20世紀の物理学の流れをお伝えするために、それを拓いた巨人たちという切り口を通して、ここまで、お話ししてきました。
この講座を取り上げた一人ひとりの物理学者に関する文献を読み返し、改めて深い感銘を受けました。どの人にも、心から寄り添うことができ、その人たちの人生を一緒にいきなおしたような気がしました。ほんとに幸せな経験でした。
21世紀の物理学は、従来の枠を超えて、宇宙や生命に広がっていくでしょう。たくさんの夢があります。
ビッグバン宇宙については、「いかにして(HOW)」ビッグバンが起こったかは20世紀に解明されましたが、「なぜ(WHY)」起こったかは、まだ十分にわかっていません。
時間が一方的にしか流れないことも、エントロピーの問題と関連して興味ある問題です。
第二回でお話ししましたように、重力、電磁力、核力を統一した“大統一理論”の構築も、物理学者たちの壮大な夢です。
複雑系や生物も、物理学の手段や論理を拡張して、解明を進めることができると考えられています。思えば、より単純でより基本的な要素へと、クオークまで進んだ道のりの方が、複雑系への道よりはるかにやさしかった、と言えるかもしれません。チャレンジグな問題が残されています。
これからも、物理学の、そのサイエンス全体の動きに興味を持ちつづけていただければ、とてもうれしいです。米沢富美子「真理への旅人たち」
参考文献には、アインスタイン著「自伝ノート」を初めとして、20冊近くを咀嚼してくださっている事に謝意を表しておきたい。それらの文献に基づいたおはなしではあったが、他方では彼女自身の表明ともあい、重なっているのは、明白でもあった。
例えば「生物学における要素還元」
“物理学者というのは、私を含めて、自然現象は全て物理学の言葉で理解できるし信じている傲慢な人種なのです。こういう考え方を、「物理学帝国主義」と呼ぶ人もいますが、21世紀になった今も、私はこの考えが正しいと信じています。”
複雑系の理解に新しい科学が必要なのか、既存の科学だけで説明がつくのか、という問題は未解決で、21世紀の宿題になっています。ゲルマンの主張は、物理学者にはなじみのものです。ずっと先になるかもしれないけれど、いつかはゲルマンの考え方に軍配があがるに違いない、というのが私の本音です。

かくして、読み直してみると気がつくのは、ブラウン運動などを取り扱った、第二回「ワープする空間」です。
⇒Alcubierreのアイデアは、直感的に表現すると船の後方で常に小規模なビッグバンを起こしつつ船の前方で常に小規模なビッグクランチを生じさせ、光より速く船を押し流すような時空の流れを生み出そうというシンプルかつダイナミックなものであった。
奇跡の年・・・・アインシュタイン26歳
三篇の論文
空間がワープする
日食観測それから“離婚の慰謝料”と続きます。
アインシュタインは22歳でスイス連邦特許局に就職したあと、大学で同級生だったミレヴァ・マリッチと結婚します。ミレヴァは、セルビアの名家に生まれ、高校まで故郷で勉強しますが、物理学への思いを断ち切りがたく、いくつものハードルをクリアして、チューリッヒ工科大学(ETH)に入学しました。ここでアインシュタインと出会うことになります。
今から百年も前に、セルビア出身の女子学生が、スイスの名門ETHで、男子学生にただ一人まじって、物理学を学んでいたという事実は、ひたすら感激ですね。民族的な差別や女性差別も今日よりはるかに厳しい時代でしたから。
アインシュタインとミレヴァはデートのとき、「エーテルの存在は仮定しなくても良いのでは」というような議論をしていたそうです。特殊相対論の成立にはミレヴァの貢献があったとも伝えられています。
結婚前に生まれた最初の子供は、スキャンダルを恐れた家族の圧力で、養子に出されました。女の子だったそうです。
結婚後、二人の息子をもうけました。特許局の役人だったアインシュタインの給料は少なく、ミレヴァは、家計のやりくりに苦労します。アインシュタインは家事には協力しませんでした。一人で家事、育児、家計のやりくりに追われて、ミレヴァは研究ができなくなります。
仕事と家庭の両立は、現在もなぜか女性だけの課題になっており、本質的な状況は変わっているとはいえません。それでも今では、この問題は、女性の普遍的なテーマとして、広く注目されています。・・・・
アインシュタインの従姉妹エルザは、1912年に二人の娘を抱えて離婚していました。エルザの離婚直後から、アインシュタインは幼なじみだったエルザとつきあいはじめ、数年にわたる不義の仲になります。
1916年、アインシュタインの方から離婚を申し出ますが、ミレヴァは断ります。・・・
ミレヴァとの離婚の翌年、アインシュタインはエルザと再婚します。以下略
これで終わることは出来ないのが、“ゆらぐしんり”の過程像!!
この講座を取り上げた一人ひとりの物理学者に関する文献を読み返し、改めて深い感銘を受けました。どの人にも、心から寄り添うことができ、その人たちの人生を一緒にいきなおしたような気がしました。ほんとに幸せな経験でした。
21世紀の物理学は、従来の枠を超えて、宇宙や生命に広がっていくでしょう。たくさんの夢があります。
ビッグバン宇宙については、「いかにして(HOW)」ビッグバンが起こったかは20世紀に解明されましたが、「なぜ(WHY)」起こったかは、まだ十分にわかっていません。
時間が一方的にしか流れないことも、エントロピーの問題と関連して興味ある問題です。
第二回でお話ししましたように、重力、電磁力、核力を統一した“大統一理論”の構築も、物理学者たちの壮大な夢です。
複雑系や生物も、物理学の手段や論理を拡張して、解明を進めることができると考えられています。思えば、より単純でより基本的な要素へと、クオークまで進んだ道のりの方が、複雑系への道よりはるかにやさしかった、と言えるかもしれません。チャレンジグな問題が残されています。
これからも、物理学の、そのサイエンス全体の動きに興味を持ちつづけていただければ、とてもうれしいです。米沢富美子「真理への旅人たち」
参考文献には、アインスタイン著「自伝ノート」を初めとして、20冊近くを咀嚼してくださっている事に謝意を表しておきたい。それらの文献に基づいたおはなしではあったが、他方では彼女自身の表明ともあい、重なっているのは、明白でもあった。
例えば「生物学における要素還元」
“物理学者というのは、私を含めて、自然現象は全て物理学の言葉で理解できるし信じている傲慢な人種なのです。こういう考え方を、「物理学帝国主義」と呼ぶ人もいますが、21世紀になった今も、私はこの考えが正しいと信じています。”
複雑系の理解に新しい科学が必要なのか、既存の科学だけで説明がつくのか、という問題は未解決で、21世紀の宿題になっています。ゲルマンの主張は、物理学者にはなじみのものです。ずっと先になるかもしれないけれど、いつかはゲルマンの考え方に軍配があがるに違いない、というのが私の本音です。

かくして、読み直してみると気がつくのは、ブラウン運動などを取り扱った、第二回「ワープする空間」です。
⇒Alcubierreのアイデアは、直感的に表現すると船の後方で常に小規模なビッグバンを起こしつつ船の前方で常に小規模なビッグクランチを生じさせ、光より速く船を押し流すような時空の流れを生み出そうというシンプルかつダイナミックなものであった。
奇跡の年・・・・アインシュタイン26歳
三篇の論文
空間がワープする
日食観測それから“離婚の慰謝料”と続きます。
アインシュタインは22歳でスイス連邦特許局に就職したあと、大学で同級生だったミレヴァ・マリッチと結婚します。ミレヴァは、セルビアの名家に生まれ、高校まで故郷で勉強しますが、物理学への思いを断ち切りがたく、いくつものハードルをクリアして、チューリッヒ工科大学(ETH)に入学しました。ここでアインシュタインと出会うことになります。
今から百年も前に、セルビア出身の女子学生が、スイスの名門ETHで、男子学生にただ一人まじって、物理学を学んでいたという事実は、ひたすら感激ですね。民族的な差別や女性差別も今日よりはるかに厳しい時代でしたから。
アインシュタインとミレヴァはデートのとき、「エーテルの存在は仮定しなくても良いのでは」というような議論をしていたそうです。特殊相対論の成立にはミレヴァの貢献があったとも伝えられています。
結婚前に生まれた最初の子供は、スキャンダルを恐れた家族の圧力で、養子に出されました。女の子だったそうです。
結婚後、二人の息子をもうけました。特許局の役人だったアインシュタインの給料は少なく、ミレヴァは、家計のやりくりに苦労します。アインシュタインは家事には協力しませんでした。一人で家事、育児、家計のやりくりに追われて、ミレヴァは研究ができなくなります。
仕事と家庭の両立は、現在もなぜか女性だけの課題になっており、本質的な状況は変わっているとはいえません。それでも今では、この問題は、女性の普遍的なテーマとして、広く注目されています。・・・・
アインシュタインの従姉妹エルザは、1912年に二人の娘を抱えて離婚していました。エルザの離婚直後から、アインシュタインは幼なじみだったエルザとつきあいはじめ、数年にわたる不義の仲になります。
1916年、アインシュタインの方から離婚を申し出ますが、ミレヴァは断ります。・・・
ミレヴァとの離婚の翌年、アインシュタインはエルザと再婚します。以下略
これで終わることは出来ないのが、“ゆらぐしんり”の過程像!!