。

丸い消臭ざい、強い紐でもう一度投げた。

成功、紐にそってカゴで食料を何回も送る。

二つのビルの連携で、食糧を確保できた。

すごいな~~野球部の方がいて上手く遠くへ投げられたのは

寒いつらい災害のラッキーだったことを知った。

◎石巻市牡鹿半島には500名が孤立状態だった。

女川の南、小さい島がある半島。道路が寸断された地域。

地図で場所を見た。忘れられていたの?

とても大変な六日間で驚いた。

食料が届いたのは、17日が始めてって!

縁があった、静岡の大きなマグロ船を持っている、わかい社長の判断で、

牡鹿まで静岡から船で行こう!となる。

彼が幼い頃祖父から聞いた理由があった。

水産庁の船も同じ考えで、同じ頃着き、お互いに協力しあい、

小舟を使い、六日目にやっと牡鹿の人々に食料を届けた。

6日経過し、がれきが多く、大型船では近くへ寄れなかったので

小さい船で岸まで行くと、皆、待っていた。

食糧が、すぐに足りなくなるくらいの人数がいた。

牡鹿の世話役の方は、「神がきた!」と。

見ていても、そう思った。

と、同時に自衛隊、全国にいて、防衛大学生はお給料まで、もらっている待遇、

なぜもっと出動しなかったかは疑問。

他に手いっぱいで、小さい半島の事など忘れていた?

もちろん半島からは、連絡もとれなかったのだが、

それにしても、500名いじょうもいたのに、

住んでいるのはわかっているのに、

六日も誰もこなかった事を、二年たちしり、驚く。

老人が多い地域で6日間、よく頑張っていたと思う。


この3つの救出を初めて見たが、

当時、水温は三度くらいか?

季節が夏なら、もっと助かった命があっただろう。

寒いと犠牲者も増えるし、心も冷えやすい。

それはどんな時でも。

3つの地域での新しい映像も入れ、良い番組だった。


311、ニ年前のお礼

2013-03-08 | 2011年3月11日 東日本大震災関連
新聞のひとときから。

「あの日のお礼」というタイトル。

塩釜市79歳の女性の方。

心に残ったので書いて見たい。

311のあの時、老夫婦がどう行動したかの投稿。

妻は外出し仙台から電車に乗った。

乗って間も無く、倒れそうな揺れに出会う。

30分ほどして窓に梯子がかけられ、乗客は一歩ずつおりた。

ぞろぞろついて歩くが、股関節を手術、

心臓病を持つ妻は集団から遅れ、数時間後には一人になった。

そうだろうな~病気があるし~

暗くどこを歩いているのかも?

疲れも限界に達し、雪も降ってくる。

その時、車が止まってくれ、途中まで乗り、

また次の車にのせてもらい、家の近くまで送ってもらった。

大変だったろう、一人で夜遅くまで歩き続けて。

東京の帰宅難民とは違い、たった一人。高齢者。

玄関には夫がろうそくをともして待っていてくれた。

良かった!

電気、使えなかったからで、ろうそく、いいな~

ご主人は長い間待っただろう。

携帯は持ってなかったか、つながらなかったか?

安否がわからずお互い一人、何より無事で良かった。

車に乗せてくださった方、

二年、お礼もせず失礼しました。

今、お礼を、というひとときだった。

これをよみ、こういう家族はたくさんいたのではないかと思った。

TVで放映された家族や、新聞に載った家族以外でも、

あの日、朝まで待っていた人が多数いただろう。

皆、頑張って家に帰ろう、避難所に行こうととした日だもの。

79歳、これからもご主人とお元気で、と思う、「ひととき」だった。

2年経つこと、記憶に残すとは・・

2013-03-05 | 2011年3月11日 東日本大震災関連
311から、あと少しで二年経過。

昨年はまだ仕事をしていたので読まなかったが

先日、このグログの私の311、を読み返した。

311から、数日は、ほとんど、地震のことだけを書いていた。

私にとってもしょうげき的体験だった。

今でも、地震があり揺れが大きいと311を思うが

翌日からは普通の生活ができた現実は変わらない。

三日のNHKスペシャル、いいかなと、見ていたが10分で、これでは、あまり~となり、

録画なら後で飛ばし見(NHKアナはゆっくり話すので1こ飛ばしてもわかる)

できるので、やめた。

一年経過、そして今二年経過、取材もネタ不足かと思ったりする。

新鮮な取材ができなくなってきたような。あたりまえかもしれないが。

見るのやめた理由。

311のネット、人の動きなどの分析番組のようで、

現実感が希薄な気がし、今更、それを言われても

学者なら勉強、研究になるだろうが。

素人が見ても、私は興味はひかれなかった。

渋滞がどこもひどかったのはわかっている。私も経験した。

それを、また放映し分析しても変わらない。ずっと先に役に立つの?

新聞も今月に入り再び震災記事が多くなった。

二年後のメディアが311を見つめ、どう出るのか?

年間を通し、同じ地域などを継続する記事があればいいとおもう。

朝日新聞の「プロメテウスの罠」はずっと取材を継続し、本、三冊かも出ている

原発、福島の取材がおもだ。

他の新聞では、二年、何か継続記事はあるのかな?

震災への思いも、被災地の何もかも失った人と、

揺れたが、まあ普通の生活にすぐ戻れた私を含め

他の地域の方とは大きな差がある。

西の方は311より、阪神淡路大震災の方がずっと大きくのこっているだろう。

それぞれの記憶、体験で心は違う。

311も、一年が過ぎニ年経たったからではなく、

個人として、どう記憶されているかが大事だとおもう。

忘れてしまう人がいても、それはいいと私はおもう。

その人には、もっと大きく心に残る何かがあるかもしれないし、

個人の心の問題だから。

逆に、被災者でなくても何かの理由で、311が一生の想い、体験になる方もいるだろう。

忘れない、忘れるという事を思うと、

震災は自然災害だが戦争はどうだろう。

戦争を語り継ぐは、815近くになると必ず特集などがある。

でも待って。

戦争は誰がどう考えても最悪の合法殺人、国民洗脳でしかない。

語らなくても子供でもわかることだ。

必ず弱い人が犠牲になる政治紛争、民族紛争からの殺人合戦だ。

戦争体験者がいなくなるから~という人もいるが、

いなくなっても悪は悪。

人が生きている限り、これは永遠に変わらない。

それでも、世界では常に戦いが起きている。

戦争は、突然起きる自然災害とは大きく違う。

今週からの、NHKスペシャルなどは、しんさい関連は、すべて録画はする。

二年後のメディアの姿勢をみたい。


東電学園

2012-03-24 | 2011年3月11日 東日本大震災関連
原発、再稼働でいろいろ状態。

まだらめ氏、まだいたの?

4月でないと行く場所がないから、いるのよね・・

朝日連載中、「プロメテウスの罠」これまでの記事が
本になった。学研から発売。

最近の記事は青森の女性の話で48年生まれ、集団就職で上京、
読んでいると、都市部との差に歴然とする。

そうなのだろうな~

そういう場所を選んで原発の施設などを作る。

村、町の活性化、生活が楽になる、を歌い文句に。

そんな感じで増やしていったと思う。

政治家の親類が近くに住んでるわけはないし。

でも大飯原発は、大阪、京都に近いから
橋下氏が登場した。

地図でみると近いよね~

という余談から、

初めてしったのだが、昔、東電学園、という東電の学校があったと
れんさいで知る。

16歳で入学。

寮、お金も貰える、原子力の勉強をする、技術を覚える。
場所はどこだったか?

16歳、貧しく高校には行けないような家庭の少年は
衣食住、お給料ももらえる、という良い条件だから入ったと思う。

少しまえの「プロメテウス」に載った。

そういう時代もあったのだなと思う。

卒業すれば仕事も保証されるから

自衛隊系だなと感じる。

今は、もうないが、その時代、そこへ入れた人は
安定した生活を望んで原発の仕事を選んだ現実があったのだ。

防災地図

2012-03-21 | 2011年3月11日 東日本大震災関連
3・11に区の大きな防災地図が入った。

これ、見たら、意外とわかりやすく、よくできていて保存版とした。

印●○などにより避難の場所に意味があることも初めて知る。

一時集合場所、避難場所、避難所、一時集合場所(避難所)、

帰宅困難者支援施設、

この5つ、皆違う。

わかりにくいが、この地図に意味が書いてあり場所もわかった。

我が家から3分の場所に、帰宅困難者の施設もでき

支援協力店の看板もわかった。

これは新聞にも載っていたが、渋谷区では不動産屋などが主。

トイレ、水、毛布、きゅうけい、食糧などを支援するお店。

首都圏では、こういう事を真剣に考えるようになっただけで、いい。


それほどは気にしなかったことが、気にするようになり、備えをする心ができた。

多数の犠牲の中、首都圏在住の人にとっては

それだけでも311は大きな意味がある。

TVでは似たような特集が多かった。

でも何本か見、初めてしった、よかった!もあった。

首都圏、都内の、こういう情報をまとめるなどの番組があればと~

TV屋さん、何故、思いつかないのだろう?
常に視聴率のことしか頭にない!

先日何となく見たオスカー受賞作だっけ?
「ネットワーク」を想ってしまう。

来年の311はどんな内容を放映するの~



がれきお願い運動+節電はどこへ

2012-03-20 | 2011年3月11日 東日本大震災関連
1年経過し、先週あたり、細野大臣は駅前で、

がれき受け入れをお願いします!と声をあげ、多数の市民にビラを配っていて、

彼はかなり背が高いし知的イケメン(勝手判断)だから、

あら~あの人が、と思い、

ビラを受け取る女性もいたのではと思うが、

以前フライデイされたかの山本モナとの写真を想いつつ
彼の妻はモナより、ずっと美人というその後の記事もあったが

今はがれきと原発係になっていて、

まるで選挙運動の練習みたい!

節電に関しても、もうすっかり忘れられていて、映画館はだんぼう高め、
デパートは半そででもいいくらいだし、都市部のビルはどこも灯りが

こうこうとついていて、中島義道氏の主張を今更のように思ったりする春。

TV局を4つくらいにして放送を減らす、電灯も最低限、

それを民間企業などすべての場所で実践すれば、日本は静かで、おだやかな国に
なるとは思うが、きっと、ガンガン音が流れていないとだめな人も多いのだろう、

だからこそ、どこでも音楽状態、うるさすぎ日本は変わらない。

近くの商店街も、復興、とか書いてあるのに、必要もない音楽を

ながしていて、10円でも節電しようという気がないようで、
原発問題もどうなるのか~


日本、夏はアジアで暑いから冷房は必要だが、冬は

たくさん着ればいい、電車もだんぼう無、

音もいらない、TVも減らし、電灯も必要な場所だけ

という簡単なことを何故実行できないのかな~

原発、節電は、すべて日本人の考え方次第だと思う。

3・11シリーズ 行くも地獄、戻るも地獄

2012-03-18 | 2011年3月11日 東日本大震災関連
1年たったNNNドキュメントは何を放映かと言えば。

原発のこと。

1時間放映、濃い内容だったのでまとめにくいが、ざっとこんな感じ。

この1年でNNNは震災関連をシリーズ30放映している。

深夜枠だが地味に取材を継続していて、ずっと見てきた。

こんかいのは、原発、使用済み核燃料の処分の仕方、

最終処分の問題を詳細に追い、私も知識として

初めて知ることが多かった。

これを見て感じたこと。

日本が原発をはじめた50年?位前から、今の福島の汚染は、

いつか起こる可能性があったということだ。

福島に限らないが地震が起きた場所で。

岩盤など、地理、理系の話もかなり。

日本はとにかく新しい、若い岩盤の上の国で

それは知っていたが、これを見るととてもよくわかる。

最終処理のための岩盤調査(研究実験施設)が北海道にあるが

500メートル掘っても水分が出てしまうので

処理核燃料など、金属系を埋めると長い間に

塩分でさびる、流れだすということになる。

捨てるとこがない!

ヨーロッパは何億年もの岩盤なので、塩分は皆無、

仏を見ても、ほるとカラカラ、サラサラ日本との差は歴然。

日本、見切り発車の原発だったと思う。

何とかなるだろう・・と。

考えてみれば地震が多いことを考えてもいなかった。

ホリエ言葉、想定外といった。


土地もせまく平地も少ない。

米はどうしているかというと、

アイダホの使用済みの施設、日本のメディア初取材許可が出た。


厳重なボディチェックで入る。

広い米でも、処理施設には苦慮しているようで

使用済みはアイダホの砂漠の中、

町から50キロ離れた場所に保管されている。

そこで20年保管するが。その後は・・

ネバダにとなるが反対運動で却下~

少し前に、経済活性化のためモンゴルへ、という案も出たそうだが

反対運動、政府批判も出た。

結局、どこへも捨てられない。

行き場がない。

日本の一時保管の仕方は他の国とは違う方法のようで

簡単にいえばプールに入れてある。

これも、どんどん増え、どうするのだろう。

原発でうるおった町も多数あるだろう。

家がたった、という家族もいた。

例えば、今から50年後、使用済み燃料はどこに?

茨城での地震が増えていると思うが、

東海村がおかしくなれば、もろ首都圏へ・・

心臓部の麻痺だ。

怒られそうだが

福島だったから、まだ政治経済の混乱は少なかった。

全東京避難なら日本はどうなる?これを見て思う。

地震のある国には原発は無理だろう、

そして最後に捨てる場所も

岩盤から水が出るなど、今のところどこに?状態。

国の経済発展のため、深く考えず

何とかなるだろう、で作ってしまった、という事が

わかる報道だった。








消防団員

2012-03-13 | 2011年3月11日 東日本大震災関連
311ではいろいろ知識を得たことも多かった。

変ないいかただが勉強になったことも多々。

地域の場所も。

東北なじみもないから、あの市がどのあたりに?

湾はどこになど。

消防団員の犠牲も多かった。

水門を閉めたり、鐘を鳴らしていたり、

お年寄りを避難所へ誘導したりしている間に

流されてしまった方はとても多かった。

この方たちの身分は?消防署員とは違う。

どうなのだろうと思っていたら新聞に出ていた。

非常勤の特別職地方公務員、だそう。

だから亡くなっても消防署員とは違う待遇で、かなりの差があるとあった。
消防署員より危険な仕事をし亡くななっても、後は大きく差がでる。

「あいまいな身分で行政機構に組み入れられているのも問題」と学者の言葉。

保証なく家族もいて、これではな~

しっかり決まるまで、今後、もしまた大災害なら、考えた方がいい。

いなかだと、知っている方が多いからなどで助けた方が多いだろう。

義務だと感じてもあるだろう。

でも家族がいるなら、とくにまだ小さい子がいる方は、

逃げてほしい~

この震災で思うこと。

子供が10代位までの親は自分の家族を考えよう。

子供はもちろん、そういう方には生きてほしい。

70歳以上の方は、そこまで生きたのだから運命と考えていいと思う。

もし自然さいがいで、生存者が皆60以上だけだとしたら

どうなるの・・

できれば若い世代が多く生きていてほしい。

佐藤さん

2012-03-12 | 2011年3月11日 東日本大震災関連
地震でひさいされた方、佐藤さんという姓がとても多かった。

どこだっけ、Nスペの番組で海のがれき撤去作業をしている方たち、

朝の点呼、名前で呼んでいたのは佐藤さんが多いからだと思う。

「かずお」「よしろう」「まなひこ」・・・と。

それほど、佐藤さんは多かった。

もしかして、評判悪い大河「清盛」の頃にさかのぼるが

藤原一族、姓の、藤、から。

そのまつえいの方?

南三陸では土地を探していて

高台に遺跡が出て、調査学者がお城があったのでしょう、と言っていたが・・・

そうかもしれない。

がれきと豊かさ

2012-03-12 | 2011年3月11日 東日本大震災関連
昨日はごご、幾つかの番組をTVで何となくみていた。

先週からNHKが多いが録画している物も、かなり見た。

これまで知らなかった面白いものもあった。

昨日は夜NHK2で、ひさいした障害者の事を放映していたので録画。

それにしても、がれきの多さ、まだほとんど残されているのね。

受け入れ拒否の地域が多いから。

これも人ってそうなのだなと思う。

表裏があるもの、人は。

だから政府(細野さん)が、地域にお金を払い受け入れてもらうしか
ないと思う。

こっそりでも

家族と話す。

受け入れダメなら

がれき、大きいものを除き、すべて砕き海に流すというのはどうか・・

どこも海が近いのだから。

これは大変な作業で10年かかるかな~

海に流しても、底にたまってしまい漁ができなくなる・・

汚れる?放射線を気にする人もいるだろうし。

いろいろ問題があるだろう。

ツナミで、がれきが出た事が、復興できない理由の大きな1つだと思う。

未来にがれきを出さない街をつくるには、

やはり高台に住むしかないだろう。

下に住めば、またがれきがでるもの。

ツナミの地域に防波堤、50メートルのを作る!という案は~

最高40メートルだったので。

海の前に城壁を作る感じ。

これも何兆円がかかりそう、工事も10年位か?530キロだっけ。

やはり、高台しかないかな~

Nスペで見た、南三陸の放映。

高台も少ないうえに遺跡(お城だった)まで出てきて、すぐにはできなくなっている。。。

困ったね~

がれきを出さないために物を減らそう、もいいかも。

2、3年位前だったかのインドネシアでの大ツナミ、

がれきの問題ってないでしょう。

原発がないことも大きい。

家も小さく、物も少なく、がれきとなる物すら少ないから

問題にならない。

日本はがれきの多さから、豊かではあったと思ってしまう。


3・11のマーラー

2012-03-11 | 2011年3月11日 東日本大震災関連
3・11関連は先週から録画をいろいろし見ている。

昨日、11時過ぎにTV欄を見たらNHKで

このタイトル。何だろうと10分経過してから見た。

初めの10分で多分中止するかの話合いがあったのだろうが

残念見られず。だからけいいは不明。

あの日、墨田トリフォニーで演奏会をした、はなしで
とても面白かった。

このホールは1回、ジャズライブで行った。

このこと、そうなんだ、初めてしる。

多分、お芝居なども中止になっている中、クラシック

しきはハーディング。

マーラー5番、1楽章は葬送のテーマ。

新日本フィル。

演奏者の一人は大槌に親戚が多い。
彼はホルン奏者、新橋で地震、そこからスカイツリーめざし徒歩で。

こういうとき、スカイツリーは目安になる。

役にたってたのね。

間に合わないと思い、走ると息があがり演奏できなくなるので

ボーイスカウトの走り?これが興味深かった。

1~40まで数えて~という走り。

45分前に着き間に合う。


仙台出身の奏者もいた。

もう津波の映像を見た方もいるので、それぞれの想いの中での演奏だった。

そしてお客さんたちは・・

徒歩で行ける女性が一番初めについた。

まだ誰もいなかった。一人で聞く事になるのか・・

6キロ以上を歩いてきた70代の女性。
彼女もスカイツリーを目ざして。凄いなと思った。

一人暮らしらしく、クラシックは唯一の楽しみ、
年金生活で買っている定期チケットだと語る。

でも遅れてしまいとちゅうから聴く。

7時15分開演。

ハーディングは冷静に5楽章までを指揮する。

2楽章では、大きな余震もあった。

マイクが揺れていたそう。

何回もあったからね~

私は、その頃車の中にいた。

70分の演奏を無事終え、最後に写真を撮った。

40名くらいかな・・

家に戻れない方と奏者、皆で一晩ホールで過ごしたそう。

人生で二度とないクラシックライブだったと思う。

子供がマーラー5番は中居君の「白い影」でいつもかかっていた、という。

そうか、直江医師だっけ(中居君合わないと思うが

昔の田宮次郎のドラマ。

311で、葬送の曲という偶然。

ホルン奏者の親戚は皆無事だったとわかったのは
3日後だったそう。

私がチケットを持っていたら、徒歩なら行ったか?

奏者と地震でも聴きに来てくれた人々の思いがあふれた良いドキュメントだった。

1年前の夜、こんな演奏会も都内であったのね~

知らなかったことの1つ

2012-03-06 | 2011年3月11日 東日本大震災関連
しんさい(変換ずっと出ないの)の事を今、書いた。

これはNNNドキュメント(いつも録画している)で見た。

こういう事も知らなかった1つ。

福島、大熊町の教会員、60名位。

まず会津へ逃げる。そこから米沢へ。

昨年の3月も山形は大雪だったそうで(当然か)

雪の寒さも1つの理由で奥多摩へ移動。3回移動する。

そこは教会が運営するキャンプ場、寮のような建物がある。

そこに、今も(放映はこの2月だった)50名が暮らしている。

キャンプの予約はすべて断っているということ。

教会組織だから珍しいかもしれない。

お寺関連でもあるのかな・・

まだ、一緒に避難状態のような暮らしだった。

双葉町の方々の一部も、まだ埼玉での元高校避難所生活を見たが

まだまだ震災は継続しているのだなと思う。

桜がまた裂いても。