ウチナー(沖縄)には紅型、陶芸、漆器など数多くの伝統工芸がありますが、それらの中で最も歴史が浅い伝統工芸はなんだと思いますか?
それはこれです。
これは県内に16ヶ所あるガラス工房の中のひとつです。
そもそもウチナー(沖縄)にガラス工芸が生まれたのは明治の中期であり、現在に至るまで、まだ100年程度の歴史なんですね~
ところで皆さん、ガラス工芸が琉球ガラスとして今日まで発展してきたのは何故だと思いますか?
それは・・・・・・・・・
なんと米軍がウチナー(沖縄)に駐留したことが大きな要因だったのです。
当時のガラス原料は米軍施設から大量に廃棄されるアメリカ製のコーラ瓶やビール瓶などが主流であり、当時のウチナーンチュは既に今でいうリサイクル産業の先端を走っていたワケですね。
もちろん、ガラス製品の供給先もなんとその60%を米国に輸出していたのです。
残りの40%が本土と県内に供給されていたワケですが、
復帰前当時は圧倒的に駐留米軍人軍属が購入していたということですね~
つまり、当時のウチナーンチュ(沖縄人)は米国産のリサイクルガラス瓶に命を吹き込み立派なガラス製品にして再び米国へ供給還元してきたワケです。
当然、それらの製品もアメリカ人好みのもの がどんどん作られていたワケですね。
ウチナーンチュのたくましさがビンビン(瓶瓶のシャレ?)伝わってくると思いませんか?
ちなみにウチナーグチ(沖縄方言)では「どんどん」とか「もっと」というのを「バンナイ」あるいは「ビンナイ」といいます。
さあ、それではさっそく製品をご覧ください。
店内の様子 スタンド
水差し、コップ
ビールジョッキ 置物
風鈴 置物
皆さん、琉球ガラス工芸は何を隠そう、実はアメリカとウチナーのチャンプルー文化だったというワケです・・・・・・・・・
もちろん、原料はアメリカ製だけど命を吹き込んだのは紛れもないウチナーンチュ(沖縄人)だったワケですね。。。
そろそろ紙面が尽きてきました。
次回をお楽しみに・・・・・・・・
アンシェーヤ!(それでは!)