ふたあつ、ふたあつ・・・・なんでしょね?“4つ?”ではありませんよ!
20世紀の物理学革命を支えた理論は、相対論と量子論であることを、最初にお話しましたが、もうひとつ大切な考え方がありました。それは“要素還元論”と呼ばれる方法論です。
自然現象の見かけの複雑さに惑わされることなく、ものごとに単純な本質を見い出していこうというのが、物理学の大方針でした。

⇒デカルト「良識(bon sens)はこの世で最も公平に配分されているものである」
20世紀の物理学は、マクロな物質→原子→原子核と電子→中性子と陽子→クオークへと、ひたすら要素還元を進めることによって、大きな勝利を収めてきたのです。
かたや壮大な宇宙の始まりや宇宙の果てを明らかにし、かたや究極の素粒子クオークを予言・発見しあのが、20世紀の物理学です。宇宙とクオークの大きさは、44桁の違いがあります。
クオークを見つけ、要素還元論の旗手の立場にあった(マレイ)ゲルマンは、後に、要素還元とは正反対の極にある複雑系研究のために、世界最初の研究所を設立します。
複雑系の研究は、生物学などの複雑なシステムの解明を目指して、現在も活発に進められています。
陽子や中性子が、実はもっと基本的な粒子からできていることを、対象性に関する考察からゲルマンは理論的に予言します。現在、究極の素粒子と呼ばれているクオークが、その基本的な構成要素です。
ゲルマンは最初、クオークは3種類あると考えました。その点を考慮にいれて、(ジェイムズ)ジョイスの本から、「(水兵たちの)点呼に三つのクオーク」という節を選びます。クオークというのは、“クワックワッ”というカモメの鳴き声を表す英語です。
鳴き声からカモメが3羽いるとわかった、3つのクオークも目には見えないけれど、声によって存在が確認される。そしてこのクオークによって陽子などの粒子が組み立てられる、という意味が込められています。
ゲルマンはまた、クオークの特性を“フレーバー”とか“カラー”と名づけ、それによってクオークを分類します。→フレーバーは“アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、トップ、ビューテイー”の6種類。色と呼ばれる量子数は“赤、青、緑”の3原色が当てられている。
素粒子物理学は曲がり角に来ていました。新しい理論を検証するために、次第に大きな加速器が必要になっていたのです。ゲルマンはそろそろ方向転換して、新しい領域を目指すべき時がきたと考え始めていました。
こうして、クオークとは対極にある複雑系に真剣に目を向けます。生物の細胞も臓器も、つきつめればクオークからできている。そしてその生物が生態系を作り上げ、生物の一員である人間が経済や文化を生み出している。こういう系(システム)を複雑系と呼ぶようになります。
これらの複雑系を研究するには、要素還元論はまだまだ未熟だとゲルマンは考えます。
人間の脳は、原理的には神経細胞間の電気的流れで記述され、その神経細胞はクオークの物理学で理解されるはずのものです。したがって、生き物も他の複雑系も、つまるところはクオークから解明するのが正しい道だと、ゲルマンは考えます。しかし、現在の物理学は、それが可能になる状況からはほど遠いのです。
このへんの事情を考慮して、とりあずは複雑な現象を単純な部分に還元せず、「そのまま全体として眺める」ことが必要だと、ゲルマンは信じるようになります。
生物学、心理学、言語学、経済学など、考え得る全ての学問分野で、このような複雑系を見つけることができるので、複雑系の研究を進めるには、学問間の壁をなくした研究所が必要だと、ゲルマンは考えます。
ちょうど同じ頃、ロスアラモスの研究者たちも同じようなことを話し合っていました。その昔、原爆が製造されたこの研究所は、当時、強力なコンピューターを駆使して、非線形現象のような複雑な問題を、シミュレーションによって研究し、成果をあげていました。
コバンに招かれてロスアラモス研究所を訪れたゲルマンは、異なる分野の協力が大きな成功を収めた例はこれまでにもあるとし、ダーウィンの進化論、DNAへと開花した生物物理学、そして近いところでは素粒子物理学と宇宙論との合体などについて、熱弁を振るいます。
こうしてゲルマンは、サンタフェ研究所の設立に尽力し、1986年の創立とともに所長に就任します。
クオークを提案し、要素還元論の旗手であったゲルマンが、要素還元論とは反対の極に位置する複雑系研究の誕生に大きな貢献をしたのは、興味深い話です。
単純なものから複雑なものへ、たとえば、素粒子→原子核→原子→分子→高分子→生きた細胞→臓器→生物個体へと階層があり、下の階層にはなかった性質が上の階層では現れます。
たとえば、素粒子や原子という無機的な要素にはなかった生命が、生きた細胞には宿っています。さらに、生きた細胞には見られなかった知能が、生物個体には存在します。
このように、階層が上がることによって出現する性質を説明するために、既存の科学とは異なる新しい科学が必要だと主張する研究者が多くいます。一方ゲルマンは、右にも述べましたように、新しい科学など必要ない、最終的には既存の科学だけで説明できる、と考えています。
この見解の相違は、ゲルマンと他の研究者たちとの間に軋轢を生みます。研究所の使命についてグループで話し合っているとき、誰かが“研究所の主目的は、複雑系の科学を研究することにある”というたびに、ゲルマンは全く反射的に、“そして複雑系を構成している基本的な原理について研究することである”と、必ずバシッと口をはさみます。普段は控えめなコバンがたまりかねて、ゲルマンがこういう態度を続けるなら、自分は辞めさせてもらいますというくらいでした。
複雑系を理解するには“自己組織化”の概念が不可欠だとするスチュアート・カウフマンの主張に対しても、ゲルマンは強い反対を唱え、意地悪なものの言い方をするので、カウフマンも腹を立てました。
複雑系の理解に新しい科学が必要なのか、既存の科学だけで説明がつくのか、という問題は未解決で、21世紀の宿題になっています。ゲルマンの主張は、物理学者にはなじみのものです。
ずっと先になるかもしれないけれど、いつかはゲルマンの考え方に軍配があがるに違いない、というのが私(米沢富美子)の本音です。

クォークとジャガー―たゆみなく進化する複雑系
1994年、ゲルマンは「クオークとジャガー」という表題の本を書きました。ジャガーというのは、ネコ科の動物で、豹に似た斑点をもち、虎のような顔をしているものです。
複雑な系の比喩としてゲルマンはジャガーを置き、クオークはもちろん、最も単純な基本粒子です。
20世紀の物理学革命を支えた理論は、相対論と量子論であることを、最初にお話しましたが、もうひとつ大切な考え方がありました。それは“要素還元論”と呼ばれる方法論です。
自然現象の見かけの複雑さに惑わされることなく、ものごとに単純な本質を見い出していこうというのが、物理学の大方針でした。

⇒デカルト「良識(bon sens)はこの世で最も公平に配分されているものである」
20世紀の物理学は、マクロな物質→原子→原子核と電子→中性子と陽子→クオークへと、ひたすら要素還元を進めることによって、大きな勝利を収めてきたのです。
かたや壮大な宇宙の始まりや宇宙の果てを明らかにし、かたや究極の素粒子クオークを予言・発見しあのが、20世紀の物理学です。宇宙とクオークの大きさは、44桁の違いがあります。
クオークを見つけ、要素還元論の旗手の立場にあった(マレイ)ゲルマンは、後に、要素還元とは正反対の極にある複雑系研究のために、世界最初の研究所を設立します。
複雑系の研究は、生物学などの複雑なシステムの解明を目指して、現在も活発に進められています。
陽子や中性子が、実はもっと基本的な粒子からできていることを、対象性に関する考察からゲルマンは理論的に予言します。現在、究極の素粒子と呼ばれているクオークが、その基本的な構成要素です。
ゲルマンは最初、クオークは3種類あると考えました。その点を考慮にいれて、(ジェイムズ)ジョイスの本から、「(水兵たちの)点呼に三つのクオーク」という節を選びます。クオークというのは、“クワックワッ”というカモメの鳴き声を表す英語です。
鳴き声からカモメが3羽いるとわかった、3つのクオークも目には見えないけれど、声によって存在が確認される。そしてこのクオークによって陽子などの粒子が組み立てられる、という意味が込められています。
ゲルマンはまた、クオークの特性を“フレーバー”とか“カラー”と名づけ、それによってクオークを分類します。→フレーバーは“アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、トップ、ビューテイー”の6種類。色と呼ばれる量子数は“赤、青、緑”の3原色が当てられている。
素粒子物理学は曲がり角に来ていました。新しい理論を検証するために、次第に大きな加速器が必要になっていたのです。ゲルマンはそろそろ方向転換して、新しい領域を目指すべき時がきたと考え始めていました。
こうして、クオークとは対極にある複雑系に真剣に目を向けます。生物の細胞も臓器も、つきつめればクオークからできている。そしてその生物が生態系を作り上げ、生物の一員である人間が経済や文化を生み出している。こういう系(システム)を複雑系と呼ぶようになります。
これらの複雑系を研究するには、要素還元論はまだまだ未熟だとゲルマンは考えます。
人間の脳は、原理的には神経細胞間の電気的流れで記述され、その神経細胞はクオークの物理学で理解されるはずのものです。したがって、生き物も他の複雑系も、つまるところはクオークから解明するのが正しい道だと、ゲルマンは考えます。しかし、現在の物理学は、それが可能になる状況からはほど遠いのです。
このへんの事情を考慮して、とりあずは複雑な現象を単純な部分に還元せず、「そのまま全体として眺める」ことが必要だと、ゲルマンは信じるようになります。
生物学、心理学、言語学、経済学など、考え得る全ての学問分野で、このような複雑系を見つけることができるので、複雑系の研究を進めるには、学問間の壁をなくした研究所が必要だと、ゲルマンは考えます。
ちょうど同じ頃、ロスアラモスの研究者たちも同じようなことを話し合っていました。その昔、原爆が製造されたこの研究所は、当時、強力なコンピューターを駆使して、非線形現象のような複雑な問題を、シミュレーションによって研究し、成果をあげていました。
コバンに招かれてロスアラモス研究所を訪れたゲルマンは、異なる分野の協力が大きな成功を収めた例はこれまでにもあるとし、ダーウィンの進化論、DNAへと開花した生物物理学、そして近いところでは素粒子物理学と宇宙論との合体などについて、熱弁を振るいます。
こうしてゲルマンは、サンタフェ研究所の設立に尽力し、1986年の創立とともに所長に就任します。
クオークを提案し、要素還元論の旗手であったゲルマンが、要素還元論とは反対の極に位置する複雑系研究の誕生に大きな貢献をしたのは、興味深い話です。
単純なものから複雑なものへ、たとえば、素粒子→原子核→原子→分子→高分子→生きた細胞→臓器→生物個体へと階層があり、下の階層にはなかった性質が上の階層では現れます。
たとえば、素粒子や原子という無機的な要素にはなかった生命が、生きた細胞には宿っています。さらに、生きた細胞には見られなかった知能が、生物個体には存在します。
このように、階層が上がることによって出現する性質を説明するために、既存の科学とは異なる新しい科学が必要だと主張する研究者が多くいます。一方ゲルマンは、右にも述べましたように、新しい科学など必要ない、最終的には既存の科学だけで説明できる、と考えています。
この見解の相違は、ゲルマンと他の研究者たちとの間に軋轢を生みます。研究所の使命についてグループで話し合っているとき、誰かが“研究所の主目的は、複雑系の科学を研究することにある”というたびに、ゲルマンは全く反射的に、“そして複雑系を構成している基本的な原理について研究することである”と、必ずバシッと口をはさみます。普段は控えめなコバンがたまりかねて、ゲルマンがこういう態度を続けるなら、自分は辞めさせてもらいますというくらいでした。
複雑系を理解するには“自己組織化”の概念が不可欠だとするスチュアート・カウフマンの主張に対しても、ゲルマンは強い反対を唱え、意地悪なものの言い方をするので、カウフマンも腹を立てました。
複雑系の理解に新しい科学が必要なのか、既存の科学だけで説明がつくのか、という問題は未解決で、21世紀の宿題になっています。ゲルマンの主張は、物理学者にはなじみのものです。
ずっと先になるかもしれないけれど、いつかはゲルマンの考え方に軍配があがるに違いない、というのが私(米沢富美子)の本音です。

クォークとジャガー―たゆみなく進化する複雑系
1994年、ゲルマンは「クオークとジャガー」という表題の本を書きました。ジャガーというのは、ネコ科の動物で、豹に似た斑点をもち、虎のような顔をしているものです。
複雑な系の比喩としてゲルマンはジャガーを置き、クオークはもちろん、最も単純な基本粒子です。