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「化学事始」

2016-06-03 09:02:08 | 虚私
 青地林宗の墓


薄暑とは上手く言ったものだ!
小さいながらも山頂を二、三度行ったり来たりしただけなのだが息は切れ汗ばむ、少し休ませてもらおうと思って近所にあるの史跡公園、山頭火へ立ち寄った。

御幸山を背にした城山を眺めて落ち着ける山頭火、お気に入りの場所であった。


暫くするとご婦人方があらわれ写真を撮ってくれと頼まれ、その背景を巡ってあれやこれやがあって、そこへ入れ替わるように車椅子のご婦人が声を掛けてくださった。

山頭火が好きだと言う。
お前も好きかと問われたのであろうが、生憎、好きな者はあるけれどもと、濁す。

やがて彼女は、私の知らない世界を熱心に語り始められたのには戸惑ったけれども、馬耳東風。


ところが、突然見透かしたように「聴いていた!そうでしょう!」と、同意を求めてきたから驚いた。


姉妹だか従姉妹、はとこかは知らないけれども、たぶんは赤裸々に語られたに違いない。しかし余の与り知らない世界である。

ましてや、お金が土地がとか貧乏だとか何だとか言われたところで、智恵も無ければ力も無い余である。


炎天下で聞いているだけで、疲れを覚えているのだが・・・・貴女は車椅子。


何気なく、目の前の句碑へと移動したところで目にとまったのが、あの句であった。


濁れる水の流れつつ澄む   山頭火


彼女もその説明文を読んでいるらしい。その句が生まれたのは、東京オリンピックが幻と消えた皇紀二千六百年、昭和15年の事であった。



ここは余の知るところ、先生にもお伺いできる事柄である。
しかも貴女がお尋ねになる諸々の事柄にも実に丁寧なご案内を期待できるのであろう。


心のうちは斯様に蠢いたのであろう。


知らぬ同士がチャンチキおけさ!


ここに真の対話が始まったものと考えられる。


その途端に、理解したらしいのには驚いた。


それが山頭火の功徳であろうか。



先生の「気海観瀾」をもってすれば、その句は実に豊穣なものへと一変してしまう。


その青地家は断絶してしまったけれども、三女秀子が嫁いだ川本幸民の子孫が再興することとなる。


彼は、「気海観瀾」を正に「広義」して、その名を広める事にも成功したし、あの「化学新書」は明治となり教科書的な機能を高く買われた
事でも知られている。

明治は正に「蘭学」をもって語られるべきなのだ。


例えば、福沢諭吉もまた感涙に咽んで無言に終るを常とした「蘭学事始」は誰も知る杉田玄白、83歳。
遺書の如きものであるが、その前史にはも驚くべき事があったのだが、それは置く。



ここではあの「解体新書」の構想が完成したその頃に、彼は遅まきながらも結婚した、その相手が安東登恵であった。
彼女は大洲、つまり愛媛に縁のある人なのだ。


戻して明治時代には「舎蜜」・「化学」を巡る論争がありそれは桜井等の主導で危機を乗り越えたけれども「蘭学」の根強い事を明らかにここにも見て取れる。


青地林宗の「時間」等も明治時代には定着した。つまり・・・秒とか・・・分とかの記述として加速度などの概念を与えるあの記述である。


とまれ、あの句は青地林宗の「気海観瀾」をもって豊かに語り出せるものと信じられようけれども、その場ではないのだから、時間の無駄だ。



彼にとって、最も重要な「幕府天文方」にも触れないで澄ませている。


大慌てで、彼の編集した意図に思いを馳せてみよう。
それが「宇宙生命論」を睨んだマクロコスモス。
医者であるかれは病「気」、ミクロコスモスよりは「気」海を重要視しているに違いない。



いま正に、我々の居間の興味は、地球外生命なのかもしれない。
その観点から読み説いていけば彼の編集目的も自ずと明らかとなろう。










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