前原国土交通大臣の八ッ場ダム本体建設中止の表明を受けて、地元群馬県では大沢知事をはじめ県議会でも国への批判が続出しているようです。
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090928/lcl0909281308002-n1.htm
『国と地元住民、1都5県との約束』というところで基本的な疑問が生じるのですが、そもそもここで言う『国』とは何を指しているのでしょうか?
以下は学術的なことは抜きとして一般的な感覚の話をさせていただきます。
霞ヶ関(当時の建設省)が含まれていることは疑いようがありません。
それでは永田町はどうなのか?
『国』という表現から当然、永田町は含まれると解するべきでしょうが、これまでの日本における内閣は55年体制以降ほぼ、内閣・政権与党=自民党(連立期を含めて)という図式ができあがっており、国=政府=自民党政権と考えられていたと思われます。
政権交代という概念がほとんどなかった日本においては契約相手として「国」という表現を用いますが、政権交代を前提としているアメリカやイギリスなどではこのような場合「政府」という表現が用いられます。
特にアメリカにおいては政権交代がおこなわれるときにはワシントンの高級官僚たちまでもが1万人単位で入れ替わりとなりますので「政府」との契約はまさしく共和党や民主党の「政府」との約束・契約となるのでしょう。
ところが日本では「首相・内閣」が変わっても自民党であることには変わらず、まして仮に自民党以外の政党が内閣を組織したとしても(細川政権時など)霞ヶ関の官僚たちは継続するわけです。
これまでは永田町・霞ヶ関とも変わらないという前提で国=政府=自民党だったわけですが、日本においても政権交代が実現した以上、『国』との約束・契約という意味を考え直さなければならないのかも知れません。
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090928/lcl0909281308002-n1.htm
『国と地元住民、1都5県との約束』というところで基本的な疑問が生じるのですが、そもそもここで言う『国』とは何を指しているのでしょうか?
以下は学術的なことは抜きとして一般的な感覚の話をさせていただきます。
霞ヶ関(当時の建設省)が含まれていることは疑いようがありません。
それでは永田町はどうなのか?
『国』という表現から当然、永田町は含まれると解するべきでしょうが、これまでの日本における内閣は55年体制以降ほぼ、内閣・政権与党=自民党(連立期を含めて)という図式ができあがっており、国=政府=自民党政権と考えられていたと思われます。
政権交代という概念がほとんどなかった日本においては契約相手として「国」という表現を用いますが、政権交代を前提としているアメリカやイギリスなどではこのような場合「政府」という表現が用いられます。
特にアメリカにおいては政権交代がおこなわれるときにはワシントンの高級官僚たちまでもが1万人単位で入れ替わりとなりますので「政府」との契約はまさしく共和党や民主党の「政府」との約束・契約となるのでしょう。
ところが日本では「首相・内閣」が変わっても自民党であることには変わらず、まして仮に自民党以外の政党が内閣を組織したとしても(細川政権時など)霞ヶ関の官僚たちは継続するわけです。
これまでは永田町・霞ヶ関とも変わらないという前提で国=政府=自民党だったわけですが、日本においても政権交代が実現した以上、『国』との約束・契約という意味を考え直さなければならないのかも知れません。