飽きたらごめんね。

目標400字

手違い

2024-06-30 11:22:01 | 音楽夜話



チェルトナムからロンドンへの
帰りの電車の中で
ちょっとしたトラブルがありました。
山梨から東京への特急列車と同じで
座席の上にランプがあり
赤は予約 黄色は途中から予約
青は空きとなっています。
指定されてた席に座ろうとすると
4人の女の子が座っている。
リバプール行きの電車でも
同じことがあった。
ずうずうしく座っていたので
切符をみせたらしぶしぶ移動していったけど。
今回はランプが青だからと
動こうとしない。
ちょうど女性車掌がきたので
話をすると空いてる所に
座っていろと。
あらためて切符をみると
旅行会社に頼んだ発車時間より
一時間早い列車になってる。
発券してくれた駅員のミスなのか
旅行会社のミスなのかは
今となってはわかりません。
イギリスでは時間によって
運賃が違うのですが こういう場合は
どうなるのでしょか。
ホテルに帰ってしばらく休み
いよいよゾンビーズのライブです。

不思議な旅

2024-06-20 07:43:36 | 音楽夜話
リバプール・ライムストリート駅から アルバート・ドックまでは 徒歩30分位。 何故か床屋の数が多い気がする。 ペニーレーンは二重の意味で聖地だ。 勿論一つ目はビートルズだけど。 森高千里は名曲 渡瀬橋 を この曲をモチーフにして書いた。 だから歌詞に床屋も公衆電話も でてくるんですね。 真似して自分の歌詞にも ちょっと物騒だったけど 床屋のエピソードを入れました。 12時30分発の  バスは老老男女で一杯だった。 車内で説明してくれる 男のガイドさんはリバプールなまりがあった。 これがパティの言う 彼らは 時々仲間内でしか わからない話をしたという事か。 アジア系は他にはいなかった。 南米系は4人くらいいたかな。 スペイン語みたいだった。 国籍は違えど 皆 同好の士。 和気あいあいとしながら お互いに写真を 撮ったり撮られたりしながら フレンドリーな不思議な旅は 続くのであった。

浴室の窓から

2024-06-19 06:33:00 | 音楽夜話



EMIスタジオ前の
あの有名な横断歩道には
日曜の早朝に行った。
そうしないと混んでいて
渡ってなどいられないからね。
ホテルを6時20分頃
でて ラッセル・スクエア駅近くの
バス停からバスに乗った。
一度乗り換えて30分位で現地到着。
さすがに人影はまばらです。
韓国から来てた親子連れと
相互に動画を撮った。
スタジオ跡地をのぞいたりしてると
ポールの家があるはずだけど
うろうろしてると犬を連れ散歩を
していた夫人から マッカトニーの
家を探しているのかと聞かれたので
イエスと答えた。
彼女は セブン と言った。
そういえばえば番札なのか門のところに
35とか表記が。
7を探したがありません。
6と8はあっても。
そうか6と8の間の家がそうなのか。
説明しても多分わからないから
単純にセブンだと教えてくれたのか。
ありがとう

この家の浴室の窓から
どうやって侵入したのか
わかりません。

涙あふれて

2024-06-18 09:18:29 | 音楽夜話



イギリスへ友人と1週間ほど行ってきました。聖地巡礼の旅です。
チェルトナムへローリング・ストーンズの創設者
 故ブライアン・ジョーンズの墓参りに。
早朝パディントンから在来線で出発。
牛や羊が放牧されてる風景をのんびり見ながら
9時半頃にはチェルトナム・スパの駅に到着。
花を買って行きたかったけど
どこで売ってるかわからなかったので 取り敢えずタクシーに。
友人が墓地へ行き少しの間待ってもらって
また乗車して駅まで帰りたいと交渉してくれた。
乗り込むと誰の墓に行くのかと聞かれたので 
ブライアン・ジョーンズと言うと 
彼は偉大だったと話してくれた。
知らない運転手もいるらしいのでラッキーだった。
墓石に触れたとき 何か温かいものが
体に入ってくるような気がした。
思えば中学3年の時の夏休み直前の
新聞に載った死亡記事
あれから55年 やっとこの地に立てたと思うと
自然と涙が滲んできた。


趣味のない男は

2024-05-31 08:56:39 | 音楽夜話



ロッド・スチュアートのアルバム・ジャケットは
ア・ナイト・オン・タウンもそうだけど
時々絵画的なものもあって
いい味出してる。
盟友ロン・ウッドの影響もあるのだろうか。
このマーキュリー時代のアルバム・ジャケットも
なんかシャーロック・ホームズに
出てきそうな19世紀末の
ロンドンの労働者みたいな感じが出てて
好きですね
ズボンの裾なんか縫い目が
妙にリアルです
やっぱりレコードって
ジャケットも大事ですね
アルバム収録曲の最後は
サム・クックの名曲
ツイストで踊りあかそう です
ハヴィング・ア・パーティーも
そうだけど かなり歌い方の影響
受けてますね
ロッドの趣味は鉄道模型を
制作する事
ライブの後はホテルで制作するみたいです
フェイセズの頃の乱痴気とは随分違います
29年かけて完成させた大きなジオラマを
孫に見せてる写真があったけど
いい雰囲気だったなあ
かなり自慢気な表情でしたね

放蕩息子

2024-05-29 08:13:26 | 音楽夜話



昨日50年ぶりに帰宅させました
長い長い放浪の旅だったと思う
近くのブックオフのレコード売り場に
ひっそりと座ってました
思えば中学一年の夏に買いました
あれはどこのレコード屋だっただろう
柳生堂にはまだあのレコード売り場はなかった
さんりんが出来たのは数年後
2000円を捻出するのは
当時は大変だった
今なら5000円くらいか もっと上かも
さすがに作りはしっかりしてます
レコード盤自体もずっしり重く厚いし
ジャケットの紙の質も上等だと思える
インナー・スリーブもしっかりしてる
CDのペライ ジャケットはこんなに
長持ちしないだろうな
さっそくターン・テーブルに
のせて再生してみる
そうそう これこれ
半世紀以上たってるのに
体が曲順も曲の展開も覚えている
ジャケ写の左端にいるのは
ジミー・ニコル
リンゴ・スターが盲腸で入院した時
代理で叩きビートルズのツアーを
継続させたのは有名



一曲のために

2024-04-14 14:28:33 | 音楽夜話



少し小遣いに余裕がでてくると
LPレコードもシングル盤では
発売されない一曲のため
買ってしまうという暴挙に
出てしまう事もたたあります。
アップル・ミュージックも
スポティファイも欠片もない
時代です 
クリムゾン・キングの宮殿なら
エピタフ
フォア・シンボルズなら
天国への階段
ただ愛のためになら 
フレッシュ・エアー
他にも色々ありますね
ユーチューブでコアーズの
アンドレアとU2のボノが
デュエットしてる
ナンシー・シナトラとリー・ヘイゼルウッド
の日本でのみの大ヒットの
サマー・ワインのカバーを
見つけた時 この一曲の為に
手に入れたいと思っていた
ライブ・アルバム
やっと見つけました
この曲 1967年当時は
日本以外では評価は低かったけど
結構カバーされてますね
ルビー・チューズデイのカバーを
ロン・ウッドともやってます
ダブリンでのライブ
そりゃあ盛り上がるだろうね




パンジャの子

2024-04-04 08:46:52 | 音楽夜話



レコード全盛期に
4曲入り コンパクト盤というのが
ありました
シングル盤370円の時
700円か800円だったので
お得かどうかは微妙ですね
LPが買えない中学生には
魅力的でした
ブッキーの新しい4曲入り
CDのジャケット
手塚治虫の ジャングル大帝を
連想しました
物語がチンギス=ハーンの
生い立ちをなぞってない?
この漫画でウェゲナーの大陸移動説
やプレート・テクトニクス理論を
知りました
ブッキーのCDの販売日に
ハーパース・ミルでライブがありました
ブッキーのコーナーで数曲
B-CINEMA CLUBで数曲
ブッキーとバンドで
CDのタイトル曲
グレートサバンナも披露されました
その後グレートサバンナを作曲した
遠藤さんとの恒例 二人の好きな
ミュージシャンのレコードを
持ち寄ってのトーク
今回はムーン・ライダース
掛け合い漫才のような話を聞きながら
夜はふけていきました



ロシアからの手紙

2024-03-25 13:23:06 | 音楽夜話



亡くなった母親は何故か
ロシア民謡が好きで時々
口ずさんでいた。
トロイカとかね。
当時の流行り 歌声喫茶とかに
行った事もないはずなのに。
中学生の頃 短波放送で海外放送を
聴くのが流行った事があった。
モスクワ放送ね。
大人はいい顔をしなかったけど。
そもそも短波ラジオを買えなかった。
15年くらい前 ふと当時を
思い出して短波ラジオを買った。
SONY の逆輸入版を。
ソ連崩壊に伴いロシアの声と
名前を変えていた。
流れて来た音楽はロシアの
歌謡曲と言う感じなのか
感傷的だった。
メアリー・ホプキンの悲しき天使
を彷彿とさせる。
まあ あの曲
ロシアの曲のカバーだから。
いい曲ですね。秋から冬にかけて
特にグッと来ます。
五輪真弓 恋人よも
そんな感じ。
受信報告をしたら
クリスマス・カードや色々
送ってくれました。
今は閉局されました。
ロシアの人たちに悪い印象はないなあ。




58年目の消息

2024-03-18 15:37:54 | 日々雑感



近くの公園内を
ウォーキングしてたら後ろから
追い越しながら
こちらをしげしげと見て
首を傾げながら去っていったのは
高校一年の時のクラスメート
細井だな。
A君が6年2組に転向してきたのは
卒業を間近にひかえた12月だったと思う。
母親と弟と3人で賃貸アパートに
住んでいると聞いてた。
冬休み中に何人かでA君宅に行った。
するとドアを開けたのは
目付きの鋭いがらの悪い若い男だった。
ああ そう言うことか。
すぐに帰った。
一月ほど前に新聞を見たらA君の名前を見た。
同姓同名だし年齢も同じなので
間違いない。
夜10時頃 ミニバイクで走行中転倒して
頭の骨を折る重症
雪が凍って滑ったのかなあ。
中学に入ったらクラスが
同じにはならなかったし
高校に行かず就職したと聞いていた。
消息をこんな形で知るとはね。
当時好きだったミュータント・サブ
表紙絵はアシスタントだった
永井豪ですね。




スイ スイ スイム

2024-03-13 08:15:08 | 音楽夜話



スポーツは苦手だった。
でも嫌いでは無かった。
小学校4年まではね。
小学校3,4年の時の担任は
体育の女教師だった。
体育の成績に5段階評価で
2をつけられた。
ああ そうか と思い
スポーツは見るのもするのも
イヤになった。
甲府の書店 徴古堂の
東浦厚子に掃除の時間になっても
食べきれない給食を
泣きながらでも食べさせてた
松田正子さ。
先生の娘は中学に行ってから
一つ年下ってわかった。
スポーツの才能はなかった。
それがイヤで2をつけたんだろう。
ジョン・レノンはスポーツが嫌いだった。
ミック・ジャガーの父親は体育教師だった。
ミックも運動神経いいよね。
ブライアン・ジョーンズは
水泳が得意だった。
プールで溺死?
ありえない。
ストーンズのライブ・アルバム
ハックニー・ダイアモンズの
ボーカルもすごいけど
さすがに全盛期はすごい。
食べられてしまいそうだ。
ピアノはビリーかな。

一発でおしまいだ

2024-03-03 12:12:42 | 日々雑感
マラソン大会のあった次の日 義姉夫婦と広島に行った。 厳島神社を見ようと姉夫婦が 計画してくれたものだった。 朝6時にホテルを出て 新幹線で向かった後 フェリーでかの地をおとづれた。 午後から時間があったので せっかく広島にいるんだ。 何回か来たことはあるが一度も 行ったことがない原爆ドームへむかい 在来線で広島へ戻りバスでおとづれた。 レッド・ツェッペリンが初来日した971年 彼らは広島でチャリティ・コンサートを行い 収益700万円を広島市に寄付した。 広島名誉市民にもなったはず。 ジミー・ペイジは2015年の来日時にも おとづれて献花もしている。 ボランティアでガイドをしていた人から 悲惨な話を聞いたし ジミー・ペイジも 涙を浮かべたのも無理はない。 地震の被害も悲惨だけど天災なので 避けることはできない。 でも戦争は人災だ。 いくらでも避ける事はできる筈。 人類が愚かでなければ。

セイウチではないけれど

2024-02-29 21:09:48 | 音楽夜話



去年からこの時期 岡山の吉備路マラソン
10キロコースに参加する奥さんの
ローディーとして倉敷に
旅行をかねて行っている。
義姉夫婦が倉敷にいるので
年に一回会うのを楽しみにしている。
泊まるホテルは倉敷美観地区にある
アイビースクエアにしている。
そこのストリート・ピアノとして
おいてあるのがこれです。
いやあ 初めて見た時感激しました。
ビートルズの マジカル・ミステリー・ツアーを
連想しました。
アップル・コンピュータ社の
初期の虹色リンゴのロゴも
こんな感じでしたね。
まあ アップル・コンピュータ社の
設立者の一人 スティーブ・ジョブスの
ビートルズ・フリークは有名ですし。
初代iMacのコマーシャルに
ストーンズのシーズ・ア・レインボーを
使ってるのでカウンター・カルチャーより
だったと思います。
でもやっぱり アイ・アム・ザ・ウォルラスです。
これに一番フィットするのは。



さよならも言えないで

2024-02-01 14:25:55 | 音楽夜話



古くからの友達が
痴呆で自分が誰かもわからないと
昨日病院の待ち合いで
偶然あった別の友達が
教えてくれた。

地元の住まいを引き払い
海辺の奥さんの実家移り
二人だけの生活を始めたらしいと
茶色の髪で友は言った。

さよならも言えないで
不意にあいつはいなくなった。
別れのコーヒーも飲まないで
静かにあいつは去っていった。

数年前からなんとなく
おかしかった。
何回も同じことを説明したんだけど
昨日と今日で話すことが違ったり
些細なこと起こったり。
忘れるといけないからとメモしてた。
そんな事までって事も。
回りでもちょっと変だよねって
話題になった事もあった。
男女一人ずつ子供がいたんだけど
どうしてるんだろうか。
色々想像すると寂しくなってしまう。

ショッキング・ブルー
悲しき鉄道員
オランダ人はあまり日本人が
好きじゃあないと聞いた事があります。
この曲 日本で大ヒット。


水の中の太陽の続き

2024-01-30 07:48:52 | 音楽夜話



帰り道の二人の影は
燃える夏の熱気を浴びて
長く後ろに伸びていて
このまま時が止まればいいと
そんな事はないはずと
わかってはいたんだけど。


噴水の向こうのステージでは
バンドが夢中で演奏してた
二人で黙ってベンチに座り
手をつないで聴いていた。
演っていたのはかっこいい
リーキングスのあの曲さ


小学校5年から高校1年くらいまで
一歳年下の子とつきあってた。
きっかけは小学校の何かの
委員会だった。
美智子って名前だったんで
ミッチって呼んでた。
当時字は違ってもこの名前多いよね。
材木屋の一人娘だった。
夏のある日偶然プールであって
家まで送っていった。
途中の公園での出来事。
エジソン・ライトハウス
涙のハプニング
恋の炎とは違うセンチメンタルな
この曲。
メンバーがかなり違うみたいですね。

今どうしてるかな。
家ももうなくなってるしね。
街角ですれ違ったら
わかるかなあ?