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続;「膠観」

2013-09-28 19:29:19 | アルケ・ミスト
ⅩⅩⅠ  278-279

しかし、コンプトンはこう主張する。
アメーバの行動は合理的でないが、アインシュタインの行動は合理的だとわれわれは仮定できる;それゆえ、結局、そこにはある相違があるはずだ、と。

57) 「人間の自由」91頁、および「科学の人間的意味」73頁を参照。

相違があることを私は認める。
彼ら両者のほとんどがランダムな、または雲様な試行錯誤運動の方法は基本的に非常に異なったものではないにしても、誤りに対する彼らの態度には大きな相違がある。アインシュタインはアメーバと異なり、新しい解決が彼にもたらされたときにはいつでも、そのアラを探し、その解決の誤りを看破しようと、最善をつくして意識的に努力する。彼は自分自身の解決に批判的に対処した。

58) H.S.ジェニングスの前掲書334頁以下、349頁以下を参照。問題解決をする魚の見事な実例は、K.Z.Lorenz、King Selomon’s Ring、1952、pp.37f.〔「ソロモンの指輪日高敏隆訳、早川書房、1963年〕によって叙述されている。

自分自身の考えに対するこの意識的に批判的な態度が、アインシュタインの方法とアメーバの方法とのあいだの一つの真に重要な相違だと私は考える。
それが、より厳しい批判に耐えうると思われるあれこれの仮説をより注意深く検査する以前に、数百の仮説を不適切なものとして早急に拒否することをアインシュタインに可能にさせたのである。

物理学者のジョン・アーチバルト・ホイラーが最近いったように、「われわれの全問題は、できるだけ早く誤りをおかすことである

59) John A. Wheeler、American Scientist、44、1956、p.360〔ホイラー(1911- )はアメリカの原子物理学者でプリンストン大学教授。この言葉は「推測と反駁」の扉にモットーとして掲げられている〕。 

ホイラーの問題は、批判的態度を意識的に採用することによって解決される。
これは合理的態度または合理性のこれまでの最高の形態だと私は考える。

科学者の試行錯誤はもろもろの仮説から成り立っている。彼は仮説を言葉で、しばしば書き物で定式化する。
しかるのちに彼は、これらの仮説のどれかを批判し、実験的にテストすることによって---その仮説のうちに不備欠点を見出そうと試みることができる。
もしその仮説が、少なくとも競合的な諸仮説と同様に、これらの批判とこれらのテストに耐えないとすれば、その仮説は排除されるであろう。

60) われわれは一組の競合的な諸仮説のうちから「最良の」もの---真理の探求のために捧げられた批判的議論の光に照らして「最良の」もの---を選べるにすぎないということは、議論の光に照らして「真理にもっとも近づいて」いると思われる仮説を選ぶということを意味する。私の「推測と反駁」の第10章を参照。また「人間の自由」Ⅶ頁以下および特に(エネルギー保存の原理について論じられている)74頁をも見られたい。

原始人やアメーバの場合は、これと異なる。
そこでは、いかなる批判もなく、したがって自然淘汰が誤った仮説や期待を保持したり信じている有機体を排除することによって、それらの仮説や期待を排除するということがきわめてしばしば生じる。
それゆえわれわれは、批判的または合理的方法は、われわれの代わりにわれわれの仮説を死なせることにある。ということができる。
それは、身体外的進化の一ケースである。







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